05 プラグド・ナイト
(前略)ビィは生身の身体性にこだわりがなく、機械に置き換えるプラグド化が大いに広まっている。この傾向は私の知見が及ぶ限りの範囲でどの迷宮でも共通しており、表層的な文化の差異に影響されていない。
故にプラグディックテクノの音楽性はハードな電子音楽であると同時にビィにとってプリミティブなヴァイブスを供給しているともいえよう。けっして見た目だけでは判断できないものがある。……(後略)
――著名な音楽評論家による文章の抜粋
この世で最も美しい場所であるはずのパドメ蜂窩にあって、その地下空間――いや、水面下空間というべきか――は明らかに異質だった。
自然物は一切なく、いかがわしい照明ドローンが舞い踊り暗黒の虹のような光をフロアに撒き散らす。ドローン文化の極致のような音楽が鳴り響くそこは、まるで巨大なプラグドロイドの体内に飲み込まれたかのような錯覚を引き起こした。
ウルとベルはそのフロアに呆然と立ち尽くした。胎蔵槽から出て以来シープ迷宮で育ってきたふたりはこんな場所には来たことがない。
一応バーの名目で料理や蜜酒を提供する店であるらしい。実際にはいかがわしさをオガクズタバコとポーレンスティックの煙でミックスしたような空間だ。
テーブルやその上に乗った料理や酒がチラチラと目と嗅覚を刺激するがとにかく暗がりを舞い踊る光がめまぐるしく動き、なにがなんだかわからない。ビィたちの群れで窮屈な空間で、ぼんやりしていたらはぐれてしまう、とウルとベルは同時にそう思った。
「ねえウル! こんなところでどうやってエマニュエルを探すの!?」
「えー!? 何!?」
ふたりはごった返すビィの流れに壁際へと追いやられながら声を張り上げたが、隣りにいるのに何を喋っているのかわからない状況だ。門術を使って念話すればいいはずなのだが、混乱の只中にいるせいでその方法は思いつかなかった。
意思の疎通があまりはかれない状態だったが、とにかく雑踏の中をひとりひとり確かめていては到底目的の人物を探せそうもない。内臓を震わせるような大音響の中をかき分けて、ウルたちはバーカウンターへと向かった。
*
「このビィなんだけど」
ようやく耳の慣れてきたウルは小型デバイスから浮かび上がるホロをバーテンダーの男に見せた。
「”バードウォッチャー”エマニュエル。この辺りじゃ有名なんでしょう? どこにいるか知りたいんだ」
ウルの突きつけたデバイスを一瞥し、バーテンダーは無愛想にカウンターをトントンと小突いた。
「あの……?」
戸惑うウルに対して、バーテンダーの男はふたたびカウンターを鳴らした。何かのジェスチャーかと思ったが、ウルにはそれが何を示しているのかわからなかった。
「こういうことだよ」
不意に、ウルの脇からカウンターの隣の椅子に座った男が蓮の花が刻印されたパドメ通貨をバーテンダーの前に滑らせた。バーテンの男は唇の端を歪め、裏の有りそうな顔でカネを懐に収めた。
「こういうところに来るのは慣れてないようだな」
隣りに座った男がぼそりと呟いた。ホールの中は相変わらず大音響が渦巻いているのに、なぜかすんなりウルの耳に届く声だった。
「お前さん、パドメのビィじゃないな?」
「あ……わかりますか」
「そりゃあそうだろう。服装も態度も”知らない場所へ頑張って入って来た”って感じ、丸出しだ」
ウルは少しムッとした。だが生まれ育ったシープ迷宮では世界羊の夢のせいで長年”甘波”に見舞われていて、派手な衣装や尖った文化に触れる機会などひとつもなかったのは事実だ。
「ここではカネで物事が動く。情報やビィの心もな。タダでは欲しいものは手にはいらんさ」
ウルは苦笑し、曖昧にごまかした。
べつに自分とベルはパドメの文化や、パドメの水面下文化に馴染むためにこの場にいるわけではない。パドメ蜂窩にいるという人物・エマニュエルを探しだすという探索者としての仕事でこの場に来たのだから。
「さて、じゃあこの店の中ではまともに話はできまい。外に出て違う店に行こう」
男の言葉にウルは面食らった。エマニュエルを探してバーテンダーに話を聞きに来ただけで、横から入ってきたこの男の話を聞きたいわけでは――。
と、そこでウルは目を見開き、バーテンダーに見せていたデバイスをひったくった。そこに映っているホロと、目の前の人物の顔。
「え、じゃ、じゃああなたが?」
「ああ。私だ。お前さんが探しているのはな。”バードウォッチャー”エマニュエル。よろしく」
ウルは混乱し、何度もホロを確認してからようやく落ち着いた。
「わ、わかりました。そういうことでしたら、その……別の店に行きましょう」
そうしよう、とエマニュエルは椅子から降りた。
「ところでお前さん」
「はい?」
「さっきの連れ、あのキュートな女の子はどこに行ったんだ?」
「ベル? ベルならここに……」
いなかった。カウンターの右側の椅子に座っていたはずのベルが姿を消している。
「ベル? ベル? どこに行って……?」
困惑するウルに、バーテンダーが無言でホールの一角を指差した。目を細めてみるとそこはトイレの入口で、ベルはそこに入ろうとしていた。
いや、そうではない。用を足しにいったのではない。いかにも屈強そうな男が数人がかりで連れ込まれようとしている、まさにその最中だった。
「あれ、マズいんじゃないのかい……」
はっと状況を理解したウルは、目の色を変えた。比喩ではなく、緑色の虹彩が赤い光を帯びていた。
瞬間、ウルは椅子から天井まで飛び上がり、さかさまに天井を足場にしてホールで踊り狂うビィたちの頭上を一気に跳躍した。
*
「ぎゃー! 何すんだ! 離せこの!!」
一瞬の隙、ベルは三人組の荒くれた男に捕まり、トイレに連れ込まれていた。羽交い締めにされ両足を抱え上げられては、いくらベルが人一倍暴れる女だとしてもそう簡単には振りほどけない。おまけに男たちは門術をつかって筋力を強化しているようだった。
ベルは本来強力な門術使いである。本気になれば、いくら内門で強化した相手だろうと対抗する手段はいくらでもある。生まれ育ったシープ迷宮でベルの敵は迷宮生物やヴァーミンで、強力な広域破壊門術を使っても問題はなかった。しかし今は客でごった返すバーの中だ。巻き込めば被害はひとりやふたりでは済まない。
店の他の客は知ってか知らずか、女がひとり犯されそうになっていても構う様子を見せない。手にした酒やポーレンスティック、ダンスの陶酔感にハマっているのだろう。
「騒ぐんじゃねえよ」
男たちはベルの服を強引に脱がせ、下着に手をかけた。
「ぎゃー!! やめろこの……ウスラハゲ! 凹みやかん! だまし絵!!」
ベルは持ち前の洞察力で三人の男たちに的確な悪口を投げつけるも、それで収まりがつくような状況ではない。男のひとり――だまし絵と呼ばれた髭の男がベルの口を手で塞いだ。
「むんー! むふー!!」
なおも抵抗をやめないベルだったが、内門を開けているビィに掴まれれば対抗のしようもない。
壁に押し付けられ、ついに下着が引きむしられる……。
「ぐぁああ!!」
トイレの中に悲鳴がこだました。
ベルの口をふさいでいただまし絵の手が、突如現れた青年によって手首のあたりで握りつぶされていた。ウルだ。髪がわずかに逆立ち、瞳が赤く輝くほどの霊光が体内にみなぎっている。
「何だてめえは!」
いち早く反応した凹みやかんが内門を開けた状態でウルに殴りかかった。なかなかの速度である。ビィが合わせて五人入ったトイレの狭さも相まって、ウルにはかわすだけのスペースがない。
だがそんなものは必要なく、凹みやかんの拳はウルの手刀を叩きこまれて軌道をずらされ、肘を外側からクラッチされて関節を逆にひねられた。
いくら内門を開いていてもそれ以上の力が加わればビィの身体も破壊される。凹みやかんは声にならない悲鳴を上げ、その場にしゃがみこんだ。
そこから先のウルの動きは、その場にいた誰も目で追えなかった。
しゃがみこんだ凹みやかんの顔面に膝が入り、面白いように鼻血が吹き上がってトイレの小型光導板のカバーに飛び散った。
次の瞬間には、ベルの下着に手をかけていたウスラハゲのあごにベルの手がかかり、片手だけで空中を一回転させると床のタルク=プラスキンにヒビが入るほど後頭部を叩きつけた。
それでは収まらず、ウルはあごを掴んだままトイレの個室のドアに叩きつけ、汚れた便器にウスラハゲの身体を逆さまに突きたてた。
「だっ、てっ、てめえ! なんなんだ!」
最初に手首を破壊されただまし絵が、ジャケットの内側から9号パルスボルトピストルを取り出した。
「ちくしょう、動くな!」
興奮状態の男の取り出した銃は狙いが定まらず。ぷるぷると銃口が震えていた。
この場で即撃っていれば、もしかするとウルは殺せていたかもしれない。
だがそんな事にはならなかった。
ほとんど瞬間移動のようなスピードでだまし絵の背後を取ったウルは、手刀で肩甲骨を破壊。そこから位置を下げて両の腎臓の位置に二発拳を叩き込んで、最後のトドメに両膝の靭帯をちぎるようなローキックを放って床に引き倒した。
「ふうーっ……」
ここまででおよそ12秒。
ウルの身体から霊光が抜けていき、憤怒の形相から普段の優しげな表情に戻った。
「大丈夫? ベル」
「うわーん! ごわがっだよー!!」
ベルは最愛の弟に思い切り抱きついて泣きじゃくった。
「ごめんね、もっと早く気づいておけばよかった」
「いいよ、もお。早く外でよ」
「うん」
「だっこして」
「え?」
「だっこして。足がふるえて歩けない」
「……しょうがないなあ。ほら、乗って」
「ちーがーう! おんぶじゃなくてだっこがいいの!」
「ええっ?」
「もう! いいからはやくしろ!」
ウルは苦笑しながら細く柔らかい姉の体を抱きかかえ、トイレの外に出た。
ふたりのにこやかな顔と裏腹に、トイレの中は血の海の有様だった。