プロローグ
「やった! 武春! 受かった!」
満面の笑みで幼馴染の香穂は、俺にくっついてきた。きゃっきゃと騒ぎながら俺の顔を見上げて来る。
「俺も受かってた。つか、引っ付くなよ、恥ずかしいだろ」
俺は赤くなっているであろう顔を背けて、香穂をひっぺがす。香穂はクスクス笑っている。俺の気を知っているくせに、知らないみたいに。
「高校デビュー、出来ないね残念。私が今までのたっくんの様子、喋っちゃうもん」
「たっくんって呼ぶなよ! それは、お互いさまだろが」
香穂はにこにこ笑う。凄く楽しそうに笑う。ずっとずっと昔からおんなじ顔で、こんな風に俺の横で笑っていた。ずっとずっとこの先も、そうであればいいと、強く思う。
「私、武春が居ないとなんもできないから、ほんとによかった! 高校生になったからって、いきなり離れてっちゃうとかナシだからね! 仲良くしてね」
香穂は俺を大好きだと言う。でも、香穂の考えるそれと俺の感じる想いは、決定的に違う。
「お、おう......。あ、いやちょっとは独り立ちしろって」
ほんと、仲良いわね。と母親に言われるたび、半分ムカついて半分嬉しかった。香穂も、俺と同じように想っていると勘違いしていた頃は。一度フった男にべたべたひっつくなんて、とクラスの女子は陰口を叩き、可哀想な物を見る目で俺を見つめて、香穂を嘲笑う。だから、俺は、クラスの女子連中にもその陰口に乗るいくらかの男子にも近づかなかった。どうしようもないんだよ、香穂は幼馴染で小学生のときから、今までどこに行くんでも一緒で、デキてるだなんだとからかわれることを気にしないでいることに慣れすぎたんだよ。そうケロっと釈明するには俺は幼く、香穂を想い過ぎていたし、香穂は周りの見えないズレたところがあり過ぎたのだ。
親とのテンションの高い電話が済んだあと、香穂は人波を避けてこちらへ来た。
「武春、安心したら、お腹空いちゃったよ。なんか食べようよ」
いつだって無邪気な香穂は、いつもどこか他人から浮いたように、人々に紛れない。どこか、なんとなく違う。そこにおそろしく惹かれるけれど、いつか俺はやめにしなくてはいけない。この少し赤みがかった頬にキスがしたいと思う。抱きしめてしまいたいと思う。きっと、しても、香穂は怒らない。困った顔で、悲しむだろう。申し訳ない、という思いで。それに耐えられる自信が、俺には、無い。
付き合ってくれと言った俺に、香穂が済まなそう顔で、ごめん、と言ったあの日から。時が経つごとに、透明だった香穂への大好きだという気持ちが、黒く濁って、加速度的に濃さを増す。話していても、嫌われないか心配しているうちに、心が忙しいだけになってしまう。これ以上、近づけないから、後はこれ以上離れないように気をつけるしかないから。
「何が食いたいの?」
「えーっとね。ハンバーガーか、そば!」
「極端だな」
何が? という顔で見つめてくる、このズレた子を、俺はいつまで想い続けるんだろう。それは、全く靄の中のことのように、見えないことだった。