プロローグ
マリスは醜悪な顔を浮かべて笑っていた。
残り敵数三十二。マリスは少年の周りを円を囲むように立っている。
そこには様々な種類のマリスが存在していた。舌がやたら長いマリス、異様に太っているマリス、女型のマリスも入れば、生き物の形すらもしてないマリスもいる。
しかし、共通してる部分として、どこか黒っぽい色をしており、近寄るだけで訓練を経てない者は悪寒が走ったり、呼吸がきつくなったり、最悪気を失ったりする。
基本的にマリスは悪意に満ちている。人が人に対する悪意だ。そこに容赦は存在しない。
深緑の少年の髪は無造作に垂れている。手に持っている槍は少年の身長よりも大分大きい。前方には大きな刃、後方には小さな刃が付いており、柄や刃は淀みのない純白を有していた。
突如、犬の形をしたマリスが少年の左後方から襲い掛かる。
間違いなく少年の死角を捉えたはずだった。
しかし、少年の右手に持っている槍が瞬間的に移動する。
槍の尾の刃がマリスの頭を貫く。ほぼ同時に槍を半回転させることでマリスの胴を真っ二つにした。
肉片が飛び散る。周囲に黒い血が撒かれ、マリス特有の臭いが漂う。
刹那、女型のマリスの胸に槍が突き刺さる。
そのまま脳へ斬ると同時に反対側の子どもの形をしたマリスにも刃を入れる。
そこには一切の無駄がなかった。流れるように槍が回転し、まるで踊ってるかのように少年の身体と槍は交差し合う。
少年が通る道にはただマリスの肉片が転がっていた。
マリスは為す術もなかった。攻撃が少年の身体にぎりぎり届かず、その隙に少年の槍がマリスへ食い込む。
まさに絶対的タイミング。攻撃の最中に刃が飛んでくるのだ。いかにマリスと言えど、攻撃のエネルギーが残ったままでは避けることはできない。
そして、最後のマリスを倒すまで十秒もかからなかった。
少年は汗の一つもかいていない。それほどまでに少年とマリスとの間には圧倒的実力差があった。
しかし、少年の顔はいつになっても晴れなかった。
マリスの死体に囲まれて、ただ無言で佇んでいる。
少年がこの魔大陸に来てからおよそ三年。ひたすらにマリスを倒し続けていた。
最初の一年は命懸けだった。少年もその時は実戦経験が少なく、幾度となく命を落としかけた。
二年目ではいつの間にか一般的なマリスでは歯が立たないほど少年は成長し、三年目ではもはや息を吐くようにマリスを殲滅することが可能となった。
風が吹いた。同時に、少年の深緑の髪がそよぐ。
そこから覗く少年の目には既に光が無かった。もはやどうでもよくなっていたのだ。
機械のように殺し、機械のように眠り、ただそれを繰り返した。
マリスに対する復讐心もいつの間にか薄れていた。
それでも少年は歩き続けた。まだ見ぬ魔大陸の果てへ。
それしかなかったのだ。それしか少年を満たすものがなかったから。
―――
同時刻、ファース村。
「緊急事態です! マリスの大群がこちらに向かってきています! その数およそ三百!」
村長達は焦燥に駆られる。
ファース村で用意できる兵の数は最大で百程度。さらに、マリスの戦闘能力は弱くても兵が二人掛かりでやっと倒せる程度なので、偵察の言葉が事実であれば、ほぼ間違いなく全滅する。
さらに、訓練を受けていない者は基本的にマリスの前では自我を保っていられないので、戦闘できる土俵にすら立っていない。
「他の村や王国の増援は?」
村長は初老における皺をさらに深ませるように聞いた。
おそらく無駄であろうことは悟っていたが。
「馬を使って隣の村まで最短で二時間。マリスはその半分でここに到着します!」
「間に合わぬか……。急ぎ全員村の外へ集合させるのだ!」
その後、村人は何事かと家から出てきた。
村長は村人全員の前で苦渋に満ちた顔をして言った。
「マリスの大群が一時間後に到着する。この村にはその大群を倒すだけの力はない。よって、この村を破棄する。戦える者は残留、それ以外は今すぐ逃げろ。また、その者はできるかぎり近隣の村に伝えられる範囲で伝え、セーカルド城まで逃げるのだ」
直後悲鳴にも似た声が村人から発せられる。
そのまま足を抜かす者やただ茫然とする者、神に祈る者もいた。
一般的にマリスの多くは馬よりも移動速度が速い。さらに人間の位置を嗅ぎ付ける種類もいるため、馬も使わずに逃げることは困難である。
セーカルド城まで馬で半日は掛かるとされている。そのため、軍が救援に向かうまで最低でも丸一日は掛かってしまう。
しかし、近隣の村で戦える者を集結してもマリス相手には時間稼ぎにしか使えない。
いかに近隣の村で時間を稼ぎ、軍が到着するまで戦えない者を逃がすことができるかがこの戦いの鍵となる。
「魔導士は後方待機。剣士と戦士は前方待機」
戦えない者は既に村から出ていた。
村の中は静かだった。また、それに同調して待機している村人達は誰も何も言わなかった。
マリスが到着したらおそらく戦闘によって死人が大勢出るだろう。それどころか、救援が間に合わなかったらおそらく村人は全滅する。
いつかは皆こうなることは分かっていた。死を覚悟している者もいれば、それを受け入れることができない者もいる。
しかし、彼等には守るべき家族や友人がいる。戦わなければどちらにしろ全滅してしまうだろう。ならば、戦う以外に選択肢はない。
冷たい汗が伝う。残りの時間が嫌に居たたまれない。それは処刑を今かと待つ罪人のように。
それから、しばらくした後――
「マリスの第一陣来ます!」
「……来たか」
村長は苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
元軍人である村長は剣を掲げる。そこには自分の村人をただ憂う長の姿があった。
「我らが目指すのはただ一つ! 救援が来るまで死ぬその時までただ耐えるのみ! 家族や恋人が蹂躙されてもいいのか!? 生まれ育ったこの土地を蹂躙されていもいいのか!? 私はそれを絶対に許さない! 準備はいいかっ!? いくぞぉおおおおお!!」
「うぉおおおおおおお!!!!!」
剣を構え、杖を構え、そして馬に乗っている者はマリスに向かっていく。
どちらにしろ、ここが死地になるのは間違いなかった……。