三度目の遭遇
昨日のレオルヴィア失踪の件は、今朝方セルネイに聞いた話によると、本人が自らふらりと戻って来たことで無事に解決したらしい。
その後、宴も予定通り盛大に行われたという。
しかしながら、今のサキにとってそんな事はどうでもいい話だった。
「そりゃ、私が悪かったって言うなら謝るけど、いきなり怒鳴るとか酷くない!? 気に触った事があったなら言えばいいのに! そしたら私だってちゃんと謝るのに!」
花壇の前にしゃがみ込み、作業用の手袋をはめてブッチブッチと雑草を引っこ抜いているサキは、青年への恨み事をまるで呪いの言葉のようにブツブツと口から漏らしていた。
「大体あの騎士様は最初私の部屋に不法侵入してた訳だから、あっちも悪いでしょう!? というかあの人騎士でしょう。騎士が不法侵入ってどうなの!?」
鬱憤を晴らすかのように雑草を引っこ抜いては乱暴に袋の中へと投げ入れているサキは、周りの事に気が回っていなかった。
「怒ってる?」
「当り前です! 騎士なのに女の子の胸倉掴みやがったんですよ! メチャクチャ怖かったんですから!」
「あ、あの、ごめ――」
「あり得ない! 本当にあり得ない! この国の騎士は一体どういう教育されてんだって話ギャーッ!?」
いつの間にか誰かと会話していた事に気付いたサキは、音もなく隣にしゃがんでいたその人物を認めると、途端に悲鳴を上げた。
言うまでもなく、そこには騎士の青年がいた。
今日もしっかりと騎士服を着こなすその姿はとても様になっていて通常時なら見惚れていた事だろう。しかしながら今のサキは非常時だ。
青年は少々ビクつきながら窺うような視線を向けてきたが、サキにとってはそんな事はどうでもいい事だった。
サキは青年の存在を認めると、勢いよく立ち上がり、その場から脱兎のごとく逃げだした。
「何かいた! 隣に何かいた!」
木の幹に手をついてゼーハーと荒い息を吐きながら、サキは先ほどの怪奇現象に恐怖していた。
いつから隣にいたのだろうかと思うと嫌な汗が止まらない。
「私かなり文句言っていたような気がする……。どうしよう、また怒らせちゃったかな……」
まさか隣にいるとは思っていなかったサキは、独り言だと思って言いたい放題言っていた自分を大いに悔いた。
それを全部聞かれていたというならもう二度と青年とは会わない方がいいだろう。
サキはその場にしゃがみ込み、頭を抱えてうーうー唸った。
「何? 何か用だったの? それとも昨日の文句でも言いに来たとか!? ……何とか会わないように作戦練らないと」
「具合悪いの?」
「違います! どうやったら会わずに済むか考えてるんです!」
「誰と?」
「それは貴方に決まウギャーッ!?」
もう少し女の子らしい叫びは出来ないものかと頭の隅では考えているが、そんな事を気にしている場合ではないと目の前の光景が言っている。
サキは目の前に現れた人物を見上げながら、そのまま固まった。
またしても目の前に青年が現れた。最悪だ。
「な、なな、な、ななな」
「な?」
上手く言葉が出てこないサキを前に、青年は首を傾げている。その仕草に不覚にも可愛いなどと思ってしまったサキは、ハッと我に返ると、容姿に惑わされている自分を叱咤した。
今日も今日とて青年の容姿はムカつくほど完璧に綺麗だ。
しかしながらそんな事を考えている場合ではないと思い、サキは勢いよく立ち上がると再び逃げようと踵を返した。
しかし残念な事に、それは青年によって阻まれる。
「待って」
「いやーッ! ごめんなさい!」
青年に腕を掴まれ逃げる事が出来なくなったサキは、先手必勝とばかりに勢いよく言い訳をはじめた。
「ごめんなさい! 決して悪気があって文句を言っていた訳ではなくてですね、ただちょっと腑に落ちない点があったと言いますか。ほ、ほら、人っていろいろと他人と意見が合わない事ってあるじゃないですか! 私と貴方もそうだっただけであって、決して一発殴らせろとかそんな事思ってませんから! 本当に思ってませんから!」
勢い余って本音がチラリと見えているが、今のサキがそれに気付く事はない。
言いたい事だけ言ってあわあわと落ち着きなく青年を見つめていると、青年はただ不安そうにサキをジーッと見つめてくるだけだった。
「……嫌い?」
ようやく口を開いたかと思ったらその口から発せられて言葉は単語だった。
その短い言葉の意味が分からなかったサキだが、何が、とは若干怯えているため聞けなかった。
もう少し主語述語修飾語などをふんだんに使って話してもらいたいと思わずにはいられない。
どこか怯えているようにも見える青年を前に、サキは逃げ腰になりながら手を離してくれないものかと切に願っていた。
「あの」
「な、何ですか?」
「嫌い?」
「だから何が!?」
再び訊かれたその言葉にサキは思わず訊き返してしまった。すると青年は躊躇いながらも小さな声で返してくる。
「俺の事」
それを聞いた瞬間、何かがおかしいとサキは思った。
文句を言いに来たものとばかり思っていたが、目の前の青年は明らかにサキの様子を少々不安げに窺っている。
これでは青年の方が怒られる事を怖がっているように見える。
「ちょっと待ってください。何で私が貴方の事を嫌いだとかそういう話になるんですか?」
サキは青年の方が怒っているのだと思っていた。しかし青年は怒っているどころか、嫌われてしまったのではないかという事を危惧しているようだった。
何故そんな事を気にするのか訳が分からないサキは思い切り首を傾げた。
すると青年が尚も弱弱しく言葉を返してくる。
「怒ってた」
「誰がですか?」
「君が」
「さっき事ですか?」
「そう」
もっと文章で返してこいよ、と言ってやりたいところではあるが、それはグッと我慢した。
青年が言う短い単語から懸命に話を推測すると、先ほどサキが怒りながら文句を言っていたため自分は嫌われているのだと思った、という事を言いたいのだろう。
しかしもし本当にそうだとしても、サキと青年は今回の遭遇を合わせると三回会っただけの相手だ。しかもサキは庭師、青年は騎士、という事で職場も違う。今後何の接点も見出せないような相手であるのに、そこまで自分の評価を気にするのもどうなんだとサキは首を捻った。
「あの、貴方の方が怒っているんじゃないですか?」
サキはさっきから気になっていた事をつい訊いてしまった。すると青年はキョトンとした顔になり、何でというように首を傾げていた。
「えっと、私がさっき言ってた事、聞いていたんですよね?」
「……うん」
途端に場の空気が重苦しくなったのは、青年の雰囲気が一気に沈んでしまったせいだろう。
サキは思い切り肩を落として気落ちしている青年に、そこまで酷い事を言っていただろうかと少々慌てた。
「さっき私、あの、貴方に対して酷い事を言っていたみたいで……、その、すみませんでした」
とりあえずちゃんと謝っておこうと思い、サキは青年に頭を下げた。すると青年からは何故か焦るような雰囲気が漂ってきたため、何か不味い事でもまたやらかしてしまっただろうかとサキも慌てる。
「あの、だから、えっと……ん?」
慌てて言い募ろうと口を開いた時、サキは不意に青年の手に切り傷がある事に気が付いた。未だ掴まれているままの腕にも視線をやると、腕を掴んでいるその手にも傷があり、薄らと血が滲んでいた。
「手、怪我してますよ」
そう告げると、青年はサキの腕から手を離し、自身の手を眺めはじめた。
「本当だ」
青年はまるで他人の手を見ているような頓着のなさで、ただ傷を見つめていた。サキはそんな青年の様子に、何故かため息が出た。
「本当だ、じゃなくて、戻って手当てしたほうがいいですよ」
サキは本当に青年を案じてそう告げたのだが、これで離れられるという期待も少しは持っていた。
しかし、青年が思う通りに動いてくれる訳がない。
「平気」
「……そうですか」
サキは肩を落としながらそれだけ返した。
正直なところ、サキは青年とこれ以上関わるのは御免だった。
サキは人との関わりをあまり求めてはいない。それはサキが魔力を持っていないからで、他人と関わる事でそれが知られてしまう事を怖れているからだった。もともと人付き合いが苦手だったサキにとって、人との関わりを避ける事は大して苦痛でも何でもなかった。そのため、サキはセルネイ以外の人とはあまり交流を持ってはいなかった。
異世界に突然迷い込んで早半年。折角庭仕事も覚え、毎日それなりに充実した日々を送っていたサキにとって、これ以上平穏が乱される事態に陥るのは是が非でも避けたかった。
しかしそんな事を考えていても、サキは青年の手に見つけてしまった傷を無視する事が出来なかった。
「ちょっと待ってください」
そう断りを入れると、サキは腰につけている道具入れをゴソゴソと探り、小さな箱を取り出した。
箱の中には怪我をした時のための張り薬が入れてある。
「手を貸してください」
そう言ってサキが手を差し出すと、青年は差し出された手を見つめたまま首を傾げるだけだった。サキはどうしたのかと思いながらも、もう一度声をかける。
「一応応急処置くらいは出来ますから、手を貸してください」
ほら、と差し出した手を軽く振ってみると、青年が驚いたように目を瞠っていた。
結局手を出さない青年に痺れを切らしたサキは、もういいとばかりに自分から青年の手を掴むと、箱から張り薬を取り出し、傷に張ってやった。逆の手も同じように勝手に掴んで手当てを済ますと、サキは小さく息を吐いた。
「全く。何処を通って来っていうんですか……」
青年の手にあった傷は葉で切ったような傷だった。サキもよく庭の手入れの最中に葉で手を切る事があるので、青年の傷もそうなのではないかと推測していた。
しかしそんなサキを余所に、青年は手当てが済んだ自分の手を見つめながら小刻みに震えはじめた。
「俺のために……っ」
青年は張り薬の張られた手を見つめながら何故か感動に打ち震えていた。それを目の当たりにしたサキは、どの辺りに感動するような出来事があったのだろうかと首を傾げた。
「別に貴方のために張り薬を持っていた訳じゃないんですけど……。私もよく葉っぱで怪我するんで、張り薬は常に携帯するようにしているんです。ほら」
そう言って、サキは作業用の手袋を取って見せた。サキの手にも数か所、張り薬が張ってある。
庭師をはじめた頃はまだ慣れていない事もあってかよく切り傷を作ったモノだが、今ではそれも減っている。とはいえ、油断しているといつの間にか傷を作ってしまうので、未だに張り薬だけは手放せなかった。
「たかが葉っぱだと思って油断してたらダメで――」
「怪我してたの!」
「へ?」
いきなり青年に手を掴まれてしまったサキは、必死の形相で迫ってくる青年を前に、何事だ、と一歩後ずさった。
「ちゃんと手当てしないと!」
「いや、あの、平気――」
「ダメだよ!」
サキが広げた距離を一気に縮めてくる青年は本当に心配そうな表情をしており、サキはどうしてそんな顔をするのか不思議でならなかった。
自分の傷は気にもしなかったというのに人の傷には過敏に反応している。青年は案外優しい人なのだろうかと思いながら、大丈夫だから、とサキは口を開く。
「この傷は二、三日前のモノなので本当に平気です」
「でも……っ」
尚も言い募ろうとする青年の様子にこれ以上は収集が付かなくなると思ったサキは、青年よりも先に口を開く。
「大丈夫ですって! ほ、ほら、こうしてみれば怪我のお揃い、なんちゃんって」
あはは、とわざとらしい笑い声を上げると、青年の動きがピタリと止まった。どうしたのかと恐る恐る様子を窺うと、青年は何故か嬉しそうな雰囲気を纏いはじめた。
「お揃い」
「自分で言っておいて何ですけど、そこは喜ぶところじゃないと思います……」
サキは本気で青年の事が理解出来なかった。
一体何が目的で近付いて来たのか分からなかったし、今だってどうして追いかけて来たのかさっぱり分からなかった。
文句を言いに来たわけではなさそうだが、用事がある訳でもなさそうだった。暇つぶしか何かだろうかとも思ったが、そんな事で仕事の邪魔をされてはかなわない。
「そろそろ手を離してもらえませんか? 用事がないなら、私は仕事に戻りたいんですけど」
そう告げると、青年が途端に淋しそうな雰囲気を纏いはじめる。
「少し」
そう言って視線を落してしまう青年の様子に、サキはその短い言葉から文章を推測してみる。
少し話さないかという誘い。もしくは、少しサボりたいから協力してくれという願い。もしかすると、少しも許してないからという今さらな発言とも考えられる。
さあどれだ、とサキは青年からの言葉をそのまま待っていた。
しかし青年は、やはり青年でしかなかった。
「……眠い」
「予想外でした……」
サキの予想は木っ端みじんに砕かれ、青年の言葉は斜め上をかっ飛んでいく。
そんな状況に、サキは思わずため息が出た。
青年は眠そうに瞬きを繰り返している。その様子を見るに、本当に眠たいのだろう事は容易に察する事が出来る。
どうしていつも寝むそうなんだとため息を吐いたが、サキにはもう寝台を提供してあげようという思いはこれっぽっちもなかった。
「自分の部屋で寝てくださいね。私は知りませんから」
そう言いながら、サキは青年に掴まれている手を振ってその手を剥がそうとしたが、どう頑張っても青年の手は離れなかった。
眠そうにしている割に、その手はガッチリとサキの手を掴んで緩まる事がない。何故だ。
「離してください……って、んん?」
手を引き抜こうと数歩青年から離れてみると、その距離はすぐに青年に縮められる。その事に眉根を寄せるサキは、もう二、三歩離れてみた。するとその距離はすぐに青年に埋められる。
サキは試しに手を掴まれたまま少しばかり歩いてみると、少し後ろを青年が付いて来た。
「あの」
「何?」
「何やってるんですか?」
「何が?」
「いや、だから、何でついてくるんですかって事を聞きたいのですが?」
「君が移動するから」
「では手を離してください」
「逃げるし……」
「逃げるしって……。そりゃあ仕事もありますから、貴方に構ってはいられませんし」
「ついてく」
「……ふりだしに戻しやがった」
話にならなかった。
サキは盛大なため息を吐きつつも、果敢に青年との問答を続けていく。
「あの」
「何?」
「この際ついてくるのは百億万歩くらい譲って目を瞑りますから、手を離してください」
「逃げるし」
「逃げませんから!」
「本当?」
「本当です!」
「んー……」
青年は何事かを考えるような仕草を取ると黙りこんでしまった。それを無言で見つめながら、サキは一体どうすればいいんだと頭を悩ませていた。
何とかして青年から離れたいと思っているサキは、手を離した瞬間に逃走してやろうと思っていた訳だが、そういった考えを見抜かれてしまったのだろうかと思うと舌打ちしたくなった。
「ああもう、分かりました! 貴方の要求を一つだけ呑みます! ついて来るでもよし! 寝台貸せでもよし! 一つだけなら叶えます!」
サキは半ばやけくそ気味にそう宣言した。
こうなったら相手を満足させた方が話は早い。サキは眠そうにしながらも手をしっかりと掴んで離さない青年の瞳を真っ直ぐに見つめながら、さあ言え、と眼力だけで訴えた。
すると青年はそんなサキの宣言に驚いたような表情を作ると、遠慮がちに口を開く。
「俺は、君と」
眠そうに瞬きを繰り返す青年が、言葉の途中で顔を片手で覆った。
「――寝たい」
分かっている。分かってはいるが、如何せんタイミングが悪かった。
サキは一気に顔を真っ赤に染めると、青年を勢いよく突き飛ばし、その距離を大幅に広げた。
「それはセクハラだああああああ!」
そんな叫び声を上げながら脱兎のごとくその場から駆け出すサキは、背後から「セクハラって何?」というような声が聞こえてきたが、それに構う事なく全身全霊で青年から逃げた。