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君のいない庭

レオンハルト視点です。

 今日はまだ一度もサキを見かけていなかった。


 どこを歩いても姿はない。


 昨日、ユイに話があると言いに来た姿を最後に、レオンハルトはサキの姿を見つけることができなかった。


 もう会いに行くことは出来なかったが、それでもその姿を目にすることは出来ていた。

 懸命に働くサキの様子をただ見ることしか出来なかったが、レオンハルトはそれだけで『レオルヴィア』としてここに立っていられた。


 姿を見られればそれでいい。サキがいてくれるならそれでいい。


 そう言い聞かせてきたというのに、姿を見られなくなった途端に心のざわめきは大きくなった。


「サキ……」


 誰にも聞こえないように小さくその名を口にする。


 嫌われてしまっただろうか。そう思うと、苦い笑みが浮かんだ。


 当然だ。酷いことを言った。突き放した言い方をした。それを言うのにどれ程の痛みが胸を貫いたのか、きっと誰にも分からないだろう。


 『レオルヴィア』であろうと決めたのは自分自身なのに、サキの前では『レオンハルト』でいたいと思うのは、我儘なことだと分かっている。


 レオンハルトは小さなため息を一つ吐くと、執務机から立ち上がった。


「ユイ、少し庭に出てくる。すぐ戻ってくるが、何かあれば対応しておいてくれ」

「かしこまりました」


 そうしてレオンハルトは執務室を後にし、庭に出る。


 夕方近くの暑さが残る午後。

 レオンハルトは庭をあてもなく歩き続けた。

 しかしサキはどこへ行ってもその姿を見せてはくれなかった。


 小屋へ帰ってしまっているのだろうか。少し覗きに行ってみようか。


 そう考えるが早いか、レオンハルトの足は既に小屋へと向いていた。






 昔、遊び場として使っていたその小屋は、今はサキか使用している。


 北から戻って来たら、いつの間にか小屋は修繕されて綺麗になっていた。中に入ってみたら寝台と机が置いてあり、どういうことかと首を傾げていたところにサキが現れたのだ。


 レオンハルトは最早遠い思い出となってしまったあの日のことを思い出しながら小屋を確認してみたが、そこに彼女はいなかった。


 サキは小屋には戻っていない。

 ならばどこにいるのだろうか。


 サキは王宮で働いているため、たとえ声をかける事が出来なくても、いつでもその姿を見かけることが出来る。そう思っていたのに今日は何故か見つけられなかった。


「サキ……、どこに……」


 レオンハルトは弱弱しい呟きを漏らしながら、庭を歩きまわる。


 突然姿を消してしまった事を怒っているのだろうか。

 だから姿を見せてくれないのだろうか。


 思考はどんどん良くない方へと向かっていく。


 会いたくないから離れた訳ではなかった。ずっとその姿を見ていたかったからこそ、レオンハルトはサキの許を離れる決意をしたのだ。


 周りの人間が『レオルヴィア』であることを求めた。

 それをレオンハルトは受け入れた。

 それが国のためで、そうすることが当たり前なのだと思っていた。

 拒む事すら頭になかった。

 ずっと、それでいいと思っていた。


 サキと出会って少しばかりその考えは変わってしまったが、それでもレオンハルトは『レオルヴィア』として生きようと決めていた。

 例え『レオンハルト』を殺して生きていかなければならない運命でも、サキの姿を見ることができるならそれでいい。それだけでいい。他には何も望まない。


 サキがいる今だけが、レオンハルトの全てになっていた。


 そうして、レオンハルトはかつての思い出を辿りながら、庭師の少女を探して庭を歩いて行く。






 いない。

 どこにもいない。


 サキが隠れていたあの植木の間にも。

 サキが走り抜けた裏手の小道にも。

 サキを見つけたあの木陰にも。


 いない。


 王宮からサキだけの姿が忽然と消えてしまったかのように、どこに行っても姿を見ることは出来なかった。


 避けられているのか。そう思うだけで、胸が苦しくなった。


 数日前のサキはこちらの姿を見ればすぐに逃げて行ってしまっていたが、避けようとはしていなかった。見つからないように隠れてはいたが、その姿は確かにそこにあった。


 付いて来るなと言う割に、サキはレオンハルトが怪我をしていると知ると、無言で手当てをしてはまた走り去って行く、というような行動と取っていた。そんな優しいサキの事がレオンハルトは愛おしくて仕方がなかった。


 レオンハルトは怪我をすればサキが近付いて来てくれると思い、わざわざ低木の間に隠れて待ち伏せをしたり、木に登ってみたり、いろいろ手を尽くしていつの間にかの怪我を増やしていった。こんな事をサキが知ったら呆れてしまうだろう事は分かっていたが、それでもレオンハルトはそんな事を続けていた。


 サキの手が自分の手に触れるだけで鼓動が速くなり、レオンハルトはずっとその手を握っていたいといつも思っていた。いつか必ずその手を手放さなければならないと知りながら、それでもレオンハルトはサキの優しい手を離したくないと強く思っていた。


 しかしその手を離そうと決めたのは、やはりサキのためだった。


 レオンハルトには背負った役目がある。

 そこにサキを巻き込む訳にはいかなかった。


 ここにサキがいる。

 だからこそ『レオルヴィア』として生きていける。

 サキの中に『レオンハルト』がいるなら、ここにいる自分は『レオルヴィア』でいようと決めた。


 もう二度と笑いかけてもらえなくても。

 触れることが出来なくても。


「サキがいるだけで……俺は……」


 生きていける。

 

『レオンハルト』ではなく『レオルヴィア』として。


 どうか逃げないで。どうか避けないで。


 そんな願いにも似た思いを抱き、レオンハルトは庭を歩き続けた。






◆◆◆◆◆






 サキが担当することになった後宮の庭にレオンハルトはやって来た。

 ここは『レオルヴィア』として最初にサキに会った場所でもあった。


 名前は呼べなかった。

 笑いかけることも出来なかった。


 それが『レオルヴィア』として生きると決めた代償だと知った時、そのあまりにも大きな対価を前にレオンハルトは打ちのめされた。


 驚愕に揺れる瞳。

 悲しみに歪む顔。

 逃げ出す背中。


 平気だと思っていた。

 サキさえそこにいてくれるなら、それでいいと思っていた。


 しかしそれは間違いだと気付いた。


 そこにいても笑ってくれないなら意味がない。

 触れられないなど堪えられない。


 その思いが次第にレオンハルトを呑みこんでいった。


 レオンハルトはどうすればいいのか分からなくなった。

 サキとの思い出を胸に、サキの中に『レオンハルト』を置いてきたはずなのに、前よりも遥かに『レオンハルト』はその存在を濃くしていた。


 『レオルヴィア』であろうとする自分と『レオンハルト』でいたいと思う自分。

 その狭間で揺れる自分は、一体誰でありたいのか。


「……」


 不意に風が吹いて、甘く爽やかな香りを運んで来る。

 その先に視線を向ければ、あの日サキが立っていた花壇に一人の男が立っていた。


 花壇一面に咲いた薄紅色の花を無言で見降ろし、その手には同じ花の切り花が握られている。


「レオ」


 この王宮でレオンハルトをその名で呼ぶのはただ一人だけだ。


 目の前の男から向けられた瞳は鋭く光を宿し、夕日を反射して不思議な色合いを見せていた。


「サキがいない」


 不意に告げられたその言葉にレオンハルトは心臓が嫌な感じに跳ねた。

 どういうことかと眉を顰めるが、心中は穏やかじゃなかった。


 庭の至るところを回った。

 しかしその姿を見つけることはできなかった。

 昨日は確かにいたのに、今日はどこにもいなかった。


 その事がレオンハルトを焦らせる。


「この花はイシラシだ」


 唐突に話題が代わり、何の関係があると花壇に視線を向けても、そこには薄紅色の花しか咲いていなかった。


 冗談か何かだと疑った。


 イシラシの花は白い品種しか存在しない。

 色のあるイシラシの花は有り得ない。


 しかし目の前の男が言うように、その花はイシラシで間違いはなかった。


「これはサキが色付けたんだ」


 その言葉にレオンハルトは瞠目した。

 本来の花の色を変えることが出来るのは、思いつく限りでは一つしかない。


 『異端の魔力持ち』。まさかサキがそうなのか。


 そう考えていると、心を読んだかのような言葉が返ってくる。


「彼女は『異端の魔力持ち』ではないよ」


 そうはっきり否定された。


 違うと言うならば一体どうやって花の色を変えたのか。

 そう目の前の男に聞いてみたが、分からないと首を振られた。


「セルネレイト、では何故――」

「昔の君は僕をそう呼ばなかった」


 不思議な色合いを宿すその瞳がレオンハルトを見つめていた。

 何を今さら、と視線を逸らせば、ささやかな呟きが聞こえてきた。


「僕の前では偽らなくてもいいのに」


 何のことを言っているのかは、はっきり分かる。

 しかし今はそのことよりも大事なことがある。


「セルネイ、サキはどこに行った? 『いない』とはどういうことだ。その花は――」

「おそらくこの花が原因でいなくなったんだ」


 この花はどう見ても『異端の魔力持ち』がその魔法で染め上げたのだと思われるだろう。この花はこの国ではありふれた花であり、この花が白色しか存在しないことはこの国では周知の事実だ。そのためイシラシの花に色があるところを見れば、誰もがその異様な光景に疑いの気持ちを持つ事は明らかだった。


「彼女は『異端の魔力持ち』ではないよ。それは僕が保証する。でもこの花のせいで、勘違いされて捕まった可能性はある」


 捕まった。

 その言葉がレオンハルトの心をざわつかせた。


 王宮内で捕まったのならば報告が必ず上がってくるはずなのだが、そんな報告は聞いていない。サキが『異端の魔力持ち』として捕まったのだとしたら尚のこと報告がくるはずなのだ。


「そんな報告は受けていない」

「彼女は『レオンハルト』の事を知っている」


 レオンハルトは言葉を失った。


 『異端の魔力持ち』として見られているサキがレオンハルトのことを口にしたとしたらどうなるだろうか。『レオルヴィア』が『レオンハルト』なのだと言ってしまったとしたらどうなってしまうだろうか。

 そんな考えが頭に浮かんだが、そのどれもが同じ答えしか持ってはいなかった。


 もし本当にそれを言ってしまっていたら、サキの命はない。


 レオンハルトが『レオルヴィア』になりすましている事実を知っているのは、国王と第一王子のイルヴェルト、そしてセルネイとユイの四人だけだ。それだけこの事実は露見してはならない重要事項なのだ。

 

 『レオルヴィア』として生きなければならないと決められた時、どうしてそうでなければならないのかなど、聞かなくても理解していた。

 強大な魔力を有する『レオルヴィア』がこの国には必要だった。だからレオンハルトが『レオルヴィア』になった。


 納得してそう振舞ってきたはずなのに、あの日、サキに会って何かが変わった。


 初めて会ったあの日から、サキの傍にいると心が安らぐのを感じていた。おそらくサキとは魔力の相性が良かったのだろう。レオンハルトの中にある魔力をサキの魔力は逆なでしない。それどころか穏やかで心地良いものに変えてくれるのだ。


 そんな『他人』がこの世に存在していたなんて思いもしなかった。『レオルヴィア』になったあの日から、レオンハルトはろくに眠ることさえ出来なかったというのに、サキの傍でだけは眠ることができた。


「サキ……」


 後宮が開かれると決まったあの夜、レオンハルトはサキとようやく語り合う事が出来た。

 嬉しくて楽しくて、笑ってくれるサキの笑顔をもっと見たいと願ってしまった。

 話をするのは得意ではなかったが、サキはそれでもちゃんと話を聞いてくれた。それが嬉しくてレオンハルトは一生懸命に話をした。

 別れを言いに行ったはずなのに、想いは募るばかりだった。


 もっと一緒にいたい。

 もっと傍にいたい。


 強引に離れようとしても、叶わぬ願いは日増しにその想いを強くした。


 サキの前ではずっと『レオンハルト』でいたかった。駄目だ、と頭では分かっていても、サキの前では『レオルヴィア』にはなれなかった。


 『レオンハルト』である自分を知ってもらいたかった。

 ここにいるのは『レオンハルト』なのだと気付いてほしかった。


 それがこの国に対する裏切りだと分かっていても。

 たった一度でいい。

 サキに『レオンハルト』と呼んでもらいたかった。


「そんな……っ」


 こうなって初めて、レオンハルトは己の犯した罪を自覚した。

 自分の愚かな願いがサキを害する結果をもたらしたのだ。そう思っただけで、レオンハルトは足元が崩れさる感覚に陥った。


「僕も気付くのが遅かった。この花を見つけるまで、サキは王宮の何処かにいるのだと思っていた……。王やイルに見つかっていたら、サキはもうこの世にはいないだろう。それだけ、時間が経ち過ぎてる」


 セルネイの言葉が無情に響く。


 サキが死ぬなど考えられない。

 サキがいなくなるなど考えたくない。

 これが愚かな願いの代償なのか。

 国をも裏切るその行為の見返りがサキの命だったというのか。

 なんて愚かなことをしたのか。

 願いなど抱かなければよかった。

 いつものように『レオルヴィア』でいればよかった。


 そう思うのに、サキと過ごした時間を微塵も後悔していない自分は、何て浅ましい人間なのか。


「サキ……っ」


 この場にいないその人の名を何度も呟いても、答えてくれる声は聞こえない。

 レオンハルトは崩折れそうになるのを必死に堪え、片手で顔を覆い、奥歯を噛みしめた。


「すまない。この花のことをもっと早くに知っていれば……、あんなことは言わなかったのに……」


 最後のほうはかすれてよく聞こえなかったが、こうなることは遅かれ早かれ起こっていたのだ。

 それだけの罪を犯してしまった。

 自分が招いたことだとはいえ、レオンハルトはその代償の大きさに心の全てを潰される思いだった。


「もしユイが見つけていたら、まだ希望はあるかもしれない」


 その言葉にレオンハルトは力なく顔を上げる。


 そうかもしれないが、希望は薄い。

 ユイは誰よりも『レオルヴィア』の存在を護ろうとしている。そんなユイが果たしてサキを生かしておくだろうか。


 考えれば考えるほど最悪な結果しか見えてこない現実に、レオンハルトは恐怖した。


 サキがここにいない。

 それがどれだけ残酷なことか思い知った。


 サキがいないなら生きていても意味はない。

 名を呼んでくれた、たった一人の大切な彼女を失ってまで、守らなければならないものなど何もない。


 レオンハルトは目の前が真っ暗になる感覚に襲われ、最早立っている事さえも辛くなった。


「君は諦めるのが早すぎる」


 視線を向ければ、そこにはセルネイの真摯な眼差しがあった。


「サキは『レオルヴィア』である君に会った後でも、君のことをずっと『レオンハルト』と呼んでいたよ」


 それを聞いた途端、レオンハルトはハッとした。


 状況は何も変わっていないのに、サキへの想いで涙が出そうになった。


 『レオルヴィア』として突き放してしまったのに、それでも『レオンハルト』だと気付いてくれたのか。

 その事がこの上なく嬉しくて切なくて、今までこんなに心動いたことがあっただろうかと思うほどに胸がいっぱいになった。

 忘れないでほしいという願いを、サキは叶えてくれていた。

 それを知ることができただけで、絶望の淵に落ちていくこの身をサキが引き戻してくれる気がした。


「君はどうしたい?」


 問われた言葉の答えは既に決まっている。


 サキの声が聞きたい。

 サキの笑顔が見たい。

 サキにもう一度会いたい。


 それ以外の答えなどレオンハルトは持ってはいなかった。


「……サキを探す」


 セルネイが言うようにユイが見つけたなら、サキが生きている可能性はまだ残っている。サキが『異端の魔力持ち』だとユイが思っている限りは、まだ間に合うかもしれない。


 この花に最初に気付いたのはユイである可能性は高い。昨日、ユイはサキとこの庭で会う約束をしていた。

 その約束の通りにこの場所でサキとユイが会っていたのだとすると、サキを捕らえたのはユイと考えて間違いはないだろう。


「サキ」


 サキを助けたい。この手で。


 レオンハルトは決意した。


「……ごめんね」


 セルネイの言葉に、何のことだと首を傾げたが、レオンハルトはそのまま何も言わず、ユイのもとへと急いだ。


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