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迷宮惑星  作者: ミノ
第03章 シープの章
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08 Bon Voyage

門術ゲーティア使いは数々の門を開く。

全部この世にないものだ。


――”嵐の冠”ロングウィンターの言葉

 あたり一面真っ白なクリームの海を、発掘船が滑るように進む。


 浮力と言うよりは、船内で眠り続ける小世界羊『眠れる子羊』の夢が生み出す反発力でクリームを弾いて進んでいる。原理は違うがホバークラフトの推進法に似ているかもしれない。


 クリームの海は本物の海のように波は起きない。


 だが表面の曲面や隆起を乗り越える時の上下運動は乗り込んでいるビィにダイレクトに伝わる。当然、船上はひどい揺れを起こし、技藝の聖樹(スキルツリー)で揺れに対する耐性を身につけていないビィにはかなり厳しい環境だった。


 ウルとベルのふたりはどうなっているかというと、ウルは剣術を得意としていることもあって高度な身体操作スキルを持っていて、船酔い程度はほぼキャンセルできる。いざとなれば内門――身体内に効果を発揮する門術ゲーティア――を開けば回復も可能だ。


 一方のベルはというと、完全に船酔いして何度もクリームの海に不純物を撒き散らしていた。


 回復門術ゲーティアを使えば多少落ち着くものの、精神統一が妨げられて根本的なバランス失調から復帰できずにいる。


 デッキにはベルだけでなく、半分以上の乗組員がぐったりと身体を横たえていた。なにしろベルなどは船の存在すら知らなかったくらいである。船酔いなどというものがあることまでは知らないビィが多かった。ウルも、スキルがなければベルの隣で呻いていたに違いない。


「セーブルさん、このままだと何かあった時に対応できませんよ。いったん船を止めたほうが良いんじゃないですか?」


 ウルはデッキの上で半死人のようになった仲間たちを乗り越えて、セーブルに話しかけた。しかしセーブルも船酔いにやられていた。意気揚々と船長役になったにも関わらず真っ先に、である。


「それもそうだね……」


 セーブルは弱々しく言った。語気を強めると声より先に中身がでてしまいそうなのだ。


「私はちょっと……こんな状態だ。誰か他にテレパスを使える者に子羊を操作させて……」


 と、そこで水面下にビスケットの岩礁があり、発掘船が大きく傾いた。船内に悲鳴があがり、横になっていた乗組員が何人か転がって、またデッキを汚していく。


「でも……それ無理みたいですよ」とウル。


「むり?」


「はい。だってテレパスの門術ゲーティア使い、みんな倒れてますから……」


 セーブルは身体を起こしかけて、立ち上がれずに身体を横たえた。


「そうか。それは……問題だね。最悪、この状態のまま進むしか」


「セーブル船長!」


 別のまだ船酔いにやられていない乗組員が走りこんできて、ウルとのあいだに割って入った。


「……今度はなんだい?」


「前方に巨大なチョコクリームの山があります!」


「山?」


「はい! このままでは間違いなく衝突するコースです!」


     *


 褐色の甘そうなチョコクリームの山。


 ほとんど見渡すかぎり白一色のクリームの海の中にあっては目立つ存在で、まさに山だ。迷宮の中には海も川も湖もないが、『山のように大きな』モノはたくさんある。


 発掘船には舵がない。


 正確には、テレパスで眠れる子羊の夢に干渉して、方向を変えさせるよう船体を操作させないと、舵を切れないのだ。


 乗組員の中で最も強いテレパス能力者はセーブルであり、船長件操舵長を務めるはずだった。しかし船酔いの何たるかを知らない彼らは、その深刻さを軽視していたのだ。


 発掘船の船体は甘波かんぱを退ける物質で造られているので、おそらくは衝突してもチョコクリームを弾いてしまうだろう。だが船体が無事でもデッキの上にいる乗組員は無事で済みそうもない。投げ出されるか、それとも上から大量のクリームが雪崩れ込んできて圧死するか。


 セーブルは真っ青な顔で這うようにして船内に収容してある子羊と門術ゲーティアでテレパスを行おうとした。何度もしゃっくりをあげ、実際に何度かデッキに小さな水たまりを作りつつ、眠れる子羊の夢と接続が可能になったらしい。


 数秒の対話の後、重い音を立てて甲板上に半ば埋没した発掘砲がジャッキアップされ、砲門が前方のチョコクリームの山に向けられた。


 発射に備える暇もなく、チカッと閃光が走った。


 瞬間、チョコクリームの正面に巨大な穴が空き、一気に爆発四散した。


 茶色い雨と焦げたチョコレートの匂いが甘波の海原に漂う。世界羊の永遠につづくような甘い夢。眠れる子羊の縄張拡大の夢。ふたつは一切相容れず、ぶつかり合って弾けた。


「すごいなこいつは。本当に世界羊の夢を破壊して――いや、否定といったほうが良いのかな。とにかく、これがあれば本当に連理れんりにまでたどり……」


 着けるぞ、と言い切る前にセーブルは船べりに走り、船酔いの苦しみを思い切り吐き出した。


     *


 白いクリームの海。


 天井の光が届きにくいのは飴細工の旗が上空にたなびいているからだ。


 ときおり海から顔を突き出すチョココーティングされた長いビスケットの林を迂回し、あるいは大砲で吹き飛ばし、発掘船は進む。縦揺れ横揺れは次第に慣れて――あるいは眠れる子羊が対処して――船酔いの悲惨さは薄れていった。


「見て、ベル」


 夜の海にキラキラと光る何かをウルが指差した。船酔いを口実にウルの方にピッタリ寄り添ったベルがそちらに目を向けると、白い海にばらまかれたザラメが夜の薄明かりを反射して輝いていた。それはまるで白の世界に散りばめられた星々のようだった。


「きれい……」


 ほんとうに綺麗だった。甘波といえばすべてを飲み込み菓子化させ、かつ食料源になるという恐ろしくも利用せざるを得ない対象で、その美しさを堪能する機会はそれほど多くない。


 だが白い海原に出て以来、あまりに雄大な巨大なお菓子の国に目のくらむ思いだった。そこには少なからずの感動があり、探索者の魂を熱くさせるものがあった。


 船酔いを除けば、の話だが。


     *


 航路は順風なだけではなかった。


 眠れる子羊が世界羊の甘波を退けようとするように、世界羊もまた自らの夢のテリトリーへ侵入されることを拒んだ。


 一度などはクッキーのアソートが浮上して発掘船の船底を直撃して、もう少して転覆を余儀なくされるところだった。地形そのものが敵なのだ。乗組員は不寝番を続けねばならず、士気は少しづつ鈍り始めた。


     *


 甘波に埋もれた面積はあまりにも広く、1エムターンあまりを進んでも連理れんり、そして世界羊は影も形も見つからなかった。


 幸いなことに、浄水器さえあれば食べ物は周囲のお菓子の山を切り崩して食べれば事足りる。食料切れで反乱が起こるような事にはならない。


「何も見えませんね船長」


「だからといって気は抜けない。何しろここは羊が見る夢の中だ……」


 部下からの問いかけに答えるセーブルも、さすがに明朗快活の調子をいつまでも維持できず、疲労の匂いをまとっていた。


「やれやれ、こんなことでは何か敵でも襲ってきたほうがマシだな」


 船べりに背中を預け、セーブルはウルとベルにだけ聞こえるよう言った。


「あー、そんなこと言ってると本当に襲ってくるかも」


 船酔いを克服したベルが、意地悪く笑いながら言った。


「でも、代わり映えないのにいつ何が起こるかわからないって、神経使いますね」


 ウルが弁護するように言い、少し自重しろというようにベルの袖を優しく引いた。


「大迷宮を横断するような船旅はそれ自体が大冒険だ。そのうえ積年の仇敵ともいえる世界羊と対面しようという壮大なもの。探索者としては大いに気が踊るが、現実の船酔いも手強い」


 と、セーブルは髪をかきあげて乗組員のストレス解消に何か案がないかとウルとベルに持ちかけようとして、目がくらんで船べりから滑り落ちそうになった。


 船酔いではない。何かがおかしい。


「セーブル船長! 右舷に巨大な……なんだこれは!」


 見張り役を務めていた乗組員のひとりが大声を張り上げた。


 指差す方向には、螺旋を描く角を持つとてつもなく巨大な四足獣がそびえ立っていた。


     *


 三本角山羊トリケロスゴートは、その名の通り三本の角の生えた大きなヤギのような迷宮生物である。


 個体数は多くないが、信じられない高さの断崖絶壁を昇り降りするところから一種の聖獣のような目で見るビィもいる。ただし三本の角は凶悪で、うかつに手を出すとビィに突進してくる。その威力は内臓を破裂させ、崖から叩き落としてしまうと言われている。


 その山羊を100倍にも巨大化させたような怪物が、いまウルたちの乗る発掘船の右舷に現れた。黄味がかったクリームの身体と匂いはカスタードクリームのそれで、カスタードゴートとでも呼ぶべきだろうか。


 巨体である。クリームの大海原とという比較対象物のない環境でもその大きさははっきりと見て取れる。気まぐれに発掘船に体当りされれば間違いなく転覆し、船自体を破壊されてしまうだろう。


「船長! 発掘砲を!」


「言われなくともそうするさ!」


 セーブルは門術ゲーティアをつかい、テレパスで船倉にいる眠れる子羊に同調した。テレパスでなければわからない返答があり、発掘砲の砲塔が90度回転した。


「射撃用意! 撃て!」


 掛け声が白の水平に響き、次の瞬間強烈な閃光が放たれた。


 対甘波用粉砕兵器は遺憾なく性能を発揮し、カスタードゴートの眉間から尻尾までをくり抜くように吹き飛ばした。


 乗組員が快哉を叫ぶ。


 しかしウルは素直に喜べなかった。カスタードゴートがあのクリームマンと同じような仕組みで動いているならば……。


「船長! 分裂……分裂しています、分裂!」


 見張り役が声を裏返して叫んだ。


 その言葉通り、まともな生き物なら確実に葬る一撃を食らった巨大山羊は、バラバラに飛び散った後にその飛沫のひとつひとつが小サイズの――といっても大半が普通の山羊よりも巨体だが――カスタードゴートになり、それらが一斉にクリームの海を蹄で駆け寄ってきたのだ。


 カスタードクリームで出来た、怒れる無数の三本角山羊トリケロス・ゴートの大波のような突進である。


「こいつあ、まずいな……」


 さすがのセーブルも首筋が汗ばんだ。発掘砲をもう一度撃つしか手はない。しかし発掘砲とて万能ではないのだ。眠れる子羊からは夢を深く見て力を貯める必要があるというメッセージが流れ込んできている。


 ヤギの群れの第一波が発掘船に届くまで、おそらく3分を切っている。


 セーブルは覚悟を決めた。


 乗組員が船べりに立ち、水際で叩く以外に道はない。


 だがその決断は乗組員を死にさらすも同然だ。実行すれば、おそらく数人は命を落とさざるをえない。


 その命令を下す覚悟だ。


 だが、声を上げる直前にウルとベルが飛び出した。


「セーブルさん、ぼくたちが前に出ます!」


「後ろからバックアップ、お願い!」


 船べりから一気に踊り出て、ウルとベルのふたりはクリームの海に飛び出した。


 底なし沼同然の白く甘い海に、一度はヒザ下までめり込むもそれ以上は沈まない。ウルもベルも門術ゲーティアがあり、そしてふたりにしかない特別な共感能力がある。流水の門を開き水上歩行を発動させると同時に、ふたりのテレパスを増幅させて眠れる羊に別の夢を見させる。白いクリームの海原に微弱な夢の力を流し、プラスキン程度の硬さまで凝固させたのだ。


 このふたつでウルとベルは足を取られること無く行動できる。


「は!」


 無数のカスタードクリームでできたヤギの群れに飛び込み、マルチブレードから霊光共振ヒートソードを発生させてまず一匹を叩き切る。熱したナイフでクリームを斬るのと同然、柔らかすぎて手応えがないほどだが威力は抜群だ。沸騰して崩れ落ち、クリームの海の中に溶けた。


「開け大地の門!」


 ベルが気合とともに足元のクリームに両手のひらをつけた。


 ドクン、と白い海が脈打ち、群れ集うヤギたちのド真ん中に巨大な円柱が持ち上がった。クリームを固めて作ったそれは出てきて早々に横転し、ヤギたちの多くを巻き込んで崩れ落ちた。崩壊する塔という強力な門術ゲーティアである。


 ふたりの動きを無視するかのように、三本の角を持つカスタードクリームの猛勢は止まらない。


 ヤギたちは、まだまだいくらでもいる。


「だったら……!」


 ウルが一度姿勢を沈め、一気に空中に飛び上がった。


「これだ!」


 空中で宙返りをして、ヒートソードを目一杯の長さまで伸ばし、鞭を振るうように群れへと叩きこんだ。熱風がクリームの海原を駆け抜け、ヤギたちはブリュレになって吹き散らされた。


 ベルはそれを見て負けていられないとばかりに太陽の門を開き、焦熱地獄の雨を降らせて広範囲を蒸発させた。


「さーどんどんいくよ、ウル!」


「わかってるよ、ベル!」


 双子たちのものすごい動きが展開された。ダンスのように互いが互いの動きを活かし、隙を消しつつ強烈な攻撃を放つ。ふたりのこころは共感能力で結ばれていて、何をすれば良いのか、どこに動けば良いのか、アイコンタクトの必要すら無く通じるのだ。


 アドラー蜂窩ハイヴの秘蔵っ子、ウルとベルのこれが真骨頂だった。


     *


 巨大なカスタードゴートから分裂して生まれたヤギたちは怯むことを知らない。


 たとえ怯んでも、後ろからかけてくる大群に押されて前に進むしかない。


 ウルとベルによって数百匹単位でなぎ倒されながらも、群れはまだまだ、まだまだ、際限ないほどの数があった。


「みんな、あの子らに全部任せるつもりか?」


 セーブルが、他の乗組員たちを挑発するように言った。


 彼らははっと我に返った。双子の戦士の踊るような動きに魅了されていたのだ。


「そんなつもりはないですよ、あの子らに任せていたら……」


「なんのためにここにいるのかわからねえや!」


 乗組員たちは我先にと船べりから飛び降り、それぞれの武器や門術ゲーティアを使ってウルとベルに続いた。



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