01 朽ちゆく蜂窩
初めに女がいた。
女は己の身を隠すため迷宮を産み、迷宮はさらに迷宮を産み、十二の大迷宮が連なる世界を造り上げた。
いつしかそこは迷宮惑星と呼ばれるようになった。
迷宮惑星を構成する十二大迷宮のひとつ、カウラス迷宮。
その第ニ嚢と呼ばれる一角に、ひとつの生活共同体があった。
かつてはレティキュラム蜂窩と呼ばれ、大都市と言えるだけの規模があり、水と光に満ちて風の中に甘く蜜酒の香る豊かな場所だった。
昔の話だ。
300エクセルターン――エクセルターンは一年に相当する時間の単位だ――ほど昔に大規模なヴァーミンの襲撃があり、主機関樹を破壊されてからは時を追うごとに衰退の一途をたどっている。
メンテナンス要員の不足は人工出産ポッド『胎蔵槽』の機能を劣化させ、新生児の生育に支障をきたすようになった。子供が生まれなければ人口は減り続ける一方で、いまやレティキュラムの総人口は50人にみたない。このままではそう遠くない未来には無人の廃墟に成り果てるだろう。
メガストラクチャーの片隅でゆっくりと崩壊に向かう街――。
ひとつの物語がここから始まる。
*
「問題は電源だ」
最古老が重い口を開いた。齢216エクセルターン。老いたこのビィでさえ、レティキュラムの美しい繁栄の時代を口伝でしか知らない。
「胎蔵槽。無傷で残された数基が動けば、あるいは……」
主機関樹から抽出される命の素に満たされ、エネルギー供給が続く限り半永久的に新たなビィを生み出す。それが胎蔵槽だ。ビィ――迷宮星におけるヒト型知的生命体――の人口が増えさえすればレティキュラムは持ち直すかもしれない。最古老はそのことを言っている。
ビィのほとんどは胎蔵槽から生まれる。男女のセックスで母胎から生まれることは極めて稀だ。
共同体を維持するためには住民を増やすしか無い。しかしレティキュラムの胎蔵槽は多くはかつての襲撃で破壊され、残りはエネルギー不足で起動できない。
光や水、その他の生活に必要なインフラにまわしている電源で胎蔵槽を動かすことは可能だ。しかしそれをやると新生児誕生の代わりにすでに居るビィたちの社会が維持できず、増えるより先に破滅が近くなってしまう。本末転倒だ。
「では、やはり」
話を聞いていた老人のひとりが錆びた声で言った。最古老よりは若いが、力を失い老いたビィであることに変わりない。数少ない人口のほとんどは老いている。
「……『探索者』を送り出すしかあるまい」
「しかしあの子らはこの街の希望です、最古老」
「では緩慢に死ぬるを待つのみだ。可能性がわずかでもある方に賭けるしかあるまい」
確かにそれはそうですが、と言って古老のひとりは口をつぐんだ。
彼はレティキュラムで最後に生まれたビィたちのことを思った。若きビィたちを探索者としてレティキュラムの外に出せば、残るのは己を含めた倦んだ年寄りばかりとなる。
若い力に最後の希望に賭ける気持ちは理解できる。最古老の言わんとするところは間違ってはいない。
だが、若者たちを探索者として迷宮に送り込んで、生きて戻ってくる保証はあるのか。電源ユニットは本当に存在するのか。存在するとしてそれは迷宮のどこにあるのか……。
希望が失われれば、さざなみのような落胆が老いた住民たちを洗うだろう。
古老はそれを恐れた。
だが現状打破の方法は電源の確保以外になはい。
誰かが電源ユニットを持ち帰ってくれさえすれば、少なくとも共同体の崩壊を延命できるはずだ。全ての問題が一度に解決するのは無理だとしても。他に方法はない。
それでも、古老のひとりには胸に逆らうものがあった。
若きビィたちを待ち構えているのは平坦な道ではない。巨大迷宮のねじくれた空間なのだ。
そこには避けられない危難が待ち構えている。
ビィを喰らおうと待ち構える迷宮生物――そして怪物・ヴァーミンたちが。
*
フラー、ジョン=C、そしてニューロ。
男女混成、三人の最後の若者たち。
最古老の前に呼び出された彼らは、あっさりと全員が探索者となることを承諾した。
「こんなどうにもならない限界集落で毎日毎日くだらないメンテナンス作業。それに比べれば、冒険がある生活の方を選ぶ。決まってるでしょ?」
三人の中では年長の女ビィ、フラーは不敵な顔でそう言った。彼女が話をすんなり受け入れたのは、レティキュラム復興のことよりも探索者になれるというその一点が魅力的だったからだ。老いと倦怠の空気が循環せずに溜まっていくような環境に、まだ若い彼女の心は少しも満足できずにいた。
「なんだっていい。俺の技藝の聖樹はここでの暮らしにゃ向いてない。敵性体だ。あいつらをぶちのめさないと、その代わりに俺はこの街でいつか何かをしでかすかもしれないぜ?」
ジョン=Cは大柄の力自慢で、迷宮生物を狩るための武器の扱いにもなれている。彼のスキルは彼の言うとおり戦闘向けのものばかりに枝葉を伸ばして、まだまだその方向に花開くつぼみを多くつけていた。腐りかけの温室でのうのうと暮らすには向いていない。そう想いながら成体後数エクセルターンが過ぎ、いらだちが募るばかりだった。
「僕は……ふたりが行くならそうするよ」
最後のひとり、一番年若いニューロは控えめにそう言った。ニューロはおとなしい性格で、機械いじりや古い伝承を聞いて回るのが好きな変わり者だった。細かい日用品のメンテナンス要員としても重宝がられ、新しい発想で発明品を生み出す。彼だけは街に残る選択をするかもしれないと周囲からは思われていたが、やや頼りなくも探索者として旅に同行することを承諾した。
「我らは皆、老いた。技藝の聖樹も街での暮らしに最適化されすぎてしまった。未来をたくせるのはお前たちしかおらん」
最古老はそう言って枯れた涙で目をうるませた。
「多くは望まん。危険を感じれば生きて戻ることを選べ。この街を頼む」
そういって最古老は最期の長い溜息をつき、そのまま動かなくなった。
*
「三人それぞれ別行動、ってのはナンセンスよね?」
フラーは女の仕草で髪をかきあげ、ジョン=Cとニューロを見比べた。とりわけジョン=Cのことを。
門術に心得のあるフラーだったが、古く老いた暮らしの中でスキルを磨くことがままならず、敵性体との戦いを自分ひとりで切り抜けるには少し心もとなかった。
ジョン=Cは嬉しそうにうなずいて、「もちろん。一緒に行こうぜ、一緒に。ニューロもそれでいいだろ?」
ニューロは大人しげに返事をしたが、ジョン=Cはそれを確認することはなくフラーに鼻の下を伸ばした。
三人しかいない若い男女だ。ジョン=Cがフラーに特別な感情を持っていても不思議はない。街の古株たちもそのことには気づいている。当のフラーもだ。
装備を整え、心を決めて、三人は探索を開始した。
迷宮に続く信じられないほど深い穴をゴンドラで降り、生まれた時からずっと過ごしてきた老人ばかりの街から解放された。
三人にはそのことが何より重要だった。
*
7ターンが過ぎた。
*
警戒し続けていた迷宮生物の襲撃は無いまま、三人は白砂漠へと足を踏み入れていた。
天井から青白い光が差し、見渡す限り真っ白で無音の砂漠。迷宮生物が長い時間をかけて削りとった壁や天井の破片が砂粒ほどの細かさにまでなって、何千エクセルターンも積もり積もってできた砂漠だ。
カウラス大迷宮、その第二嚢と呼ばれているひとつの区画にさえ砂漠がすっぽり収まってなお余りあるだけの広さがある。大迷宮全体の大きさは――見当もつかない。
「ニューロ、本当に他に道はなかったのかよ?」
冷ややかな砂漠を横切るべく歩き出し半日ほど。ジョン=Cはまたおなじ質問を繰り返した。
「また言ってる。いまさら戻るの嫌よ、私」
「そんなこと言ったって、なあ?」
細かい砂粒のついた髪を不機嫌顔で払うフラーに、ジョン=Cは情けない調子で言った。
「どうなの、ニューロ? 本当にこの砂漠、進まないといけない?」とフラー。
「他の道にするなら、砂漠どころか四ターン分の距離を戻らないと無理だよ」
ニューロは肩をすくめた。
フラーもジョン=Cも何も言えなくなった。ニューロは迷宮を渡り歩くスキルに長じている。迷わない方法、特殊な地形の歩き方、安全の確保、キャンプの作り方。進むべき方向はニューロの提案だが、どちらに向かうかを実際に決めたのはフラーとジョン=Cだ。それを無視してニューロを責めるほどふたりは横暴ではない。
「しょうがない。進めるだけ進んで、それから考えようぜ。フラー、それでいいだろ?」
ジョン=Cの言葉を最後まで聞かず、フラーは歩き出した。
「おい、待ってくれよフラー!」
慌ててその後を追うジョン=Cとニューロの後ろで、長々と線を描く足跡がさらに伸び始めた。
*
ヌーワームは白砂漠に住み着いた迷宮生物だ。
巨大でしつこく、雑食性。めったに通らない栄養源を逃がさないように、砂の中を自在に動いて標的を囲み、すり鉢状の穴を作って生き埋めにしようとする厄介な敵性体である。
「なんてデカさだ!」
ジョン=Cは突如遭遇したワームの顔面にスパイン・ハープーンをぶん投た。
ひるみながらのフォームだったが銛は狙い違わず突き刺さった。2秒後、銛は鉄で出来た棘皮動物のように四方八方にトゲを伸ばした。ヌーワームの貪欲な三ツ開きの口が無数の棘で内側から串刺しとなり、おかしな色の体液がばっと飛び散って白い砂漠に降り注いだ。
対迷宮生物用殺傷兵器の威力は、人間サイズの敵性体であればミンチに早変わりさせるに十分だ。だがヌーワームの巨体は痛覚も鈍く、口を巨大なイガで引き裂かれてもフラーたちを貪り食うことを諦める様子はない。
「なんで平気で動いてるのよ!」
フラーは業を煮やして叫んだ。ぶよぶよした胴をよじり、毒々しい泡を吐きながら襲い来るワームは逃げる素振りを見せない。
やむなく、フラーは体内の霊線から霊光を引き出し、内と外とを隔てる『門』を開けて熱と光を放った。
『門術』。
ビィたちの持つ超能力である。
フラーは怪力のジョン=Cとは違い、門術の扱いに長けていた。
ヌーワームの、詰まった排水口のような悲鳴が上がった。フラーの『灼熱の指』と呼ばれる能力が巨大な迷宮生物の腹を射抜き、強烈な輻射熱で内部を焼き焦がした。沸騰した血肉がこぼれ、タンパク質の悶える臭気が周囲に撒き散らされる。
いくら巨体であっても脇腹に穴を開けられては無事では済まない。
ヌーワームは現れた時と同様にくぐもった叫びを上げ、砂の中に沈んでいった。
「あっ、俺の武器!」
トゲ状になって突き刺さった銛はそのまま砂の中に持っていかれた。砂面から消えたのを見て、ジョン=Cは砂を蹴って悪態をついた。
「ごめんジョン=C、触らなくても変形を解けるようにしておくべきだった」
スパイン・ハープーンは思念記憶合金を変形させ、刺されば一撃必殺のトゲの塊と化す代物だが、変形機構は直接触れて霊光を流し込む必要がある。
ニューロはこうした道具を作ったりメンテナンスするのが得意なのだ。新しい武器の開発や改造。技藝の聖樹はその方向に枝を伸ばしている。
そんな強力な得物をいきなり失って、ジョン=Cは不機嫌だった。
「気にしなくていいわよ。アレの他にもニューロが作ってくれた武器はいっぱいあるんだから」
横からフラーが割って入り、場はひとまず収まった。
兄弟姉妹同然に育ってきた三人なのだ。
せっかく三人一緒に寂れ続ける街から冒険の旅へと出られたのに、つまらない仲たがいをするのはバカバカしい。
「でも、ごめんジョン=C。迷宮の中で何か材料になるものを見つけたら、新しいの作ってあげる」
「じゃあ今までで一番すごいのを作ってくれよ。それなら納得する」
ジョン=Cは大げさに威張り散らすふりをして、フラーも、ニューロも笑った。ジョン=Cも笑った。
命も武器も、何もかもを奪われるかもしれない迷宮をさまよう三人だったが、これまで老いさらばえた街での十数エクセルターンの生活に比べれば気分はずっと清々しくあった。
故郷が嫌いだとまでは言い切れない。だが今は自由がある。迷宮の中でさまよい、困難な道に挑み、傷つくだけの自由が。それだけで十分だ。
「じゃあ、行きましょう。ここ、ぱさぱさしてイヤなのよね」
フラーが乱れた髪を直し、三人は白砂漠のその先へ。
先はまだまだ、ずっと、永久に思えるほど長い。