橋間彰宏4
立川涙夜と俺がいつ出会ったか、正確なところは覚えてない。
家が隣とはいえ最初は特に交流はなかったらしい。うちが典型的な庶民で普通の一戸建てだったのに比べ、涙夜の家は見るからに豪邸だったので気後れしたのだと母さんは言っていた。
大人たちの話によると、涙夜の母さんは娘を有名私立の付属幼稚園に通わせていたが、途中で先生とどうしても意見が合わなくなり、退園させた。そのあと、いっそ公立のほうがいいかもしれないと行かせた小学校で涙夜と俺は初対面を果たしたようだ。
でも俺はなんとなぁく幼稚園時代の涙夜と話した記憶もあるので、多分大人が知らないところでこっそり仲良くなってたんじゃないかという気もする。
とにかく、子供同士が一緒に遊べば親同士も親しくなるもので、今ではすっかり理想的なご近所づきあいをする仲になった。
お歳暮のお裾分けをしたり、作りすぎたお菓子を分けてもらったり。
涙夜の母さんが作るクッキーはかなり旨い。しかもいいって言ってんのに、毎回可愛くラッピングした状態でくれる。
今日も、涙夜は星が並んだデザインの小袋に四角いクッキーを詰めて持ってきてくれた。
背中の真ん中辺りまでのばした栗毛色の髪が、風にふわりと揺れていい香りを散らしている。少しフリルのついた白いブラウスの上で光る青いネックレスが女の子らしい。
今回は私も手伝ったんだよ、でもちょっと失敗しちゃったぁ、とはにかみながら涙夜は言った。見た限りでは全然そんな感じはしないけど、味の問題なんかな……。
「アキくん、今何してたの? お勉強?」
「や、寝てた。俺寝癖ついてない?」
「えー、わかんないよ?」
涙夜はくすくす笑う。あぁ、どっか髪がびよんってなってんだな、きっと……。
「あ、こないだね、アキくんのお友達に会ったよ。三森ちゃんて子。私の友達の妹の友達の先輩なんだって」
「よく会えたな」
凄く遠くないか、その関係。そういえば三森も偶然会ったとか言ってた。
「ねー。びっくりだよね。話してたら、アキくんと仲いいんだってわかって、えー!って。明るくて可愛くて、見るからにいい子って感じ。知り合えて良かったな」
「あぁ、三森はいい奴だよ」
ちょっと癖はあるけど、頼りになる。素直にそう言ったら、涙夜はいたずらっぽそうな目つきになった。
「ふふ。アキくんもそろそろカノジョとかつくっちゃうお年頃かな?」
「何言ってんだよ、そんなんじゃねぇって」
苦笑して否定する。
俺が恋愛にときめけたとしても、三森はない。あいつも絶対、聞かれたら「橋間はない」って言うことだろう。考えるまでもなく友達以上にはなりえない奴なのだ。
もっとも、それは涙夜とだってそうだ。三森は涙夜が俺のことを好きだと言っていた。俺もたまにそうなんかな?って感じることはある。例えば今。三森が俺の彼女にならないって知ってちょっと嬉しそうにしてる、ような。
でも俺は涙夜と恋することもできないだろう。それは幼なじみだからというんじゃなくて、もっと根元的な問題だ。
なんつーか、こいつは俺のことを好きみたいなそぶりは見せるけど、本当に好きな訳じゃないと思うのだ。じゃあなんでそんなふりをするのか――はよくわかんねぇから、あんま考えないようにしている。涙夜の感情がどうあれ、こいつが優しくてしっかり者の幼なじみってことに変わりはない。
「クッキーもらうな。ありがとう」
「うぅん、こないだおばさんに美味しいゼリーいただいちゃったし。あれ葡萄味がとっても」
『♪ピロン』
携帯が鳴った。あー、マナーモード解いてたから。
「わり、メール」
「うん、じゃあ私帰るねー。ハート型のやつだけ私のだから、あとで感想聞かせてっ」
にこ、と笑い、涙夜は背を向け自宅に戻っていく。
メールは三森からだった。
「ヤクザって何。説明」
相変わらず簡潔だ。なんで三森が知ってんだろ。ハイジが話したのかな。あ、三森の前にもメール来てる。
「【❤緊急連絡❤】いまケートがヤクザに脅されたとかで験也さん超気ぃ立ってっから、しばらくマギダン来ちゃだめ。あともし心当たりある奴いたら名乗り出なさい。今ならパンチ一回で許してあげんよ☆」
……ハイジか。これ一斉送信だな。そりゃ説明が欲しくもなるだろう。ほかの奴らだって遠慮して聞いてこないだけで、ホントはめっちゃ気になってるはずだ。
一昨日の夜、ハイジに呼び出されたときのことをさらっと書いて三森に返信する。ついでに圷と遠藤にも送っておいた。これで瀬田さんにも伝わるはずだ。
ヤクザ……ね。十中八九俺たちはあの死体とは関わりないと思うけど、念のため調べとくか。
携帯のアドレス帳から、『Xgeek』を呼び出す。数コールですぐに繋がった。
「久しぶり。橋間だ」
「あぁ、久しぶり。元気そうだな。依頼か?」
兵賀だった。珍しいな、こいつが電話に出るの。
「実はこないだ近くで起こった殺人事件なんだけ『ガシャン! ガタッバタバタバタバタッ』……大丈夫か?」
電話口の向こうで、何か重いものが大量に落ちたような音がした。
「あぁ、秀だから」
兵賀は気にした様子もなくクールに言う。
「そっか、じゃあしょうがねぇな……」
兵賀の仲間の一人である速水秀は、凄まじく間が悪い男だ。けしてそそっかしいわけでもないようなのに、始終誰かにぶつかったり物を落としたり書類にコーヒーをぶちまけたりしている。
あんまり隠密向きとは思えないんだが、意外に優秀らしい。少なくとも兵賀には気に入られてる。
「で、殺人事件のことか? マギダンの裏手で殺された十嶋組組長の奥さんだよな。十嶋祐子、三十一歳。発見者は君のとこの恵登くん」
兵賀との会話は、こっちが何も説明しなくてもだいたい察しててくれるから楽だ。
「そうそう。もっと詳しく調べてある?」
「予測はついてる。堅悟に裏取らせるよ」
「お前の予測ってほぼ確定だろ」
「さぁね」
兵賀は沈んだ声で言った。うわ、いかん。馬鹿だな俺。
「ごめん」
「謝ることじゃない、俺が弱いだけだよ。明後日にはわかると思う。どうする?」
「せっかくだからマギダンで聞く。俺が知りたいってよりかは、験也さんに教えたいから」
ハイジが言うとおりあの人は恵登が絡むと結構しつこい。いくら俺たちがヤクザなんか知らないと言っても内心少しは疑ってるだろう。第三者からの情報提供が大事なのだ。
マギダンは俺たちがくつろげる貴重な場所だ。こんなつまらないことでふいにしたくない。
「わかった。値段は堅悟に決めさせるよ。三万ぐらいかな」
「う。まけてくれっかな」
「眼鏡新調したいって言ってたからなぁ……まぁ堅悟は橋間のこと好きだからいけるだろ。じゃあな」
「おぅ」
通話を切る。
頭良すぎるってのも大変だよなぁ。兵賀だったら世界征服だってできそうなのに、あいつはずっと苦しみ続けてる。
カウチに深く腰掛けて、さっきもらったクッキーの袋を開けた。ほんの少しだけ端がかけたハート型のやつをつまんで噛み砕く。
――めっちゃ旨い。
おばさんのより旨いかもしれなかった。さくさくしてて甘すぎない絶妙な味。涙夜そのもののような。
あいつと結婚する奴は幸せだろうなぁと思いながら半分ほどたいらげ、袋を閉じた。