10 見果てぬ宇宙に
胎蔵槽は誰かが作ったり発明したものではない。
はじめからそこにあったのだ。
――ウーホースの伝説的技師シンボリィの言葉
降りる。
さらに降りる。
どこまで続くのか見当もつかないほどの階段を降りる。
門術で音波探査しても反響が戻ってこない。文字通り、本当に底が知れない深みの途中にニューロたちはいた。
小休止をはさみながらすでに半月。自分たちがどこにいるのか、何をしているのかさえわからない状態になっているが――やはり階段の終りがどこにあるのか音波が届かない。
「いったいどこまで続いてるのかな。このままじゃ第二嚢を突き抜けちゃうかも」
階段の踊場でキャンプすることにしたニューロは、座り込んだ途端に身体が床に沈み込むような疲労を感じた。ずっと背中におぶっていたストロースを横に寝かせ、その体にフィルム式毛布をかけてやる。
「うーん、下の方にはもっと大きな空洞があるみたいネー。このまま降り続けるのも、引き返すのも、同じくらいタイヘンかな」
エリファスはそう言って、圧縮水筒から水を飲んだ。
「それだったら降りていく方がマシかな。また登っていくのは、何ていうかすごく不毛だ」
「じゃあ、もうちょっと進も。スーのおんぶ、コウタイしようか?」
「ありがと。でもこの子は僕が運びたいんだ。この子はレティキュラム最後の子供だから」
眠るストロースの頬を指先でつついた。
命そのものの感触がした。
*
それから2ターン後、野牛蝙蝠の待ち伏せを受けた。
階段を降り続けるだけの日々が続いたせいで警戒心が薄れていたらしく、エリファスさえ一瞬反応が遅れた。
バッファローバットは標準的ビィの身体よりも大きく、頭に二本の牛角が生えている迷宮生物で、雑食性。苔でも肉でも何でも食らう。ビィも例外ではない。
ニューロは素早くストロースを後ろに隠し、『蒼天の門』を開いて突風を放った。バッファローバットは皮膜に風を浴びてバランスを崩すも、諦めずに空中を突進してきた。そこをすかさずエリファスが前に飛び出し、超硬電磁ワイヤを繰り出した。
恐ろしい切れ味に蝙蝠は皮膜を切り取られ、長く長く続く階段に激突した。もう飛び立てず、戦闘不能だ。
何事もなく片づいた――と思いきや、バッファローバットは単体ではなかった。
もう一匹、いや二匹の蝙蝠は天井にぶら下がっていて、そこからニューロたちを挟み撃ちにしてきた。
「ニューロ、そっち任せたヨ!」
「わかった!」
エリファスのワイヤが閃き、ニューロの門術が空を舞う。エリファスと行動を共にしているニューロは彼女の戦い方を見て技術を吸収してきた。もう子供でも素人でもない。動きがなっている。
その様子を、物陰に隠れながらストロースがじっと眺めていた。小さいストロースもまた幼いながらスキルを吸収している。
そうすることが必要なのだと本能で理解していた。
*
バッファローバットの肉は筋張っていて美味しくはないが、携帯食料の節約には役に立ってくれた。
*
食事と睡眠以外はずっと階段を降りるだけの日々が続いた。
代わり映えのない壁と天井と段差が気の遠くなるほど連なって、時折襲ってくる迷宮生物以外何のアクシデントもない。ひたすら単調だ。
ストロースは自分で歩いたりニューロがおぶったりしていたが、少し背が伸びたのが見てわかるほどの時間が流れた。
やがて階段が途切れ、別の方向に道が開けているのを見ても、どこかに降りる場所がないか探してしまうほど身体が慣れてしまっていた。
とうとう階段は終わった。
ニューロたちは、何か騙されているのではないかとおそるおそる道を進んだ。
明かりも切れ目もないトンネルが続き、半日ほども進み続け、ようやく出口が見えた。
まるで光の中に吸い込まれるようにしてトンネルを抜けた。
そこには宇宙があった。
*
その光景にニューロは絶句して、しばらく呼吸することさえ忘れた。
トンネルの出口は大きなテラスになっていて――テラスと言ってもそこで千人のビィがくつろげるほど広いものだ――手すりのない縁まで延々と平らな地面が広がっている。
足元には宇宙空間があった。
漆黒の空をバックに宝石をばらまいたような遠くの星。驚くほど鮮やかな星雲のダンス。超巨大なすり鉢状の透明な遮蔽フィールドが展開されているらしく、たまにパチッと小さな火花が散る。デブリが当たって砕けているのだ。
満天の星空。それとも見渡すかぎりの星の海というべきだろうか?
信じられないほど美しい光景だった。
「初めて見た……これが、空?」
魅入られてそのままテラスから落ちてしまうほどニューロは宇宙に近づいて、ため息をついた。
迷宮の中で生まれ育ってきたニューロは空を見たことがない。無論夜空も宇宙空間もだ。レティキュラムの空は光導板が敷き詰められた擬似的な空と太陽でしかない。本物の空と夜は古老たちのお伽話でしか聞いたことがなかった。
その宇宙空間がまさに目の前にあり、自らの足元に広がっているのだ。
衝撃的と一言で片付けてしまうには余りある。世界がもうひとつ増えたかのようだ。これまで生きてきた中で、生まれ落ちた瞬間と同じくらいの驚きに満ちていた。
「にゅーろ、これなに?」
ストロースがニューロの足に抱きついて言った。少し怯えている様子だった。
「わからない……わからないけど、たぶんこれが本物の夜空だ……」
「へんなの。そらはあたまのうえにあるんでしょ?」
ストロースの素朴な疑問にニューロははっとなった。たしかにそうだ。階段を降りてきたはずなのにその足元に宇宙が見えるのは理屈に合わないような気がする。足元から引力で引かれているはずなのに、その足元に真空の宇宙空間が広がっている。
「ココは迷宮惑星だもの。私たちの知らないことはまだまだいくらでもあるヨ」
いつの間にかニューロの隣に来ていたエリファスがストロースの手を握り、ニューロも小さな手を握り、ストロースを中心に三人が横並びになった。
何か丸め込まれたような気分だが、ニューロは追求しなかった。野暮なことを口にして、今この瞬間の感動を台無しにしたくなかった。
なぜか説明できない涙があふれた。感動の涙を通り越して、幸せさえ感じた。
生まれ故郷も姉も兄も老ビィたちも何もかも失ったニューロだったが、喪失感を吹き飛ばされる程の光景だった。
生まれ変わったような気分だった。
自分の選択は間違っていなかったと、死んでいった者たちに背中を押されたように感じた。
ニューロは迷宮の出口に達したのだ。
*
どういうわけか、テラスのすぐ近くに古びた胎蔵槽があった。
あまりに都合が良すぎて、ニューロは吹き出してしまった。だがそれは偶然ではないだろう。いきなり胎蔵槽が現れるわけもなく、このテラスを生活共同体の場とできるように誰かが置いて行ったと考えるほうが妥当だ。
それとも、ゴールした賞品だろうか?
それを確かめる術はないが、ともかくニューロはその古びた、しかしまっさらな胎蔵槽に生命の素を注いだ。
レティキュラムから持ち込んだ、故郷の記憶そのものを刻み込んだ溶液が胎蔵槽に注がれ、電源が入ると共に溶液の増殖が始まった。新しいビィを生み出すには、あと数エクセルターン必要になるだろう。
だがそれでも構わない。
宇宙を目の前にしたこのテラスが、新しいレティキュラムになるからだ。
住民はニューロとストロース、そしてエリファスだけ。
結局彼女はニューロにこれからも力を貸すことに決めたらしい。
「メンドウくさいから、もうここに居るヨ。危険があるかも知れないしネ」
そう言ってストロースの頭をなでた。エリファスにとっても、ストロースは娘のような存在になっていた。
「さあ、これからが大変だ」
ニューロは大人の男の顔で宣言した。
「光はあるけど、水はない。どこか水源を探さないと本当の新しい故郷にはならないからね」
「おみず、すいとうのなかのだけじゃたりない?」
「そのうち足りなくなるよ、胎蔵槽からはストロースの妹や弟が生まれるんだから」
「ふーん」
ストロースはわかったように言ったが、たぶんよくわかっていない。
「じゃあ、もうちょっとイソガしいの続くナ」
エリファスは長いプラチナブロンドを後ろでまとめ、これからが大変だというジェスチャーをした。
「じゃあ、行こう。ゴールしたばっかりだけど、ここが僕らのスタートだ」
新しい冒険が始まる。
その後に彼らがどうなったか、いずれそれを語る機会が来るかもしれないが、今はただ、彼らに希望の未来があることを信じたい。
足元の星々は瞬いて、行く末を照らしているかのように見えた――。
カウラスの章 おわり