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ep.2 曇りのち雨

 寝起きのままシャワーを浴びて、適当な服に着替えたところで、スマホが鳴った。

 お姉さんからのラインだった。"今日、夕飯ウチで食べない?"

 いつも突然なそれに了解の旨を返信して、今着たばかりの安っぽいTシャツを脱いだ。これじゃ、いかん。と、タンスを探り、ちょっと奮発して買ったリネンシャツを引っ張り出した。いつもこれだよなぁ、と思いながらも、身長がかなり伸びた俺には、他にちょうどいい服が無い。買いに行きたいが、受験生というのもあって、電車で行かなくてはならないモールだとかに行くのはかったるいのだ。俺は、母親から言いつけられている通りに、週末の今日は布団を外に干して、部屋を軽く片付けた。


 さっさと家を出て、図書館に向かう。夏休みには似合わないような曇天だ。これから夜まで勉強の俺には、晴れていても関係ないが、さっき布団干したのに、意味なくね? とは思った。到着してみると、閉館は六時だった。閉まるまでは勉強しよう、と気持ちを固めて、俺はクーラーの下へと足を踏み入れた。


 涼しい中で九時間ほど過ごし、俺はまだ少し暑さの残る外に出た。夏の夜はいつも、どことなく特別だ。

 お姉さんにラインで、あと十五分で着きますと言って、早足で歩き出した。チューハイ買ってきて、などという不健全な要求を返信され、おいおい、と思いながらも、最近急に老けたと良く言われる自分が平気なことを知っていたので、了承した。それでも一応、顔を知られていなそうな、さびれた店で酒を買ったが。


 たどり着くと同時に、抱擁で出迎えられる。俺は大いに慄く。

武春(たけはる)、遅いよ」

「なんか、すげぇアメリカンナイズされてません? 洋画でも見ましたか?」

「君が遅いからだよ」

「ちゃんと十五分後ですよ!」

 買ってきた酒を差し出すと、悪いわね、とお姉さんは受け取った。夕飯、なんすか。と聞くと、台所まで戻って行って、居間に入りかける俺にグラタンを突き出した。

「ちゃーんと、大好物作ったげたんだから」

 グラタン。たしかに大好物だ。パセリなどは無く、チーズがどっさりかかっているあたりもよく分かっている。俺の舌の幼稚さが。

「めっちゃ美味そうっすね」

「でしょ、早く手を洗って来てよ」

 勝手知ったる他人の家だ。さっさと洗面所で手を洗って、居間の真ん中に置かれたちゃぶ台の前に座る。木のスプーンを差し出されて、受け取って手を合わせる。腹はかなり減っていた。無心で半分くらい一気に食った。

「うまいです」

「そう? よかった。でも、よくこんな熱いのガツガツ食べられるわね」

 そう言うお姉さんはまだ、減ってるんだか減って無いんだかわからないような皿だった。

「一人暮らしには慣れた? 」

「いや、一人暮らしじゃなくて、親が旅行に行ってるだけですって。まぁ、一週間程経ちましたから、多少は」

 両親は今、ヨーロッパ旅行に出かけている。平年なら国内旅行だし、俺も同行するが、受験なので留守番だ。一人分浮くからと調子に乗って、ヨーロッパ数カ国に合計で二週間も滞在する。どう考えても、普段より相当高くついているだろう。有休をどれだけ使ったのかは知らないが、お気楽なことだ。

「自炊してるの? 」

「まさか。家で食うのは、素麺くらいですよ」

「ダメねぇ」

 結局、お姉さんは半分も食べず、残りは俺が食った。夏にグラタンなんて入んないわ、とよく分からないことを言って、洗い物を俺に頼んでから風呂に入っていった。こびりついたチーズとマカロニに苦戦しつつ綺麗に洗って、ちゃぶ台に戻ると、スマホに父親から、母親がエッフェル塔の前ではしゃいでいる写メールが送られてきていた。ものすごく子供っぽい顔をしていて、ちょっとびびる。エッフェル塔いいね。今、楠原さんのお姉さんの家で夕飯をご馳走になってる。と簡潔に打って返信した。父も母も、俺がちょくちょくお姉さんに呼び出されることに関して、からかう以外で何か言ったことはない。放任主義気味というのもあるが、楠原家とは近所付き合いが元々あって、親切な人達だと知っているからだろう。

 ちゃぶ台の前で後ろに手をついて座ると、手のひらに違和感を覚えた。見るとホコリとなにやら砂のようなものがついていた。俺はため息をついて、掃除機を探しだしコンセントにコードを刺す。いざ掛けようとしたとき、お姉さんが脱衣所から出てきた。

「え、掛けてくれるの」

「汚すぎですよ、カーペット」

「ごめんって。よく掃除機の場所分かったわね。というか、意外と遠慮ないわね君」

「ここ来るの、十回目とかですから」

「十二回目ね。正確には」

「数えてたんですか? 」

「冗談よ」

 一通り掃除機を掛け終わると、元あった場所にしまって、リビングに戻った。すると、わざと冷凍庫に入れておいたらしく、見るからに冷えたビールとチューハイがちゃぶ台の上にあった。隣には、柿の種が積んである。

「おつかれー、飲みな、飲みな」

「ナチュラルに薦めてますけど、俺未成年……」

「何を今更。そんなこと言ってるとあげないよ」

「すみません。飲みます」

 前まで飲まされていたはずなのに。慣れは怖い。自分でわざわざ買ってきたものを謝って飲ませてもらうのに、違和感を感じないのも、慣れだろうか。

 酒をコップに酌むこともせずに飲んで、ぐだぐだと他愛ないことを喋っていた。十時を回ったのを見て、そろそろ帰ろうと腰を浮かしかけたとき、ザァザァという音がした。お姉さんが見送ると言って、テレビを消したからだろう、はっきりと聞こえた音は雨の音だった。お姉さんは慌てて廊下の向こうにあるベランダに出て行って、帰ってきた。なんか干してたんだな。

 そこまで考えてハッとした。そういえば。

「やべえ」

「ん? 」

「布団干してるんです」

「ええ? 結構吹き込んでたよ」

「最悪」

 ウチのベランダは広めな分、手すりに近く干すと、風がなくても濡れる。あるとなおさら濡れる。布団は手すりに端を乗せるようにして干していた。確実にずぶ濡れだ。

「敷布団も干してるよ。うわぁ、やっちまった。座椅子で寝るのか今日」

「ソファーは? 」

「ウチ、無いんですよ」

 しゃーねぇか、と呟いて、持って来ていた荷物を持った時、お姉さんは言った。

「武春、泊まってく? 」

「え? 」

「いいよ、布団あるから」

 ベッドのある一人暮らしになぜ布団が必要なのかよくわからないが、それどころではない。

「それは、さすがに」

「いーじゃない。泊める女の方が良いって言ってるんだから。どうせ傘も無いんでしょ」

「貸してくださいよ」

「やーよ。ピンクの可愛い傘なの、こんな風強いのに壊れたらイヤ」

 それじゃ傘の意味が無い。普段、雨風の日は一体どうしているんだろうか。

「大丈夫ですよ。教材もちょうど濡れなそうな鞄ですし。」

「ずぶ濡れになって、風邪ひいたら誰が看病するっていうのよ」

「それは。自力で治しますよ」

 ねー、いいじゃんケチ。とお姉さんは喚いた。ケチとは何だ。喚く方向性がズレてると思った。窓を振り返ると、どんどん雨脚が強くなっているのが分かる。もう一度付け直したらしいテレビの天気予報が、一晩中強い雨が続くと告げた。

「ほーら。帰れないじゃん」

「……ここ最寄り駅ってどこでしたっけ」

「武春の家と同じ駅だよ。この辺は駅遠いの知ってるでしょ。なに? そんなに私と一緒にいるの嫌なの?」

 顔を覗き込んでそんなことを言うお姉さんに、思わず俺は荷物を置いて、その場に座ってしまう。

「嫌ならまず来ませんよ」

「じゃあ、いいでしょ。お姉さんに付き合ってよ」

 また、流されてるな。と思いはしたが、結局、俺は折れた。お姉さんは楽しそうに、飲み直しだー。と言った。

「マジですか、俺もう飲めない」

「君はいいわよ。私が飲むの」

 そう言って、冷蔵庫から本物のビールを取り出した。明日も学校はないし、両親は遥か異国だ。ずぶ濡れで帰って、ぐっしょりであろう布団をどうにかした後、座椅子で寝るのは正直かったるい。まぁ、いいか。と俺は多少強引に自分を納得させた。

 お姉さんは未だ残っている柿の種の乗った皿を俺に突き出してきた。俺は、適当に鷲づかみして口の中に放り込んだ。


未成年の飲酒、酒類の購入は禁止されています。くれぐれも、真似なさらぬよう。

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