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迷宮惑星  作者: ミノ
第03章 シープの章
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09 琥珀色の海

塩はどこだ?


――”百年の旅人”ペザントの言葉

 クリームの白い海、凍えるチョコミントの氷河を越え、プレッツェルの森をかき分けて発掘船は進んだ。


 もし船がただ風を受けエンジンで進むだけの代物であればとうに立ち往生していただろう。だが世界羊の夢から生まれる甘波かんぱの只中を眠れる子羊の夢が相殺しながら疾走する発掘船はそう安々とは止められない。


 航路の上に立ちふさがるものは発掘砲で破壊して、群がる迷宮生物――否、迷宮生物に似た動く甘波のクリーチャーの出現に対してはウルとベルをはじめとする乗組員が必死の抵抗をおこない、船へのダメージを水際で防いだ。


 それは甘い匂いに包まれながらも壮絶な戦いで、敵との激突で乗組員の数人が命を落とすことになった。


 いまや残った人員は、船長のセーブル、ウルとベルを合わせても10人を残すのみ。


 長旅である。それもただの船旅ではない。驚くべき地形と嘘のように巨大なお菓子の群れ、そして恐れることを知らない敵が襲い来る険しい道だ。それでも何とか士気を保てていられるのは、船長を務めているセーブルのウィットに富んだ物言いと、甘波を終わらせるという強固な意志の賜物だった。


 ウルとベルの存在も大きい。


 一番年下の、まだ成体して間もない姉弟であり、同時に乗組員の中で最強のコンビであり、ふたりとも真っ直ぐな心を持っている。ベルがウルのことを溺愛しているのも愛嬌のひとつだ。彼らふたりがマスコットになっていてくれるだけで、他の乗組員たちは精神的に余裕を持つことができた。


 発掘船にはすでに積み込んでいた水も食料も尽きていたが、船の周り全ては食べられるお菓子ばかりで、水に関してもフルーツジュースやジンジャーエールの水源を見つけて浄水装置にかけて補充できる。


 なんとも不思議な旅路である。


 ありとあらゆるものが菓子状態にあるこの領域は、世界羊の見ている夢が作り出している。


 セーブル率いる発掘船は、まさにその夢を覚ますために進んでいるが、羊の夢がなければとうに食糧不足で船旅どころではなかったはずだ。敵を倒すために、敵がいなければ敵のもとにたどり着くこともできないというわけだ。


「それにしてもさ、今さら言うのも何だけど世界羊はなんで迷宮をお菓子に変えようとしてるんだろ」


 ベルはそう言って、潮風ならぬ甘い風でほつれた髪をかきあげた。


「『連理れんり』にくっついてずーっと夢を見続けているのなら、お菓子食べられないじゃん」


「確かに、もし自分で食べるにしてもちょっと量が多すぎる。自分で食べるんじゃなくて、そうすることで欲を満たそうとしているのかな……」とウルは首を傾げた。


「欲って、どんな欲? 自分の周りの全てを食べられる海とか山に変えて、どんな得があるっていうの?」


「ぼくもよくわからないよ。迷宮生物は食欲のためだけにあらず、って昔キャラコ先生が言ってた。ぼくたちから見てどんなおかしな行動でも、迷宮生物の生態だから本人にしかわからないものがあるって」


「そんなこと言ってもさ……」


 ベルは愛らしい顔を伏せた。気が落ち込んだのではなく、デッキの下に鎮座する眠れる子羊のいる方向を視線を向けたのだ。もちろんその姿を船上から見ることはできないが、常時発散されている夢の力の波動のようなものは感じ取ることができる。


「こっちのモコモコは自分の縄張りを広げたいっていう目的があるんでしょ」


「うん。セーブルさんのテレパスではそういうメッセージが読み取れたって言ってたね」


「それってつまり欲があって、それを果たそうっていう魂胆があるんだからさ」


「世界羊も、何の欲も目的もなく甘波を起こしているはずがない、か」


 ベルはそうそう、と何度もうなずいた。


「いくら読み取れない生態でも、自分に不利になるような自殺行為なんてしないはずだもん。絶対なんか理由があるんだよ」


「どうしたの、今日は」


「なにが?」


「ベルがそんな風に考えてるところ、あんまり見たことない」


「もー、ウルったらわたしのことばかだと思ってるでしょ」


「そんなことないってば。ないけど、でもたしかにそうだよね。夢で現実の物体を変換させているにしても、それがお菓子である理由も、ここまで大規模に広げる必要も理解できない。何かの目的があるんじゃないかっていうのは疑って当然だと思う」


「うん。でも誰に聞けばわかるのかな、そんなの。キャラコやセーブルでも分からないことだもの、誰に聞いてもわからないのかな……」


「そうでもないよ、ベル君」


「セーブルさん?」


「聞けば確実に理解できる相手がいるじゃないか」


 ウルとベルは、セーブルの明るい物言いに戸惑った。そんなビィがいるなんて聞いたことがない。


「決まっているだろう? 世界羊オウィス・ムンディス本人さ」


     *


 ある夜。


 それはいきなり始まった。


 天井からの明かりはなく、発掘船の照明だけが頼りのハチミツの大海原で、突然の横揺れが襲ってきた。


 否、横揺れという揺れ方ではない。何かの塊が右舷にたたきつけられ、船体そのものが大きく左方向に横滑りさせらたのだ。


「敵襲か!?」


 乗組員の誰かが叫んだ。


「暗くて見えん! 誰か門術ゲーティアで照明をつけてくれ!」


 船内はにわかに混乱の渦中にのみこまれた。暗くて何が起こっているのかわからない上、砲弾が風をきるような音が発掘船の周囲をいくつも飛び交っているのだ。


「太陽の門、大照星!」


 門術ゲーティアを使ったのはベルだった。天に向けて伸ばした手から光の塊が打ち上げられ、遥か上空で光の花が咲く。その明るさは、発掘船を中心に広域を照らし、水平線まで広がるハチミツの海と、そのあちこちから顔を出すとてつもなく大きなヒツジの首を宵闇の中から暴きだした。


 ヒツジの首は5、6本が水面から伸び上がり、あるいは水面に没しを繰り返している。異様に長い首は、ヒツジではなくアルパカと呼ばれるべき動物を象っているようだ。


 長く、高くのびた首にはハチミツを弾く素材の毛皮が覆っていて、横長の瞳孔が発掘船を捕らえて離さない。そしてときおりモゴモゴと口を動かしては、どろりとした液体を放つ。その軌跡は発掘船を狙っている。それが唾液なのかハチミツなのかはっきりとしないが、それらアルパカの首は巨大な砲台だった。粘液状の弾を放つ生きた砲台だ。


 突然の攻撃に対処が遅れたところを次弾が放たれ、今度は船首辺りに左側から直撃を受けた。どうやらハチミツの塊らしい液体は重く粘りがあり、デッキが耐え切れないような悲鳴を上げ、船自体がカーブしてしまう。


「いだーい!」


 振り回され、転倒したベルは肩を強打してうずくまった。混乱の中、門術ゲーティアが開かずに治癒も反撃もままならない。


「落ち着け! いま発掘砲で左舷をなぎ払う! いいな、諸君らは右舷からの攻撃に注意しろ!」


 セーブルのよく通る声が発掘船全体に響き、発掘砲が強力な閃光を放ちつつ砲塔をひねった。横薙ぎになった光線は巨大アルパカの首を焼ききり、二匹がその場で即死し、もう一匹はハチミツの海の中に没してやり過ごした。


「このやろう、ビィを舐めるな!」


 動ける乗組員たちは手持ちの武器や門術ゲーティアで徹底的に攻撃し、右舷側にいた一匹の顔面に一撃が入った。焼けただれた顔で狙いが定まらないままハチミツ弾が吐き出され、船周辺の海にドボ、と重い水音を立てて沈んでいく。


「よぉし、攻撃が通用するなら必ず倒せる! 発掘砲の次弾充填まで、あと数分間しのいでくれ!」


「応!!」


 セーブルは蜂窩ハイヴの代表としても船長としても有能だ。すでにセーブル船長の呼び名が板についている。


 怒声。それを縫って銃声と門術ゲーティアが閃かす炎や稲妻が轟いて、巨大アルパカの首に次々とダメージが入る。大きく攻撃は強力だが小回りがきかないらしい。そうなればただの標的まとにすぎない。


「よし、発掘砲の充填終わり! みんな下がれ!」


 最後の一匹になったアルパカの首に照準が定められる。


 これで終わりと乗組員の誰もが確信した。


 しかし発砲のわずか1秒前。


 発掘船の船底が猛烈な衝撃に突き上げられた。ハチミツの大海から船全体が標準的なビィ二人分ほどの高さを跳ね、間を置いて着水する。凄まじく揺れ動く発掘船からは支えを失って乗組員が放り出され、甘くなめらかなハチミツの水面に叩きつけられた。


 発掘砲の狙いはそれて、アルパカのはるか遠くの水面を切り裂いてハチミツを泡立たせた。


 誰も、何もまともに考えられない状況で、発掘船の脇からぬうう、と巨大アルパカの首が伸びてきた。水面下に潜っていた一匹が、下から頭突きをしてきたというわけだ。


「……なんてこった!」


 かろうじて船べりにかじりついていたセーブルは、間近で見るアルパカの首の巨大さに戦慄を禁じ得なかった。


 鼻息だけでも突風に感じるほどのスケールだ。この有様でハチミツ弾を直撃されれば発掘船は到底たえられない。


「ぎゃーーっ!」


 騒がしい悲鳴を上げたのはベルだ。外傷こそないが、破壊されたデッキの残骸に足を挟まれて動くことができない。


 巨大アルパカがもごもごと口を動かし、おそらくはハチミツの塊が生成されている。ベルの真正面である。放たれれば全身骨折、内臓破裂は免れないだろう。


 乗組員は駆け寄るだけの態勢が整っていない。


 発掘砲の充填には最低でも数分は要する。


 絶体絶命の危機だ。


 そして、こんな時に彼がいない。


 ベルの双子の弟にして最愛のビィ、ウルの姿が。


「こんなのやだーっ! 助けてーっ! ウルーーー!!」


 だが無情にもアルパカの口からハチミツの塊が放たれた。至近距離、ベルへの直撃コースである。


 粘ついたミツのぶち当たる重い音とともに、船体がきしんでデッキの上は立っていられないほどの震動が走った。


 乗組員たち、船長のセーブルは何よりもベルを失うことに衝撃を受けた。それは発掘船の船べりが折れて弾き飛ばされるよりも、他の乗組員が命を落とすことよりも、何よりも重大なことだった。ウルとベル、ふたりの姉弟の存在は心の支えにも似て、特にベルは最後に残った女性型、ただひとりの少女である。ウルだけではない。誰もがベルを守るためには命を捨てる覚悟があった。


 しかしその心の支えは目の前でハチミツまみれのビューレに……。


 なっていない。


「おまたせ、ベル」


 ウルは腕の中に抱きかかえたベルに優しい笑顔を向けた。今までデッキに上がっていなかったウルは、いったいどこをどうやって現れたのか、すんでのところで脇からベルの身体をひっつかんで巨大アルパカのハチミツ弾から逃れたのだ。


「ウル君!? キミは今までどこに……」


「説明は後です、セーブル船長! ベルのこと、頼みます!」


 そう言うと、ウルは素早くベルの身柄をセーブルに預け、去り際におでこにキスをすると、マルチブレードを抜いてすさまじい勢いでアルパカの喉元目掛けて跳躍した。


 その動き。


 乗組員の誰もが発掘船にしがみつくのがやっとの状態にもかかわらず目を奪われる俊敏さだった。


 形状記憶液体金属の刀身は高周波振動を起こし、分厚いアルパカの羊毛を瞬時に貫いた。


 突き立てた刃を足場にしてさらに上空高く舞い上がり背面を取ると、脳天、後頭部、頸部と落下しながら切り刻んでいく。


 大きく広がるハチミツの海の水面に着地すると、数秒遅れて無数の肉片になってアルパカの首は崩れ落ち、ハチミツの混ざった血を吹き出して水中に没していった。


「あと一匹、行きます」


 ウルは油断なくそう言って、最後に残った首に猛然と襲いかかった。


「よ……よおおし! みんな、援護するんだ! ウル君を守れ!」


「応!!」


 乗組員たちの士気は最高潮に高まった。


 巨大アルパカの全滅はもはや時間の問題だった。


     *


 船体のダメージの確認がされ、一応平静を取り戻した発掘船の船内には、複数の『ハチミツ人間』の残骸が転がっていた。


「ごめんねベル、デッキに上がろうとしたらこいつらが出てきて、倒すのに手間取っちゃって」


 ウルは助けに行くのが遅れた理由をそう説明した。


 船外で巨大アルパカが現れた最中に、いわば二面攻撃としてハチミツ人間が船内に侵入していたのだ。唯一それに気がついたウルが、眠れる子羊のいる船倉に入られるのを防ぐために切り捨て、結果としてベルを助けに行くのが遅くなったというわけだ。


「ウルのバカ、ウルのバカ、ウルのバカ」


 事情を説明してもベルは納得してくれず、一番怖い時にそばにいなかった罰としてウルのことをぽこぽこ叩き続けた。


「まあ、ウル君のおかげでこうして全員生き残れたんだ、そのへんで勘弁したらどうだい?」


 セーブルにそう言われ、ようやくウルを許したベルだったが、死の危険を間近で感じた恐怖は事実だった。かすかに震える手をウルに握ってもらい、ややあってそのまま眠りに落ちるまで手を握ったままだった。


「……しかし、巨大なアルパカの首だけが生えてくるなんて、もう何でもありですね」とウル。


「そうだね。世界羊はただ甘いものだけを生み出しているわけではないようだ」


 セーブルはそう言って、地図から三次元航行図を呼び出した。


「地理的には『連理れんり』が見えてくる辺りまで来ている。世界羊の縄張りの内に入っていると言ってもいい。そんな場所なら……」


「夢の影響が強く働く、っていうことですか」


「たぶんね。詳しいことはあとで眠れる子羊にきいてみるべきだろうが……まったく、あのヒツジいつまで眠っているのやら」


 世界羊とはそういう迷宮生物だとわかってはいるが、セーブルは愚痴らずにいられなかった。ヒツジ同士で頭突きでもしあって雌雄を決したら良いのに、シープ迷宮のビィは全てをヒツジに牛耳られている。


 しかし発掘船があるおかげで世界羊の膝下まで近寄ることができた。


 多大な犠牲は払ったが、もう少しだ。


 連理に寄生する世界羊、それさえ制してしまえば甘波はもう起こらない。


「ウル君」


「はい?」


「この旅は希望の旅だ。甘波を止めれば、我々ビィはどこに逃げることもなく暮らしていける」


「はい」


「キミたちは、希望を享受できる最初の世代になる。どうか私たちにその姿を見せてくれ。必ず生きて帰るんだ」


「はい……でもそんな言い方だとまるでセーブルさんが」


「あ、いや変に取らないでくれ。私だって何があっても生き残るつもりだ」


「良かった」


「それでも、キミたちは本当に大事な命だ。それだけは忘れないでくれ」


 船体が大きく軋む音がした。


 応急処置が終わり、発掘船は再びハチミツの海をかき分けて進み始めた。


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