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迷宮惑星  作者: ミノ
第12章 シヴァーの章
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01 刻印の子ら

初めに女がいた。


女は己の身を隠すため迷宮を産み、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。


いつしかそこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。

 闇の中で重い金属音が響いた。鋼鉄の錠前が解き放たれた音だ。


 ラーブラは、もう一度自分の名前がラーブラであることを確認してからベッドを降り、冷たい床をそっと横切って頑丈なドアに耳をそばだてた。かすかに錆の臭いがした。


 ひやりと湿った空気がドアの隙間から流れてくる。真っ暗で何も見えないに等しいが、ラーブラは直感した。


 今なら(・・・)


 今なら、世界と同じくらい重苦しいドアを開き廊下に出られる。廊下に出られるなら、廊下のつながった先に出られる。そこよりさらに行くことができるなら――。


 外に出られる。


 肉付きの良くない胸の奥に明かりが灯るのを感じた。


     *


 ラーブラはもうずっと以前から冷たい石畳と鉄の扉でとざされた場所に閉じ込められていて、世界の全ては鉄格子の内側にしか無かった。


 そもそも彼女の物心がついたのは牢獄の中だった。どこで生まれたか分からないし、どうやって生まれたのかも知らない。世界に”外側”があるというのも、一緒に牢獄に閉じ込められている囚人仲間たちに話で聞いた以上のことを何も知らない。


 光導板の明かりが落ちて夜時間になって、ときおり外からヤミクモオオカミの遠吠えが聞こえ、それからまた朝が来るという1ターンのリズムのことさえ曖昧にしか理解できなかった。


 ラーブラにとっての外とは中庭の散歩の時に見上げる四角く切り取られた空間のことであり、そこから出ればどこか別の場所に行けるという概念はどうにもなじまなかった。


 彼女はそういうビィだった。


 まだ幼く、成体式を迎えるまで十数ターンかかるくらいの――いや、成体おとなになるということもラーブラはよくわかっていなかった。


 いくら話に聞かされても、根本的な部分で理解が及ばないといったほうがいいだろう。


 なぜなら彼女は、人工子宮ポッド”胎蔵槽”のことを知らず、自分がそこから生まれてきたことを知らず、遺伝情報を記録した”生命の素”を知らない。何よりも、ビィにとってはほとんどありえないことだが、”主機関樹セントラルツリー”のことも、その周りにビィが作る生活共同体”蜂窩ハイヴ”のことも知らなかった。


 だからラーブラは、外の世界に漠然としたあこがれを抱くようになっても、自分には縁遠いものだとしか思えなかった。


 なぜなら――看守に牢獄から出されたビィはひとりも帰ってこなかったし、脱獄しようとしたビィは必ず殺されたからだ。


 死、という概念のほうが、ラーブラにとってはまだしも理解できた。


 動かなくなって、もう牢獄には戻ってこなくなること。


 幼い彼女はそれを理解し、その時の気持ちを胸の奥に閉じ込めた。


 だが――もし、もし本当に、外へ、この牢獄の外に出られるのだとしたら?


 外に行ける道を探して、外に何があるのか探索して、牢獄の中にいる一生とは全く違う生き方を見つけることができるとしたら?


 ラーブラの胸は高鳴った。


 こくりと息を呑んで、ラーブラはぞっとするほど冷たい鋼鉄の扉に手を添えた。


     *


 ごうん、ごうん……。


 突然くぐもった音が聞こえ、ラーブラは慌てて扉から飛び退いた。


「……おい、おい、聞こえるか」


 廊下の向こう側から誰かの囁き声。バナードの声だ。がっしりとした体つきの、頼りがいのある成体おとな。みんなの心の支えだ。先ほどの音は、バナードが鉄扉を叩いた音だった。


「……おれの部屋の鍵が開いてる。みんなはどうだ?」

 

 各々の部屋――独房といったほうが正しい――からヒソヒソ声と、バナードと同じようにドアを叩く音が聞こえた。ラーブラもそれに合わせて軽く鋼鉄の扉を叩く。ごんごん、ごんごんとあちこちから鈍い音が聞こえ、それが廊下の左右に面した部屋から次々と聞こえてくる。


 どうやらどの部屋も、これまで囚人たちを閉じ込めていた恐ろしく頑丈な錠が外れているらしい。なぜいきなりそんなことになったのか理由はわからない。わからないが、ラーブラは、バナードをはじめとする拘禁された他の囚人たちも全員自由への可能性を手に入れたことを確信した。


 誰が最初に開けたのか、錆びついた音を立てて分厚い扉が開け放たれた。

 

 ラーブラもそれからしばらくして思い切って鉄扉に力を込めてみた。分厚く冷たい鉄の扉は、ぎい、と音を立ててあっさりと押しのけられた。


 薄暗い廊下に出ると、そこには何が起こっているのかわからないといった風な男女合わせて8人がおずおずと互いの顔を見合わせていた。


「全員、居るか?」


 バナードが内心の興奮を表に出さず、お互いの顔を見渡す。廊下に面した独房の全てから”囚人”たちがいた。ラーブラだけがまだ成体おとなになっていない、小さくて痩せっぽちだ。


「ルメシアがいない」


 囚人たちは声を潜めてざわついた。


「やっぱり戻ってこなかったんだ」


 元々の囚人たちは9人。


 最後のひとり、ルメシアがいない。


     *


 囚人たちにはまともな記憶が無い。どこか別の場所でとらえられ、頭の中をいじくる特殊な処置をされ、刺青状の”刻印”を施される。目が覚めると自分の名前すら思い出せない状態で、身体のあちこちの刻印に気づく。自分の周りにはそんな境遇の囚人たちしか居ない。


 牢獄にはビィではなくプラグドロイドの係員しかおらず、全く話は通じない。食事を始めとした生活の世話以外何もせず、語ることもない。素早く動くのは囚人たちが反乱を試みた時だけだ。その時ばかりは内蔵武器を閃かせ、囚人は死ぬ。


 いったいなぜ囚われの身になったのか、何かの罪を犯したのか。どうすれば解放されるのか、刑期はあるのか。何かの罰を受けなければならないのか。なぜイレズミのような刻印を入れられるのか。


 ブランデッドと呼ばれる彼らには知る由もなく、ただ冷たく薄気味悪い時間だけが過ぎていった。


 言葉の通じないプラグドロイドの係員たちに”飼育”された囚人たちは心に空白を穿たれ、夜は仲間から引き離されて独房で寝かされ、苦痛と忍従を与えられて日々を過ごしていた。


 ラーブラもそのひとりだった。


 名前すらなかったラーブラに名前を付けてくれたのは、優しい年上の少女、ルメシアだった。


 彼女はほとんど母親代わりで、ラーブラを大切な家族として接した。彼女の愛情を受けなければ、ラーブラはもっと別の、ひどく惨めな何かになっていただろう。


 十数エクセルターンが過ぎ――それが一年を表す単位だと教えてくれたのもルメシアだった――苦境の中でも美しく育った彼女は、しかしつい先日牢獄からプラグドロイドの看守に連れだされ、どこかに行ってしまった。牢獄に繋がれた刻印者は、しばしばそんな風にひとりだけ引き離されることがあった。そうやってどこかに連れて行かれた仲間は、結局誰も戻ってこなかった。


 ルメシアは、強引に連れて行かれる最中でもラーブラのことを心配していた。


 心優しいルメシア。


 彼女はいったいどこに行ったのだろう――ラーブラは脱走を決意した仲間たちの後を追いながらそのことを思った。


     *


 囚人たちは、リーダーのバナードを先頭に牢獄から逃げ出した。


 分厚い扉も未慈悲な錠前も、囚人らにとってはどれほど力を込めても動かすことのできない絶対の障壁だった。


 今の今までは。


「おい、こっち開くぞ!」「こっちもだ!」


 囚人たちが口々に叫んだ。牢獄の扉という扉、鍵という鍵は今や役立たずとなっていた。触れただけで全てが簡単に動き、開いた。


「いったい何が起こったの?」「分からない、とにかくこんなところから逃げよう!」「そうだ!」


 わっと歓声が上がった。


     *


 監視所とは名ばかりの無人の小部屋に入ると、そこには各独房と通路の要所に取り付けられた監視ドローンからの映像が安っぽいフラットモニタに映し出されていた。今は誰も房におらず、ただ汚れたベッドとわずかな生活の痕跡だけがあるのみだ。


 囚人たちは監視部屋にある役に立ちそうなものを全て拾い集め、全員に分配した。


     *


 刻印をされた囚人(ブランデッド)らの世界は狭い。


 同じ境遇の囚人たち以外にビィはおらず、自分の意志でどこかに行くこともできず、自分たちが今どこで何をしているのか教えてくれる存在もいない。だから世界は牢獄の中にしか無かった。


 今日、それを破る時が来た。


「待って」


 か細いがしっかりした声がして、囚人たちは一瞬沈黙した。


 声の主はラーブラだった。彼女がそんな風に周りの動きを止めるようなことは今までなかった。それに状況が状況だ。周りは少なからず困惑した。誰よりもラーブラ自身が自分の行動に驚いた。だが口を閉じていられなかった。


「……ルメシア」


「何だって?」

 

「ルメシア、どこかで捕まってないかな……」


 ラーブラの言葉に、囚人たちは顔を見合わせた。そのことをすっかり忘れていたかのように。


「……どうせもう戻ってこねえよ」


 重い口を開いたのは、ひときわ大柄な囚人のスチフだった。多くの辛さに耐え切れなかったのか、その双眸にはひどく暗いものが宿っている。


「みんなそうだったろ。ミュートも、ボルゾフも、プラグドロイド(あいつら)に連れて行かれた連中は誰も戻ってこなかった。ルメシアももう……」


 そこから先は誰もがわかっていた。戻ってこない仲間はもうとっくに死んでいる。それ以外に考えられない。 


「でも……」


「ラーブラ」バナードが言った。


「ルメシアのこともなるべく探そう。でも、俺たちだって急いで逃げないと捕まってしまうかもしれない。だから、どうしても無理なら諦めるしか無い。そのことはわかるだろう?」


 噛んで含めるように言われるとラーブラはもう口を閉ざしてうなずくしかなかった。自分が半ば足手まといだと思われていることに気づかないほどラーブラは愚かではない。迷惑をかけるのは嫌だった。 


「よし、急ご……?」


 号令を掛けようとしたバナードは、突然声を途切れさせ怖い顔でモニタのひとつを睨んだ。


「ラーブラ、前言撤回だ」


「え?」


「ルメシアのことはもう諦めるんだ。助けには……もう……いけない」


 バナードの声は震えていた。怒り、悲しみ、いろいろな感情が無い混ぜになった表情をして。


 結局何もできないまま、一行は監視部屋の出入り口をあけ、外の世界へと踏み出した。


 モニタには、血まみれになったルメシアの無残な姿が写っていた。



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