05 眠れる子羊と白い男
聖蜜とは何か。
古く大きな主機関樹が流すその蜜は、蜜酒や食料を生み出す普通の蜜とは根本的に異なる。
胎蔵槽で使われる生命の素も、聖蜜から生み出される。
多くのビィは、最初の女からの贈り物として崇めているが、非難には当たらないだろう。
聖蜜とは――何なんだ?
――サルモン迷宮のとある高僧の言葉
シグムント蜂窩は近隣のダイセツ、アドラー両蜂窩とくらべてふた回り以上大きい。
主機関樹の規模と所有している胎蔵槽の数がそうさせた。
だがウルたち一行がシグムントにたどり着いた時に最初に見たのは、生気無くあちこちでへたり込む疲れきった住民たちと、主機関樹に覆いかぶさった大きなわたあめの塊だった。
*
「セーブルさん、あの綿はいったい? それに皆さん、なんというか……」
驚きに声もないウルが、無理やり口を開きセーブルに問うた。
「これが我が蜂窩の現状さ。できればキミたちふたりを歓迎したかったが――みんな少々忙しい」
いつもの明朗さはなりをひそめ、セーブルは秀麗な眉を曇らせつつ答えた。
「ここの住民は2エムターンほど前からこういう風になっていて、蜂窩の地下に眠っている資源を発掘させられている。その仕事から手を離せないから私が直接ダイセツ蜂窩に交渉しに向かったんだ」
「発掘……させられている?」とウル。
「うん、そうだね」
「どういう意味ですか?」
「そうだな、少し長くなる。キミたちも色々と疲れているだろうから、休んでから話をしよう。来たまえ、軽く甘いモノでも食べよう。見たくもないかもしれないが、ね」
*
「あれは世界羊だ」
開口一番セーブルはそう言った。
「もっとも、『連理』に取り付いているものとは比べ物にならないくらい小さな個体だが」
「どういうこと? そんなもの、なんで蜂窩のド真ん中にあるの?」とベル。
「あれは発掘されたんだ」
「発掘?」
「そう。よりによってこの蜂窩の真下から」
*
それはある日突然発見された。
初めはシグムント蜂窩の地面の下から何かが盛り上がり、突き破って来るかのように見えた。
このときセーブルをはじめとするシグムントの住民が何を思ったかというと、地下から隙間をぬって甘波が突き抜けて、それが地上に溢れ出てくるのではないかということだった。
さっそく対策がねられた。門術によって圧力を逃し危機を防ぐという案が持ち上がったが、事態はそこからさらにねじれた方向へと向かう。
住民の中の少なくない人数が、謎の隆起を掘り返そうとし始めたのだ。
彼らはまるで夢遊病のように茫然自失のまま掘削機械を持ち出し、周囲からの制止を全く聞き入れることがなかった。
その作業は休みなく2ターン以上行われ、そこから出てきたのが巨大なわたあめの塊――ならぬ世界羊の絡まった羊毛だったのだ。
「なぜそんなものが埋まっていたのかは本当にわからないから、勘弁してほしい。なにか特別な理由があったのか、本当に偶然だったのか……ただ、私個人としては前者だと信じている」
掘り返された世界羊はピクリとも動かなかったが呼吸と生命反応はあり、眠っているのだと推測できた。そして夢を見ているのだと。
何かに操られていたような住民の一部はどうやら本当に操られていたらしかった。
小世界羊の夢に。
「『連理』に寄生している世界羊とは比べ物にならないが、小世界羊も夢を見て、現実改変能力を持っている。もっとも聖蜜のない子羊には本家世界羊に比べてパワーがなかったから、ビィを操る程度の力しか発揮できなかったというわけだ。それでも看過できない影響力を持つ存在だがね」
眠れる子羊は寝ぼけたようにシグムント蜂窩の主機関樹にのしのしと登り、そこでまた夢を見始めた。
その結果、住民のもっと多くが謎の発掘作業に従事させられることとなった。わけのわからぬまま、誰にも理由は知れず、ただ蜂窩の地下に埋まっているらしき何かを掘り返す。その目的のために。
「だから、何というか……街の皆さんがぐったり疲れているんですね」とウル。
「そういうことだ。私の補佐に回るビィにも事欠くくらいでね、だからダイセツ蜂窩には私自ら出向く事になり、アドラーのビィたちであるキミたちにも手を貸すことにした。もっとも、私の銃の腕では迷惑をかけるだけだったかな」
ウルは口ごもった。セーブル本人が認めるように、銃の才能はまるっきり抜け落ちている感じだったからだ。
小世界羊が何を発掘させようとしているのか、ひとつもわからないまま時は過ぎ、セーブルは決断に迫られることになった。
おそらく、眠れる子羊はその『何か』を掘り起こすまでビィたちに夢を見させることを辞めないだろう。それならば、まず発掘を完了させ、それから蜂窩を立ち直らせる以外方法はない。
「わかった、それでダイセツ蜂窩の人を労働力として招こうとしたのね?」とベル。
「恥ずかしながらそのとおりだよベル君。彼らもシグムント地下の発掘に従事させれば、少しでも早くことが終わると思ってね」
「騙して無理やり働かせるのも同然じゃない、そんなの」
「全くその通りだ。弁解の余地もないが、弁解する気もない。望んだことではないがとにかく眠れる子羊を何とかすることが最優先だったんだ」
「子羊を退治してしまうわけにはいかなかったの?」
「それも考えた。だが下手に夢から醒めると『労働者』たちが正気を取り戻せないのではないか――という判断だった」
ウルとベルはふたりともトーンダウンした。セーブルが、自ら仕切っている蜂窩の住人を夢のなかに置き去りにしたいと考えるはずがない。数ターンの付き合いだが、場違いな派手さを除けば、裏表は感じられなかった。その判断は、本当にシグムント蜂窩の事を考えた上でのものだったのだろう。
「そして最初のひとつが発掘された。見せてあげよう。ついてきたまえ」
ウルとベルは顔を見合わせ、振り向かず主機関樹に向かうセーブルのあとを慌てて追いかけた。
*
「これが何かわかるかね?」
主機関樹の根元に設置された大型倉庫に収められていたのは、長細い果物を縦に割ったような形をした巨大なものだった。
「なんなの?」とベルは初めから考えるのを放棄してウルの様子をうかがった。
「これは『船』というものだ」とセーブル。
「ふね?」
「そうだ。本来は水の上に浮かべて、ビィが乗って動かすものだが……私も実物を見たのはこれが初めてだ」
シープ迷宮には海や湖のたぐいはない。水源は全て地下水だ。どこか遠くの大迷宮では使われているという話が伝わってくる程度で、ウルとベルが知らないのも道理だった。
「そんなものがどうして蜂窩の地下に埋まってたの?」
「待ってベル。セーブルさん、これってもしかして初めから埋まっていたんじゃなくて、眠れる子羊が地下に『作った』ものじゃないですか?」
ウルの推測に、セーブルは満足気にうなずいて肯定を示した。
「賢いなウル君。私たちの意見もそれで一致している」
「どういうこと?」とベル。
「現実改変能力だよ。眠れる子羊は眠り続け、夢の力で世界羊が甘波を生み出すのと同じ理屈で蜂窩の地下を船に物質転換したんだ」
「羊が作ったって……それを掘り起こさせて何をする気だって言うの?」
「わからない。だから、羊が地下に創りだした何かを全部発掘しないかぎり、我々は手も足も出ないというわけさ」とセーブル。
三人の間に、しばし沈黙が降りた。
世界羊はこの迷宮にただ一匹の存在ではなく、それぞれが別の夢を見ている。
そして子羊はシグムント地下の『何か』の発掘を無理やり掘らせている。
セーブルはまず全ての発掘を優先すべきと考え、他の蜂窩からビィを集めてでも発掘を終わらせようとしている……。
「他人のところの住民を引っ張り込もうってのは気に喰わないけど」とベル。
「事情があるのはわかりました」とウル。
セーブルはわずかにうなだれ、信用してくれて助かるよと力なく言った。
「だったらさ、もうわたしの門術でボーンってやるから、発掘現場まで案内してよ」
「助力は感謝するよ。ただ、羊の夢のなかに取り込まれると危険……」
セーブルの言葉は、誰かの叫び声によって中断された。
三人は飲みかけの黒根コーヒーを投げ捨てて謎の船の収まった倉庫から飛び出した。
「発掘現場の方からだ。ふたりともくれぐれも気をつけてくれたまえ!」
セーブルの指示に従い、ウルとベルは生気の発掘作業が延々と続けられているポイントに走りこんだ。耳元で囁き声が聞こえる。危険な徴候だとウルは察知した。おそらく子羊の『子守唄』だ。
「なんだあれ!?」
発掘現場にたどり着いたウルは思わず叫んだ。そこには菓子状態になった数人の労働者と、そこから散り散りに逃げる労働者たちと、そして見たこともない白いヒト型のシルエットが立っていた。
キャンディーに菓子化されたゴアテスが言い残した、暗がりから突然あらわれる白いヒト型の影。
ウルたちの目の前で、白いヒト型が中年労働者のひとりの首根っこを捕まえた。哀れな犠牲者は青紫のドロリとした塊に菓子化して、溶けてゲル状の小山になった。漂う匂いはブルーベリージャムのそれだ。
「ウル、ウル! なんであんなのがここにいるの!?」
「話は後だ、まずアイツを倒そう!」
ベルは頭の整理がつかないまま、それでもウルの動きに合わせて散開、挟み撃ちのポジションをとった。
「コトバは喋れるか? 降参するなら命までは取らない」
「ウル! そんな相手じゃないってば!」
実際、話が通じる相手ではなかった。純白の身体は見間違えること無くヒト型。ただし目も耳も口もないつるりとした頭をしている。体格から男だと思われるが性器のたぐいもついていない。
白い男はコミュニケーションを一切無視してウルに襲いかかった。右手を伸ばし、掴みかかろうとしている。先ほどの労働者にしてみせたように。
――あれに捕まったら菓子化されるってことか。
瞬時に判断し、ウルは腰からマルチブレードを抜いた。柄だけのそれは、先端から霊光記憶液体合金が展開されて一秒もかからず硬質の刃と化す。
「はっ!」
若武者ビィの肉体はしなやかに躍動し、白い男の伸ばす腕を小手打ち。手首から先を切り落とし、刃を返して肘のところでもう一度切り裂いた。
「ひゃっほう!」
ベルが歓声を上げた。日を追うごとにウルの剣術は鋭さを増している。一瞬で切り裂かれるならあの敵は大したことはない。
大好きなウルに花を持たせようという思考が、ベルを油断させた。
「ベル! よけて!」
「え?」
一瞬の油断が、白い男に攻撃の機会を与えてしまった。
切り裂かれた右腕を何ら気にすること無く、男は逆の腕を伸ばしてベルの胸ぐらを掴んだ。
瞬間流れ込んだ得体の知れない波動が、ベルの服をチョコレートに変換させていく。
「ベルーッ!」
焦燥の塊となったウルは、銃弾のように跳んで白い男の首を後ろから切り飛ばし、さらにその勢いを加えて一回転、腰椎のところでもう一度横薙ぎに切り裂いた。
ベルの菓子化はまだわずかしか進んでいない。これならまだ助けられるはずだ……。
しかしそう思った矢先、マルチブレードの刀身を三本目の腕が掴んだ。
右。左。そして肩甲骨の間から伸びた新しい腕だ。
――マズい!!
ウルの懸念が具体的に言語化されるより先に、特殊合金の刀身はその姿を維持できず、マジパンに変えられて折れ曲がってしまった。
白い男に決まった姿はないらしい。
手も、脚も、切り離された頭までもが分離と合体を繰り返して形状を変え、元のヒト型シルエットに戻ってしまった。
こいつには剣が通用しない。
ウルはぐっと奥歯を噛み締めた。
このままでは、ベルが菓子状態になってしまう。
最悪の事態まで、残された時間は果たして何秒か。
生まれた時からふたりでひとりの半身が、今まさに失われようとしていた。