古代神ヘルメスの奮闘記
ギリシャの神であるヘルメスだったが、当時は
かなりの人間に信仰されていたというのに、今は
神殿も閑古鳥状態だった。
誰一人として立ち入る者はない。
「ちぇっ……何だよ~僕は神だぞ!? 誰か一人
くらい僕を信じてくれる奴がいてもいいんじゃない
のか!?」
もう自分でも数えるのが面倒なくらいの年数を
生きている彼だけど、姿は少年のまま若々しかった。
こうして見ると駄々っ子にしか見えなかったり
する。
喚き散らしても何にもならないので、とりあえず
ヘルメスは縦笛を取り出して曲を奏で始めた。
もう古い曲なので、彼以外には誰も知らないで
あろう曲だった。
彼と同じ存在である神はまだしも、特に人間達に
とっては聞いた事もない曲であろう。
「あ~つまんないな。誰か来いよ」
愚痴りながらヘルメスは自分の神殿の床に体を投げ
出した。
上下で分かれた白い服が汚れるのもお構いなしで
ある。
やっぱり神殿にいてもつまらないので、ヘルメスは
仕方なく外に出る事にした――。
忘れ去られたとはいえ一応は神。
姿を人間には見えないようにして歩き回ると、ギリシャの
村々はすっかり廃れているようで、お腹を空かせて泣き喚く
子供や、自分の食べ物を子供に分けてやっている母親、乞食
らしく地面に座り込んでいる男もいる。
しばらく神殿から出てきていなかったヘルメスは、その
光景に唖然として長い間口を利く事が出来なかった。
しばらくというのは彼の時間の考え方としての言い方
なので、人間として言えば数百年になるのかもしれない。
「なんで……なんで、こんな事に……」
ヘルメスはふらつきながら必死に言葉を絞り出した。
その言葉は誰にも届かず、誰もが哀しそうな辛そうな表情で
過ごしていた。
ヘルメスには何もできなかった。金を作り出して人間達に
与える事も、食糧を出してやる事も、元気づけてあげる事
さえも。
ふらつく足取りでヘルメスは神殿へと戻って行きそのまま
寝台に倒れ込んだ。
どうしたらいいのか全く分からず、悩んでいるうちに彼は
すっかり眠りに落ちてしまっていた――。
ヘルメスは全く気が付いていなかったが、彼が神殿へと
戻ったのと同時刻、村の有力者が日本人と思われる男と
話していた。
通訳を交え、(実はヘルメスの所有物なのだが)使い道が
全くない神殿についての話を交わしていた。
「あの神殿は、以前は高名な神が住まう物だったが、最近は
そのお姿も見えず、我らを助けてくださらない。きっともう
おられないのだろう。なので、不謹慎かもしれないが我らは
あなた方日本人に神殿を譲渡したいと思う」
ヘルメスが聞いたら憤慨しそうな物だったが、人間である
彼はヘルメスが姿を見せようとしない限り見えないので
仕方がない。
以前から彼は日本人から十分な金は出すから譲ってほしいと
言われていたのだが、神様の神殿を売る訳にはいかないと拒絶
して来たのだった。
しかし、もう村の人間達は食うにも着るにも暮らすにも困る
状態である。
そんな事は言っていられなかったのだ。勝手に神殿に入る訳にも
いかず、姿が見えない神にいつまでもすがっている訳にもいかない。
日本人が連れてきた通訳がそれを翻訳し、日本人へと説明する。
日本人は小さく頷くと手を差し出して村の有力者と握手をした。
「取引は成立ですね、お金は後日ちゃんとお支払いします。解体して、
車に乗せないといけないですしすぐには取りに来れませんが、その日に
払いますね」
通訳からその旨を聞いた村の有力者は涙を流してありがとうござい
ます、と告げた。
こうして、本人のあずかり知らぬ所で神殿は売却されたのだった。
彼が見も知らぬ日本人の所へ――。
この村の人間達のためには何をしたらいいのか、とああでもないこう
でもないと脳内でいろいろ考えている内に、ヘルメスは何の考えも浮か
ばないまま一週間が経とうとしていた。
そして、眠っていた彼は急激な揺れを感じて飛び起きた。
「うわあっ! な、なんだ!? なんだよ!?」
パニックに陥り外へと飛び出すと、鉄の動物のような物体が外に
立っていた。長い首を振り上げ、罰当たりにも神殿を襲撃している。
――これは後にヘルメスが、生きた動物ではなく、人間が乗って操作を
するショベルカーという物だと知る事になるのだが、車など見た事ない
ヘルメスには、変な動物としか思う事は出来なかった。
「おい! そこの動物! 今すぐ神殿を襲うのをやめろ!! 僕のいう
事がきけないのか!?」
ヘルメスが叫んでも動物(だと彼は思っている)は返事をしなかった。
何故か大きな目(窓)から人間の姿が見える気がする。
凶暴な獣なのだろうか、とヘルメスは思った。あれが車という彼にとっては
未知の機械だと言う事にも気づかずに必死で呼びかけるが、生き物ではない
ので声が届くはずもない。
ショベルカーに乗っている作業員も、ヘルメスがこの村の子供としか考えて
ないのか、全く相手にせず神殿を崩して石材の山にしてしまった。
ショックを受け立ち尽くすヘルメスだが、やっぱりそこは落ちぶれても
神である。
何故こんな事になったのかを探り出すため、人間の一人に近づくと手を
かざした。
ギリシャの民であり、この村の人間は「こんな子供いたか?」と訝しげな
顔をしていたけれど、ヘルメスは構わず手をかかげていた。
そして、彼の記憶を読み取り村の権力者がヘルメスの神殿と神殿のあった
場所を大金で譲り渡した事を知ったのだった――。
居場所がなくなったヘルメスは、とりあえずお金を払い一端日本に帰る
らしい日本人達の船にくっついて(もちろん姿は見えなくして)、日本へと
向かう事にした。
人はそれを無賃乗船というが、姿が見えておらず誰にも気づかれてない
ので大丈夫である。……多分。
ヘルメスは初めて来る日本と、訳も分からない建物の数々にしばらくは
困惑しつつもそこで生きていく事を決意するのだった。
「しばらくはここにいるか、なんか仕事とかないかな~」
神であるヘルメスは働いた事がない。働かなくても生きていけるからだ。
基本的には食べる必要もないし(食べる事は一応出来る)、住居も神殿が
あったし、服はいつも自分が着ている服だけで十分なのである。
しかし、とりあえず金がないのでヘルメスは働く事にした。
神殿はもうなくなってしまったから住居がいるし、このままの服だとここ
では目立ちそうだし、人間の世界の食べ物も少しは食べてみたい。
日本人らしき人間達にいろいろ聞いて情報を集め、ハローワークなる建物
へと向かう。
いきなりやって来た外国人の、しかもコスプレっぽい恰好の少年の姿に好奇の
視線が向けられたが、神であるヘルメスは人間に見られる事は慣れていたので
別段気にしていなかった。
履歴書という名前のうすっぺらい紙と封筒がいくつか入った物(職員さんに
百円だけ貸してもらって買いに行った)も無事手に入れる事が出来、何度も
面接を受けては落ちるを繰り返していたある日、ついにヘルメスは仕事を手に
入れる事に成功した。
それはコンビニエンスストアのアルバイトだった――。
こうして新たな生活を始めたヘルメス。
しばらくは何事もないまま仕事は順調に続き、アパートと言う名の住居にも
家賃を払い住む事が出来た。
人間の食べ物があんまりにも美味しすぎるので、ついつい間食が止められ
ないのが最近の悩みである。
携帯電話という便利な道具もゲットした。
そんなある日、ついに事件は起こってしまった。コンビニエンスストアで、
店長が用事が出来て家に帰ってしまい、一緒に夜間バイトをするはずの子が
「ごめんなさい! 急に風邪になってしまって行けなくなりました!」という
旨のメールを送って来られないので、その日ヘルメスは一人だった。
「ちぇ~、今日は僕一人か……暇なんだよな、誰も話相手がいないと」
今まで他の神々以外には友達がいなかったヘルメスだったけれど、最近では
同じバイト仲間達と仲良くなりメールアドレスや携帯電話の番号を交換したり
して交流を図っていた。
なので、一人だと本当に暇ですっかり気分がダレてしまう。
適当にモップをかけたりしていると、自動扉が開いて客が入ってきた。
「いらっしゃいませ~」
やる気がないヘルメスは適当に返事を返し、棚の整理へと移る。
さすがに店長がいたら注意を受けただろうが、今は店長がいないので誰も怒る
人がいない。
客は四十代か五十代と思われる女性だった。
ヘルメスの事をちらちらと見ていたかと思うや、いきなり店の商品の一つを手に
取ると店を出て行こうとした。
「お、おい、待て!!」
すかさずヘルメスが気付いて声を上げる。間一髪の所で彼女を取り押さえ、
盗った物を確認すると、それはそんなに料金が高い訳ではない安価なチョコ
レートだった。
これならば盗む必要はないだろう。女性はそんなに高価な服を着ている訳
ではないが、少なくともこんな安いチョコくらいなら買うのに支障はなさ
そうだった。
「何で、こんな事をしたんだよ……」
ヘルメスが困ったように問うと、女性は唐突に目を潤ませるとわっ、と
泣き出した。
どうしたらいいか分からなかった彼だけれど、とりあえず女性を抱きしめ
背中を叩いてやる。しばしの後、女性は泣き止むと話し始めた。
「もう、私疲れてしまったんです……。子供の世話も大変だし、仕事もなかなか
決まらず、夫も仕事をクビになってしまい、私もうやけになってこのまま万引きを
して捕まってしまおうかと……」
「あんたがいなくなったら、旦那だって子供だって困るだろ?」
「分かってます、子供のあなたに言われなくても分かっているけれど……」
「あのな、おばちゃん。僕は見た目は子供に見えるけど、実は神ヘルメスなん
だぞ」
女性の目が「この子、大丈夫かしら」という可哀想な物を見る目になった。
ヘルメスはムッとなったが、まあいきなり「僕神様」と言われても信じられない
だろう。
ヘルメスはため息をつくと、ライオンや虎など別の姿へと変わって見せた。
女性が悲鳴を上げ、それから静かになる。どうやら彼が神だという事を信じた
らしく、「助けてください」とか細い声で囁いた。
「僕の力は、今はそんなに強い力は残されてないけど、何かを眠らせたりする
力は残ってる。これをお前にわけてやろう。僕の力を信用するなら上手くいく。
だが、信じないなら失敗するだろう」
「これで、何が出来るのでしょうか……」
「そ、そんな事言われてもな。僕は元々旅人と商人の守護神だし、ゼウス様みたいに
そんなに大きな力は持ってないんだよ。牧畜をしながら暮らしてたしな……」
「牧畜……」
女性はしばらく悩んでいたようだったが、顔を上げると「ありがとうござい
ました、もう一度頑張ってみます」と告げると店を出て行った――。
数週間が経った頃だろうか、いつものようにコンビニで働いていたヘルメスの元に、
件の女性がまた姿を現した。
顔色もよく、以前万引きをしようとした彼女とは別人のように明るい顔をしていた。
「この間は、ありがとうございました、ヘルメス様……」
「元気にやっているみたいだな、成功したのか?」
「はい! 私、今子供達と夫と一緒に農場をやっているんです。ヘルメス様が以前
牧畜をしながら暮らしていたという所からヒントを得たんです。眠りの力も使いこな
せていますし、本当に助かりました!」
ヘルメスは嬉しそうな女性の姿に、自分も嬉しさを感じてにっこりと笑った。
自分は確かに、一人の人間を救ったのだ。
「――っていう話があったんだ」
その後、人間を救ったヘルメスは、日本の八百万の神々の会合に出るように
なっていた。
日本の神々も、突然やって来た異国の神の姿に最初は驚いていた物の、今では
当たり前のように話しかけたりしている。
「その彼女だけどさ、ご近所さんの奥さんに口利きしてもらって、農場の仕事を
もらったみたいなんだ。いい人をいるもんだよな、僕ももうちょっとご近所さんと
仲良くして見ようかな」
「おぬし、まだコンビニエンスとやらの仕事を続けておるのか?」
「僕? もちろん続けているさ、労働は時に楽しい者だからね。まあ僕が何を言い
たいかって、『ご近所づきあい』は大事だよね、って事さ!」
ヘルメスは悪戯っ子のような笑みを浮かべるとそう締めくくりながら、神々の
一人に出してもらった羊羹を頬ぼりお茶をすすった――。
※エッセイ村に掲載されていた
お話です。
プロットは別の方が考えていま
すが、私が書いた作品なのでこちらで
消える前に投稿し直す事にしました。
ギリシャ神話大好きなので、かなり
楽しんで書いた作品です。
ヘルメス神の性格は、自分で勝手に
考えちゃってますけどね~。