03 あるいは彼ら全員が
迷宮生物をただのケモノや虫の如きものと見るのは愚かだ。
彼らは迷宮の一部であり、迷宮は彼らの生活の場以上の意味を持つ。
――とある蜂窩長老の言葉
アドラー、シグムント、そしてダイセツ。
三つの蜂窩の合併話がにわかに起こり、誰もが不安を感じながらもトップ同士の話し合いが行われ、物事が急に一方向へと進みつつあった。
奇妙に浮ついた雰囲気の中、ウルとベルはその行く末を気にしつつも次の任務を果たさねばならない。行方不明になったままのゴアテスを始めとした腕利きの探索者パーティを探すことだ。
「これからどう転ぶにせよ、戦力になるビィは絶対に必要だからね」
ウルは頭のなかで使える戦力と非戦闘員の割合を思い浮かべた。
「集団疎開するにしたって、迷宮生物が現れるかも知れないし。それに……」
「それに?」
「あ、うん。なんでもない」
「ふーん」
言葉を濁したウルのことを怪訝に思いつつも、ベルはあえて続きを聞こうとはしなかった。ウルは本当に必要なら必ず自分に話してくれるはずだ。そう芯から思い込んでいる。
「ねえウル、もうここにいてもラチが開かないんじゃない? あとはエライ人達に任せて、わたしたちはゴアテスを探しにいこ、ね?」
ウルはひと呼吸分ほどためらいを見せたあと、そうしようとうなずいた。
*
ウルとベルは、やることが決まると驚くほど行動が早い。
ふたりの意見に相違が出ることはめったにないし、双子特有の共感能力が生まれつき備わっているらしく、すぐに妥協案を見つけ出すことができる。加えてベルはほとんどの場合、ウルの言葉を呑む。弟が自分より知恵ものだと知っているし、ウルの意見を聞き入れることが好きなのだ。
そういうわけで合併に関する話し合いは全部上のビィに丸投げにして、ゴアテス捜索のために出発するとセーブルたちに伝えた。
「そうか。だったら私も同行しよう」
セーブルが、全く予想外の返答をした。
「キミたちの考える通り、何が起こるかわからない以上、今後腕の立つビィは何人いても構わないからね」
「でもあなたは蜂窩同士の話し合いに参加するんじゃないんですか?」
「心配には及ばないよウル君。私たちの蜂窩はべつの者に任せる」
「それはそうかもしれないけど……」とベルが不審げにセーブルの顔色をうかがった。
「私の能力に不満があるのかな、ベル君には」
真正面から言われてベルは口ごもった。彼の遠隔通信の門術は一流であることはすでに見た。自信満々の雰囲気からは、他の門術についても十分な実力があるのだろうとうかがわせる。
「不満とかそういうんじゃないけど。でも、あなただってこれから色んな所と話を進めないといけないんじゃない?」
「なぁに、それなら心配いらない。私の部下は優秀だからね。話し合いに関しては全部任せてある」
「ふーん……って、ちょっとまって」
「何かな?」
「私の部下って、それじゃまるで……」
「私はシグムント蜂窩の指導者だ。ようするにキミたちのところのキャラコさんと同じ立場だね」
ウルとベルは戸惑い顔を見合わせた。話が本当ならセーブルはシグムントのリーダーであり、責任者だ。別の蜂窩の探索者たちの任務に参加しようというのはちょっとフットワークが軽すぎるのではないか。
「その点に関しては気にしなくていい。むしろベテランの探索者を確保する方が最優先事項だ。だから優先する。当然のことさ」
セーブルはキャラコと同じことを考えているらしい。もっとも、キャラコはアドラー蜂窩の代表者としての立場を重視したのだが。
「さ、行こうか。なによりまずは生死の確認だ。先導を頼めるかい?」
ウルとベルはなし崩しにセーブルの提案を飲んだ。提案というより、いいも悪いもなく勝手についてくる様子で、ベルも皮肉を言う暇がない。
おかしなことになりはじめた。
だがセーブルはいかにもさっぱりとしていて明け透けで、何かよくないことを企んでいるようには見えない。
「じゃあ……出発しましょうセーブルさん。確かにゴアテスの無事を確かめるのが先決だ。それでいいよね、ベル?」
ベルは首をすくめた。『勝手にすれば?』のジェスチャーだ。
結局ウルとベル、そしてセーブルは三人でゴアテスが消息を絶ったポイントへと向かう事になった。
*
ゴアテスは腕のたつグループ数人を引き連れて資源の確保に向かった。その行き先の目星は付いているが連絡がつかない。通信機も持って行っているはずだし、たとえそれが壊れたとしても門術でどうにかするくらいの人材を揃えていた。なのにアドラー蜂窩に定時連絡も入ってこず、帰ってくる様子もない。
「よくない状況だね」
セーブルは整った眉根を曇らせた。
「迷宮生物でしょうか?」とウル。
「どうだろうか。今さら言うことでもないがシープ迷宮は甘波に侵食されている。つまり迷宮生物にとっても食料になるモノがいくらでも湧いて出るということだ。そんな環境にいれば、わざわざビィを襲って取って食う必要はない」
まあそれも可能性の問題だ、とセーブルは話を打ち切り、装備を背負い直して若い双子のビィに出発を促した。
*
迷宮は広い。
迷宮惑星を構成する十二の大迷宮の内のひとつの、その一角の、どこかに紛れたほんの小さなビィの存在を探しだすのは難しい。
ビィには長い寿命と頑健な体、機械化の融和性があり、想像しづらいほど距離の離れた場所でも徒歩で行くことができる。もちろん物理的な限界はある。水や食料が完全に絶たれればいずれは餓死するだろう。
だがそれをも克服してしまうのが超能力たる門術だ。
「何か聞こえましたか?」
「いや……何の動きもないね。静かすぎて気味が悪いくらいだ」
ウルの問に、蒼天の門を開いて音波探査を行っていたセーブルは首を横に振った。すでにダイセツ蜂窩を離れて2ターンと28時間が経過。手がかりはつかめていない。
「実際、妙な雰囲気だ。広域にわたって飴喰らい一匹動いている気配もないんだ。ちょっと不自然だね」
「ううー……それってもう手遅れってこと?」とベル。
「かもしれない」
セーブルはきっぱりと言った。
「だからこそ、判断材料を手に入れる必要がある。そうだろう?」
「わかってるわよ、もう。行こ、ウル」
「待ってよベル、はぐれたら戻れなくなるよ」
才能は優れているが、ウルもベルもまだ成体扱いになって日が浅い。まだまだ子供っぽさが残っている。
「はっはっは、私を置いて行かれたら困るよ」
後ろからついていくセーブルは姿勢よく快活に笑った。即席のパーティではあるが、妙にバランスが取れていて微笑ましい物があった。背伸びした子供と明るく折り目正しい大人。
もしこの場にキャラコがいれば、ウルとベルの成長を促すいい機会だと目を細めていたかもしれない。
だが、事はもう起こっていた。
*
天井を覆う光導板の一か所が切れかかり、リフォーマーが不稼働なのか直る気配もなくチカチカと点滅を繰り返している。
昼の中に夜が混じっているような、あるいはその逆のような、ある種の薄気味悪さがあった。
不吉な予感に、ベルはウルの腕にしがみつくようにして戦々恐々としている。
一番最初にそれを見つけたのはセーブルだった。しかし確証が持てず、ウルたちを確認を促した。
ベルは押し殺した悲鳴を上げ、ウルの背中に隠れた。
そこにあったのは精巧なチョコレート製の像だった。
「……間違いありません。ぼくたちの蜂窩のビィです。ゴアテスが率いていたパーティのひとり」
ウルはそう言って、肺に溜まった空気を細く吐き出した。
そのビィは服も装備も一切区別なく、精巧なチョコレート像になって壁にもたれかかっていた。何かを叫んでいる深刻な顔までもが菓子化され、凍りついている。
「甘波……?」
ウルはまず一番ありうる可能性をつぶやいた。甘波によって世界羊の夢に引きずり込まれ、生身から菓子状態に変換される。基本的にはそれ以外には考えられない。
「そんなはずないじゃん! だってここ波打ち際からずっと離れてるんだよ?」
ベルがややヒステリックに否定した。
確かに甘波に巻き込まれる以外に菓子になるのは考え難い。しかしそれでは物理的な距離が理屈に合わない。蜂窩がクリームで埋まりつつあるアドラーの町並みでさえまだ完全には菓子化されておらず、そこからずっと離れたゴアテスらが消息を絶ったポイントには甘波のしぶきさえ届いていないのだ。
「状況に謎は多いが、彼らが菓子状態に陥っている可能性は非常に高いだろう。ウル君、ベル君。いまは他のメンバーを探すことが先だ」
セーブルの落ち着いた声が、迷宮の片隅に虚ろに響いた。
ウルとベルは呆然と沈黙するしかなかった。
こうなってしまった命を元に戻す方法は存在しない。
世界羊の夢の一部になり、永遠に眠り続ける。
もはや二度と目を覚ますことはない。
それだけは明らかだった。




