03 つわものたち
「死神ジャック、単独でのヴァーミン殺害数を42エクセルターンぶりに更新!」
――当時のメディア記事より抜粋
「よぉBIG=ジョウ。そろそろ来る頃だと思ってたぜ」
煤と油にまみれた老ビィが、ジョウの姿を見て顔をにいっと歪めた。ただでさえ深く刻まれた皺がまるでクレバスのようだ。
そこはスターリオン蜂窩で三番目に小さく、最も危険なブツを扱う銃砲店。
老ビィの名はジャック。
かつては死神ジャックと呼ばれたスキッパーで、単分子大鎌を手にヴァーミン共を幾度となくバラバラにしたかつての英雄であり、ジョウの師、そして成体前の育ての親でもある。
「聞いたぞ、おめえ。なんていったか、あの娘と別れたらしいな」
いきなりそう言われて、ジョウは露骨に顔をしかめた。
「誰に聞いた、そんな話。カブからか」
「……なんだ、本当だったのか」
「あ?」
「ちょっとカマかけただけだったが、まさかなあ。俺ァてっきりそのまま所帯を持つかと」
「うるせえ。俺だってそのつもりだったんだよ」
ジョウは上着のポケットから銅色の櫛を取り出してスキッパースタイルの髪を整えた。成体式の時にジャックから譲り受けた年代物だ。
「そんな話をしにきたんじゃねえ。邪魔するぜ」
ジョウは勝手知ったる実家のように――ある意味それは事実なのだが――カウンターから店内に入り、奥にある地下室へのハッチを開けた。
*
スターリオン蜂窩に武器の所持を禁じる法はない。
それでも限度というものがあって、イカれたビィが蜂窩そのものを破壊してしまうような武器は公然とは取引できない事になっている。
ワイルドハントの時期は別だ。
スキッパーがマシンの疾走りを追求するのと同じ熱意で、クラフト系スキルを鍛え上げた職人が特注品を作り出す。その武器をスキッパーが使うことで店の名を上げるという意味合いも含んでいるから、武器商人もある種の熱狂にかられスキッパーにそれを売る。
ジャックは片目と脊椎をやられて引退した後は武器職人となり、以来ジョウとは上得意としての関係も加わるようになった。
「頼んでおいた霊光同調グリップはどうなった」
「おめぇさんよ、誰に口聞いてやがる。俺がその程度の仕込みできないとでも思っているのか」
あらゆる武器に精通しているジョウだが、バイクを高速でぶっ飛ばしながらヴァーミンを撃ち殺すのは高等技術を必要とする。
ヴァーミンは手強い。
去年のワイルドハントでジョウは己の武器を奪われ、その銃で反撃を受けた。おかげで右足の膝から下のプラグド化を余儀なくされ、引退を示唆されるほどの怪我を負ったのだ。
二度とそんなことがないように、ジョウはジャックに自分以外がグリップを持っても引き金を引けない仕掛けを依頼していた。
「一応確認しただけだ。で、ブツは?」
「あそこの棚だ。好きなのを持っていきな。いつも通りツケにしておいてやる」
「金欠なんだがな」
「結構なことだ。気ぃいれてワイルドハントで稼いでくれ」
そう言ってジャックはまた皺だらけの顔で笑った。
*
日々は過ぎる。
超級大馬の大行進は次第にその数を減らし、馬震は沈静化に向かっていた。
ワイルドハント出発の日が定められ、スターリオン蜂窩郊外には武装四輪、二輪、重装甲の大型八輪など歴戦のスキッパービークルがタイヤを連ね始めた。
勇猛果敢、命知らずのスキッパーたちはその時を待ち、凶暴性に静かな火を灯していく。
”斧男”ランブータン。
”クラウディ・クライ”バルバス。
”三代目鎌鼬”ブルースクリーン。
『渡り』の男、”ギガロアルケミスト”ゲオルギィは去年からの参加だが目覚ましい活躍で一気にトップ候補に名を連ねている。
そして”ウーホース大迷宮最速の男”BIG=ジョウ。
彼らを始めとした一流スキッパーが、大型トレーラーの運ぶ資源や食料品をヴァーミンの魔の手から守り、返り討ちにする。
荷物を運ぶ集落までの撃退数、そしてチェックポイントへの最速到達にはポイントが入り、それを競うという一大モータースポーツイベント――いや、本質的には戦争といったほうが近い。補給線を守りぬくためにヴァーミンを徹底的に追い払う。それが最も重視されるのだ。
「兄貴、もう少しですね」
カブが何度目かのマシンチェックを終え、ぼんやりとパイプ椅子に座っているジョウに声をかけた。
「ん? ああそうだな……」
ジョウは心ここにあらずという感じで、思い出したかのように重装スキッパースーツの懐からソウダストを出そうとした。
「兄貴、ピットは火気厳禁ッスよ」
「ん? ああそうだな……」
ぼんやりと、硬化プラスキン製テーブルの上に置かれていたガムとハニーキャンディを一緒につかみ、包み紙を破いて同時に口の中へ放り込んだ。
「うわあ」
歯ざわりを想像して、カブは渋い顔になった。ガリガリボリボリと飴をかみつぶしてガムが柔らかくなっていく過程は、ちょっと想像したくない。
「なんか、気が入ってない感じっすね。いつもなら超級大馬だって跳ね飛ばすみたいな気迫で、おれだって近づけない感じだったのに」
「腑抜けてるってか」
「そうは言ってないっすけど……でもちょっと、そんな感じだとおれ心配になっちまいますよ」
言いながら、カブにはとうに見当がついている。
この場にマリィがいないからだ。
バイクに乗ったアクロバット戦闘では、ジョウの右に出るものはいない。カブが惚れ込んで兄貴と呼ぶのも、その華麗にして無慈悲な戦い方にある。
そのスーパーヘビー級のバイク『テイクザット』を駆りながらの戦闘スタイルはすさまじい集中力とセンス、そして身体能力を要求されることになるわけで……。
「おれがいうのも今さらッスけど、一歩間違えると大怪我じゃ済まないっすよ。気を抜いてる場合じゃ」
「わかってるよ。ただちょっと……やる気が出ねえだけだ」
「ぼっ、何いってんスか兄貴! 今年は全部ワイルドハントにかけてるんですよ!? 賞金貰わなきゃウチのガレージ潰れるんスから!」
「わーかってるよ。オレはBIG=ジョウだ。戦うよ? 勝つよ? もちろん勝つ。なぜかって? オレがBIG=ジョウだからだ」
ジョウは前のめりになって、BIG=ジョウたる矜持を身にまとった。
だがそれは穴の空いた風船のようにすぐにしなびてしまう。
「直前になるとさあ、いろいろ考えるワケよ?」
「考える?」
「帰ってくる場所だ」
「そんな……兄貴のガレージがあるじゃないスか。おれだっているし」
「それもひとつだけどよ、わかるだろ? お前のツラみてもないんだよ、こう、潤いが」
「大きなお世話っすよ……つまり、こういうことでしょう?」
「あン?」
「マリィさんがいないのが今頃になって効いてきたんでしょ?」
カブの痛すぎる指摘にジョウはうなだれた。
「兄貴がオンナに逃げられるなんて別に珍しく無いでしょ? なんで今回に限ってそんな」
「わかってねえなお前は! 今までのオンナとは違うんだ、マリィはオレの……言ってみりゃ勝利の女神だ。あいつがいる場所に戻るためならオレァ死んだって構わねえ」
「死んだら戻れないでしょ」
「細かいことはいいんだよ! とにかくオレは……ちくしょう、なんでこんなことお前に説明しなきゃならないんだ」
ジョウはふてくされたように横を向いた。自慢のスキッパースタイルの髪がやや乱れ、前髪のボリュームがヘタっている。
「じゃあ……おれが呼んできましょうか、マリィさん」とカブ。
一瞬目を輝かすが、ジョウはまた力なく肩を落とした。逃げたオンナを弟分に探させるなんてBIG=ジョウのすることではない。
そういうプライドを見抜いているカブは、ジョウの苦悩もとうに承知している。マリィはジョウがワイルドハントに参加して死の危険に身を晒すのを嫌がって出て行ったのだ。いまさらマリィを見つけて連れて来ても、いざこれからワイルドハントの始まりというタイミングでは間が悪すぎる。理屈で考えれば、状況がよりを戻すことを許さない。
ワイルドハントの幕が開けるまであと半日もない。
――なんで本番になってこうなっちまうんだ、この人。
カブは油で汚れた手を作業服にこすりつけ、いよいよこの先の身の振り方を考えなければいけないかもしれないと思った。
*
時は刻々と迫る。
どこかでまだ期待していたものの、結局マリィはジョウたちのピットには現れなかった。
ジョウは――。
「しかたねえ!!」
BIG=ジョウは己の太ももをおもいっきり叩き、気合を無理やり燃え上がらせた。
私生活でオンナに逃げられても、BIG=ジョウはスターリオン蜂窩の、そしてウーホース迷宮のヒーローであるべきだ。
誰に言われたわけでもない、自分自身のプライドなのだ。走りは空気、マリィは水。
――すまねえな、マリィ。おれはやっぱりこうなんだ。
「カブ」
「はい?」
「テイクザットの最終チェックは終わってるか?」
「そりゃあもう。パワーもスピードも、こいつを上回るマシンなんざありませんよ」
「そうか」
「ええ」
「じゃあ一丁試してみるか」
言うやいなや、ジョウはテイクザットのシートに飛び乗った。
最高のマシン。
BIG=ジョウが駆るにふさわしいマシンだ。
ジョウはメーターパネルの下のボタンに指をかけた。
イグニッションの瞬間。
この世で一番神聖な瞬間。
さあこの火を受け取れ。
お前は今日、この日、この時間に目覚めるべく生み出されたマシンだ。
雄叫びを上げろ、テイクザット!




