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眠れる小屋の騎士

 庭師の仕事に就業時間の決まりはない。

 はじめる時間はいつもセルネイと一緒だが、終わる時間は自分で決めていいとの事だったので、サキは陽が完全に沈むまでは仕事をすると決めている。


 今日も黙々と作業をこなし、気がつけばすっかり日が暮れていた。

 サキは作業に区切りをつけ、自身が住まう小屋へと戻ることにした。


 西の隅にあるその小屋は木々に隠されている形で建っているため、王宮内でもその存在を知る者は少ない。それをセルネイから聞いたサキは、彼の許しを得て、その小屋を改造して寝泊まりできるようにした。

 本当は使用人たちが暮らす棟に部屋を用意すると言ってもらったが、一人の方が気は楽なので、この小屋を使わせてもらうことにしたのだ。

 もともとセルネイが道具置き場として使っていた以外の使われ方をしていなかったようで、ボロ小屋といっても差し支えがないほどにその小屋は古びていた。


 園芸道具の他に木工道具もその小屋には揃っていたため、サキは仕事の合間に小屋の改造と修繕を施した。

 日曜大工が得意であったサキが日々作業を進めていくと、見た目に反して丈夫な造りであったのが幸いして、あっという間にボロ小屋を普通の小屋に戻す事ができた。

 小屋と言っても、普通の民家くらいの広さはあり、中を区切り居住スペースを作っても道具の置き場に困ることはなかった。


 一人で大工仕事をこなして完成させたその小屋を前に、「本当に君は女の子なの?」と若干セルネイに疑われたのはいい思い出だ。


 そんな我が家に戻ったサキは仕事道具を片づけると寝泊まりしている部屋の扉を開けた。


 その部屋は大体畳六畳分くらいの広さで、窓辺に寝台が置いてあり、その傍に小さな机と衣服を入れている箱が置いてある。それ以外は何もない殺風景な部屋だった。


 別に寝泊まりできるならそれでいいと思っているサキはこれ以上部屋を飾りたてることはしなかった。ただ、机には一輪ざしの花瓶を置き、そこに花を飾ることは楽しみの一つとして欠かさないようにしていた。


 今日も庭で拝借してきた花を手にして帰宅した訳だが、サキは部屋の中に異物を発見して扉を開けたまま固まった。


「…………誰?」


 机に置いてあったランプが勝手につけられており、その輪郭をはっきり映し出している。


 部屋に見知らぬ男が立っていた。


 サキの言葉に振り返ったその男は、騎士服を着崩している二十歳前後といった感じの青年だった。

 青年はサキよりも頭一つ分程背が高く、色素の薄い金髪に深い海の底のような青い瞳を持っていた。そんな青年は、髪は長くないものの、顔の右側の髪を一房だけ飾り紐で束ねていた。

 ここまではそれほど驚くべきところはない。この世界には金髪碧眼は最早基本形だ。しかしサキは青年を見つめたまま固まっていた。


 青年はサキの度肝を抜く容姿を持っていた。


 青年の容貌は、端正という言葉では言い表せないほどに整っていた。

 まるで神が作った彫刻のような美しい青年を前に、サキは同じ人類である事が申し訳ないような気がしてならなかった。


「誰だ」


 どこかボーっとしているその青年はサキの姿を認めると少々眉根を寄せた。サキはハッと我に返ると、青年を睨むように見つめた。


 容姿に騙されて一瞬何もかも許してしまいそうになったが、相手は不法侵入者だ。こちらが引いてどうする。


 サキはグッと気合を入れると青年に向かって言い放つ。


「で、出ていってもらえませんか? ここは私の、部屋ですから」


 騎士なのだろうか、とサキは眉根を寄せたが、今はそんな事はどうでもよかった。


 家賃は払っていないが、ちゃんとセルネイには許可を取って住んでいる。今まで誰も咎める者はいなかったのだ。今さらとやかく言われてはかなわない。半年暮したこの部屋には少なからず愛着はある。手に入れた憩いの場を手放すつもりは毛頭ない。


 そんな事を胸の内で叫びながら訝るような視線を送っていたサキは、返事をしない青年に再度言葉をぶつける。


「い、今さら出ていけなんて言われても、聞けませんから」


 その瞬間、青年の目が眇められた。サキは睨まれたと思い一瞬体を強張らせる。

 しかしすぐさまなけなしの根性を振るい立たせて睨み返すと、サキは嫌な汗を流しながら相手の出方を待った。


「……眠い」

「はい?」


 一瞬何を言ったのか分からなかったサキだったが、青年が言った間の抜けた言葉の意味を知ると一気に力が抜けた。その言葉は何ともこの場にそぐわないのんびりした響きがあり、青年は本気で眠そうだった。

 青年は睨むために目を眇めたのではなく眠いから瞼を落としていただけなのだと気付いたサキは、子供のように眠い目を擦っている青年を前に一気に脱力した。


「……帰って寝ればいいじゃないですか」


 至極もっともな意見を述べてみたが青年は聞いてはいなかった。

 最早サキの存在など眼中にないのか、青年はいそいそと寝台に潜り込むと体を丸くして眠りにつこうとしていた。その行動に慌てたサキはすぐさま寝台に駆け寄ったが、青年は既に寝る気満々だった。


「ち、ちょっと、ここで寝ないでくださいよ!」


 揺すろうが、叩こうが、青年に起きあがる気はないようで、そのまましばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきた。


「本当に寝るし……」


 サキは何とも言えないような表情で青年が眠る寝台を見降ろした。


 当然のことながら寝台もサキが作ったわけだが、その大きさはサキに合わせて作られているため、青年が寝るには少々小さいはずなのだ。それなのに青年は寝台の大きさに合わせて身を丸め、窮屈そうに眠っていた。その様が何とも可笑しく見えて、サキは青年の寝顔を見降ろし苦笑した。


 そして諦めたように溜息を吐きながら、サキは青年に夏用の薄い上掛けをそっとかけてやる。


「全く、アンタ誰よ」


 寝台を奪われ寝る場所がなくなったサキは、どうしたものかと再び溜息を吐いた。






 次の日、目が覚めるとサキは寝台で眠っていた。


 青年に寝台を取られてしまったサキは道具置き場の隅に腰を下ろし眠っていたはずだった。しかしどういう訳かサキが寝台に寝ており、青年の姿は消えていた。さほど広くもない部屋を見渡してみたが、やはり青年はどこにもいなかった。


 夢だと処理するにはあまりにも鮮明に青年のことは記憶に残っている。

 あの超絶美人は忘れたくても忘れられない。


 サキは昨夜の事を思い出しながら、眼福だったな、というどうでもいい感想を抱いた。


 王宮で働き出した頃は、行きかう人が美男美女ばかりで卒倒しそうだったが、昨夜の青年はそれらの比ではなかった。所謂、規格外な造形だった。


 この半年の間、見たことがなかった顔だった。あれは一体誰だったのか。


 眠気が完全に覚めたサキは、まさか変なことをされたのではと危惧したが、体には異常はないし、こんな平凡な女に手を出す酔狂な奴もいないだろうと思い直した。


 そうしてサキは昨夜のことは忘れようと決め、身支度をして仕事に向かった。






◆◆◆◆◆






「北の国境戦が終結したみたいだね」


 それを聞いたのは昼の休憩をしている時だった。

 どこか疲れたような顔つきのセルネイが横に腰かながら一息つき、そう話しはじめた。


 今日は朝から王宮内が騒がしい事は知っていた。

 皆一様に慌ただしく行ったり来たりして忙しそうにしていた。それを横目に、サキは何かあったのだろうかと首を傾げていた。


「昨日、騎士団と一緒に殿下も帰ってきたみたいだよ」

「ああ、だから今日はこんなに慌ただしいんですね」

「無事に帰還したからね。みんな宴の準備で忙しいんだよ」


 北の戦いには第二王子のレオルヴィアが行っていたようで、無事の帰還を祝っての宴が今夜開かれるらしい。


 レイヴァーレ王国には、現在二人の王子がいる。

 第一王子のイルヴェルトと第二王子のレオルヴィアだ。


 イルヴェルトの魔力は国内でも一、二を争うほどの量を誇っているようだが、レオルヴィアのそれはイルヴェルトの比ではないらしい。

 話しによれば、レオルヴィアは神殿の魔石に触れた際、魔石の色を真っ白に変えるばかりか発光までさせたという。それは稀に見る異常現象だったようで、神官たちも腰を抜かしたという。

 そんな訳で、膨大な魔力を有するレオルヴィアが次期国王と言うのは、もちろん周知の事実だった。


 レオルヴィアはこの半年間ずっと北での戦いに出向いており、サキが働き出した頃にはもう前線に向かった後だった。

 しかしながら王宮にいるであろうイルヴェルとも会ったことがないサキは、噂でしか二人のことを知らなかった。


 イルヴェルトは真面目で温厚、そして社交的であるらしい。対してレオルヴィアは冷血無慈悲で人嫌いらしい。


 それを聞いたときは、腹違いとはいえ、なんて対象的な兄弟なんだと半ば感心したくらいだった。


 そんな噂のレオルヴィアが戦いの勝利という手土産を持って帰還したのだ。レオルヴィアの無事と終結を祝って宴が行われるのは当然だろう。


 世界情勢をあまり詳しく聞いたわけではないが、レイヴァーレ王国では近年、北の国境線での戦いが一番苦戦していたと聞いていた。それが終わりを迎えたのだから、それはとても喜ばしい事だとサキは思った。


「戦いが終わってよかったです」


 サキは心からそう思っていた。

 平和が一番。笑顔が一番。それが一番いいことだ。


「そうだね。……でもそのせいで僕まで忙しくなっちゃってさ」


 肩を落としながら面倒くさそうに口を開くセルネイは、本当に面倒くさそうだった。


「宴に飾る花を作らなくちゃいけなくてね……。今も逃げてきたとこだったんだ」

「逃げて来たって……」


 それでいいのかとサキは心配になった。

 朝からセルネイの姿を見かけないと思ったら、そういうことだったらしい。


「早く戻ったほうがいいのではないですか? こっちのことは任せておいてください。一人でも大丈夫ですから」


 本当に、と向けられたセルネイの視線に、グッと拳を握って任せてくれと示すと、彼はいつものように優しく微笑み返してくれた。


「じゃあお願いするよ。出来る範囲でいいからね」


 ちゃんと気遣ってくれるセルネイの優しさに、サキは思わず笑みが浮かぶ。

 本当にいい人に拾ってもらえたものだ、としみじみ思う今日この頃である。


「そろそろ行くよ」


 そうしてセルネイは王宮のほうへと消えていった。

 それを完全に見送ったサキは、頑張るぞと気合を入れて仕事に戻っていった。






 魔法が使えればなとサキはぼやきながら、王宮の敷地内を駆けずり回っていた。

 できるだけ庭の様子を見て回るために、移動は駆け足、作業はてきぱき、を目標にいつもの倍の速さでサキは仕事をこなしていった。


 水やり、草取り、落ち葉拾い。やることはたくさんあった。


「見つけた」


 移動のため人気のない近道を走っていたサキは、自分に向けられたその声に何事かと振り返った。


「あ、昨日の……」


 そこには昨夜寝台を占領した青年が立っていた。

 昨夜とは違い、しっかりと騎士服を着た青年は、陽の下でみると一段と神々しくて鼻血が出そうになった。

 サキは、いかんいかん、と思わず鼻を啜ってしまった。何も出てはいないが。


 気を取り直しながら青年に視線を戻すと、彼が着ている騎士服は王宮で見た騎士たちとは若干デザインが異なるものである事に気が付いた。騎士団は階級によって制服のデザインが変わるのだろうかと思いながらも、サキには騎士の階級などさっぱり分からないので、デザインの違いだけで階級などが分かる訳がなかった。


 そうやって青年が何かを言うのを待っていると、青年の様子が少しばかりおかしい事に気が付いた。


「瞳も黒かったのか……」

「?」


 青年は驚いたように目を瞠って何事かを呟いていたが、サキは何を言っているのか聞き取る事が出来なかった。


 しかしそんな青年は驚いている様子ではあるものの、どこか眠そうな感じがしてならなかった。体が妙に揺れており、若干足元も危なげな感じだ。


 そんな青年を前に、人の寝台奪っておいて寝不足とはどういう了見だ、とサキは秘かに思った。


「その、昨日は……」


 青年は言葉の途中で眠気を堪えるように顔を片手で覆っていた。

 そんな青年は本当に眠そうで、今にもこの場で倒れてしまうのではないかとサキは冷や冷やした。


「部屋で休まれたほうがいいのではないですか?」


 昨日は北の国境から騎士団が帰ってきたというし、もしかしたら青年もその騎士団の一員だったのではないだろうか。それなら昨日の今日であるし、疲れているのも納得できる。


 サキはそう考えながら、青年を心配そうに見つめた。


「部屋では、休めない」


 そう言いながら次第に足元が覚束なくなっていく青年をサキは咄嗟に支えた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 サキは覗くように青年の顔を窺うと、その深い青色がサキを捉えた。


「……眠い」


 知っている。

 誰が見ても眠そうにしていると分かる程に、青年は眠そうだ。


 サキはどうしたものかとしばし考えてはみたものの、思いつく方法は一つしかなかった。


「……まだ寝ないでくださいよ」


 サキは仕方ないと深いため息を一つ吐くと、青年の手を引き歩き出した。






◆◆◆◆◆






「お休み三秒とか……」


 部屋では休めないというし、他に行くあてはないしで、サキは結局自身が住まう小屋に青年を連れて来る事しか思いつかなかった。


 こんな小汚い場所の体に合わない寝台で気持ち良さそうに寝息を立てている青年を見つめながら、サキはその異様な光景にいっそ笑いが込み上げくる。


「うーん。もう少し大きめに作れば良かったかな……」


 窮屈そうに体を丸めて眠っている青年を見つめながら、サキはその様子に寝台の改造を考えてみた。しかしコレが自分の寝台だという事を思い出すと、何で見ず知らずの超絶美人のために寝台を改造しなければならないんだと思い直した。


「さて、私は仕事の続きしないと」


 サキは青年を起こさないようにそっと部屋を出ると、道具を手にして外に出た。


 別に取られて困るようなモノは何もないし、青年がそんな事をするとは思えない。見ず知らずの他人の前で気持ちよさそうに寝るくらいだ。その事には青年の方が逆に危機管理がなっていないのではないかと心配になる。


 そうやって青年の事を考えながら外へと向かうと、小屋を出たところでセルネイの姿を見つけた。


「あれ? 花の飾りつけはもう終わったんですか?」


 宴の花を準備していたのではなかったかとサキは首を傾げたが、セルネイの様子が少しおかしいことに気付いて少しばかり眉根を寄せた。


「丁度良かった。何処かで仏頂面の男見なかった?」

「仏頂面の男、ですか? 見てませんけど……」


 人を探しているらしいセルネイの質問に、サキは正直に答える。するとセルネイは、だよねぇ、と力なく溜息を吐いていた。


「探し人ですか? 私も探しましょうか?」


 仕事で庭を巡っているため力になれるのではないかと思ったサキだったが、その申し出にセルネイは微妙な顔をした。


「やめた方がいいよ」

「どうしてですか?」

「だって、探してるのはレオルヴィア王子殿下だし」


 サキは探している人物が誰であるのかと聞くと、セルネイの言葉の意味を瞬時に察した。


 冷酷無慈悲と噂のレオルヴィアには、出来れば接触したくはなかった。怖いから。それ以前に、サキはレオルヴィアの顔すら知らないので、『仏頂面』という特徴だけでは探し出せるとも思えなかった。


「実はレオルヴィア王子の姿が昼前くらいから見当たらないらしいんだ。今、使用人や騎士たちが探してるんだけど、なかなか見つからなくてね。帰って来たばかりの騎士団長や副団長まで駆け回ってるよ。もしかしたらと思ってここにも来てみたんだけど……。今夜の宴の主役が行方不明とか、笑えないよね」


 こっちまで手伝わされていい迷惑だとセルネイは文句を言っていた。

 それを聞いたサキは、かなりまずい事態なのではないのかと思った。


 一国の王子が姿を消したとなれば、それは一大事だ。


「なんか相当不機嫌だったらしいから、被害者が出ないか心配で」


 その情報にサキの中の重大度が違った方向に跳ね上がる。


 冷血無慈悲と噂のレオルヴィアが不機嫌という名の付録つきで野放し。笑えない。


 確かに一国の王子が姿を消したとなれば一大事だ。しかしレオルヴィアが野放し状態となれば大惨事だ。周りの人間がという意味で。


「すみません……私、遭遇した瞬間に逃走してしまいそうです……」

「うん。だから見つけても近づかないようにね」


 もはや猛獣扱いである。


 この辺りにはいないと判断したのか、セルネイは他へ探しに行くと言って去っていった。

 それを見送ったサキは、思わず小屋へと目を向ける。


 騎士たちもレオルヴィアを探しているようであるし、このまま寝かせておいてもいいものかと、サキは小屋の中で眠っている騎士の青年を想った。しかし疲れて眠っている青年をこのまま寝かせておいてあげたいという気持ちもある。

 どうしたものかとしばし考えたが、やはり寝かせておいてあげようとサキは決めた。


 起きれば勝手に出ていくだろうし、放っておいても大丈夫だろう。


 そうしてサキは残りの仕事をこなすべく小屋を後にした。






 夕方近くになってもレオルヴィアは見つからないままだった。

 行き交う人たちの会話から察するに、レオルヴィアは宴が嫌で逃げたのではという説が有力であるらしい。

 そんな馬鹿なとサキは思っていたが、レオルヴィアに会ったことがないので半信半疑だった。


「そういえは、騎士様はもう起きたかな」


 作業に一区切りつけたサキは、もう使わない道具を片付けに行くかと、小屋へと足を進めた。


 どうせまた何も言わずに消えているだろうとサキは思っていた。しかし今日の遭遇では『見つけた』と言われた訳だから、青年は何か目的があって探していたという事になる。

 そう言えば何か言おうとしていたなと今さらながらに思い出したサキは、まだ小屋にいるかもしれないと少しばかり考えた。


 そうして小屋に着くと、サキは手荷物を一旦下ろし、そっと部屋の扉に手を掛けた。


 すると青年は黙って消えるでもなく、また、起きてサキの帰りを待っている訳でもなかった。


「……寝てるし」


 青年は未だ気持ちよさそうに寝台で眠っていた。


 サキは呆れたようなため息を吐くと、部屋の中へと足を進め、寝台脇に立った。そして未だ気持ち良さそうに寝ている青年の肩を強めに揺すりながら、サキは思い切り起こしにかかる。


「起きてください。職務怠慢で怒られますよ!」


 大きな声でそう告げると、昨日は全然起きなかった青年が今日は以外とあっさり起きてくれた。


「おはようございます」


 そう声をかけてみるが返事はなかった。

 ボーッとした寝起きの顔をしている青年は未だ半分は微睡みの中にいるようだった。しかしサキはそんな青年に構う事なく言葉を告げる。


「ちゃんと起きてくださいよ」


 手櫛で寝癖を直してやりながら、絹糸のように柔らかくサラサラな青年の髪をサキは秘かに羨ましく思った。サキの髪は硬質で重い。黒髪なので気分的にも重く感じてしまう。


 サキは聞いているのかいないのかわからない青年に向け、早く起きろ、と胸の内で念じながら、とりあえず現在現状を説明する。


「今レオルヴィア様をみなさん必死に探しているんですよ。もう時間も迫っていますし……このままでは宴が開けません」


 そんなサキの言葉に、青年は何処かつまらなそうな顔をして視線を逸らしてしまった。その表情に、仕事に戻るのが嫌なのだろうかとサキは思った。


「……面倒だ」

「一人だけさぼってちゃダメですよ……」


 今日くらい休みたい気持ちも分かるが、出来れば仕事しながらサボってほしい。

 そんな事を思いながら、サキは青年の言葉に呆れたようなため息を吐いた。


「もう十分寝たでしょう?」


 サキはそう言いながら寝台から離れた。そして皺になるからと剥ぎ取っておいた上着を手に取ると、再び寝台の方に戻り、青年に上着を差し出した。


 しかし青年がそれを受け取る事はなかった。


「ほら、早く戻ってください」


 サキは青年に上着を差し出し受け取れと示したが、青年はそれをボーっと見つめるだけだった。


 どうやら未だに頭は起きていないらしい。


「北から帰って来たばかりでお疲れでしょうが、役目はちゃんと果たさないとダメですよ」


 現在、王宮ではレオルヴィアの捜索で皆が走り回っているのだ。それなのに一人だけ堂々とサボっていてはきっと怒られてしまう。

 そう考えての発言だったのだが、青年は何故か不機嫌になった。


「……役目だと?」


 その瞳は眠いからではなく、睨むために眇められた。

 怒りと憎悪を滲ませたその瞳が、サキに恐怖を抱かせた。


 向けられたその感情は今までとは明らかに違った。

 ボーっとした感じでのんびりとした雰囲気の青年だったのに、今目の前にいる青年は全くの別人に見えた。


「……っ」


 突然立ち上がった青年にサキはいきなり胸倉を掴まれる。

 サキはその行動の意味が分からず、恐怖に身を固くした。


「お前に指図されずとも役目は果たしている! 知ったふうな口を聞くな!」

「わ、私は、そんなつもりでは……っ」


 息苦しさに顔を歪めれば、乱暴に突き放される。サキは後ろに数歩よろめきながら、胸に手を当てて荒くなった息を宥めようと努力した。


 青年に視線を向ければ、怒りは未だ消えておらず、その鋭い眼光は忌々しいというようにサキに向けられている。

 サキは何が何だか分からず、ただ向けられた感情に心を痛めていた。


 遭遇は二回とも突然だったが、青年はサキに敵意など全く持っていなかった。それどころか会うたび眠そうにしていて、サキの目の前で眠った。それを心のどこかで微笑ましく思っていたサキは、今の状況に酷く心が傷ついた。


「私はただ、騎士様がここにいては、お咎めを、受けるのではないかと思って……」


 出過ぎたことを言ってすみません、とサキは震える声で謝罪した。

 すると目の前の青年から不思議そうな声が聞こえてくる。


「騎士……?」


 ふと青年の纏う空気から刺々しいものがなくなる。サキは手に持ったままになっている青年の上着をここぞとばかりに押し付けた。


「すみませんでした、騎士様……っ」


 サキはそれだけ言うとすぐさま踵を返し、涙がこぼれそうになるのを必死に抑えながら扉に手をかけた。


 しかしそれを青年に阻まれる。


「待って」


 腕を引かれ思わず振り向いたその先には、知った雰囲気を纏う青年がいた。


「君は俺を、知らない……?」


 どうしてと言わんばかりの様子をしている青年に、サキは沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。


 青年とはまだ二回しか会ったことはない。自己紹介もしないくせに、分かるわけがないだろう。


 サキは首を傾げている青年を前に、頭の芯がスッと冷えた。


「……知るわけないじゃないですか。会った瞬間に眠いとか言ってすぐに寝てたくせにっ。 自分のこと知ってもらいたかったら自己紹介くらいしてくださいよ!」


 口を開けば溢れる言葉を止める事など出来なかった。

 おまけに涙まで止まらなくなった。


 サキはボタボタと涙を流しながら、キッと青年を睨みつけていた。


「すまない、話を」

「こっちは寝床提供したのに逆切れされたんですよ!? 今さら話す気なんてありませんから! もう眠いとか言ってきても助けてあげませんからね! 騎士様のバカ!」


 サキは戸惑いを見せる青年に渾身の睨みを送ると、その手を振り払い、思い切り扉を開けて部屋から飛び出した。


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