序章 少女転落
●登場人物のなかにかなり偏った思考の持ち主がいます。作者本人の考えではございませんのであしからず。
●それなりの暴力描写がございます。苦手な方はお気を付けください。
序章 少女転落
平凡な日常だった。
何の変哲もない親から生まれた俺はやっぱり何の変哲もなく育ち、特出した特技も類まれなる才能も発揮できずにただだらだらと日々を過ごす。
仲のいい友達はいるしなんとなく好きな女の子もいる。人に嫌われるほど負のスペックを持っているわけでもない、これは満足すべきことなのだろうけど。
俺は俺が、俺こそがこの世界に必要だっていう、確たる証拠が欲しいのだ。――なんて、思春期全開なことを思ってみたり。生きる意味とか死なない理由とか、きっと本当はそんなもの滅多に存在しなくて、考えちゃったら終わりなことだ。
世界を救うヒーローは何百人もいないし、超頭のいい科学者とかセンス抜群の芸術家だって一握りの選ばれた人たちだけがなるんだ。それ以外はただのモブ。エキストラ。どーでもいい、存在。
俺はそーいうのにはなりたくなくて、でも結局ならざるを得ないんだろうなぁと思う。まぁいいんだけどさ。これはこれで楽しいし。
昨日見たテレビの感想言い合ったり、誰かが先生に叱られてんの横目で見たり、宿題終わんねって焦ったりバレンタインに義理チョコしかもらえなかったり。
たまに音楽番組チェックしてこの歌いいなって思って、でも友達には意外に不評。夜遅くまでゲームして母さんに怒られてゲーム機隠されて。
そういう日常も悪くはない。悪くはないんだけど、なんかなぁ。
俺のやりたいことじゃない、みたいな。本当はもっと凄いことできるんじゃないかって、思っては自分で打ち消す。凄いこととか、はは。
まぁ要するに普通の男子高校生だったのだ、俺は。
そんな奴どこにでもいるよって感じの。
石を投げれば当たるぐらいに平凡な。
平凡な、はずだったのだけれど。
「……なにこれ」
目の前に転がる奇怪なものを呆然と見つめ、俺は呟いた。
蛍光ピンクの衣装に身を包んだ小学校高学年ぐらいの女の子。おもちゃっぽいちゃちなピンクのステッキを片手に、「えーん、いたい~」と泣き声混じりの可愛らしい声を出す。
首元には白いチョーカー、頭には王冠みたいな形の髪飾り。眼に痛いやはりピンクの髪を二つ縛りで腰まで垂らしたこの美少女は、いきなり空から落ちてきて、俺の頭に衝突したのだ。
当然俺も頭が割れるんじゃないかというほどの痛みを味わい、しばらく頭を抱えて悶絶していたのだが、やっとなんとか目を開けられる程度まで治まったと思ったら目の前にはこのピンク少女が。
なんだろう。幻覚でも見てるのかな、俺。大丈夫か? 頭打って変なことになってないか? 前読んだなんかの漫画で、事故ったあとに普通の人間が化け物に見えてロボットが人間に見えるようになるって話があった気がする。もしかしてこれもそんな……。
いや待て、そもそも空から落ちるってなんだ。……どうやって? 周りに高い建物なんてないのに。
混乱のあまり立ち上がるのも忘れてピンクの少女を見つめていたら、少女は俺の視線に気づいて恥ずかしそうに照れ笑いした。
「あっ、えっと、はじめまして! あたし、レイラ・ルクロドシークっていいます。第三十九代ルネネ星の王女、魔法少女レイラちゃんですっ! よろしくねっ☆ご主人様!」
こて、と可愛らしく首を傾げる。
……ご、ごしゅじんさま?
て何。
あれか、あのメイドさんがどーたらいう萌え萌えな……オタク的な? いやちょっと違うか。
だいたい、この星マークとハートマークが飛びまくってるかのようなやたらハイテンションな自己紹介はなんなんだ。魔法少女って。確かにそんな感じだけども! 現代日本でそんな馬鹿な。いや現代日本だからこそ?
ますます何が何だかわからなくなる。
思わず左手でこめかみの辺りを押さえていたら、自称魔法少女が邪気のない様子でとことこ近づいてきて俺の足元に立ち、おずおずと言った。
「あのあの、会ったばかりでごめんなさいなんですけど」
「……何?」
「レイラちゃん、おなかすいちゃいました……」
ぐうぅ、と図ったようなタイミングで音がなる。途端に真っ赤になる少女。か、可愛いなおい。
基本的に子供ってのは無条件に可愛いもので、それが容姿の整った女の子ともなるとなおさらなのである。
だから俺が、とりあえず全ての疑問をうっちゃって、咄嗟に「ファ、ファミレス……行く?」って聞いちゃったのも自然なことなのだ。けして危ない人とかロリコンとかではない! うん、けして!
その後ふらつきながら立ち上がり、差し出した俺の手を、少女は何の躊躇いもなく満面の笑みで掴んだ。
いいのか。いまは危ないんだぞ。知らない人とかにそんな簡単についてっちゃ駄目だぞ。しかしまぁ、自らを魔法少女と名乗り初対面の男をご主人さま呼ばわりするほうが危ないっちゃ危ない。今流行りの中二病ってやつかな。どう見ても中二にはなってないけど。
「それでー、レイラちゃんはおとーさまに任命されて、地球支部の親善大使になったのですっ☆ でもでもそれには、地球でいろいろ助けてくれる人が必要で――だから、ご主人さまにお願いしたいなって」
俺と手を繋いで歩きながら、レイラちゃんはよくわからない話を繰り広げている。
「あ、もちろんちゃんとごほーししますよっ☆ レイラちゃん、こーみえても家事は得意なのですっ。フレンチトーストも作れますっ」
えへん、と小さい胸を張って言うがそんな威張れるほどの料理じゃ……あとちっちゃい子がご奉仕とか言わないでくれ。マジで変な人に狙われちゃうって。
「えーと……いろいろ助けるってどういうこと? 君、お母さんは?」
尋ねながらファミレスの自動ドアをくぐる。さすがにファストフード店みたいに二十四時間ってわけにはいかないけど、ここのファミレスはかなり早くからやってるのでこういうときには便利だ。こういうときがそう何回もあるもんじゃないのはともかくとして。
平日の朝早い時間、制服姿のまま店に入るのは抵抗がある、が、しょうがないよな、あとで事情を話せば先生もわかってくれるだろ。お腹を空かせた危なっかしい子供を道端にほったらかすなんて真似は俺にはできない。
「おかーさまは、レイラちゃんがちっちゃい時にいなくなっちゃってぇ……」
寂しげに眼を伏せる少女に、俺は慌てて謝った。
「あっ、ご、ごめんな、なんか無神経なこと聞いちゃってっ。そうだ、さっきお父さんって言ってたろ、お父さんは?」
「おとーさまは――」
「いらっしゃいませ、二名様ですかー、おタバコはお吸いに……なりませんねー」
割り込んできた営業スマイルの店員さんに案内され、隅の窓際の席に座る。
「なんか欲しいもの頼んでいいよ。あ、できれば八百円以内で」
小さい子相手にあんまりセコいことは言いたくないんだけど、今は手持ちが少ない。今日は学校行くだけだと思ってたから、予備の財布しか持ってないんだよなー。
「うんっ、ありがとうございますっ! あ、あのねあのね、レイラちゃんこれがいいかな……」
そう言っておずおずとレイラちゃんが指差したのは、大盛りのチョコレートパフェだった。確かに八百円以内だけども。
「お腹すいてるんだったら、デザートじゃなくて普通に食べられるもんがいんじゃない?」
「えー、うーん、そっかなぁ……」
さきほどのきらきらした目とは一転、悲しそうにメニューの中の綺麗に撮られたパフェを眺める。
そんな姿を見ているといいよって言ってあげたくなるけど、でも栄養が……あ、
「これなんかどう? お子様ランチだって。オムライスもハンバーグもあるよ」
一つのプレートにいろいろ盛られた華やかな写真を見せると、レイラちゃんは激しく瞬きしてそれに見入った。
「これ……おいしそうですねっ。旗が立ってるっ☆ あ、なんか模様がマギル星人のおなかみたい……これって地球版の回復魔法ですかっ?」
「回復? えーと、うん、まぁ体力は回復するかもね」
「わぁっ☆ レイラちゃんこれにします! ご主人さま大好きっ☆」
「いや、別に……ていうかそのご主人さまってのやめて」
「え? なんでですかっ?」
不思議そうに俺を見上げるレイラちゃん。
それはさっきから周りの目が痛いからだよ……。
蛍光ピンクの少女を連れてるってだけで相当奇異の目を向けられるっていうのに、さらに『ご主人さま』なんて呼ばれてた日には……完全に変質者扱いだ。
しかしこの自称魔法少女にそんなことを言ってわかってもらえるだろうか。「ご主人さまの敵はレイラちゃんがやっつけてあげます☆」とか言いだしそうだ。うーん。
一瞬の躊躇ののち、俺は彼女の設定にのっかることにした。
「ち、地球ではそーいう決まりになってるからだよ。ご主人さまなんて口にしたら逮捕されちゃうんだ」
「えっ! そーなんですか!? きゃあ、レイラちゃん危ないところでしたぁ! 教えてくれてありがとうございます☆」
何の疑いもなく少女は俺の言ったことを鵜呑みにする。素直でいい子だよな……。ちょっと変だけど。
レイラちゃんと一緒にメニューを眺めているうちに、俺も何か食べたくなってきた。さっき朝食食べたばっかなのに……成長期って怖い。
店員さんを呼んでお子様ランチとドリアを頼む。レイラちゃんの途切れなく続く魔法界での失敗談を聞いていると、ぴるっと携帯の鳴る音がした。あ、俺の?
「吉行か。うわ、ヤバ」
親友からのメールだった。内容を見て顔を引き攣らせる。
『お前なんで学校こねーの? 今日休み? もしやずる休みか? おばさんに電話かけちゃうぞ(笑)』
まずいまずい、早く返事しないと帰ってから母さんに怒られる。頼むから電話はすんなと携帯に打ちこみながら、好奇心いっぱいの顔で俺と携帯を見比べるレイラちゃんに尋ねた。
「あのさぁレイラちゃん、俺、これから学校ってとこに行かなきゃいけないんだけど、ご飯食べたら一人でお家帰れる?」
「お家? 帰れないですよ? レイラちゃんは使命を果たすまでは帰っちゃダメって言われてるのです☆」
「え、嘘。なんだそれ。じゃあ今日どこに泊まんの」
「えー、それは……」
レイラちゃんはにこっと愛らしい笑顔を浮かべて言い切る。
「ごしゅじ――じゃない、おにーさまのお家ですよ☆」
その呼称はそれはそれでヤバいような気がする。
――じゃなくて!
「な、なんでそんなことに……あのさ、お父さんとはぐれちゃったなら警察の人に言えば探してくれるから――」
「もうっ、違いますってばぁ。レイラちゃんは修行中なのでまだおとーさまには会えないんですっ」
むぅっとレイラちゃんは頬を膨らませる。
「人の話はちゃんと聞かないと神様に怒られちゃうですよっ」
「え、えぇー、うーん……ごめんね。でもさ、君を泊めるわけにはいかないよ。第一俺、家族いるからそんな大事なこと一人で決められないし」
「えっ」
レイラちゃんは虚をつかれたような顔になり、悲しげに俯いた。
うわ、なにこの罪悪感。俺悪くないよな!? 普通だよな! だって今の時代見知らぬ少女をいきなり家に泊めるって……うん、ないないありえない。これで俺が女だったらまた少し話は違ったかもしれないけど、いくら家族もいるとはいえ、てゆーかその肝心の家族に怪しまれるって、ねーちゃんにすっげぇ軽蔑した眼で見られそう! やっぱ駄目だ、うん。
しかしその決意も、潤んだ瞳で上目使いに見上げてくるレイラちゃんを見るまでだった。
「おにーさまは、レイラちゃんのこと嫌いですか……?」
か細い声。守ってあげたくなるような頼りなげな風情。震える指先。
――さ、逆らえるかこんなん。
「き、嫌いじゃないよ、もちろん!」
慌ててフォローすると、レイラちゃんはぱぁっと花がほころぶように笑い、涙の粒を睫毛につけたまま言った。
「きゃあっ。ありがとうございます☆ じゃあじゃあ、今日から居候させてもらいますね! よろしくおねがいしますっ☆」
「……居候?」
なんかただ泊まるよりもグレードアップしてるんですけど。
困ったことになったなぁとため息をついていたら、「お待たせしましたー」と料理が運ばれてきた。ウェイトレスの女の子の半笑いが気になる。
「わぁ☆ おいしそうですねっ」
無邪気にご飯の山をお箸で突っつくレイラちゃん。かわいーなぁ。かわいーって得だよな、かわいーから色んなこと許せちゃうし。もしこれが厳つい大男だったりしたら絶対通報してた。思うと同時に、うっかりレイラちゃんみたいに蛍光ピンクのワンピースを纏った大男を想像してしまい、吐き気が込み上げる。駄目だ、なんつー視界の暴力。しっかりしろ、俺。
……まぁ、いいか。とりあえず食べてから考えよう。
皿に向って手を合わせ、フォークを掴む。
しかし、まさか俺みたいなザ・平凡って奴にこんなことが起こるとは。十中八九、レイラちゃんはなんか勘違いしてる女の子だけど、もし本当に魔法少女だったらすげーし。
あ、このドリアうまい。ここのファミレスの料理は、値段の割にはまぁいい線いってると思う。向いではレイラちゃんがハンバーグに喜びの声を上げている。
俺と蛍光ピンクの美少女は、笑い合って、なんかよくわからんほのぼの空間を形成した。
「こんちは、はじめまして。可愛いねー、名前なんてゆーの?」
かがんで少女の背丈に目線を会わせ、爽やかな高校生は問いかける。
いかにも性格良さそうなこいつは実際性格が良く、面倒見も良い。平野吉行、俺の親友だ。
友達は何人かいるけど親友って呼べるのは吉行しかいない。特別目を引く人気者じゃないけど仲良くなるうちにめっちゃ好きになる、そんな奴。
だから地味に何人かに告白されたりしてるらしい。ちくしょう。でも羨ましがられはしても妬まれはしないのが吉行の凄いところだ。みんななんか、吉行のことは嫌いになれない。
さっきファミレスにいたとき、ドリアをぺろっと平らげた途端吉行から電話がかかってきたのだ。
「清馬、お前なにやってんだよ~。病気じゃないけど非常事態ってなんなん。あんな短い文章じゃ心配するだろ」
「あ、ごめん、いやあの、俺もちょっとテンパっててさ。いろいろ考えることあって……」
「ふぅん? 今どこいんの?」
「今? ファミレス」
「え、なんで」
「成り行き上……小学生の女の子と飯食ってる」
「はぁ?」
不思議そうな声。そりゃそうだ。俺だって誰かに説明してほしい。
「なんか……よくわかんないんだけど、空から降ってきて、魔法少女で、今日から俺の家住むって」
「……えっと、もう少し詳しく話してくんない? あとお前そーいう趣味あったっけ」
「趣味じゃない! 本当なんだよ全部。ほかに言いようがないんだ」
「えー……。うーん。わり、俺全然状況がつかめないわ」
申し訳なさそうに言う吉行に、とりあえず学校終わったら家に来てくれないかと言って電話を切った。それまでレイラちゃんは俺んちでゲームでもさせとこう、と決めて。あれが嫌いな子供はいない。
そして今、放課後。
結局俺は学校には行かず、レイラちゃんとずっとお喋りしてた。
最初は、こんな魔法があるなんて、とゲームに感激していたレイラちゃんは、けれどすぐにコントローラーを手放してしまい、「おにーさまとお話したいです……」とまたあのうるうる目で俺を見上げてきたのだ。
控えめに言ってもかなり可愛かった。大仰に言うなら天使だった。マジでこんな子が妹だったらなぁ、とうっかり思ってしまったぐらいだ。
レイラちゃんの話は相変わらず意味不明だったけど、俺の言うこともちゃんと聞いてくれるし、世間知らずで純粋な性格に凄く癒される。
だから吉行が来た頃には、俺の気持ちはもう、とりあえずなんか事情があるみたいだし一週間ぐらいは家に置いてもいいんじゃないかな、ってとこまでいっていた。
「うーん、確かに可愛い子だけどね」
自己紹介を済ませた吉行は、レイラちゃんから離れた所に俺を引っ張っていき、小声で言う。
「もしかしたら家出かもしれないし。親御さん心配してるんじゃないの? もし本当に追い出されたんだとしたら、虐待でしょ。どっちにしても俺達だけでどうこうできる問題じゃないよ。一応今日はここに泊まらせるとしても、ちゃんとこっそり警察とか児童相談所に相談した方がいい。まぁその辺はおばさんがわかってるだろうけどさ」
さっきまで吉にーさまと呼ばれてにこにこしてた奴とは思えないほど真剣な顔だ。
でも確かに、現実的に考えればそうなんだよな……。レイラちゃんのふわふわした空気に流されて、夢見がちになってたかも、俺。
「そうだよな、うん。なんかマジで魔法少女な気がしてきちゃって……」
「うーん、ま、完全にあり得ないとは言えないけどなぁ」
ははっ、と吉行は人好きのする笑顔を浮かべる。
「それにお前の気持ち、わかるよ。レイラちゃんってあんま悲惨な感じしないしな。俺の妹と違って可愛いし」
「え、舞ちゃんだって可愛―じゃん」
「猫かぶってんだよー。あいつ俺には容赦しねぇぞ。飛び蹴りかましてくんぞ」
「マジ?」
そうは見えないけどなぁ。まぁ吉行が嘘つくわけないし、そうなんだろう。前吉行ん家に行ったときに会ったおしとやかな女の子を思い出し、女子ってこえーなーと思った。
「あ、吉行、悪ぃんだけど、もうちょっとしたら母さん帰ってくんだ。一緒に事情話してくんない?」
俺の方がレイラちゃんと長く一緒にいるとはいえ、吉行の方が断然上手く説明できると断言できる。母さんの受けもいいし。
吉行は本来なんの義理もないんだからめんどくせーって帰っちゃってもよかったんだけど、いいよって二つ返事で引き受けてくれた。やっぱいい奴だ。
結論から言うと、レイラちゃんはかなりの好意を持ってうちの家族に迎えられた。
もちろん最初は母さんもねーちゃんもびっくりして戸惑ってたけど、レイラちゃんが明るくていい子なのですぐ打ち解けたようだ。
いつもはクールなねーちゃんが「あたし本当は妹が欲しかったの~」とでれでれになっていたのには驚いた。
もう遅い時間だから、警察に相談するのは明日にして、とりあえず今日はレイラちゃんはねーちゃんの部屋で寝ることになった。
「もー、レイラちゃんたら髪の毛ピンクなのに超いい手触り! 羨ましいぞー!」
「きゃー! おねーさま、苦しいですぅ」
酒も飲んでないのに酔ったようにはしゃいでいるねーちゃんに抱きしめられながら、寝室に向かうレイラちゃん。
なんというか、賑やかだ。ちっさい女の子が一人増えるだけでこんなに違うんだなぁ。
俺と一緒に微笑ましげにその光景を眺めていた母さんは、表情をそのままに俺に向き直った。
「……え、な、なに?」
「んーん。うふふ、今日はいろいろびっくりすることがあったわねぇ」
しみじみと言う。何故だか少し嬉しそうだ。
「ごめんな、いきなりこんなことになって」
「そうねー、でもしょうがないわ、子供は放っておけないもの。レイラちゃんは可愛いし、ありさもあんたも楽しそうだし、吉行君にも頼まれちゃったしねぇ。レイラちゃんの事情はよくわからないけど、ちゃんと親御さんのところに帰れるといいわね」
「そうだな」
いくらレイラちゃんが可愛いとはいえうちにずっと置いとくわけにはいかない。レイラちゃん家の問題があんまり深刻じゃないといいんだけど。でも、解決したあともたまに遊びに来てくれたら嬉しいな。
そんなことを思いながらぼーっとしていたら、母さんに頭を撫でられた。え、えぇ!?
「な、なに」
小六ぐらいのときにはもうこんなことされなくなってたのに! 慌てている俺に母さんは満面の笑みを向ける。
「あんたが優しい子に育ってよかったなぁ、って思ってるのよ」
慈しむような母親の目で、母さんは俺を見つめた。
小さい頃、ちょっとしたことでいい子いい子って誉められたときみたいなほわほわした空気に、俺は恥ずかしくなって赤面する。
「まぁ、だって、あ、あたりまえだろ」
「でもめんどくさいって見捨てちゃう人も多分いるわよ。だからね、お母さんは嬉しいの。あんたはそのまま、他人のことを思いやれる、優しい子でいてね」
「……おぅ」
手放しに誉められて居たたまれなくなり、視線を逸らしながら小さく返事すると、母さんはからからと笑った。俺は照れ隠しにせんべいを口一杯に頬張る。
静かで穏やかな夜だった。
「ピンクの髪の女の子ねぇ。捜索願いは出てないですよ」
手帳を見ながら小太りの警官は言った。
「見つけたのが昨日ってことですし、まだ家出と認識されてないのかもしれませんね。とりあえず正確な本名と年齢と住所を聞きだしてください。魔法の国ってのは、さすがにねぇ。まぁその年頃じゃよくあることかもしれませんが」
「そうですよねぇ」
姉ちゃんは困ったようにため息をつく。
「すっごくいい子なんですよ。でも絶対に、住所を言おうとしなくて。知らないってわけじゃなさそうなんですけど」
「はいはい、ま、しょうがないですね、児童相談所で預かってもらうのが一番だと思いますよ。上司や同僚にも聞いてみます」
「よろしくお願いします」
「じゃああなたの連絡先を教えてください。私も名刺お渡ししますんで、何かあったら電話してください」
「わかりました。ありがとうございます」
ほとんど姉ちゃんと警官だけで話が進んでいる。俺いる意味あったのかな。まぁレイラちゃんみつけたのは俺だけどさ。
帰り道、姉ちゃんは不思議そうに首を傾げながら言った。
「でもいくら一日しか経ってないっていっても、あんな小さい子が家に帰らなかったら心配するわよね。あんまり家に帰らないような忙しい親なのかな」
「うーん」
虐待とかネグレクトされてるってわりにはレイラちゃんは元気すぎる。着てる服は奇抜だけど新しそうだし、汚れてもいない。
だけどピンクの髪で、実家は魔法の国で、家を追い出されて帰ることができない。
……なんか、よくわかんないなぁ。もうちょっとレイラちゃんと仲良くなれば、打ち解けて詳しく教えてくれるようになるんだろうか。
だらだら歩いてると、見慣れたコンビニの看板が目に入った。
「あ、俺シャー芯切れてんだった。買ってくるから姉ちゃん先帰ってて」
「わかったー」
姉ちゃんと別れて、コンビニに入る。いらっしゃいませーという店員の声を背にシャー芯を選び、ついでにお菓子コーナーに近づいた。
レイラちゃんケーキ好きかな? プリンのが無難かな……でもケーキ美味そうだし……うーん。
迷った末、俺はイチゴのショートケーキ一つと、プリン二個、大福一個を選んだ。
プリンは俺と姉ちゃん用、大福は母さん用だ。あ、父さん今日出張から帰ってくんだっけ。じゃあ……えーと、辛いもんかな。
せんべいコーナーで柿の種を手に取り、レジに持っていく。沢山持つのキツい。かご使えばよかった。
代金払って、レシートとお釣りもらって、袋を揺らさないように気をつけながらコンビニを出る。俺、袋持ってるとついつい振り回しちゃうんだよな。前それでケーキぐちゃってなって姉ちゃんにめっちゃ怒られた。
ファミレスにいた時きらっきらした目でパフェの写真に見入っていたところからみるに、レイラちゃんは甘党だ。もし欲しそうにしてたら俺のプリンも半分分けてあげよう。可愛い女の子の笑顔ってそれだけで癒される。
玄関の鍵は掛かってなかった。まぁそりゃ姉ちゃんが先に帰ったわけだしな。
「ただいまー。レイラちゃん、ケーキ買ってきたよ。手ぇ洗ってき……」
え?
……なんだこれ。
思わず二度見する。家の中は盛大に荒らされていた。倒れた食器棚、粉々になって散らばる皿、傾いだテーブル、スプリングが飛び出て埃まみれのソファ。家を出たときとはまるで違う、自分の家とは思えないほどの異世界。
泥棒? いや、それならここまで荒らす必要は――というかこれは、この赤いモノは、なんだ?
ペンキをぶちまけたかのような赤い痕が部屋中に散っている。そしてなんともいえない鉄臭い匂い。……そうだ、母さんは?
姉ちゃんはどうしてる? なんで出てこない? こんなに酷いことになってるのに。――出ないんじゃなくて、出れない? 赤い水たまりの中に鈍く光る金属が見えた。母さんの結婚指輪に似てる。なんであんなところに――
「……は、え?」
よろよろと近づいて拾い上げる。ぬるりとした赤い液体の間から青い石が見えた。私の誕生石なのって、嬉しそうに笑ってた母さんの笑顔が蘇る。綺麗に輝くサファイア。
「……ぁ、」
いやだ、考えたくない! そんなはずない、そんな馬鹿なことあってたまるか、きっと今日は外したまま忘れて家を出たんだ、だってそんな、ありえねーよ。
――でも(止めろ考えるな)この惨状は(止めろって)どう見ても(考えすぎだよ大丈夫大丈夫大丈夫きっと)――
きっと何もない。だってそんなのありえない、俺は普通に暮らしてただけなのに。誰にも恨まれたりしてないしこんなことが起こる兆候どこにもなかった。うちにはたいして金目のものなんか置いてないから、泥棒が怒って八つ当たりしてったんだ。そうだよ、そうでなきゃなんでこんな……。
あ、連絡、連絡しなきゃ。とりあえず電話しよう。えっと、まず母さん、そんで姉ちゃん、最後に警察。うん、それでいいや。父さんはまだ帰ってきてるかわかんないからあとにしとこう。
ズボンのポケットから携帯を取り出す。冷静になったつもりだったのに手がびっくりするぐらいぶるぶる震えてて、携帯は床に落ちた。
「……っ!」
落ち着け、落ち着け俺、大丈夫だよ、ちょっと電話するだけじゃんか。
幸い携帯が落ちた場所には赤い液体はついてなかった。しゃがんで携帯を拾い、アドレス帳から母さんの番号を呼び出す。トゥルルルル、トゥルルルル、と呼び出し音が鳴る。
途切れなく、鳴る。
――全然止まらない。いくら待っても母さんは電話に出ない。
どくどくどく、と心臓が動きを速めるのを感じた。
俺は、携帯を耳に押しつけながら握りしめ、どうしたのって母さんの声がするのをひたすら待つ。悪い考えが次から次へと噴出してきて止まらない。
もしかして、もしか、して、もしかしてもしかしてもしかして――
「あっ、おかえりなさいご主人さまっ☆」
背後から場違いなまでに明るい声が聞こえた。
俺は恐る恐る振り返り、想像通りの可愛らしい女の子がいることを確かめる。
「レイラちゃん……これは」
「なんちゃってっ」
レイラちゃんはにこっと笑った。その明るく無邪気な笑顔に少しほっとし、俺は一瞬これは全て俺を驚かすための冗談なんじゃないかと思う。少女は赤い水たまりをものともせず、飛び跳ねるような歩き方で俺に近づいた。
「うふ。信じちゃった? 信じちゃった? やだ、清馬くんったら超イイヒト! 魔法少女なんかいるわけないじゃーん。もう、お人よしなんだからっ」
しょうがないなぁ、というような口調で俺の腕をはたく。
「……は?」
「え、まだわかんないの? 要するにぃ、レイラちゃんが言ってたことはぜーんぶ嘘だったってことだよ! あなたの大切なお母さんもお姉さんも帰ってきたお父さんも遊びに来た吉行君もみんな殺しちゃった。これであなたは一人ぼっちよ。うふふ、私と同じ!」
……な、
「なにを、え……?」
「ちょっと、さすがに鈍すぎない? 怒るよ?」
蛍光ピンクの服を着こなすレイラちゃん、いや、レイラちゃんのフリをしていたモノは冷たい眼で戸惑う俺を射抜く。
「これだから不抜けた人間は嫌いなのよ。何の覚悟もないくせに簡単になんでも受け入れちゃって。ほらほら、見て御覧、これがあなたの母親の中身、これが吉行君の脳みそ。汚いね。あはははははは!」
テーブルの下に転がっていた塊を無造作に引きずり出して俺に突き付けてくる。そのグロテスクな形状と異臭に思わず顔を背けると、少女は馬鹿にしたようにはっと笑った。
――止めてくれ。これは夢なのか。こんな酷い現実があるわけない。
体ががくがくと震える。熱いものがこみ上げてきて、涙が止まらない。気持ち悪い。きもちわるいきもちわるいきもちわるいなんだなんなんだよこれ、知らねぇよ、覚悟なんてねぇよそんなん、吐きそうだ!
「居間だけじゃないよ、清馬君の部屋もお母さんの寝室も全部血まみれなの。みんなびっくりした顔してたな、信じられない、みたいな――あなたのこと恨んだかもね。こんな殺人鬼を連れてきて、って。そうよ、全部あなたのせいだもの」
足が限界を迎え、ついにがくりと崩れ落ちた。
背中を壁にもたせかけ嗚咽を漏らす俺を、少女は何の感慨もない顔で見下ろす。
「なんか言いたいこと、ある?」
「……ふ、ひくっ、は、ぁ、な、なんで……!」
涙も鼻水も垂れ流しながら俺は必死に声を振り絞って少女に問いかけた。
「こん、な――」
「気に食わなかったからよ」
一言で片づけられる。あまりの理不尽さに言葉を失った。
「あなたいい人よね」
今まで見たこともないような、およそその幼い顔には似つかわしくない表情で少女は笑った。
「彼もあなたもあなたの家族もお人好しで――邪気がなくて優しくて、なんにも知らないの。私、そういう人を見てると駄目なのよ」
暗い憎しみを湛えた瞳を燃やし、口の端を吊り上げる。
「ぐちゃぐちゃにしてあげたくなるの!」
ドンッ!
少女は右の拳で俺の真横の壁を殴りつけた。
ひるみながらも反射的にそちらを見ると、少女が触れている壁がみるみるうちに黒ずんでいき、ボロッと塗装が剥がれ落ちる。
「……ぁ、な……」
「あぁ、怖がらないで。別に私が凄い腕力の持ち主ってわけじゃないわ。私は時の魔女、昏行麗羅。全ての時を操り時空を行き来する存在。今のはこの壁の時を進めただけ……難しいかしら? じゃあもっと簡単に言ってあげましょう。私は神よ」
……神?
俺は茫然と少女をみつめた。
神だって? この女の子が? ――いや、女の子じゃ、ないのか。普通の女の子は人を殺したりしない。暗い顔で嗤ったりしない。こんな、追い詰めるように近づいてきたりはしない!
「だから私は捕まらないのよ」
少女は底意地の悪い微笑みを浮かべながら俺の手にそっと包丁の柄を押し付けた。血のべっとりついたそれを受け取れずに落とし、俺はがちがちと噛み合わない歯の根を持て余す。
なんとかしてこの震えを取りたい、恐ろしい少女から逃れたい、誰か、誰か助けてくれ、誰でもいい、お願いだ……!
「あなたが捕まるの」
俺の顔にギリギリまで近づいて少女は言う。もう少しでキスできるんじゃないかというほどだ。あまりに整っている少女の顔に、自分の泣きじゃくっている酷い顔が恥ずかしくなり、羞恥と恐怖でわけがわからなくなる。
「あなたが」
少女は続けた。
そういえば、いつのまにか口調が完全に変わってるな。あぁ、演技してたんだっけ。でもなんのために?
「殺したの」
…………。
「……ぇ、ころ、俺が、え……?」
「そういうことになるのよ、だって私はここからいなくなるんだもの。この血まみれの部屋であなただけが生き残ってる、盗られたものはない、犯人らしき人物はほかにいない、そして少しだけどあなたの指紋がついている転がった包丁。さて、答えは?」
「な、なにそ……」
「ばいばい」
少女の体が薄くなる。色が霞んで、電波の悪いテレビみたいにノイズのような白い線が走る。
消えてしまう!
俺は咄嗟に少女の服を掴んだ。今消えられてたまるもんか、まだなんにもわかってないのに、なんにも、全然知らないのに! 俺が殺したなんてことにされたら困る!
先ほどまで逃げたくてしょうがなかったのに、今は一転して少女を留めようとしていた。
少女は嫌そうにちょっと顔をしかめたあと、一瞬のうちにかき消えた。
「…………あ」
俺は放心し、静かになった殺戮現場の中一人立ち尽くす。
どんな技を使ったのか、もうあの恐ろしい女の子はどこにもいない。右手に残った服の切れ端すら、すぅっと俺の手の中に溶けるようにして消えた。
だらだらと止めどなく流れる涙を拭う気すら起きない。
嘘みたいに赤い血だまりをぼんやりと眺めていたら、ぴんぽーん、と間の抜けたチャイムの音が鳴った。
「ちわー、宅配便で―す」
――数分前まで、俺もその日常にいたのに。
今は酷く、その陽気な声が現実味を欠いて聞こえた。
初めての投稿です。読んでくださってありがとうございます。しょっぱなから暗くてすみません。
個人的には魔法少女、可愛くて好きです。
ただこの小説中の子は『自称』なので、あんまり可愛げはないですね……。