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迷宮惑星  作者: ミノ
第04章 ウーホースの章
31/120

01 その男、BIG=ジョウ

初めに女がいた。


女は己の身を隠すため迷宮を産み、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。


いつしかそこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。


 イグニッションの瞬間はいつも神聖だ。


 動力機関に火が灯り、強力な爆音が車体を震わせ、シートを下から突き上げる振動に機械の息吹を感じる。


「そう急かすなよ」


 男は愛車の燃料タンクを指でなぞった。エロティックとさえ言える流線型のボディ。そこに充填されている爆発的エネルギー。全てが疾走ることだけを目的に生み出された、カーボン=テックスキン製のもうひとつの肉体。もうひとつの我が命。


 スタートまでの時間。それは男とマシンとの対話の時間であり、魂を共有するための儀式とすら言える。


「少し気が早くないスか、兄貴」


 左耳に装着された念話増幅器からの無粋な声。


「だからお前はわかっちゃいないってんだ」


「え?」


アートだ。俺と愛車マシンをつなぐ神聖な時間を邪魔すんじゃねえよ」


 男を兄貴と呼ぶ若い声は、一瞬呆れた後に通信を切った。それでいい。


 今日の走りはいつもとは意味が違う。頭の芯がしびれるような、スピードとヴァイオレンスの奔流だ。


 それをじっくり味わう。そのためには、いつもより長く、強く愛車の魂を焚きつける必要がある。


 男の名はジョウ。


 人呼んでBIG=ジョウ。


 ウーホース大迷宮最速と呼ばれた男――。


     *


 12の大迷宮がひとつになって生まれた世界、迷宮惑星。


 他の迷宮に比べ平坦な場所が多いウーホースでは、物資の運搬に多くの車両を用いる。垂直列車やゴンドラの設置をせずに自動車を自由に走らせることができるのは、極端な急勾配や段差がすくないという理由による。


 ヒト型知的生命体・ビィもまたスピードに惹かれる。


 門術ゲーティアとよばれる超能力をもって驚異的な脚力を発揮する者もいれば、全身を機械化プラグドして生身を超越した反応速度を身につけるものもいる。


 誰よりも速く。


 その思いは必要から生まれるのではない。


 渇望だ。


 誰しもが生まれつきもっている理由のつけられない速さへの挑戦だ。


 その渇望は、怖いもの知らずの幼子がやがて我が身のリスクを天秤にかけるように、おとなしい場所に着地する。速さへの飢えは恐怖にかわる。


 だが世の中には、何があっても渇望を手放せない類のビィがいる。


 ウーホースではそのような命知らずの運び屋をスキッパーとよんでいる。


 誰よりも速く走り、誰よりも速く荷物を指定の場所に運ぶスーパードライバー。


 彼らは普通のトラック運輸の半分以下の時間で荷物を届ける。平時であれば重宝されるスキッパーだ。


 何事もない平時であれば。


 スキッパーは武装する。


 ウーホースの地はたしかに平坦な場所が広く、車は自由に走り放題だ。その自由を謳歌するのはビィだけではない。


 ビィとは永遠に相容れない怪物、虫型人間・ヴァーミンの存在である。


     *


「ジョウ、あたしたちもう終わりにしましょう」


 BIG=ジョウは今朝まで枕を交わしていた恋人のマリィにそう切り出され、口の端から精製ミルクを一筋こぼした。


「ちょ、どういうことだよそれ? いきなりすぎだぜベイビー」


「いきなり……ってわけでもないでしょ。散々言ってきたはずよ、ジョウ」


「ど、どう、どういうことよ?」


 あからさまに動揺して部屋の中をうろうろする上半身裸のジョウに、マリィは母親のようなため息をついた。


「『ワイルドハント』。今年も参加するっていうなら、もう一緒にはいられないって」


「オイオイオイ待ってくれよベイビー。だってよう、オレは誰だ? BIG=ジョウだぜ? このオレがワイルドハントに出ないで誰が出るんだよ?」


「そうね。あなたってそういうビィだもの。わたしのいうことなんて聞いてくれない。頭にあるのは速さと強さだけ」


 マリィはブロンドの髪をかき上げ、細巻きのソウダストに火をつけた。美しい横顔に憂いが満ちている。


 それを見たジョウはマリィが冗談や悪ふざけで言っているわけではないとようやく理解した。理解して、これはもうどうにもならないと直感して、なおも食い下がった。


「待てって、なあベイビー……オレがそういう男だって、知ってて今までやってきたんだろ? オレはずっとこういう男だ。去年も、その前も、前の前も。ワイルドハントはオレの命だ。人生だ。それに出ないんじゃ……」


「死んだも同然だ――そうよね?」


「ああ、そうだ。走りはオレがオレであるっていう証拠で」


「だからよ」


「……」


「ジョウ、あなたが一番大切なのはいつもそれ(・・)。わたしがどんな気分であなたの背中を見送ってきたかなんてわかっていないのよ、ジョウ」


 ジョウは何も言えなくなった。全身合わせて10箇所以上。ワイルドハントの最中のケガで、ジョウの身体はプラグド化されている。


「いつ死ぬかもしれないひとを待ち続けるの、わたしはもう疲れちゃった。じゃあね、ジョウ。あなたのことは好きだけど、これ以上一緒にはいられないわ」


 マリィはそのまま振り返らずに部屋を出て行った。


 ジョウはそれを止める言葉が浮かばない。ああ、こういう気持ちでマリィはオレのことを毎年見送っていたのかもしれないと思い、ぼんやりと立ち尽くした。


 ベッドに腰掛け、サイドチェストの上にあったオガクズタバコ(ソウダスト)を吸おうとしたが、パックは空だった。


 これはもう、どうにもならない。


 冴えない朝――いや、もう昼か。


 櫛のはいっていない乱れた頭髪をかき混ぜて、ジョウはシャワールームに向かった。


 オンナとバイク。


 ジョウは結局バイクを取った。


 水と空気のどちらかを選べというのは酷な話だ。


 だが、そういうこともあるだろう。


 ジョウはマリィが最後の仕事のようにきっちりと清潔にされた服を身に付け、髪型を古風なスキッパースタイルに整えてから部屋を出た。


 少し泣けてくる。


     *


 スターリオン蜂窩ハイヴ


 中心の主機関樹セントラルツリーこそ標準的なサイズながら、高低差のない平原に枝葉を茂らせていることが影響し、周りに住まうビィは多く、円状の大都市の様相を呈している。


 人口も多い。まるで円グラフのように居住地区、食料生産地区、工業地区などに区域ができているのだが、居住地区はおおよそ4分の1を占めている。蜂窩ハイヴの豊かさを示しているかのようだった。


 食料生産地区では、主機関樹から採取される根や樹皮、葉、蜜などの加工が行われ、家畜化された迷宮生物がビィたちの日々の生活を支えている。食える場所にビィは集まる。普通なら余剰人口は探索者となり蜂窩ハイヴを出て行くビィが多い。しかしスターリオン蜂窩ハイヴでは、むしろ食料生産や工業地区で働く人手に不足があるほどだ。


 しかしビィには冒険を求める本能的衝動がある。


 たとえ冒険のために蜂窩ハイヴを出ることがなくても、都市生活に心の窮屈さを感じ、思わぬ方向へ暴走することもしばしばだった。


 喧嘩が絶えず、ときに犯罪行為に手を染めるビィもいた。豊かだからこその暴走、といえるかもしれない。


 だがそれはずっと昔、過去の話だ。


 溜め込まれた鬱憤を怒涛のように爆発させるイベントが自然と生まれた。


『ワイルドハント』である。


     *


「兄貴、今日はマリィさんは一緒じゃないんですね」


 そこは工業地区の一角にある愛車のガレージ。


 ジョウは顔を合わせた途端にメカニック担当のカブにそんな声をかけられて、思わずぶん殴ってやろうかと思ったものの、朝のイベントのせいですっかり気力が失せてしまっていた。

 

「色々あんだよ、今日からはもうアイツは来ねえ」


「来ない? マジッスか?」


「マジだよ」


「えーっ? そんなの困りますよ兄貴。経理担当がいないとこのガレージ、あっちゅう間に赤字になりますよ」


「そこはお前がなんとかしてくれや。頼むぜ……」


 ジョウは力なくそう言うと、半分バラされてオイルでよごれた愛車『テイクザット』の、なおも美しい車体のラインを見、複雑なため息をついた。


 二輪車である。


 霊光反応炉レイ・ラーリアクターを主動力にしたもので、恐ろしくゴツく、驚くほど速い。そしてみだらなほど美しい。BIG=ジョウは『テイクザット』の虜で、自分の手足以上の愛着を持っている。


 ジョウはレーサーであり、運び屋のドライバー(スキッパー)であり、小さな修理工場の経営者でもある。


 経営と言ってもジョウは根っからの、骨の髄までバイク乗りである。ほとんどの仕事は弟分であり機工作兵ザッパー上がりのメカニック、カブに丸投げしている。


 そしてここ数年、ガレージの経理を担当していたのが恋人の――元恋人のマリィだった。


 コスト意識にまるっきり興味のないジョウが無茶な高級パーツを揃えようとするのにブレーキを掛け、うまくハンドルを握るのが彼女の主な仕事で、スピードだけを追求するジョウには仕事の上でも欠かせないパートナーだった。


 今朝までの話だ。


「ワイルドハントにゃ間に合うんだろうな、カブ」


「そりゃあもう。最優先事項ですから。でも他の仕事も平行してやらないと修理工場ウチ経営成り立たないッスよ? マリィさんがいればそういう割り振りも……」


「かまわねえ」


「へ?」


「構わないといったんだ。他の仕事なんて投げたって構わねえ」


「でも兄貴、そうは言ったって」


「ワイルドハントだ、カブ」


「え?」


「ワイルドハントまで後どのくらいだ」


「1エムターンちょっと……ッス」


「そういうことだカブ。テイクザット(バイク)の調整を頼むぜ」


 普段の明るさのカケラもなく言い切るジョウ。ことの深刻さがゆらゆらと忍び寄ってきて、カブの睾丸は引き縮んだ。


 相手はジョウ。BIG=ジョウである。スターリオン蜂窩ハイヴのライダーで最も命知らずの男。


 カブはジョウの走りに心底惚れている。小さなガレージでメカニックとして無理難題をこなしてきたのもそのためだ。だからといって元手もなしに修理業はできない。ジョウの言う、ワイルドハントのための調整もそのひとつだ。カブ自身がタダ働きになったとしてもなんとか我慢しよう。だが厳選した高級パーツを揃えるには元手がいる。借金が重なれば回るものも回らない。


「兄貴がそう言うならそうしますけど。ワイルドハントの賞金に全部賭けるってわけッスか?」


「賞金? そうだよ。オレには疾走ることしかねえ。バイクしかねえ。ワイルドハントしかねえんだよ、カブ」


 声に出さず、カブはとうとうやっちまったのかと苦い顔をした。


 ジョウとの付き合いは長い。また(・・)女に振られたのだ。


 ――それでもマリィさん、3年ももったのになあ。あのヒトでダメなら、誰も兄貴の手綱なんて握れないぜ。


「じゃ、よろしく頼むぜ。オレはちょっとひとっ走りしてくらぁ」


 言うやいなや、ジョウはレース用ではない私物のバイクにまたがり、ガレージを出て行った。


「……やれやれ」


 カブは諦め、頭を切り替えた。


 ジョウは変わらない。変われない。買われることも飼われることもない。


 BIG=ジョウ。


 ウーホース迷宮最速と呼ばれた男――。


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