07 暴威
門術はそれそのものが迷宮に隠された謎のひとつだ。
誰も知らないまま、我々はそれを使いこなしている。
――タイグロイドの戦場で見つかった手記より
コイリングから放たれた追っ手、その数およそ20。
すでにゲインたちは捕捉されているらしい。二対ある手に武器を持ち、中には飛び道具もある。
「どうしよ? このままじゃ村まで入ってくるよ!?」とラトル。
「そんなことにはならん。絶対にな」
そう言ってゲインはものすごい顔で笑った。その異様な迫力は、ラトルを半歩後ろに下がらせた。
「でも、絶対なんて……」
ラトルの言葉はかき消された。
ゲインはすでにその場から消え、ほとんど空中を飛ぶようなスピードで兵隊アリたちに躍りかかろうとしていた。
*
「見つけタ!」「ハヤい!?」「落ち着け、ヨク狙っテ撃て!」
ヴァーミンが口々に警戒を呼びかけるのが聞こえた。ゲインは薄く笑った。遅すぎる。すでにデッドラインは超えた。
まず最初の一匹は顔面に超高速の膝蹴りを受けて鼻先が陥没した。
身構える間もなくもう一匹が、肩にあたる部分に回し蹴りを食らって横転。呪いをこめたストンピングで首の骨をへし折られた。
兵隊アリたちはいきなりの攻撃に慌て、手持ちのニードルガンを乱射した。
「残念だったな」
ゲインのつま先から、迷宮の地面がせり上がって分厚い壁が生まれた。『大地の門』の門術だ。
「この俺が門術を使える以上、お前たちは……」
壁が何もなかったように砂になって崩れると、驚愕するヴァーミンたちと目が合った。どす黒い熱を帯びた瞳。
「この場で死ぬ」
兵隊アリの間から怒号が起こり、ゲインを討ち取ろうと電磁槍を突き出す度胸のあるヴァーミンがいた。だがゲインが強く息を吹くと、電磁槍は螺旋を描いて切断され、そのまま持ち主もバラバラに切り刻まれた。『蒼天の門』を開いてかまいたちを放ったのだ。
さらに同じ門術が二度、三度と閃き、ヴァーミンたちは次々とむしり殺されていく。
自分たちが追ってきたのがただのビィではないと兵隊アリたちが気づくまでは5秒もかからなかった。ヴァーミンはただ愚かな化け物というわけではない。残忍な嗜好をもつが知性はビィと大差ないのだ。
だからこそ恐怖した。
「なぜダ!? オ前は閂をかけらレて門術は使えないはズ……!」
疑問を口にしたヴァーミンは地面から伸びた長いスパイクに全身を串刺しにされて死んだ。
撤退するか、戦闘継続するか。もはやヴァーミンたちの半数近くは肉体をズタズタにされて死んだ。数だけではどうにもならない。桁違いだ。
立ち向かうか。逃げるか。その迷いにゲインの裁きが下った。
喉の奥に霊光を集中させ、肚の底から絞り出すようにして吠え猛る。体の中に『太陽の門』が開き、強烈な熱と光になって口から吐出された。
シンロン迷宮を支配する魔獣のような炎の息吹が辺りを包み込み全てを――生けるヴァーミンも死んだヴァーミンも、何もかもを焼きつくした。
悲鳴と、焼け焦げる肉の臭い。
火が鎮まった後には炭化したクズ山のようなものだけが残った。
*
「……大丈夫、だよね?」
陽炎の中に立つゲインの後ろ姿に、ラトルはおそるおそる声をかけた。門術に長けていると聞かされてはいたが、まさかここまで一方的にヴァーミンを焼き殺すとは思ってもみなかった。
これほどの力があるなら、アリたちがゲインに閂を掛けたのも理解できる。ついでに言うなら、無事だった右腕を切断してまで力を取り戻そうとした理由も。
「どこか調子悪くない? だって、両腕もまだ治りきっていないのに……」
「やけどした」
ゲインは振り返らずそう言った。ラトルは慌ててゲインの前に回り込む。
「どこ? どこやけどしたの?」
「口の中」
「え?」
「口から門術を吐くのは初めてだからな、ちょっと制御できなくて、口の中の皮がべろべろだ」
ゲインは笑ってそういった。ラトルはどきりとした。憎悪に満ちた険しいものではなく、晴れ晴れしたゲインの顔は初めてだった。タフな男の笑顔には、ただの強さとは別の頼りがいがあるように見えた。
「おい、行くぞ。こんな使い走りを丸焼きにしたところで敵のハラは大して痛まん。急ごう」
言うやいなや、ゲインは目の前に転がっていた兵隊アリの焼死体を何の注意も払わず踏み潰し、そのままミ=ヴ迷宮独特の蛇行通路を進み始めた。
「あ、まってよ! 口大丈夫? お水飲む?」
「いらん。欲しい時はこっちから言う」
「うん、わかった」
「ところでお前、早足系のスキルは使えるか?」
「し、『疾走』くらいは」
「初歩に毛が生えた程度だな。まあいい。ついてこい」
ゲインはその場から全力疾走した。ラトルも慌ててそれについていく。疾走のスキルは早く走ることが目的ではなく、全力疾走を疲れずに長く続けられるというものだ。迷宮は広い。探索には長距離移動に長けておく必要もある。そしてゲインはベテラン探索者なのだ。
ラトルは追いつくのが精一杯だったが、ゲインの背中を追うのは妙に嬉しかった。
どうも惚れてしまったらしい。
*
高速・長距離移動に関わる『走法』、徒手空拳での『格闘術』、キャンピングなどの『サバイバル』。
ゲインは探索者として熟練の域にあり、身につけているスキルも多岐にわたる。その上で門術のエキスパートなのだ。かつてハンディポータルの罠にかかりサルモンからミ=ヴへと『渡り』、行き倒れたところをアリヴァーミンに捕らえられなければ、本当にひとりでもすさまじい戦力を発揮していただろう。
だが閂の紋によって両手の霊線が破壊され、結局ゲインは両肘を切断してでも門術を使えることを選んだ。
ラトルはその話を聞いて、ゲインをふんじばってでも思いとどまらせればよかったと自分を悔やんだ。いくら力を取り戻すためとはいえ、まだ使える右腕まで切ってしまう必要がどこにあるのか。そう思った。
だが、いざゲイン本来の力を目の当たりにすると、ラトルも彼の言いたいことが理解できた気がした。
ヴァーミン20体を瞬殺できる能力があるのにそれを封じ込まれ、屈辱的な強制労働に従事させられ、そのうえビィが食用に使われている場面を見てしまえば、たとえ両腕を失ってでも怒りを吐き出したいと思うのは無理もないことだ。ラトル自身も気持ちは同じで、でも力は及ばないから逃げることを画策するしかなかった。ゲインはそうではなかったのだ。もっともっと、悔しい思いを噛み締めながら収容所にぶち込まれていた。
追いつけるギリギリのところを走っているゲインの背中を見て、そして今はマントに包まれて見えない失われた両腕のことを思い、ラトルは胸が締め付けられる思いだった。
――この人、もしかしたら本当に死ぬつもりであの都市に戻るつもりなの?
それはゲインの口から聞かされた言葉だ。『勝手に殺して、勝手に死ぬ』。
そんなのは嫌だ。
ラトルは息が切れる限界の移動のさなか、ひたすらにゲインを死なせたくないと、そればかりを願い、想った。