03 偉大なるシュタイナ
聖樹様、聖樹様、光と水と蜜を下さりありがとう
――とある蜂窩に伝わる童歌
ウルとベルはトリ釣りの男に別れを告げ、弩級オニハス同士をつなぐ橋を渡った。
目指すのは主機関華である。シュタイナによって小破した天上殿を遥か高みに見上げるところまで移動し、様子を自分の目で見たかったからだ。
主機関華の根本には、ついさっき起こったテロにも似たシュタイナの乱行をひと目見ようと人垣が出来ていた。群衆のほとんどはシュタイナの行いのあまりの無体さに怒り心頭といった態度で、そのビィたちを抑えるため衛兵まで動員されていた。
――思ったより大ごとだな。
ドローン式雨笠を日傘モードにして目深にかぶると、ウルとベルは人混の中に紛れて飛び交う怒声とうわさ話に耳を傾けた。
*
シュタイナが主機関華頂上の天上殿をその場の気分ひとつで損壊させたのは今日に始まったことではない。
美女を侍らせて連夜の酒盛り、蜜酒の勢いで門術を使い天上殿の恐ろしく高価な壁や天井をぶち壊しにするなど当たり前。自らに仕える臣下を些細な不興で怪我を負わせ、時には警備を振り切って市街地に降りての馬鹿騒ぎも珍しいことではない――。
シュタイナが婚約者を失い自暴自棄になったことに同情はできる。その気持ちはおそらくパドメ蜂窩の住人も同じだろう。
”恩寵の子”という選ばれしふたりが結婚し、もしそこに全く新しい”子”が生まれたとしたら?
パドメ蜂窩住人はどれだけふたりを祝福しただろうか。いや子供など二の次だったはずだ。蜂窩の象徴となる美しい貴公子と美姫の婚礼である。未来あるふたりの幸せを、住民たちはただ純粋に喜んでいたことだろう。想像に難くない。
そんなふたりの結婚式の、まさに当日。
ヴァーミンがやって来た。
トンボ型ヴァーミンの群れだったという。
不運が重なったとしか言いようが無い。天上殿から降りて自律浮遊輿ドローンで蜂窩の主要な場所を巡るセレモニーの最中に総攻撃をかけてきたヴァーミンに対して見物客の大群衆は即応することができず、何百人もの犠牲者がでた。
もちろんシュタイナとリュトミ姫には厳重な護衛がついていた。だが――。
不運としか言いようが無い。
一瞬の隙を突いたヴァーミンの特攻で、リュトミ姫は輿の上から遥か上空までさらわれた。
シュタイナもリュトミも普通のビィではない。特殊かつ強力な門術を使いこなせるはずだった。だが空中高く跳ね上げられたリュトミはそれを発揮する機会もなく無く放り捨てられ、地面に真っ逆さまに墜落した。
即死だった。
無論、治癒系の門術使いもその場に控えていた。だがそうした門術でもどうにもならない事はある。頚椎が完全に折れ、脳に致命的ダメージを受けたリュトミを復活させることはかなわなかった。門術はビィに備わる超能力だが限界というものがある。プラグド化も、死人を蘇らせるだけの効力は持たない。
リュトミは死んだ。
婚礼の儀式の只中で、夫となるシュタイナの目の前で。
シュタイナの愛は深かった。
蜂窩の実権を持つビィたちがどれだけ”お膳立て”を仕込み、生まれる前からの婚約を勝手に決められたにしても、シュタイナは心の底からリュトミのことを愛し、夫婦となることを心待ちにしていた。ようやくそれがかなったまさにその日、妻を失うなど考えもしなかっただろう。
シュタイナは”恩寵の子”である。普通のビィとは違う。
生命体としての強さ。門術の力。他に類のない特別な門術の発現。全てが秀でている。おまけにリュトミ姫と対になる”殿下”として育てられたことで尊大で唯我独尊の人格が形成されていた。
姫の存在だけがシュタイナの傍若無人を留めることができた。
それは婚礼の儀のあとも100年続くものだと信じられていた。
目論見は外れてしまった。シュタイナとリュトミの間に”実の子”を生ませるという科学者たちの遠大な計画は無に帰し、後には全てに絶望したシュタイナのみ残された。
偉大なるシュタイナと麗しのリュトミは蜂窩の宝であり、未来まで続く心の支えになったであろう。だから、蜂窩住民はその悲しみをわかちあうようにシュタイナの暴れぶりを容認してきた過去がある。
しかし――だ。
それでも、たとえどれほどの不幸な出来事を差し引いても、シュタイナの乱行ぶりはあまりに酷く、収まる気配がまるで無いまますでに10エクセルターンが経過していた。
今のシュタイナは、もはやただ権力を持たされた歩きまわる凶器と成り下がっていた。
*
落差の問題だ。ウルはため息をついた。
蜂窩の誰からも敬われ未来を約束されていたはずのシュタイナ、そしてリュトミ姫。パドメ蜂窩は恵まれすぎていたのだ。
全てを一瞬で失わせたリュトミ姫の死は、迷宮で生活することとは本来ヴァーミンとの生存戦争であるという事実を住民に突きつけた。世界で最も美しい蜂窩であっても、ヴァーミンという潜在的なリスクは消えたりはしない。
繁栄の象徴たる二輪の華は穢された。
もはや”恩寵の子”同士の子供をつくるという計画は潰えた。
おまけに偉大な存在であるはずのシュタイナが堕落してしまった今、パドメ蜂窩の人々にはただひたすらに面倒なだけの存在になってしまった。
ここがもっと小さな、生きるために命がけになるような蜂窩であれば違う展開もあっただろう。だがここはパドメ蜂窩。この世で一番美しく、あらゆる面で恵まれた場所である。
――日に日に不穏に、か。
音もなく群衆をすり抜け、主機関華前広場の開けたところに出たウルは、広場のあちこちに表示されているホログラム看板に視線をやった。
そこには”聖樹祭”の標準基底文字が踊り、開催日時を表示していた。
あと3ターン後。3日しかない。
「どうする? ベル」
ウルはドローン日傘を目深に被り、そっとベルに耳打ちした。
聖樹祭。
その祭は、毎年行われる成体式よりも遥かに重要な意味がある。
聖樹とは主機関樹――パドメの場合は主機関華――のことだ。聖樹祭とは、その主機関樹からの最高の恵みを拝受するために行われる。
すなわち、数十、数百エクセルターンに一度だけ主機関樹から分泌される”聖蜜”がビィに授けられることを祝う祭りなのだ。
”聖蜜”とは奇跡の雫、あらゆる可能性を広げる物質である。それもこの世で最も美しいパドメ蜂窩の”聖蜜”だ。その分泌量、質もまた最高級であろうことは想像に難くない。
『聖蜜の私的利用絶対阻止!』『シュタイナの独断を許すな!』……。
ホログラム看板にときおりノイズが走り、聖なる祭りとは全く似つかわしくない赤い太文字が踊った。おそらく何らかのデバイスを使って看板の表示が狂わされているのだ。
その赤文字を見る限り、蜂窩全体への恵みとして与えられる”聖蜜”を、シュタイナが私的に独占しようとしている――と危機感を煽っていた。
ただでさえ住民に疎まれていくばかりのシュタイナである。もし本当に”聖蜜”を自分勝手に使ったとして、それが蜂窩に何をもたらすのか全く予想ができない。自分勝手な願いを叶えるために使われれば、その損失は計り知れない。”聖蜜”は一度分泌されれば次はいつになるのか誰にもわからないのだ。
「……予定通り、あのおじいさんが言っていたビィと接触しよう。ここにいても時間が無駄になるだけだ」
「わかった。ウルが言うならそうする」
ウルたちはしばらくホログラム看板の前で立ちすくんだあと、目配せしあって蜂窩の雑踏の中に消えた。




