09 聖樹祭
(楽隊の演奏を詳細に写した写真。特に女性は高倍率で接写されている)
――個人所蔵のアルバムより
聖樹祭当日の朝。
シュタイナは自室で身体を清め、素晴らしく均整の取れた身体と美貌を鏡に写し、覗き込んだ。
何もかもが完璧だ。手足の長さ。歪みのない肩。引き締まった胸から腹のライン。性器の形までもが。
暴君シュタイナをして満足たらしめる肉体。
だがそれは彼の胸の内に小さな影を落とす。
完璧すぎる。
それは当然のことで、”恩寵の子”の名の通り生まれる前から調整を施されているからだ。人心を掴み、蜂窩の住民の上に君臨するには外見から全てあらかじめ組み上げてしまったほうが良い。それを考えたのは、過去の”女王の子”から自分を蘇らせたツイオーンだ。
醜く生まれたかったかと問われれば否と答える。だがこうまで何もかも出来過ぎていれば、それは逆に自分がビィとは一線を画す存在であることを露わにし、突きつけてくる。
それがトゲとなり、今までの人生が積み上げられた。
もしこの苦悩を分かち合うことのできる存在がいれば。
そこまで考えて、鏡の中のシュタイナは皮肉げに笑みを浮かべ、頭を振った。
リュトミはもう、いないのだ。
*
聖樹祭の開始まで二時間を切った。
かつてシュタイナとリュトミをのせて練り歩いた自律浮遊輿が10エクセルターンぶりに陽の光を浴び、主を載せるのを待っていた。
リュトミ姫が殺されたときに使用された輿を使用するなど言語道断――という意見も上がったがシュタイナは押し切った。
あえて使わなければならない、同じ輿を使っても自分は死ぬことなど無いと民衆に示さなければならない――そのように述べて。
非難の声が日に日に大きくなるシュタイナだが、彼の決定を覆すことのできる人物は誰もいないのだ。
*
聖樹祭開催まであと30分。
すでにシュタイナは輿に乗り、出発の時をゆるりと待っている。
「あいつら、どこにもいないな」
高台からその様子を門術の視力拡大で眺めていたウルは、焦点を外すことなくベルに伝えた。あいつらとはシュタイナが昨日連れていた不気味な容姿の”ボディガード”ふたり組のことだ。いま輿に同乗しているのは侍従の中から選別された衛兵――おそらく恐ろしく腕のたつ――のようだった。
「あんなの乗せてパレードなんてしたら、みんな怖がるじゃん」
ベルの感想はまっとうなものだった。
ならばボディガードにして暗殺者の二人組が動くのは、シュタイナが主機関華から聖蜜を受けとった後というのが最も可能性が高いだろう。聖蜜を奪う、シュタイナを暗殺する。その条件をクリアするタイミングはそこしか無い。
『ウル君、聞こえるか』
突如、ウルの耳の中に念波が届いた。エマニュエルだ。
『私はシュタイナ殿下から式に関する詩を書いてくれと頼まれて、特別席を用意されている。こちらからは動けないが、内部の動向は伝えられるはずだ』
『分かりました、お願いします』
『イマグナ卿もまともには動けない。最悪お前さんたちの独断に任せるしか無いからそのつもりでいてくれ。頼む』
それきり念話は切れた。
「無っ責任なおじさんどもねぇ~」とベルが唇を尖らせる。
「しょうがないさ。この式でのイレギュラーはぼくたちだけだ。異変に対応できるのもぼくたちが動くのが一番いいんだから」
「もう、ウルってばいっつもそう。ヒトが良すぎるんだよ」
「ごめん」
「もう。謝るなバカウル」
頬をふくらませるベルに、ウルは困ったように笑った。ベルの怒り顔は昔と変わらない。
――シュタイナ殿下のこと、他人事とは思えないよ、やっぱり。
もし自分がベルを失ったとしたら。シュタイナの境遇を考えると胸が苦しくなる。
10エクセルターンもの間ずっと苦しみ続けたであろうシュタイナが聖蜜を使って願いを叶えたいという気持ちも痛いほど理解できる。だとすれば……。
――いや、今はそのことを考えないでおこう。ぼくたちの仕事は、とにかく殿下のいのちを守ることだ。
ウルはひとつ深呼吸をして、腰に下げたマルチブレードの具合を確かめた。
*
聖樹祭が始まった。
楽隊の奏でる雅やかな音曲が響き渡り、立ち入り制限された主機関華前広場を自律浮遊輿がゆっくりと動き出す。
喜ばしさと、くすぶったままの反シュタイナ勢力の目と、恐ろしく厳重な警備と。
ないまぜになった緊張が水蒸気になって、もうもうと上空に舞い上がっていくようだった。
まず最初のパレードは式次第通り、問題なく過ぎていった。
30分が経過。
輿は再び主機関華の中に入り、式は次の段階に入った。
主機関華の天辺、すなわち天上殿内宮の最上部までシュタイナが昇り、誰の目にも明かされない状態で聖蜜を受領する。その後シュタイナ直々のスピーチがあって、さらにもう一度、今度はゆうに二時間をかけてパレードが行われるわけだが――暗殺者二人組が動くとすればスピーチの前後かパレードの最中か、どちらかの可能性が非常に高い。
しかし主機関華の内部は完全に立ち位置を決められた衛兵によって厳重に警護され、ウルたちがいくら変装しても中にはいれる状況ではない。
――ここからが勝負だな……。
どう動くかわからない状況に、ウルの心は引き絞った弓弦のように緊張した。
*
シュタイナがどれだけ傍若無人に暴れても、すでに聖蜜の一滴までもを自分が使い果たすと宣言していても、聖蜜の受領は彼ひとりにのみ許された行為であることに変わりはない。
念話通信さえ許されない完全な静寂の中、シュタイナは特製のポットに聖蜜を流しこんだ。一般的なビィの頭部ほどの大きさのポットはじょじょに満たされ、最後のひと雫を吐き出され、分泌は完全に止まった。
可能性を広げる物質。
奇跡を起こす雫。
これだけの量があれば、蜂窩そのものの有り様が根底から崩れるほどの革命的変化が起こせるかもしれない。それはたとえば水上都市であるパドメを”空中都市”に変えてしまうことさえできるだろう。あるいはそれ以上のことも。
シュタイナはそれを独占し何をなすというのか? 本当にリュトミ姫復活を願うのか?
では暗殺者を送り込んだツイオーンはどうするのだ? 本当にシュタイナを暗殺してでも”恩寵の子”計画を初めからやり直すつもりなのか?
穏健派というべきイマグナはシュタイナが聖蜜を独占することをやめさせ、かつ暗殺を防ごうとしている。それは本当にうまくいくのか? もしイマグナこそが聖蜜の独占を企んでいたとすれば?
真実は読めぬまま、ウルとベルは息を呑み、シュタイナのスピーチを見守った……。
*
10エクセルターン前、余はこの世で最も大切なものを失った。
汝らにとってもそれは唯一無二のものだったであろう。
今日この日、聖樹より授けられた聖蜜はその苦しみから解放してくれる。
余だけではない。
余を愛するものも余を憎むものも等しく安堵させる、そのような用途のために余は聖蜜を使う。
……。
いかにも。その批判の声こそも余は包み込み、安堵せしめるであろう。
偽りの時間はここに終わりを告げる。
パドメの民よ、今日この場で起こる変革を見よ。
余を信ずるものよ、余を信じよ。
余を憎むものよ、汝らの憎しみを信じよ。
余の選択は全てを終わらせる。
そのための聖樹祭であったことを、誰もが思い知るであろう。
*
スピーチは終わり、シュタイナは主機関華の内部に引っこんだ。
この先は再びパレードが始まることになっている。
『まだ……何も起こりませんね』
イマグナからの念話だ。
『暗殺者の姿が何処にもない。もし何が起こるかとすれば』とエマニュエル。
『10エクセルターン前と同じ、パレードの最中ですか』とウルも念話を返した。
『そうだろう。しかし動きが読めない。こんな言い方しかできないが、お前さんたちがどう動くかで事が決する。油断しないでくれ』
油断なんてしないよ、とベルが唇をつきだした。
そして自律浮遊輿が主機関華から再び姿を現した。
今度は――ウルはギリッと奥歯を噛み締めた――今度は輿の後部に”ボディガード”が乗っていた。
いつでも殺せる距離だ。
ここから何が起こるのか。
それは式次第には記載されていない。シュタイナが、暗殺者たちが、ウルとベルが、イマグナが、ツイオーンが、どう動くかで全てが決する。
全てが……。
その時である。耳の良いビィがまず気づいた。
力強く巨大な羽ばたきの音を。
パレードの最中、もう一度こんなことが起こるなど誰も想像できなかっただろう。いや、忌まわしい記憶を忘れたいがために誰もが封印してきたことだろう。
ヴァーミンの群れの襲撃である。
*
油断があり、巡り合わせが悪かったのか。それとも誰かの手で全てが仕組まれていたことなのか。
聖樹祭の最中に、密かに蜂窩の水面下で群れていたヤゴがトンボに羽化して10エクセルターン前と同じように襲撃を行うことを事前に掴んでいたものは誰ひとりいなかった。
目視だけでおそらく200体以上。
首筋に鳥肌が立つような羽音を唸らせ、ヴァーミンたちはいっせいに空から蜂窩に襲いかかった。
まるであの日の悲劇をなぞるかのように。
*
「撃ち落とせ! 早く全部撃ち落とすんだ!」
ヴァーミン侵入の一報を受け、衛兵隊長の男が叫んで部下を鼓舞した。
パドメ蜂窩がいかに世界で一番美しい場所だとしても、ヴァーミンの標的にならない保証など無い。
殺し合いが始まった。
*
トンボ型ヴァーミンの強みは翅による強烈な戦闘機動と、装甲すら噛みちぎるあごの強さにある。その突進力をまともに喰らえばビィの五体はたやすく折れ、当たりどころが悪ければ即死は免れない。
大あごで肉ごとビィを捕まえ、上空まで飛んでそのまま落下させるという戦法も恐ろしい。かの麗しのリュトミを絶命せしめたやり口で、パドメ蜂窩に住むビィからは心底忌み嫌われている。
が、ヴァーミンはそんな憎しみを斟酌するはずもなく、戦闘開始わずか数秒で3人の衛兵が墜落戦法で命を奪われた。
この空中を踊る凶器を止めるにはひとつしかない。
近づく前に撃ち落とすのだ。
厳重な警備を敷かれていたはずの蜂窩に銃声と怒声、そして門術を放つ爆音が響き渡った。




