橋間彰宏3
数日後。
この辺りで殺人が起きたらしいというニュースはテレビや新聞で報道され、俺の家族とクラスメイト達も知るところとなっていた。
今時殺人ぐらい別に騒がれもしないが、やっぱり近所でというのは珍しい。
物騒な世の中よねぇと夕飯を並べながら母さんは嘆いた。
「だから町内会で、小学生の下校時間に交代で見回りをすることに決まったの。あんたも気をつけなさいねぇ。まぁ男の子だし背も高いし、そんなには心配してないけど、殺された人みたいに刃物でやられたら防げないんだから」
やりようによっては防げるんだけどなー、と思いながら、頷いておく。そりゃ剣道できる奴に真剣持ち出されたらどうしようもないが。
しかし俺はあんまり負けないとはいえ、たまには怪我してボロボロになって帰ってくることもあるというのに、母さんはまったく俺が不良チームに属しているとは気づいてないようだ。階段から転げたとか猫に引っかかれたとかいう苦しい言い訳を普通に信じている。
詳しく詮索されないのは面倒がなくていいけど、こんな騙されやすくて大丈夫なんかな。ちょっと心配だ。
続く世間話に適当に相づちを打っていたら、携帯から呼び出し音が流れてきたので出る。
「はい――ハイジ? え、マジ? なにそれ」
やー、もう大変でさぁといつもの緩い口調で言うわりに、ハイジの話は結構な一大事だった。俺は今からマギダンに行くことに決める。
「母さん、あのさ、桐津ちょっと悩んでることあるらしくて、相談に乗りたいんだけど、今から行っていい?」
「えぇ? 電話じゃ駄目なの? まぁ別に構わないけど……あちらの迷惑にならないようにね」
人当たりが良くてイケメンで一見優等生のハイジこと桐津灰羽児は、母さんのお気に入りだ。マギダンに行くときは大抵、ハイジのとこに泊まるって言って家を出ることにしている。やはりこれも、疑われたことはない。
財布と携帯だけを掴み、自転車に跨ってマギダンに向けてペダルを漕ぐ。暗い夜道をぼんやりとした街灯が照らしだし、俺が進むに合わせて不気味に落ちた影が揺れる。
――どういうことなんだ。ただの通り魔殺人じゃなかったのか?
いろいろな可能性を考えていると、突然背筋にぞくりとした悪寒が走った。
――なんだ?
別に今日寒くないのに、と思いながらなんとなく後ろを振り返る。
「え」
今俺の後ろ歩いてたあいつ、角に隠れた?
……。
なんか、つけられてた、のかな。いやそんな馬鹿な。第一徒歩じゃ自転車に追いつけねぇよ、うん。
いいや、気にしないどこ。急いでるし。
俺は立ち漕ぎの体勢になってますますスピードを上げた。
じきにマギダンの控えめな看板が目に入って、どことなくほっとしながら裏手に回り、自転車を止める。
「早かったねー。急がなくていいって言ったのにさぁ」
息を切らして店に入ると、ソファでハイジが横になり、長い足を持て余すように投げ出して雑誌を読んでいた。
のぞき込むと、今月のラッキー盆栽とかいう占いコーナーのページ……どっから持ってきたんだ、こんな雑誌。
「暢気だなー、お前」
「だって別に緊急じゃないしぃ。ていうかもう終わっちゃったことだしぃ」
「はぁ? 恵登がヤクザに脅されたとか言ってなかったか?」
「うん。橋間に来てほしかったのは本当~。えーとね、なんかぁ」
ハイジは欠伸をかみ殺しながら頭を後ろに反らし、俺を見上げる。
「こないだマギダンの裏で見つかった死体、あれってヤクザの組長の奥さんだったんだってぇ。そんで第一発見者の恵登が尋問されたってわけ」
「あぁ、そーなのか。大変だな、恵登も」
「ねー。死体なんか無視すれば良かったのに」
「そういうわけにもいかないだろ、店の裏にあったんじゃ」
「でも時間がたてば腐るから臭いで誰かが気づいたでしょ。俺、なんかで読んだけど、第一発見者が一番怪しいって説もあるんだって。俺だったら見ないふりしてたなー。ヤクザとか超めんどいよね」
「恵登は嘘つけねーからな。で、どうなったんだよ」
問いかけ、ハイジの向かいにあるワインレッドのソファに腰を下ろす。ハイジは渋々雑誌から目を離し、説明を始めた。
「ヤクザのおっさんが来た時って恵登留守番中だったんだよね。験也さんいなくてさ、だから追い返すこともできなくて。とりあえず聞かれたことには全部素直に答えたって。まぁ隠すようなこともないしね。でも凄まれたのがかなり怖かったらしくて、さっきまで恵登ちょー泣いてた。験也さんに抱きついてさ。そこまでなるようなことかなぁ?」
少し馬鹿にするような調子でハイジは笑う。
こいつはこういうところがあるのだ。情よりも効率を好み、できの悪い人間を見下すような。
まぁ悪い奴じゃないし、その冷静な性格で助かることもあるから俺は結構好きなんだけど。
とりあえず、恵登は無事みたいで良かった。験也さんがいるなら安心だ。
「さぁあな。人それぞれじゃねぇの。話聞くのと目の前にいんのは違うだろうし。つーかさ、」
俺は身を乗り出してハイジから雑誌を取り上げた。
「そんなおもしろいのか? これ」
「別にぃ。歩いてたら知らないおっさんに渡された。定価六百十円ってあるから無料配布じゃないみたい」
「はは、なんだそれ」
「なんだろーねぇ。スーツ着てたしちゃんとした人に見えたんだけど」
「ハイジはモテんなぁ」
とうとう男にまでモテだしたか、とからかうと、ハイジは嫌そうに顔をしかめたが、すぐに真顔に戻り軽口を叩く。
「マぁジでぇ? モテだったんかな、アレ。もしそうなら就活んときとか、会社入ってからも便利だよなー。ちょっと研究してみるわ」
「やめろよ、女にも男にもモテるとかお前最強になっちゃうじゃん」
「えー、橋間がそれ言うんだ……」
呆れた目で見られて、ん?と首を傾げる。
「俺が言っちゃマズいか?」
「お前のがモテてんじゃんよぉ」
「いや、男にはモテねーよ」
「舎弟山ほどいるくせに」
「舎弟じゃねぇって」
「お前ー……」
ハイジはじとりと俺を見据えたあと、ふっと険しい顔を崩して笑う。
「お前ってホントに――」
しかしその言葉は最後まで発せられることはなかった。何かが俺にぶつかってきたからだ。いや、これは、抱きついてきた?
「はっしまー!」
「うお、恵登? いつのまに」
「今!」
にこにこといつもの無邪気な笑顔を浮かべて言う幼い顔の少年。でもこの部屋の暗い照明でもわかるぐらい目の縁が腫れてる。めっちゃ泣いたんだろうなぁ。
「恵登、大変だったな。大丈夫か?」
「うん、験也さんが慰めてくれたから。でも橋間が来てくれて嬉しいな。ハイジが呼んでくれたの?」
ソファに乗り上げ俺に抱きついた格好のまま振り向き、ハイジを見る。
ハイジは優しげに微笑んだ。
「俺らの中で恵登が一番懐いてんのが橋間だからねぇ。やっぱリーダーには報告しないとだしぃ」
「そっか。ありがと!」
恵登は俺から離れ、ハイジにも抱きつきにいった。ハイジは当然じゃんと言いながら胡散臭いまでに爽やかな笑みを浮かべ、それに耐えている。
いやー、相変わらず凄い変わり身の早さだ。
こいつチームの奴らの前ではちょっと猫かぶんのやめるけど、恵登にはずっとこの態度なんだよな。器用な奴。俺だったら速攻疲れてわけわかんなくなるわ。
「おぅ、橋間来たのか。心配しなくても、十嶋組の奴らにはきちんと言っとくから、もう来ねぇよ」
低くて艶のある声に顔を上げると、カウンターにバーテンダー姿のオーナー、験也実仁さんがいた。
整った甘い顔立ちに長身、ストイックな服を着ていても漂う色気。大人の男って感じで超かっこいい。
年は、多分二十代後半?ぐらい。わりと緩い考え方をする人で、子供は抑えつけたらなおさら反抗するんだから多少のガス抜きはさせた方がいいと言って俺らにも度数の低い酒は飲ましてくれる。
つっても、大半の高校生は酒なんか飲まねぇでもグレないでいるわけだから、俺はその考えが完全に正しいとは思えないんだけど、まぁ何人かの拗ねた不良の拗ね具合が悪化するのは防いでるんじゃねーかな。
なにより、気楽に溜まれる場所を作ってくれたことに感謝している。
無暗に干渉しないけど困った時は一言アドバイスをくれる、頼りになる大人だ。
「言っとくって験也さん、相手はヤクザでしょお?」
心配げに言うハイジに、験也さんは苦笑する。
「まぁ……ちょっとつてがな」
その言葉で俺とハイジは察した。験也さんの交友関係は華やかだ。どっかの社長とか会長とか売れっ子芸術家とか王族の三男とかの友達が普通にいる。そーいえば前、学生時代にヤクザの跡取りと知り合ったとか言ってたような。
まぁ本人がおぼっちゃんらしいからなぁ。詳しくは話してくれないけど、ちょっとした所作にそこはかとなくお育ちの良さみたいのが滲み出ることがある。
ハイジは綺麗な作り笑顔で、さすが験也さんかっこい~と手を叩いた。
「囃すなよ。あぁ、一応橋間にも聞いておきたいんだが、今回のことはお前らには関係ないんだな?」
威圧感のある口調で念を押すように験也さんは俺に尋ねた。
「もぉ、だからないってぇ。俺がそう言ってるのにしつこいなぁ、験也さんってば」
ハイジがべたーとローテーブルに伏せながら言う。その疲れたような言い方が気になって、ハイジの顔をよく見てみると、案の定目の下にうっすらクマができていた。
基本的にこいつは夜遊びしたってなかなかこんなものはできない。相当参ってるんだとわかった。験也さん、恵登が絡むと結構容赦なくなるからなぁ。質問責めにされたんだろう。あぁ、だから俺が呼ばれたのか。験也さんを納得させるために。
「俺が知る限りでは誰もヤクザと問題起こしたことはないですね。マギダンの裏に死体があったのは単に偶然じゃないですか。ここ繁華街から近いし」
「……そうか。ならいい」
験也さんはため息をつき、口の端を上げて少し笑った。棚からカクテルグラスを二つ取り出し、カウンターの上に置く。
「なんか欲しい酒あんなら一杯だけ出してやるぞ。どうする?」
「わぁ、じゃあ俺、キスインザダーク」
ハイジが即答する。
「お前それ好きだなー。橋間は?」
「俺はいいです。ハイジの相談乗るっつって家出たんで、もう帰んないと。明日も学校あるし」
「そうか。お前は真面目だな」
偉いぞ、と言う験也さんに、ハイジは唇を尖らせ抗議した。
「え~、俺も超優等生ですよぉ? 成績いいし生徒会やってるしぃ」
「ハイジは根が不真面目なんだよ」
笑いながら験也さんはカクテルを作っていく。
ハイジの口が何か言いたげに開かれて、閉じた。
「じゃあな」
俺は声をかけて裏口から外に出る。
何事もなくて良かった良かった。ヤクザの接触は恵登にとってストレスだったろうけど、ちょっと喋れば恵登が全然関係ないただの発見者なことはわかったろうし、験也さんが裏から圧力かけるみたいだからこれ以上めんどくさいことにはならないだろ。
殺人犯を追うのは警察の仕事だ。死体がチーム絡みのものでない限り、俺たちの間では、これでこの話は終わりだな。
冷たい秋風に頬を切られながら、家路を急ぐ。来る途中にいた変な奴のことが気になって同じ所でまた振り返ってみたけど、今度は誰もいなかった。
私の不良知識の貧困さが如実にわかる夜パートです……。
とりあえず「そんなバカな」っていう中二設定をやってみたくて。
験也さんは中二設定の塊みたいな人。