第2話「転入初日」
「……ユリエル・エルバドールです。よろしく」
深緑の髪を垂らしながら彼は呟くように言った。
とても印象的だったのは彼のその表情だった。それはとても深い闇と言うべきか。年相応の顔つきではない。
第一印象は正直そこまで良くなかった。何考えているのか分からないし、なんかとっつきにくそうだし、関わりたいタイプではなかった。
ただ、ナタリアにとって取るに足らぬ存在のはずなのに、どこか目が離せなかった。
なぜだろうか?
珍しい転入者であるのは間違いないが、やはり年齢にそぐわぬその雰囲気が彼女を惹きつけたのだろう。
しかし、ナタリアはすぐに考えを改める。所詮は烏合の衆の一員。
たとえ少しぐらい変わっていたとしても、彼がこの学園で特別優秀な学生であるわけがない。
……くだらないわね。
ナタリアはそっと心の中で呟いた。
―――
ユリエルはなぜか檀上で自己紹介をしていた。
その教室は横に席が並んでいて、三十人程度であろうか。彼等の顔が全員こちらを見ている。
相手がマリスだった方がむしろユリエルにとっては楽だった。
幼い時から集団の前に立ったことがないので今まで感じたことがない異様な緊張感に包まれていた。しかも相手は自分と同じような歳。
とりあえず自己紹介を促されてユリエルは口を開いた。
「……ユリエル・エルバドールです。よろしく」
自分でも感じる暗い声だった。
間違いなく転入初日からしたらノーグッドだろう。
「じゃあ、空いてる席に座ってね。そのまま授業を始めます」
それにしても若い先生である。二十歳ぐらいだろうか。青くてすらりと長い髪が特徴的で、身長も比較的高く、顔立ちも美しい女性であった。
ユリエルはそんなことを思いながら後ろ側の空いている席に座った。
……どうしてこうなった……。
ユリエルはなぜ自分がここにいるのかを思い出していた……。
―――
セーカルド軍第四番隊隊長、マヌエル・デュラン。
歳は四十程度であろうか。一見、悪く言えば髭を生やしたただのおっさんに見えるが、これでも軍人らしい。
マヌエルは対面の椅子に座り、口を開いた。
「そこで君にお願いがあるんだ。まあ、有り体に言えば勧誘だがね。正直、君の実力をこのまま放置するのは非常にもったいない……そこでだ」
マヌエルは前かがみに体を寄せて聞いた。
「単刀直入に言おう……我が軍に入る気はないか?」
「興味ないです」
瞬間的にユリエルは答えた。
ユリエルにとって、わざわざ軍に入るメリットがなかったのだ。
むしろ、自由にマリスが蔓延る魔大陸に行けないのは彼にとっての生きる意味を失うに近い。
マヌエルは髭を弄りながら、ユリエルを眺めながら何かを考えるような素振りを見せた。
そして、ふとマヌエルは呟いた。
「…………君、何のために生きてる?」
……何のため?
ユリエルはなぜだか困惑した。
何のために生きている?
もちろん、マリスを滅ぼすためだ。
目の前で村が、家族が蹂躙された。
マリスは純粋な悪意。それは人が人に対する思い。
相手が苦しむ行為が、それを見て悲しむ姿が……ただひたすら愉悦なのだ。
燃えさかる炎、焼け尽くす家、泣き叫ぶ人。
ごみのように投げ捨てられていた見覚えのある顔、顔、顔。
父親はなまじ力があったせいか、ひたすらに嬲られた。じっくりと、ねっとりと。
見せつけられるように弄ばれる母と妹。まるで子どもが虫で遊ぶかのように、手足が引きちぎられていた。
死ぬまで蹂躙されるならまだしも、死んでも蹂躙される。形として残っている限りひたすらにいたぶられる。
それなのに、ユリエルだけは攻撃されなかった。正確には手足を固定された状態で放置されていただけだった。
なぜか?
マリスにとって、それを見せつけるのが何よりも楽しいのだ。
村人全員を一瞬で殺しても楽しくない。
観客として、ひたすらに絶望を与えて苦しませる対象がユリエルだったのだ。
身近な人が蹂躙されている怒り。いつ殺されるか分からない恐怖。ごちゃまぜになった感情。
そんなユリエルの顔を何よりも楽しそうに眺める黒甲冑を着たマリス。口端がちぎれるぐらいに斜め上に広がったその表情。
そして、ユリエル以外の村人全員がもはや人の形すら残らない様を見て、マリス達は満足したかのように去って行った。
ユリエルだけが殺されなかった。わざと殺されなかったのだ。
焼野原になった土地で一人ぽつんと佇むユリエル。
一瞬で全てを失った。あるのは浄化師としてのペンダントのみ……。
「…………おい」
はっとユリエルは我に返った。
「なんだか知らないが殺気がだだ漏れだ。俺だったからよかったものの、一般人じゃ卒倒してたぞ」
そう言いながらマヌエルは足を組みながら、キセルをふかした。
「まあ、その歳でその戦闘ランクだ。何かしら壮大な過去があっても不思議ではないがな……。しかし、今のままじゃいかんな。そんな精神状態じゃ非常によろしくない。……ふむ、そうだな」
マヌエルは髭を左手で髭を弄りながら天井を見たと思ったら、何か思いついたかのようにユリエルの方を見た。
「君にはおそらく何かしらの野望がある。しかし、ぱっと見ろくに人間の世界に馴染めていないね。パーソナルカードも作っていないようだし」
ユリエルは訝しそうな目つきでマヌエルを見る。
「そこで取引をしよう。私は人間界における生き方、金、知識、その他何でもいい、できる限り全てをバックアップしよう。君の野望のためには必要だと思うがね? マリス関係だとか」
そう言いながらマヌエルは軽く笑みを浮かべる。
……このおっさん、さっきの殺意が間違いなくマリス関係であることに気付いているな。
ユリエルはそう思いながら口を開く。
「その対価として軍に入れと?」
「いや違う。正確には違わないけど、今の君には軍に入る資格はない」
ユリエルは別に軍に入るつもりはなかったが、言われ方に少しいらついた。
「軍は人の命が懸かっているからね。人付き合いができなさそうな君には難しい話だろう? だけど、その戦闘ランクでそのまま野放しにするわけにはいかない」
マヌエルは何か悪巧みを考えるような微笑を浮かべる。
「単刀直入に言おう。君には学園に通ってもらう。しかし、ただの学園ではない。精鋭を集めた軍の学園だ。君はマリスと戦うための知識と技術を教えてもらい、人と人との付き合い方というのを学んでもらう」
「……今更マリスと戦う技術なんて必要ないと思うんですが」
「君、今停滞しているだろう? そんな魚の死んだ目していればすぐに分かる。君は一度マリスについての知識を深めるべきだ」
確かにマヌエルの言うことには一理あるかもしれないとユリエルは感じていた。
ユリエルは三年間、魔大陸でマリスを狩り続けたがマリスを全滅させる術には至っていない。
まるで、いたちごっこと言うべきか。ユリエルがいくらマリスを倒しても、一向にマリスの数は減らない。
ただマリスを倒すことは無駄なのではないのか、とユリエルは思っていたほどにだ。
――この荒んだ心を癒すために一度魔大陸を離れるのもいいかもしれない。
いつの間にか心のしがらみがほどけたような気がした。
―――
ここセーカルド学園には、FからSまでのクラスが存在する。
特に精鋭と呼ばれるSクラスは三十人のみで構成される。また、Aクラスは百人、Bクラスは三百人と徐々にクラスが下へいくほど在籍人数は増えていく。
そのため、Sクラスに入ることはセーカルド学園においては最も名誉であり、他のクラスから羨望される存在でもある。
そのSクラスに一人転入生が入るということは、一人Aクラスへ落ちなければならないことを示している。
「納得いかない!」
元序列第三十位の男は吠えた。
彼にとって納得のいかないものであるのは仕方のないことであろう。
異例のSクラス飛び級の転入生。それによって、まさかのAクラス落ち。
転入生がどんなにすごいか知らないが、男にもプライドがあった。
「決闘を申し込みたい! もし、私が勝ったのならば転入生のSクラス入りは取り消してもらおう!」
男は授業中にも関わらずSクラスの担任のアエロア先生に決闘を提案した。
「ミルトス君。授業中ですよ」
「先生! 私は納得がいきません! 転入生の彼が私よりも勝っているというのか!」
「私が関与すべき問題ではありません……が、ミルトス君の言い分も一応分かります」
「ならば決闘を許可してください!」
「それについては判断しかねますが……。とりあえず」
直後、アエロア先生の身体から冷気が溢れだす。
「今は授業中です。出直しなさい」
アエロア先生の冷気によって、ミルトスの身体が凍っていく。
「せ、先生! ま、待ってくだ…………」
そして、ミルトスの身体が完全に凍った後、アエロア先生は彼の身体を廊下に出した。
「それでは授業の続きを始めます」
何事もなく授業を始めるアエロア先生の所業を見て、クラスの大部分が恐怖した。
―――
「ということでユリエル君。ミハエル君と決闘してあげてください」
仕方のなさそうな顔でアエロア先生は言う。
今は魔力実習の授業であるため、広い魔力結界で守られた建物の中にいる。
「今から?」
ユリエルはアエロア先生に聞く。
「ええ、ついでにあなたの強さと傾向も知っておきたいので」
「……分かりました」
ミルトスは既に戦う準備ができているようだった。
剣を片手にただ精神を統一している。
その光景をSクラスの人達も隅で静かに見ている。
「ちなみに武器は自由。大きな怪我を負っても強大な回復魔法陣が張ってあるから遠慮なく戦ってくれて大丈夫です」
アエロア先生はそう言い、離れていった。
ユリエルは首に掛かった純白の十字架に指を添える。
そして、大きな純白の槍が顕在した。
ユリエルは右手に槍を持ち、ゆっくりと立ち位置につく。
「それでは戦闘を開始します。始め!」
ミルトスは足に魔力を爆発させ、一気に距離を詰める。
しかし、ユリエルは右手にだらんと槍を持ちながら微動だにしない。
……舐めているのか? ならば一気にたたみ掛ける!
ミルトスの剣がユリエルの身体に届く寸前――もはや不可避の距離。
しかし、ユリエルは槍の尾で剣を弾いたと同時に槍の前方の先端がミルトスの首に触れる。
そのあまりに無駄のない動きにミルトスも周りも静寂に包まれた。
ミルトスの首から血がたらりと流れる。
ミルトスは目を見開いたまま、そのまま動くことができなかった。
「それまで! 勝者ユリエル」
あまりにあっけない決着だった。
それほどまでにユリエルとミルトスには戦闘能力に差があった。
ユリエルにとってはある意味で衝撃的だった。
あまりに弱すぎたのだ。わざとやっているのではないかと思うほどのスピードの無さ。精度に欠ける攻撃、がら空きの身体。マリスに比べたら,赤子の手を捻るようなものだった。
「……なるほど。確かに逸材ですね」
アエロア先生はぼそっと呟いた。