07 溶暗
廃物城――。
豪奢なベッドに横たわるブラヴァは、ひゅうひゅうと苦しげな呼吸音を立てながらマルチデバイスの投射するホロを見上げていた。
「……”喜色”、”落涙、”呵呵”よ」
ブラヴァの視界の端に、3つの影が音もなく現れた。どれもヒト型をしており、しかしどれもヒトに近いとは言いがたい。奇形的プラグドロイドだ。
「お前たちであの者たちを処分せよ」
「処分……で宜しいので?」
三体のうち何者かが合成音声を発した。
「ふぅーっ……やむを得まい。あれらは失敗作だ」
そういうと、ブラヴァは小間使いのプラグドロイドに命じて廃物城の中庭にそびえる主機関樹と、その周りに設置された人工子宮ポッド”胎蔵槽”とを見た。いくつかの胎蔵槽はわずかに膨れ、新しい世代のビィがもうすぐ生まれることをほのめかしていた。
さらにその周りには、腕が三対以上ある医療用プラグドロイドがピタリと動かず立っており、その手には焼きごてのような何かを持っていた。それがビィに”刻印”を入れるための道具であることを知るのは、ブラヴァと一部の人格があるプラグドロイドだけだ。
「……あの者たちは惜しかったが、刻印そのものの効果は実証できた。それだけでよしとしよう」
「かしこまりしました」と合成音声。
「ああ、それと」
「はい」
「”怒号”は必ず破壊しろ」ブラヴァの声は恐ろしく冷たく、老いから解放されたかのような鋭いものだった。「必ずだ。今度こそ必ず。いいな」
「主の望むままに」
「行け……」
「はっ」
気が狂いそうになるほど大量の人形が並ぶブラヴァの部屋はそれきり静まり返った。ブラヴァの身体に繋がれた無数の管と延命装置だけが、規則正しく音を立てていた。
*
沈黙の騎士に案内され、主機関樹を見つけたチワたちは霊光による加工で樹から水と食料、それに様々な道具を創りだして新たな蜂窩を作り始めた。
まず屋根のある家。寝床。それから共同の炊事場。シャワーと簡易トイレが出来上がり、これまで囚人としてとらわれてきた牢獄の生活並の環境が作り上げられていった。
チワやスチフたちには元々いた外の世界――故郷の蜂窩の記憶がおぼろげながら残っていて、それを元に新蜂窩の設計をしていったが、最年少のラーブラは全く記憶が無い。生まれてすぐに廃物上に閉じ込められたからだ。
周りの成体たちの作り出す住まいや設備は見るだけで心が踊るものだった。それ以上に、ビィの霊光を受けて必需品を産み出す主機関樹の不思議さに目を奪われた。ラーブラにとっては神秘の塊だった。
「ねえチワ」
シャワー室で痩せた身体を流しつつ、ラーブラは言った。骨ばった背中には、精密念子装置のプリントパターンに似たタトゥーが大きく入っている。それが聖蜜をごくわずかに含んだ染料によって刻印されたものだということは、新蜂窩にいるだれも知らないことだった。
「なぁにラーブラ」
返事をしたチワにも刻印が入れられている。場所は背中ではなく左足のももだ。
まだまだ十分に供給されない水の節約のために、チワとラーブラは一緒にシャワーを浴びることにしていた。
「主機関樹ってふしぎだね。あんなに汚れて倒れそうになってたのに、わたしたちが一緒にいると元気になるみたい」
「そうね。主機関樹が私たちビィにたいせなものを与えてくれるのと同じように、ビィがちゃんとお世話しないと主機関樹もどんどん弱っていく。こういうのを”共生関係”ていうのよ」
「きょうせい?」
「そう。一緒に生きていく関係ってこと」
「わたしたちみたいに?」
「ええ。誰かと一緒にいるか、樹と一緒に暮らすか。どっちにせよひとりきりで生きるには迷宮は広すぎるもの」
「迷宮って、この外の世界のこと?」
「そうよ――ホラそこ、泡が残ってる――私たちがいるこの世界はね、全部迷宮で出来ているの」
「迷宮って迷路のことでしょう? でも広いばっかりであんまり迷路って感じしないね」
「広すぎるからよ。こう……絵で書いた通路と壁みたいなのを想像するかもしれないけど、実際には壁と壁の間が広すぎて迷路に見えないっていう感じかしら。私たちビィよりも何十倍も大きないきものが見たら、道に迷うかもしれないわね」
「ふーん」
「さ、そろそろ出ましょう。順番に使わないと」
タオルで体を拭くラーブラの刻印の入った背中を見て、チワは小さくため息をついた。ラーブラの母親役だったルメシアの真似ごとだ。死んだ彼女の代わりにでもなりたいのだろうか?
自己嫌悪が、ちくりと胸を刺した。
*
牢獄ぐらしであっても、かつての食事は特に言うほどまずくはなかった。
新しい蜂窩で作った食事の方はというと、こちらは明らかに不味い。
「まだ調味料とかは作れてないから、我慢してよ」料理係になっているラミューが悪びれずに言った。「だいたいアタシむいてないんだよね、料理とか」
ラミューが不向きな料理係になったように、刻印の者たちは様々な仕事を分担せざるを得なかった。
スチフは日々黙々と施設の設計をしては建設し、デンスは着たきりだった囚人服の代わりになる服や調度品を作り、チワは建設途中の蜂窩の周りの地形調査に時間を費やした。ラーブラも、毎日誰かの仕事をじゃまにならないように学び、できることは少しでも手伝った。
そして――。
ラーブラにはもうひとつの仕事があった。スチフたちが働いている主機関樹の位置から離れた場所に腰掛けている”沈黙の騎士”と話をすることだ。
*
沈黙の騎士は何もしゃべらない。
喉の発声器官を破壊されて、それきり話すことができなくなったという。
そんな沈黙の騎士にラーブラは飽きもせず毎日語りかけた。自分の声、そして念話で。
沈黙の騎士もラーブラの言葉に耳を傾けた。返事はしない。だがラーブラには通じているとわかった。まだ幼い彼女は、背中に入れられた霊線の外部増設装置である”刻印”のせいで門術を強化され、テレパスとして危険なほど高い適性を持っていた。表情も変わらず、ジェスチャーを返すこともほとんどない沈黙の騎士の言葉を汲み取ることができたのはそのためだ。
それがいいことかどうかわからないが、少なくともラーブラにとっては幸運だった。
ルメシアもバナードも死んでしまった。
話し相手は多い方がいい。
*
沈黙の騎士は念話での受信だけは快く――おそらく快く――受け入れたが、自分からラーブラに対して何かを伝えることはほとんど無かった。
ラーブラはテレパスとしての能力が高すぎた。沈黙の騎士の”声”を聞いてしまうとその奥に封じ込められている記憶や感覚まで流れ込んでしまう。悲惨な過去の経験と暗く引き裂かれそうな痛み。ラーブラはそれと同調してしまい何度か失神している。
だから、ラーブラは結局ひとりで一方的に話してばかりいた。
時にはそんな自分のことを疎ましく思っているのではないかと彼女は尋ねたが、沈黙の騎士はそれでかまわないという風に小さくうなずいた。
ラーブラは元々外の世界を知らず、いま自分のどこにいるのかよくわかっていない。
シヴァー迷宮という大きな場所にある廃物城から逃げ出し、滅んだ蜂窩跡に生き残っていた主機関樹を使って新しい生活を始めているという現実も周りの成体たちがそのようにしているから何となく話を合わせているようなところがあった。
ラーブラは強すぎるテレパスで勝手に他人の心の声を覗かないようにわざと周囲をぼんやりと曖昧に見るようにしている。それは無意識の防衛だった。いくら親しくお互いを頼るしか無い相手だとしても、全く同じ思考を共有できるはずなど無いのだから。
だからラーブラはぼんやりしながら誰かを手伝い、あまり美味しくない食事をして、沈黙の騎士に一方的に話をした。
多分それでいいのだと彼女は思った。
まだまだ厳しい生活が続くとしても、自分がぼんやりと、ふわふわとしていることで成体たちの緩衝材になっているのだとラーブラは直感していた。それはテレパス能力のせいなのか、幼い彼女が身につけた処世術なのか。
*
主機関樹にたどり着いて7ターンが過ぎた。
ビィと主機関樹。
その関係は循環し、未来へと時をつむぐ大きなつながりとなる。
牢獄から脱出し、生き残ってたどり着いた場所には意味がある。
生きていけるだけの何かを自分たちは与えられている。
彼らは、彼女らはそんな風に思っていた。
その考えは正しい。何ひとつ間違っていない。
だからそれを踏みにじるものは間違っている。
そして、ブラヴァはもうずっと昔から間違いを犯し続けていた――。