02 ワイルドハント
ヴァーミンは銃で撃つと死ぬ。
つまりビィの勝ちだ。
――スキッパーたちの言葉
すさまじい地響きがする。
1エクセルターンのうち、ウーホース迷宮の広い領域で決して行き来できない時期がある。
超級大馬という、信じられないほど巨大な迷宮生物が一列の群れをなし、迷宮内を走り回るからだ。
スターリオン蜂窩のビィたちはそれを大行進と呼び、その間、彼らの列を横切ることは決して許されない。肩の高さまででおよそ10階建ての建造物に匹敵し、ひづめは資源運搬用のコンテナをたやすくプレスしてしまう巨獣だからだ。
その疾走は近辺に地震を引き起こす。馬震と呼ばれるその振動は、危険域に踏み込めば二度と戻って来れないとまで言われている。
スターリオン蜂窩は、その豊富な生産力を活かして遠くの蜂窩へと資源を運ぶことを生業としている。
その時に活躍するのが車両を駆ってコンテナを護る運び屋だ。
武装した二輪、四輪、八輪の車両が鉄壁の守りを固め、途中で現れる迷宮生物やヴァーミンなどの脅威を排除する。スターリオン蜂窩、いやウーホース迷宮全土で最も誇り高く勇猛な役割と言われている。
そんな彼らでも、大行進だけはどうにもならない。大きさも、速さも、群れの数も、ビィの手に負えるものではない。強力な兵器や門術で一頭二頭を吹き飛ばすことができたとしても、他の驚くべき数の群れに報復される。もし興奮させて蜂窩まで攻めてこられたら、恐らく都市ひとつ地ならしされてしまうだろう。
大行進だけはどうにもならない。運び屋も走り屋も手を出せないのだ。
その間、スターリオンから離れた蜂窩では資源不足に陥ることになる。
その事実だけでも中々にヘヴィだが、もうひとつ大きな問題がある。
ヴァーミンの襲撃だ。
平時であれば、スターリオンからの運び屋がそのまま傭兵団となり、ヴァーミンの侵攻を跳ね返す。資源の運搬と用心棒を兼ねているわけだ。
超級大馬の大行進の最中にはそうはいかない。
巨大馬の怒涛の疾走によって分断された向う側にある蜂窩はスターリオンの手が届かず、ヴァーミンの格好の餌食となるのだ。
1エクセルターンの間、じっくりと貯めこんだ戦力で中小蜂窩を襲うヴァーミン。
大行進明けまでどうすることもできないスターリオン蜂窩のビィたち。
分断されたそのふたつが、大行進の収まりとともに激突の時を迎える。
1エクセルターンに一度の驚天動地、生と死の入り乱れる狂乱のレース。
『ワイルドハント』である。
*
霊線同調式中量級二輪車をほとんど限界まで軽量化したカスタム仕様車が、スターリオン蜂窩の都市部を抜け、家畜化された迷宮生物たちの牧場を通り過ぎる。
そのエンジン音は鈍く骨に響くような重低音をかき鳴らし、ケダモノのうねりのようで、聞くものの胸をざわつかせる。
軽量化した車体に対して馬力が高すぎて、気を抜けば転倒してばらばらになるような怪物バイクを操るのは、ウーホース迷宮最速と呼ばれた男、BIG=ジョウ。
強烈な向かい風にスキッパースタイルの髪を煽られながら、ジョウは身も心もバイクと一体化し、そして霊線を接続することで霊魂さえもシンクロしている。
ウーホース迷宮独特の見渡す限りの大平原。冷たい石の広がりはまるで宇宙の支配者の宮殿のようだ。
カーボン=プラスキン複合材の地面には、ハイウェイの存在を示す不死ホタルランプが地平の果てまで伸びている。
伸びているが、そんな指示光から外れてもいい。どこを向いても無限に思えるほどの平原だ。光のラインは、広すぎで道を見失わないためのただの道案内に過ぎない。
はるか天井の光導板は火を落とし、いまが深夜であることを教えてくれる。
ジョウはハイウェイを大きくはずれ、全くの無人の野を全速力でぶっ飛ばしていた。
無茶な軽量化のせいで剛性が犠牲になり、走っているだけで車体がビリビリと震える。
――これがいいんだ。
ジョウはゴーグルの下で薄く笑った。
カブのチューニングは見事なもので、走っているだけで分解されそうでいてそうはならないギリギリのラインを攻めている。
弟分はレーサーでこそないが、メカニックとしてクルマと結婚しているような男だ。つまるところカブもジョウと同じタイプのビィだと言える。
*
大平原と言っても、どこもかしこも鏡のように磨き上げられた平面ではない。
経年劣化、その他諸々の理由で窪地ができたり、どこかのバカが走りに没頭しすぎて転倒、爆発して亀裂が履いているような場所がある。
ジョウはその危険な地区を危険なバイクであえて攻め、反射神経の限界を試す。すでに左目は義眼がプラグドされているが、脳神経系はいじっていない。だからジョウはナマのスリルを味わい、ナマの走りで生きている実感を得ている。
どのくらい時間が立ったのだろう。
白み始めた天井の光導板を見上げ、ジョウはバイクから降りてオガクズタバコを吸っていた。
ほとんど自殺志願者のような走りを続けて、他のスキッパーたちの賞賛をどれだけ得ても、ジョウの気持ちは晴れなかった。
泣いているのはソウダストの紫煙が目に染みたせいだ――と誰かに言い訳したかったが、無理な話だ。
「畜生、ちくしょう。マリィ~……」
ジョウはすっかり情けないただの未練たらしい男に成り下がり、元恋人の名を繰り返し呼んだ。
「それはねえだろベイビー、オレから走りを取ったらなんにも残らないなんてよぉ、お前が一番良く知ってるはずだろ~?」
ジョウはめそめそと泣き、この三年間の彼女との思い出にふけった。
「ちくしょう、ベイビー、せめて今年のワイルドハントまではさぁ~、オレのそばに居てくれてもいいじゃん……」
彼の名はジョウ。
人呼んでBIG=ジョウ。
ウーホース迷宮で最速、そして失恋の後を引きずるタイプと呼ばれた男――。
*
ワイルドハントに必要なのはドライビングテクニックだけではない。
武器の扱い、あるいは門術を扱う技術が求められる。
襲い掛かってくるヴァーミンの群れから多くのコンテナトラックを守りながら長距離を疾走る上で、運転しながら銃や火の玉のひとつでも出せないのではただの小僧っ子だ。
スキッパーという人種は誰よりも速く走り、誰よりも勇敢にヴァーミンを倒す。レーサーであり騎馬武者でもあるのだ。
当然ジョウも戦うレーサーだ。全身のかなりの部分がすでにプラグドであるジョウの得物は各種銃火器である。本人だけでなく、ワイルドハント用のモンスターマシン『テイクザット』にも武装が施されている。
スキッパーの中でも『テイクザット』ほどヘビィなバイクを使うビィはいない。マシンの力に振り回されて操縦だけで手一杯になってしまうからだ。まともに乗りこなせるのはスターリオン蜂窩、いやウーホース迷宮全体を見渡してもそうはいまい。
BIG=ジョウが乗るにふさわしい一台だ。
*
ワイルドハントが始まる15ターンほど前。
テイクザットの調整はあらかた終わり、武装を積み込む作業に移っていた。
「兄貴、今年はどうします?」とカブ。
「そうだな。テイクザットの武装は去年と同じでもかまわねぇか……」
「じゃあその線で調達しときます」
「あ、いやちょっとまてカブ」
「どうかしました?」
「今年は一発の威力より、弾数を多めにしてくれ」
「そりゃまたどうして……いや兄貴がいうならそれに合わせますけど」
「今年の毒虫どもは数で攻めてくる」
「それは……何か情報でも入れたんスか?」
「カンだ」
「へ?」
「走り屋のな」
「あー……」
「なんだカブ、文句でもあんのか」
「えっ? いえいえそういうわけじゃないっスけど……ヘヘ」
「あン? 何がおかしい」
「やっぱ兄貴は骨の髄までスキッパーっスね」
「へっ、な~にを今さら」
「マリィさんと別れた時はしばらく迷宮が全部潰れたみたいな泣き言いってたのに」
「うるっせえよ」
「あいだだだ!」
「泣こうが笑おうがヴァーミンは来るんだ。ワイルドハントは止まらねえ。オレは疾走ることを選んだんだ。未練なんか……未練……くそっ、カブてめえ余計なこと言うんじゃねえ!」
「いだだだだだだ! 兄貴勘弁して下さいよ、武装の調達とっとと始めないと……」
ジョウは鼻息を荒げてカブの首っ玉を解放した。
バイクの武装はカブに任せるとして、ジョウ自身の装備も整えなければならない。走行中に襲ってくる敵とやり合い、五体が軋むほどの加速に耐えながらテーザーボーラを投げつけて命中させるには十分な準備が必要だ。
とくにBIG=ジョウである自分には。
そう、BIG=ジョウだ。BIG=ジョウは弱さを見せられない。無様な姿は晒せない。ドローンキャスターがワイルドハントの走りと戦いを撮影し、スターリオン蜂窩へ中継する。
未来のスキッパーになる子供たちに真のタフさを伝えなければならない。
BIG=ジョウとはそういう男だ。




