09 狂乱の渦
上級兵アリの末路はさらにむごたらしいものだった。
全員が手足をバラバラに切り刻まれ、腹部に門術によるフックを突き刺され、逆さ吊りにされた上に火炙りに処された。
恐怖の叫びをまき散らすアリ型ヴァーミンを無視し、ゲインとラトルはほんの1エムターンほど前まで奴隷として放り込まれていた強制収容所に向かった。途中で出くわしたヴァーミンは当然のごとく切り裂かれ、火だるまにされ、踏みにじられた。
*
収容所でゲインは馴染みのある監督官に出会った。
監督官は頭頂から肛門まで真っ二つにされて死んだ。
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「コイリングは今日でおしまいだ。後は勝手にしろ」
ゲインは収容所の奴隷たちを解放した上で言い放った。
奴隷たちはひとり残らず沈黙し、おそるおそる救い主の顔をうかがった。数世代に及ぶ奴隷生活が長すぎて、彼らは奴隷以外の生き方を全く知らないのだ。
どうすればいいのかわかりません、と奴隷たちの誰かが言った。全員が同意見のようだった。
「知ったことか」
ゲインの頭はすでにヴァーミンの巣食う主機関樹でどう暴れるかに向いていて、奴隷たちのことまで考えている場合ではなかった。
全く取り付く島がないので、奴隷たちは今度はラトルにすがった。
「あ、あたしに聞かれても困るけど……あの、どうしてもやらないといけないことをやればいいんじゃないかな……?」
おそるおそるラトルは答え、すでに主機関樹の方へと足早に向かい始めたゲインの背中を追った。
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奴隷たちは生真面目に一人ひとりが考えこみ、やがて誰かが言い出した。
「倉庫からポーレンを奪おう」
その意見はさざなみを起こし、大きな波となって、全てを飲み込む大渦になった。
奴隷たちはそのようにした。
アリたちを混乱と恐怖に陥れながら、コイリング中を熱狂的に略奪する暴徒が生まれた。
そのうち何割かはヴァーミンに殺されたが、数が違う。ヴァーミンもまた血祭りにあげられ、数百人のビィの波に潰されて平べったく地面に貼り付く汚らしい革袋になった。
ついに本当の叛乱、本当の蜂起がコイリングに起こったのだ。
300エクセルターン。
積もり積もったビィの苦渋が、いま逆流しアリたちを襲う。
*
ゲインの門術は圧倒的で、たったひとりでヴァーミンの半数以上を道連れにできるという言葉は偽りではなかった。
長きにわたってビィを奴隷化し、食料にし、安穏と支配者面してきたヴァーミンの牙が鈍っていたこともある。危険分子は閂の紋を刻み込み、門術を封じてしまえば抵抗できなくなるのだからそれも当然だろう。
しかし結局、鍛錬の欠如が落とし穴になる。
ゲインの探索者としてのキャリアは、技藝の聖樹を生い茂らせ花開かせている。奴隷の身に貶められた怒り、同胞を食われ、食わされていた事実への怒り、閂を掛けられ門術を奪われた怒りは、両腕を失ってでも力を取り戻さなくてはならないと決断させるほどに熾烈を極めていた。
両腕を切り落としたことで門術の繊細なコントロールは失われてしまった。
その分、圧倒的な出力が発現するに至った。本来なら腕を巡るはずの霊光が還流し、口から溢れるほどに煮えたぎるからだ。
だからゲインは、現れるアリ型ヴァーミンたちを次から次へと劫火に投げ入れ、あるいは見えない刃でバラバラに切り刻み、あるいは動きを封じてあらん限りの力で蹴りつけた。
死体の山が築かれた。
中には巻き込まれたビィも混じっていたがゲインは無視した。
奴隷のまま死ぬのと、解放されて生きるのと、どちらが幸せか。あるいは前者かもしれない。
それは誤って殺めてしまったことに対する言い訳ではない。もっと切実な問題だ。コイリングの奴隷は蜂起した。このまま行けば、おそらくはゲインの力を借りずともヴァーミンの支配をはねのけるだろう。
だがその先は?
300エクセルターン。
何世代も奴隷として縛られてきた彼らに、その先を考える余裕などない。死に物狂いの、その先に待つのは必ずしも安寧だとは限らない。おそらくは混沌の時期が続き、ビィ同士の争いに発展することも考えられる。ゲインの見立てでは、おそらく、ではなく確実に起こるだろう。
生き延びて新たな苦を生きる方が、今日この場で死ねる方が幸せだと誰が言い切れる?
――いや、それもごまかしだな。
ゲインの頭の片隅で、冷静な自分が皮肉げに言った。
――奴隷の生き方が骨の髄まで染み込んだ連中が邪魔なだけだろう?
「その通りだよ」
ポツリとつぶやき、ゲインは何の容赦もなくビィごとヴァーミンを焼き殺した。毒虫をむしり殺せるなら、奴隷になった同胞の命など大して重くはない。
どす黒い怒りは、すでに狂気と成り果ててゲインを邪悪な破壊者へと……。
「だめだよゲイン!」
ラトルの叫びがゲインの意識を現実に戻した。
「……なんだ」
「同じビィだよ!? 巻き込んで殺すなんて、そんなのあんたらしくないよ!」
「……俺らしさか。そんなものがわかるほど長い付き合いだったか?」
「そういうのやめなよ……あたし、そういうの嫌だ」
ラトルは周囲を焼きつくす炎の中でゲインのマントを掴んで、離さなかった。
「ヴァーミンが憎いのはあたしも一緒だよ。でも、何もかも、心まで捨てて殺したって……後で辛くなるだけだよぉ……」
ラトルは泣きだした。涙のしずくが、顔に刻まれた傷跡をなぞる。
「お願い、それ以上そっちには行かないで」
「そっち?」
「あたしがここにいるから。あたしがあんたの腕の代わりになるから。だから、だから……」
ゲインはため息をついた。ラトルはよくわかっている。そっち、とは狂気の世界だ。怒りや憎しみを超えた、先に断崖しかない狂った生き方だ。
ヴァーミンを皆殺しにできるなら別に狂っても構わないと思っていた。もはやかつての仲間は死に、生まれ故郷のサルモン迷宮にもおそらく戻れない。両腕も、自分から切り落とした。その先は? コイリングを滅ぼし、その後は迷宮を徘徊しヴァーミンを殺し続けるだけの生を選ぶだろう。おそらくこのまま行けばそうなっていた。ヴァーミンの死だけが目的の、怪物になる道を。
しかし女は泣いていた。
すでに狂気へと半歩以上進んでいるゲインのことを心配し、涙を流して引きとめようとしている。
引きとめようとしてくれている。
「……泣くな」とゲイン。
「でも……」
「わかった。わかったから。ビィは殺さないようにする。なるべくな」
「うん」
「お前がそう言うなら、そっちの方には行かないようにする。なるべくな」
「なるべく?」
「なるべくだ。まだアリどもの親玉を拝んでいないからな。拝んで、殺す。それだけは譲れん。いいな」
「……よくないけど、いいよ。わかった」
「そうか」
「うん」
「悪いな」
「え?」
「俺はもう誰かの涙を拭いてやることはできないんでな」
ラトルは泣きながら吹き出した。
「なぁに? カッコつけて」
「本当のことだろう」
「じゃあ、自分で拭くからいいよ。だって、あたしゲインの腕の代わりだもん」
ラトルは笑い、ゲインも少しだけ笑った。
それからふたりとも真顔になり、主機関樹へとかけ出した。
決着をつけるには頃合いだ。