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偽りの君の真実

サキ視点です。

 時は少し遡る。


 気持ちの良い昼下がり。

 荷馬車に揺られながら、サキは本日何度目かのため息を吐いた。


「嬢ちゃん、そんなにため息ばっか吐いてると将来禿げるぞ」


 幸せが逃げるんじゃないんだ、とどうでもいいことのようにサキは思っていた。


 サキは現在、見知らぬ男と二人旅の真っ最中だ。それというのも、まだ陽が昇らない朝早くに牢屋でユイにこう告げられたからだ。


『王宮から出ていってもらいます』


 何でと渾身の勢いで睨み付けてやったが、全く相手にされなかった。


 本当は王宮に残りたかった。

 もう今日しかないのだから。


 一日だけ時間をくれたら王宮を出ていくと懇願してみたが、ユイは聞く耳を持ってはくれなかった。


 サキには拒否権など与えられなかった。

 道中逃げ出す算段をいくつも考えていたが、残念なことに無駄に終わった。

 ユイは、あろうことか監視役に騎士副団長をつけたのだ。そしてまさかの二人旅。逃げられる確率がかなり下がってしまった。


「こんな嬢ちゃんが『異端の魔力持ち』ねぇ」


 隣で馬を操っている副団長は興味深そうにサキを見つめてきた。


 副団長は四十手前の偉丈夫で、人の良さそうな雰囲気で気さくに話しかけてくれることだけが、今のところの救いだった。


「その『異端の魔力持ち』って何なんですか?」

「何だよ、嬢ちゃん記憶喪失かなんかなのか?」


 それだけ一般常識と言うわけか。

 そう考えたサキは、副団長の言葉に乗ることにする。


「記憶喪失です」

「嘘くせぇな」

「じゃあ嘘です」

「それも嘘くせぇ……」


 ではどうしろというのかと眉根を寄せれば、副団長はからから笑った。


「面白い嬢ちゃんだな。まあいい、教えてやろう」


 そうして副団長は『異端の魔力持ち』について説明してくれた。


 魔法は自然に従って行使するもので、それが一般の人々が使う魔法の基本だ。対して『異端の魔力持ち』は自然に従って行使する事もできるし、自然の力に逆らうこともできるらしい。

 極端に言うと、炎を水に変えることが出来るというのだ。

 数万人に一人という割合で現れるその『異端の魔力持ち』は、その特異な力を持つが故に、迫害されることのほうが多いようだった。


「嬢ちゃん、今までよく見つからなかったな」

「『異端の魔力持ち』ってどうして分かるんですか?」

「……人の話は無視かよ」


 そうぼやきながらもちゃんと説明してくれるあたり、副団長はいい人だ。


「魔石が色付くんだそうだ」


 『異端の魔力持ち』が神殿にある魔石に触れるとその黒を他の色に変えるらしい。そのため一発で『異端の魔力持ち』だと認定されてしまうのだという事だった。


「嬢ちゃんの時は何色だったんだ?」

「虹色です」

「……何でそう、堂々と嘘付くんだよ」


 呆れ気味にため息を吐かれてもサキには魔力すらないのだから、おそらく魔石に触れたところで色は黒のままだろう。


「ありがとうございます。ようやく謎が解けました」


 ユイがサキを『異端の魔力持ち』だと勘違いしたのはイシラシの花のせいだろう。

 イシラシの花はもともと白い花しか存在しないのに、サキはその花を薄紅色に変えた。そこにはちゃんと仕掛けがあって、それは誰にでも出来る方法だったのだが、端から見れば自然にある花の色を魔法で変えたように見えるだろう。


 あの時それが分かっていれば弁解の余地もあったのかもしれないのにと思うと、サキは悔しさを抱かずにはいられなかった。


「これで誤解を解くことが出来ます」

「誤解?」


 何の事だと首を傾げる副団長をサキはあっさり無視する。


「私、王宮に帰りたいんです」


 副団長に体を向け、真剣な眼差しで言葉を続ける。


「もう今日しかないんです。引き返してください」

「悪いが諦めろ」


 無慈悲な言葉が返ってきても、サキは諦めなかった。

 諦めないと決め、手放さないと決めたからこそ今こんなところにいるわけだが、それでもまだ時間はある。諦めるのはまだ早い。


「諦めるつもりはありません。レオンハルト様を取り戻すまでは……」


 サキは、レオンハルトが『レオンハルト』としての自分を消そうとしていることが、どうしても納得できなかった。


 のんびりとした雰囲気で、単語での会話が多くて、いつも眠そうにしていた人。


 サキが知る『レオンハルト』とはそういう人物だ。間違っても、冷血無慈悲な性格で最悪に口が悪い『レオルヴィア』ではない。


 今日中にレオンハルトを繋ぎとめる術を見つけなければならないというのに、こんなところで時間を費やしている場合ではないのだ。


「なんだ? レオンハルト殿下がどうしたんだ?」

「え……?」


 サキは副団長が何を言ったのか理解するのに時間がかかった。


「オッサン! 今なんて言った!? 『レオンハルト殿下』って言ったよね!?」

「お前オッサンって……俺はまだ三十七だ!」

「十分オッサンでしょう!」


 騎士服すら着ていない副団長は、傍から見ればその辺にいるただのオッサンだ。

 しかしそんなことはどうでもいいのだ。

 サキが聞きたいのはそんな話ではない。


「レオンハルト殿下(・・)って何!? どういうことですか!?」

「何だよ? もしかして嬢ちゃんは異国の民なのか?」

「ええ、異界の民です。それで話の続きを早く!」

「今なんかさらりと聞き捨てならない言葉があったような……」


 ああもう焦れったい、とサキは若干苛つきながらも副団長の言葉を待った。


「レオンハルト殿下は末の王子だった方だ。レオルヴィア殿下とは双子だったから、顔は殿下見りゃ今だって分かるぞ」


 サキは驚愕の事実に言葉を失った。

 レオルヴィアとレオンハルトは双子の兄弟だったのか。


「末の王子だったって、どういう事ですか?」

「ん? 亡くなられたんだ。七年くらい前に」


 セルネイが一人しかいないと言っていたのはこういうことだったのかと、サキはようやく理解した。


 二人は確かに存在したが、今は片方しか存在していない。


「……レオルヴィア様が、亡くなってる……?」

「何聞いてたんだよ。亡くなられたのは、レオルヴィア殿下じゃなくてレオンハルト殿下だよ」


 副団長はわざわざ訂正を返してくるが、その情報こそが誤りだとサキは知っている。


 亡くなったのはレオルヴィアで間違いない。だとすると、どうしてレオルヴィアとレオンハルトは入れ替わっているのだろうか。


「あの、レオンハルト様ってどういう方だったかご存じですか?」

「ん? まあ俺は十五の頃から騎士やってるからな。二人が生まれたときから王宮にいるわけだし、それなりには――」


 のんびり屋で鈍臭くていつもボーっとしていた、そういう少年だったらしい。

 副団長が話すレオンハルトは、サキが知るレオンハルトとほぼ同じ人物だった。


「だが嬢ちゃん、何でそんなこと聞くんだ?」


 そんな副団長の疑問に、サキはどう答えていいものか少々困った。

 下手な回答をすれば、ユイの時のようにまたあらぬ誤解を生んでしまうかもしれない。そう思ったサキは無難に返した。


「あ、あのレオルヴィア様と双子だったら、性格も同じなのかなと思って」

「ふーん」


 納得したようなしていないような微妙な返事が返ってきたが、サキは気にせず話を続ける。


「それより、レオルヴィア様は昔からあんな感じだったんですか?」

「そうだな。昔からあんな感じだ。レオンハルト殿下以外には」

「お二人は仲が良かったということですか?」

「ああ、まあそうだが……。何だよ、やけに食い付くな。玉の輿でも狙ってんのか」


 無理だやめとけと笑い出す副団長に、失礼なとサキは眉根を寄せた。


「この容姿で玉の輿が狙えるとでも?」

「いや、そこまで自虐的にならんでも……」


 扱いづらいな、と副団長はため息を吐いていたが、サキにとってはどうでもいいことだった。


 副団長はかなり有力な情報を教えてくれた。


 レオルヴィアとレオンハルトが双子であったこと。

 そしてレオルヴィアが七年前に亡くなっているという事実。


 しかしまだ疑問は残る。


 なぜレオルヴィアとレオンハルトは入れ替わっているのか。なぜレオンハルトは『レオルヴィア』になろうとしているのか。


「本っ当にややこしい!」


 いっそ本人を問い詰めてやれば早かったと舌打ちし、サキは昨日の人選ミスを大いに悔いた。


「いきなりどうした? 腹でもすいたか?」

「腹ペコだよ、ちくしょう!」

「そ、そうか……悪かった」


 もう昼を過ぎたというに、朝から何も食べていない状態なのだ。空腹で苛々が増しているというのは否定しない。


 サキが苛ついている雰囲気をダダ漏れにしていると、副団長が荷物を片手で漁って携帯用食料を取り出し、それを投げて寄こしてくれる。サキはそれを落とさないように受け取ると、飢えた獣のように齧り付いた。もちろん副団長はどん引きしていたが、サキは構わず携帯食料を貪り食った。


 そんなサキだったが、心の中は不安で一杯だった。


 何も言わずに姿を消してしまった事になるのだ。セルネイはきっと心配しているだろう。レオンハルトはどうしているだろうか。やはり今も『レオルヴィア』を演じているのだろうから、無理をしていないか心配でならない。


 王宮ではどういうことになっているのかサキには知る術はないが、いなくなった理由など残った者がいくらだって捏造できる。きっとあることないことでっち上げて偽の理由を作り上げていることだろう。

 王宮に帰ったらユイは必ず殴り飛ばすと、サキは心に誓った。


 そうしてしばらく無言の時が流れて少しした時、サキは周りの風景に目をやりながら、ふと口を開いた。


「一つ聞いてもいいですか?」

「何を今さら……」


 先ほどまで質問攻めだったではないかと副団長はため息を吐いていたが、サキは無視した。


 朝から空の荷馬車で副団長とおしゃべりしながらの移動に、サキはかなりの違和感を覚えていた。

 荷馬車であるのに物資は積んでいない。

 副団長とサキだけしかいない。

 先ほどから人気のない森の中を走っている。


 嫌な予感しかしなかった。


「ここって暗殺にはもってこいの場所ですよね?」

「ああ、そうだな」


 否定も何もなかった。

 サキはその潔さに開いた口が塞がらなかった。


 人里離れた場所で二人きり。

 副団長とは言うものの騎士服すら着ていない隣の男。

 質問にあっさり答えてくれる違和感。


 最悪な事態しか想像できなかった。


「この人でなし!」

「お前が話し振ったんだろうが!?」


 即座にツッコミ返されたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。


「こんな可愛い女の子を手に掛けようだなんて最低です!」

「どこに可愛い女がいるんだよ! ここには勘違いした女しかいないだろうがっ」

「騎士モドキに言われたくないんですけどっ!」

「モドキってお前な……」


 強がってはみたものの、思いつく最悪な事態を想像するだけで、恐怖で足が竦む思いだった。


 悔しくて悲しくて、今にも涙が零れそうになり咄嗟に副団長から顔をそむけた。


「お前は……何で行き先を聞かないんだよ」


 そんな言葉とともに副団長からため息が聞こえてきた。しかしサキは顔を背けたままその言葉を無視した。


 行き先なんてサキにはどうでもよかったのだ。ただ、王宮に戻ることばかり考えていたので、目的地には行くつもりはなかった。


 サキは必死に唇を噛んで涙を堪えていた。


 泣くもんか。

 必ず生きて王宮に帰る。


 背を向けたまま返事をしないサキに痺れを切らしたのか、副団長から再びため息が聞こえた。


「全く……こっちは北から帰って来たばかりで、休暇もろくにもらえなかたってのに。何が悲しくて嬢ちゃんのお守しながら里帰りせにゃならんのだ」


 愚痴りだす副団長を尻目に、サキは思わず振り返り、首を傾げた。


「里帰り?」


 何ともこの状況にそぐわないその平和な響きに、サキはキョトンとした顔になる。


「誰の?」

「俺の」


 事も無げに告げられた答えにサキの頭は一瞬思考が止まった。


 王宮から出て行けとは言われたが、里帰りの同行を承諾した覚えはない。というか何故騎士のオッサンの帰郷に付き合わねばならないのだ。


 サキは状況がいまいち理解出来ないながらも、副団長に告げる。


「なんで他人の里帰りに同行しなくちゃいけないんですか。不愉快です」

「俺はお前の存在が不愉快だ……」


 里帰り出来るだけ羨ましい。

 故に不愉快だった。


 しかし今、そんなことは些細なことだ。副団長の里帰りについて行く気は更々ない。身の危険が若干薄らいだ今、サキは些かの勇気を取り戻した。


 サキはこほんと咳払いを一つすると副団長に向いた。


「私をここで降ろしてください」

「ここは賊がよく出るって有名な場所だが? いいのか?」

「……」


 にやりと笑うその顔が何とも憎らしい。しかしここで引いては何もかも手遅れになってしまう。

 もうすぐ夕方だ。

 早く戻らなくては明日に間に合わない。


「それでも構いませんから、降ろしてください。どうしても王宮に帰りたいんです」

「王宮に帰れば死ぬぞ?」


 副団長の顔には、からかったり騙したりといった感情は一切なかった。ただ、真実を告げていると言わんばかりの表情にサキはグッと息を呑んだ。


「ユイから話は聞いてる。王宮に帰って何しようってんだ? レオルヴィア殿下に何かしようってんなら、俺が今ここで殺してやるよ」


 先ほどまでの気さくさは何だったのかと思うほど、今目の前にいる副団長は騎士だった。王家を護り、仕えることを誉とした、毅然たる騎士の瞳がそこにはあった。


 だからこそ、サキは悔しくなった。


 目の前の騎士は、どうして仕えている主が誰なのか分からないのか。

 どうして『レオンハルト』ではなく『レオルヴィア』を守ろうとするのか。


「生きているのはレオンハルト様なのに、どうして彼を『レオルヴィア』と呼ぶんですか」


 訝るような視線が向けられるが、サキは動じなかった。

 彼が名乗った名前は『レオンハルト』だ。サキにとって、それが真実だった。


「みんなして、レオルヴィア、レオルヴィアって。悪いですけどね、私はレオルヴィア様には会ったことなんてないんですよ! ボーっとしてのんびりした雰囲気のレオンハルト様しか知りませんから! 今さら亡くなっている人に手なんか出せませんよ!」

「何を勘違いしているかは知らないが、亡くなっているのは――」

「レオルヴィア様ですよ!」


 勢いに気圧されたのか副団長が黙り込む。サキは零れそうになる涙を必死に抑えながら、副団長を睨んでいた。


 もしかしたら、レオンハルトは周りからそうなるように強要されているのではないのかと思うと胸が痛んだ。

 もしレオンハルト自身の意志が無視されているというのなら、それはあまりにも残酷すぎる。双子だからといって、容姿は同じでも心は違う。強引に入れ替えたところでその人の本質まで入れ替えることなどできはしないのだ。

 サキはそう考えて歯噛みした。

 何故レオンハルトがそんなことをしなければならないのだと悔しくなった。


「悪いが、例えそうであったとしても、俺は殿下を『レオンハルト』とは呼べん」


 無情にも告げられた言葉がサキの胸を突き刺した。


「何で!」

「この国に必要なのが『レオルヴィア』殿下だからだ」

「……っ」


 その言葉はとても非情なものに聞こえた。


 この国に必要なのがレオルヴィアなら、レオンハルトはどうなのだろうか。レオンハルトだってこの国の王子のはずなのだ。だのに何故、レオルヴィアのほうが必要とされているのだろうか。


「嬢ちゃんは、この国の現状を知ってるか?」


 そう言って副団長が語りはじめる真実は、サキの心に衝撃を与えた。


 この国の先王は悪政で国を疲弊させ、現王はそれを立て直そうともしなかった。

 次第に弱体化していく国力に追い打ちをかけるように、近隣諸国は戦争を仕掛けてきた。戦いは敗戦の一途をたどり、大国であったレイヴァーレは一時期では滅びるのではと噂されるほど衰退していった。


 しかしそんな中、王子の一人が膨大な魔力を有していることが分かった。その事実は近隣諸国に対しての抑止力となり、国内では希望の光となった。


 そして現在、政治手腕に長けたイルヴェルトと武に長けたレオルヴィアが国政を担うようになって、ようやく国はもとの勢力を取り戻すまでに至った。

 しかし未だに戦争が終わったわけではない。国境では今でも小競り合いが続いており、近隣諸国は隙を窺っているような状態が続いている。


 大きな戦争が新たに起きないのはレオルヴィアの存在が大きく影響していた。

 魔力量が重視されるこの世界で、誰よりも強大な魔力を持っているということは、それだけで相手を畏怖させる威力がある。

 近隣諸国への牽制を担っているレオルヴィアの存在は、この国にとってなくてはならないモノである事は最早言われるまでもなかった。


 だからこそ『レオンハルト』ではなく『レオルヴィア』が必要だった。


「で、でも、双子だったのだから魔力量も同じなのでは?」


 縋る気持ちで聞いてみたが、その答えは悲しいものだった。


「双子といえど内包する魔力量は同じじゃない。現に、レオンハルト殿下の魔力はイルヴェルト殿下のそれより少なかったらしい」


 語られる事実は、残酷な答えしか示してはくれなかった。


 レオンハルトが『レオルヴィア』であろうとするのは国のためだった。

 回りがそうしろと強要しているのだと思ったサキは、己の愚かさを笑った。


 先ほど副団長に啖呵を切った自分はなんて愚かだったのだろうか。何も知らないくせに言いたい事だけ言って、サキは自分の意見を押し付けようとしていただけだった。


 国のことも、そこに暮らす人々のことも、そしてレオンハルトの事さえも、何も考えてはいなかったのだ。

 サキはただ、レオンハルトが『レオンハルト』として生きていけることを願っていたが、それはあまりにも酷な願いだった。


 レオンハルトは己の立場を十分に理解しているのだろう。だからこそ、あの夜を境に姿を消し、サキの前でも『レオルヴィア』であろうとしたのだ。


 馬鹿だった、とサキは項垂れた。


 結局のところ、サキがしようとしていたことはレオンハルトにとっては迷惑極まりないことだったのだ。

 それを思い知ったサキは、もはや返す言葉を失っていた。


「嬢ちゃんが何を知っちまったかは大体分かったが、ここで王宮に帰れば、本当にユイに殺されるぞ。国王陛下やイルヴェルト殿下に知られたら、それこそ死は免れないだろうな。折角、同類の情けをかけてもらったんだ。大人しく俺の里帰りについて来い」

「同類の情け……?」


 何のことかと首を傾げれば、副団長は困ったように苦笑した。


「ユイもお前と同じってことだ」


 一瞬何のことか分からなかったが、『同類』という言葉で気がついた。


「ユイさんは『異端の魔力持ち』ってことですか?」

「そういう事だ」


 ユイは子供の頃からレオルヴィアに仕えていると王宮で聞いていた。『異端の魔力持ち』が迫害されている世の中で、王子の侍従を務められるというのはそれだけでも誉だろう。

 ユイは国のために、ただ自分の役目を果たしただけだった。ユイもまた『レオルヴィア』の存在を護りたかっただけなのだろう。


「本当は同類じゃないんですけどね」


 その呟きを声にすることはなかった。


 同類と勘違いしてくれたおかげで命拾いした事を知ったサキは、ユイに対して何とも言えない気持ちを抱いた。


 いうなれば、サキは国家機密を知ってしまったようなものなのだ。それなのに、あの場で殺されることなくこうして生きているのだから、サキは幸運だったと言えるだろう。


 『レオルヴィア』が実は『レオンハルト』だと近隣諸国に知れ渡れば、この国は再び戦火に見舞われてしまう。イルヴェルトと『レオルヴィア』であるレオンハルトが立て直したこの国の平和を、サキは壊してしまうところだったのだ。


 それだけ『レオンハルト』に会うのは覚悟のいることなのだとサキは改めて理解した。何も知らず、毎日のように会っていた日々が、どんなに貴重だったのかようやく思い知った。


「私、ずっと逃げ回ってたんです」


 独り言を呟くようにサキは口を開く。

 副団長は口を挟む気はないらしく、黙って手綱を握っていた。


「最初に会った時は、人の部屋に不法侵入してやがりまして、それから何故か追いかけ回されて、逃げても逃げてもめげてくれなくて。捕まったと思ったら眠いとか言って寝ちゃうし。なんかいつもボーっとしてるし、危なっかしいというかなんというか」


 お互いのことを何も知らずに走り回っていたあの時のことは、今では笑える話だった。迷惑だとばかり思っていたのにあの日々を懐かしいと思うのは、サキ自身もあの日々を楽しんでいたからだ。


「なぜか単語で会話するし。結構分かりづらいんですよ、単語の会話って。でも、楽しそうに話すんです。それが分かったら、なんかこっちまで嬉しくなって。それから……えっと……」


 もっと一杯あったはずなのだ。たった数日間のことだったけれど、サキにとってはこの世界ではじめて大きく心が動いた出来事だった。


 何度も何度も聞いた『見つけた』という言葉。

 今度はサキが言うはずだった。

 もう言えない。

 もう、名前すら呼べない。


 その事が一番悲しかった。


「もう分かったから……泣くな」

「泣いて、ません……っ……泣いて……なんか……っ」


 いつの間にか頬が涙で濡れていた。


 レオンハルトに会いたいと思うのは我儘な事だと知った。

 レオンハルト自身が『レオルヴィア』であろうとしているのに、それを無駄にするようなことは、サキにはもう出来なかった。


 『レオンハルト』は意図して消えていく。

 そうすることがこの国にとっての最善であり、この国の幸せに繋がる事だった。


 でもそれはレオンハルトの『幸せ』なのだろうか。


『忘れないでほしい』


 そう言ったレオンハルトは本当にそれでいいのだろうか。


「……っ」


 彼に会いたい。


 レオルヴィアを演じている彼ではなく。

 レオルヴィアであろうとしている彼ではなく。


 もう一度だけでいい。


 あの日、無邪気に笑っていた『彼』の笑顔が、もう一度だけ見たいと思った。


「レオンハルト様……っ」


 その言葉は誰にも届かず虚空に消えた。


 流れる涙は頬を伝い、最早止めることなど出来なかった。

 この気持ちが全て流れ出てしまえばいいのに。そうすればきっと彼が誰であろうと受け止められる。

 そう思うのに、涙は気持ちを攫ってはくれず、さっさと流れて消えていく。


 彼がもう会わないと決めているから悲しいのか。

 もう会えないと知ってしまったから悲しいのか。


 サキにはもう何が悲しくて何が辛いのか分からなくなるくらい、声を上げて泣いた。






◆◆◆◆◆






「鼻水拭けよ」

「こういう、どきは普通……涙を拭げって、いいまぜんがっ……ずずっ」

「いや、お前涙より鼻水のほうがスゲェから……」


 渡されたハンカチを絞れるくらいに濡らしたサキは、最早乾いたところなど存在しないハンカチで鼻水をかんだ。


「すみません、このハンカチは洗わず捨てますから」

「洗っても返されたくないから好きにしろ」


 泣くだけ泣いたサキは幾分か心の重みが軽くなったような気がして、一つ息を吐いた。

 空に目をやれば、陽はかなり傾いている。

 もう会えない。

 そのことが頭をよぎると、胸が苦しくなった。


「スッキリしたか?」

「全然。全く。これっぽっちも」

「……そうか」


 副団長は苦笑すると視線を前方に向けた。


「もうすぐ町に着く。美味いもん食わせてやるから元気出せ」


 そう気遣ってくれる副団長の優しさが今はとても有り難かった。


 副団長は、言葉使いはあまり良くないが面倒見は良いらしい。サキが泣きだしても慌てることはなく、その大きな手で頭を撫でてくれた。その温かい手が心に沁みてサキの気持ちを幾らか楽にしてくれた。


 サキはまだ滲む涙を強引に袖で拭うと、ずずっと鼻を啜った。


「ずっと気になってたんですけど、何で荷馬車なのに空なんですか?」

「ん? ああ、荷物積んで帰るから」


 話によると、副団長の故郷は農業が盛んで、その生産量は国内随一と言われているらしい。そんな故郷を持つ副団長は、料理長たっての願いで、収穫時期に帰郷するときは必ず荷馬車いっぱいの野菜を積んで王宮に帰るのだという。


「てっきり私を殺した後の偽装にでも使うのかと……」

「あ? お前一人殺すのに偽装する必要がどこにある。人知れず殺して死体は谷底に捨てればそれでってバカっやめろ! 蹴るなアホ!」


 サキは話の途中で隣の副団長を何度か蹴った。

 なんて人だ。そんなことをさらりと言われたら違う意味で泣きそうだ。


「何でそんなこと言うんですか! もっと気を使ってくださいよ!」


 少しは身の危険は和らいだと思った矢先にそんな話を聞かされては再び恐怖を感じてしまう。

 サキは頬を膨らませて副団長を睨んだ。すると副団長は、はいはい悪かった、と言って面倒くさそうにため息を吐いていた。


 そうしてしばらく荷馬車に揺られていたが、不意にサキが言いにくそうに口を開いた。


「すみません、止めていただけませんか」


 その言葉に副団長は呆れたようにサキに向いた。


「お前まだそんなこと……」


 サキは副団長の顔を真剣な眼差しで見つめながら、少々切羽詰まった様子で焦り出す。


 止めてもらわないと困る。

 そんな言葉を視線に乗せてみたが、残念な事に副団長には届かなかった。


「お前も往生際が悪いな。諦めろと」

「ああもう、なんで察してくれないんですか!?」


 突然キレだすサキに副団長は眉根を寄せていたが、今のサキはそんなことを気にしている場合ではなかった。


「催しました! 漏らしたくないので止めてください!」

「……わ、悪かった」


 事情をようやく察した副団長は素直に謝罪を返してくると、馬を止めてくれた。

 サキは馬が止まると同時に荷馬車から降りると、茂みの中へと足を踏み入れようとした。


「逃げても無駄だからな」


 念を押すように言われた言葉に振り返ると、サキは副団長を少々睨んだ。


「副団長こそ、私が戻ってくるまでこっち来ないでくださいね。もし来たら頭の毛毟ってやりますから」

「……まだ『殺してやる』と言われたほうが笑えた」


 地味にリアルな響きを持たせた言葉は副団長に効いたようだ。

 サキは脱力している副団長の様子に小さく笑みを浮かべると、茂みの中へと進んで行った。






 用を足し終えたサキは副団長のもとへ戻る途中、しばしその足を止めた。


 今から走れば間に合うかもしれない。

 そう頭をよぎるが、首を振って思いを払う。


 行ってどうするというのか。

 レオンハルトは『レオルヴィア』でなければならないのだ。

 それが皆の願いで、国のためなのだ。


「それでいいの……?」


 聞く者のいない問いは、ただ空しく消えていく。


 そうであれと求められ、そうであろうとする『彼』は、一体どんな気持ちでそれを受け入れたのだろうか。


 どうして『レオンハルト』と名乗ったのか。

 どうして素の自分を晒したのか。

 どうしてサキの前ではずっと『レオンハルト』だったのか。


 そうであった『彼』の心情は一体どんなものだったのか、サキにはもう知る術がない。


「もう、会えないの……?」


 サキがいくら考えようと『彼』の心は彼にしか分からないのだ。


 もっと話をすればよかった。

 逃げずに相手をすればよかった。


 そんな事をいくら考えても、もう遅いのだと知ってしまった。

 後悔ばかりがサキを襲い、悔しさだけが心に残る。

 取り戻せない時間をどれだけ思おうと、虚しいだけだった。


 サキは気を取り直して足を進めはじめたその時、突然近くの茂みが揺れた。


「こんなところに女がいるぞ」

「丁度いいや。捕まえて今日の稼ぎにするか」


 茂みから現れたのは五人の男たちだった。

 男たちは皆一様にサキを値踏みするように見つめ、その口元には下卑た笑みを浮かべていた。


「だ、誰よ、アンタ達……」


 サキは男たちから距離を取るように後退り、嫌な汗を流した。


 見るからにガラの悪そうな男たちはどう見ても通りがかった通行人には見えなかった。

 サキは副団長が言っていた、『賊』という言葉を思い出し、思わぬ非常事態に息を呑んだ。


「大人しくしてれば痛い思いはしなくて済むぞ」

「……っ」


 伸ばされる男たちの手を寸でのところで躱したサキは、咄嗟に踵を返すとその場から逃げた。当然男たちは追ってきたが、サキは捕まるまいと必死に走った。


 副団長のもとに行けば助かる。

 騎士服を着てなくても、ただのオッサンにしか見えなくても、騎士副団長には違いないのだ。


 しかしサキは夢中で走っていたため方向を見失っていた。


「……うわっ」


 途中で木の根に足を取られて転んでしまった。

 すぐさま起き上がろうとしたが、追いかけて来ていた男の一人にそのまま抑え込まれてしまう。


「逃げても無駄だって。大人しくしてろよ」


 サキは恐怖で身を固くした。

 心臓が嫌な感じに跳ね上がる。

 抑えつけている男の手の感触が気持ち悪くて仕方がなかった。


「まあまあな顔だな。おまけに『黒』を揃えてやがるとは、とんだ珍品が手に入ったもんだな」

「コレは高く売れそうだな」


 サキは男たちの会話に驚愕する。

 人身売買の話をしていることは嫌でも分かった。


 サキは逃れようと必死に抵抗するが、抑え込まれた体制から抜け出すことは出来なかった。


 涙が出そうになるのを、奥歯を噛みしめ我慢する。

 泣いても意味はない。助かりたかったら考えろ。

 そう自分に言い聞かせてサキは懸命に抵抗した。


「放して! 放せバカ!」


 恐怖で震える声だったが、声を出せば副団長は気付いてくれるはずだ。

 そう思い、サキは懸命に声を上げた。


「助けて!」

「煩い!」

「――っ」


 頬に衝撃があり、殴られたと気付くのに時間がかかった。

 鈍く痛む頬に涙が流れた。

 理不尽な状況に悔しさが込み上げ、歯を食いしばって痛みに耐えた。


「せっかくだ、売る前に回すか」


 その言葉が耳に届いた瞬間、サキはうつ伏せから状態から無理矢理仰向けにされると、シャツを乱暴に破られた。

 露わになる肌に男たちに卑しい視線が注がれる。

 それを目の当たりにしたサキは吐き気がした。


 伸ばされた手が肌に触れ、サキは戦慄する。


「い、いや――」


 恐怖で身が竦み、声さえうまく出せなくなったサキは、絶望的な状況で彼の顔が脳裏に浮かんだ。


「何やってんだよ」


 不意に聞こえてくるその声とともに、サキの上にいた男が思い切り蹴り飛ばされた。

 何事かと肌を隠しながら見上げると、そこには気遣わしげな表情の副団長の姿があった。


「遅れて悪かった」


 そう言って起きあがるのに手を貸してくれた副団長の存在にサキは涙が滲んだ。副団長はその様子に苦笑を向けてきたが、ここにいろという言葉を残し、男たちへと向かっていった。

 男たちも突然の乱入者に激怒し、各々剣を手に副団長に襲いかかっている。しかし副団長は複数を相手にしているにもかかわらず、軽々と相手をしているように見えた。

 一人、また一人と斬り伏せていく副団長の剣捌きは見事だった。

 襲い来る剣撃をかわしながら確実に相手に攻撃を当てている。


「ただのオッサンじゃなかった……」


 サキは茫然と目の前の光景を見ていた。

 未だ震える足でなんとか立ち上がったが、サキはその場を動けなかった。


 その時。


「来いっ」


 突然、男の一人に腕を掴まれ思い切り引っ張られた。しかしサキはよろめきながらも懸命に踏ん張り、男の手を振り払おうともがいた。


「放せハゲ!」


 別に相手の男は禿げてはいないが、思いつく限りの罵声を浴びせ、腕を振りほどこうと必死に暴れる。男はその抵抗ぶりに渋面な顔つきをしていたが、サキはもう先ほどのような恐怖はなかった。


 副団長という味方がいる。

 それがサキに勇気を取り戻させた。

 一人では怖くて堪らなかったのに、誰かがいてくれることがこんなにも心強くて支えになってくれている。


 ふとレオンハルトのことが頭を過ると、サキはそういうことだったのかもしれないと彼の心情を察した。


 しかし今は現状を打破することが先決だ。

 怖がっている場合ではない。

 目の前で戦っている副団長の足手まといにだけはなってはいけない。


「放してって言ってるでしょ!」


 サキが男の脛を思い切り蹴り飛ばすと、男は痛みに悶絶しながらその手を放した。

 サキはここぞとばかりに男から離れ、距離を取る。


「嬢ちゃんこっちに!」


 その声にサキは従い、副団長のもとへ走る。

 副団長は四人を相手にしていたにも関わらず、息一つ乱さず、怪我もしていなかった。


 サキと合流した副団長が最後の一人に対峙する。


「俺に見つかったのが運の尽きだったな」


 その言葉を聞いた男は副団長に斬りかかって来る。副団長は男の攻撃に合わせて剣を操り、難なく男を追いこんでいく。


 サキはその様子に事態の終結を感じた。


 しかしその時、サキの視界は動く人影を捉えた。

 倒されたはずの男が一人、機会を狙って息を顰めている。


 握られた剣が鈍い光を放っていた。


「副団長!」


 考えるよりも先に体が動いていた。


 その男と副団長の間に割って入るように身を躍らせたサキは、その瞳に白刃の刃を映した。


「嬢ちゃん!」


 副団長の声が聞こえたが、もう遅かった。

 白刃はサキの体を貫き、その血で刃を赤く染めた。


 その光景を、何処か他人事のように見つめていた。


 サキはその瞬間、瞳の奥に残るあの日々を思い出しながらレオンハルトを想った。


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