閑散
この作品は東方projectの二次創作となります。苦手な方は戻られることをお勧めします。
今作は三人称を練習しようと思い、執筆に踏み切りました。故に、山も落ちもない小説になってしまった気がしますが、それでも良いと言う方は本文をお読み下さい。
「金がない」
彼女が財布を覗きながらそう呟くことは、何も今日に始まった話ではない。その仕草やら単語はどうやら、本人の意思とはまるで関係がなく、ふとした時に口を突くようである。その僅か数文字の言葉は最早彼女の口癖であって、同時に彼女を示す隠語ともなっていた。ただ、金がないことは紛れもない事実であり、それは彼女が自身の問題としてよく理解している。それを憂いてか、口癖の後には決まって溜め息を一つと後頭部を掻く癖もあって、日に何度も彼女はそれを繰り返していた。
紅白を基調とした、何故か脇の開いた巫女服を着る年端もいかぬ少女――博麗霊夢は、里にある一つの民家から、まるで重い石を背負っているかの如く緩慢な動作で出て来た。見送られもせず閉められた戸を横目に、草履を引こ摺る音に溜め息を被せながら、霊夢は隣にある民家へと足を向ける。
この辺りに並ぶ民家は長屋の造りではないのだが、仔猫すらも通れぬ程密集した家屋は、お世辞にも裕福な家面とは言い難い。掘建て小屋は流石に言葉が過ぎるかもしれないが、塀すらもない吹き曝しの外壁はどこも煤けた様子で、所々に土壁や、それすら欠けた箇所には壁の骨となる格子に組まれた竹までもが、木枯らしに曝されている。
霊夢が次の民家の前に立てば、目先には主のいないくしゃと縮こまった蜘蛛の巣が軒先にぶら下がり、吹き荒む風によってあちら、こちらと揺れている。埃を纏ったそれは、獲物を捕らえる網としての機能などは早々に放棄しており、ともすれば出来の悪い薄汚れた綿にも見えた。
家面からすれば、暖かな対応ですら期待することは適わないだろう。今までと同じく、冷ややかな態度と胡散臭そうに細められた目が彼女へと向けられることは、必然とも言える。それでも霊夢は、今日何度目かすらわからない溜め息を吐いて、おもむろに戸を叩いた。
彼女はこの貧乏ったらしい路地裏を回り、符を売って歩いていた。だが巫女の訪れに皆は目を見開くばかりで、符を買う者などは一人もいない。そもそもこの辺りは貧乏な家が集まるだけに、けして安くはない符を買うなどとは、到底考えられない。それは霊夢も重々承知のことだろう。
無論霊夢は符を売るに当たって、富を築いている者や権力者から回り始めた。だが、栄える通りを片端から訪ね歩いても、売れた符はたったの三枚。それだけでは幾ら切り詰めたところで、二日三日を越せれば万々歳である。その結果あってか、貧乏巫女は悪足掻きの如く、符など絶対に売れぬであろう貧乏者や浮浪者にまで声をかけていた。
しかし、結果は明白である。それにも関わらず家々の戸を叩いて回る幼い巫女からは、辺りの雰囲気をも凌ぐような悲愴感が漂っていた。
そもそも、何故博麗霊夢はここまで困窮しているのか。巫女という身分、謂わば定職を持つ彼女が何故、金に不自由なのか。
原因は多岐に亙るが、人中で囁かれる主因としては、それは霊夢が暢気であり怠慢であるからだという。巫女としての修行もせず、信仰等を集める訳でもない。最近では、異変ですら巫女が解決しているのか甚だ疑問であると、彼女は人里に於て酷く不評である。評判だけを見るならば、新参者ではあるが山の頂に社を構えた神社の方が、一般大衆の心を掴んでいると言えるだろう。稀に霊夢も今日のように巫女らしい振舞をすることもあるが、山の神社から来る巫女のような積極性も愛想の良さも、彼女には今一つ足りていない。また、比較となる巫女が出来たことも、霊夢の存在を低くする要因であった。
未だ回っていない家屋を二、三残しながらも、諦めがついたのか巫女はふわりと浮き上がり、己の住まう博麗神社へと向かった。人が空を飛べば騒ぎにもなりそうなものだが、人が空を飛ぶことは、この幻想郷に於て珍しい話ではない。空を飛べぬ者も普段から見慣れている為か、段々と小さくなるそれを注視する者は皆無だった。中には逃げるように飛び去る霊夢を陰ながら誹謗する者もいたが、またそれも、いつもの光景であった。
幻想郷は変わりつつある。それはこの地に長く住む者――妖怪などの魑魅魍魎にとって、共通の認識となりつつあった。そもそも人間と妖怪の関係とは、人間は妖怪を退治し、妖怪は人間を食らうという形が一般的であった。例外も存在はしたが基本的には、この関係を遙か古代から続けてきたのである。だからこそ人間は妖怪を畏れ、それを退治する者はやれ英雄だの救世主だのと持て囃された。そしてこの幻想郷の地では、霊夢の家柄である博麗家がこれに当たる。
博麗家の力は絶大だった。博麗大結界が張られる以前からこの地には魑魅魍魎が多く、それらから人里を守っていた博麗の巫女は、実質には人里の長としての地位にあった。時は過ぎ、博麗大結界が張られて幻想郷が確立してからもその風潮は変わらず、博麗家は妖怪退治を請け負っていた。また、大結界の管理を博麗の巫女が務めていたこともあり、人間からも妖怪からも、一線を画する存在となっていた。
「お帰り、霊夢」
「ねぇ紫、勝手に人の家に上がり込んで何をしてるの?」
それが、いつからだろう。気付けば妖怪は人間を襲わなくなり、人間も妖怪に歩み寄るようになった。種族の壁を越えて協力する姿を見るのも、今では大して珍しい話ではない。現に紫と呼ばれたこの女性も、古から生きる妖怪である。妖怪である紫は、退治をする霊夢と相容れることはあってはならない。それなのにこの二人はまるで、旧友かのような素振りを見せている。彼女らを見る限り、人と妖が手を結ぶこともそう遠い未来ではないのかもしれない。
「何処に行っていたの?」
「ちょっと人里まで、符を売りにね」
ただし平和となりつつある現在は、弊害も生み出している。それは正しく、この博麗の巫女へも降りかかっていた。
この神社には何も祀られてはいない。神社というのは形だけであり、実質は霊夢の寝床であるだけの建物である。それも建立されてから久しく手入れもされていない為か、傍目にはとても古ぼけて見える。霊夢はよく趣があると弁明するが、箇所によっては廃屋と見做されてもけしておかしくはない。
博麗神社とは、信仰される対象もなく見て面白い訳でもなく、人里から遠く離れた辺境の地で更には魑魅魍魎は屯する場所である。それら全てが相俟って、最近ではこの神社に人が詣ることはなくなった。即ち、賽銭箱は常に空の状態を保っている。霊夢も事賽銭箱に関してはあまり触れないようにしているが、中身を確認することもまた日課なのか、引手の辺りだけは小綺麗であることが、何とも痛々しい。
「妖怪退治はもう止めたの?」
「目の前の妖怪でも退治したら給金でもあるのかしら」
参拝客が減り、更に妖怪退治の依頼も減った。そうなれば博麗の巫女の収入は、自ずと巫女としての収入に限られる。歴代の巫女ですら、巫女家業と妖怪退治を兼ねることで生計を立てていたのだ。妖怪退治というその一柱が細くなりつつある現在、もう一柱を疎かにする霊夢にとって、とてもではないが生活出来る程の収入はないだろう。
「……晩ご飯はどうするの? うちで食べて行くの?」
「折角のお誘いですもの。喜んで頂きますわ」
しかし、収入も無く修行をする気もない霊夢ではあるが、恵まれている点も多い。その一つに、彼女の人脈の多さが上げられるだろう。
妖怪退治という職業柄、彼女は妖怪と接することが多い。ただし退治するはずの彼女と妖怪が相容れることがあってはならないのだが、蓼食う虫も好き好きで、自ら歩み寄る妖怪もいる。寧ろ最近ではその数は増える一方で、年月を重ねる程に霊夢は妖怪に好かれるようになった。
それは偏に彼女の人柄が成すことではあるが、人当たりが良い、と言えば語弊がある。けして彼女は愛想が良い訳でもなければ、奉仕に努めたりする訳でもない。逆に物事に大した興味は抱かず、固執することもない。全てに消極的で冷めていて、悪く言えば不愛想である。とてもではないが、慕われるような人間ではない。
「食べて行くのは構わないけど、ご飯とお漬け物くらいしか出せないわよ」
「それならご心配なく。どうせ碌な物を食べてないだろうと思ったから、お勝手に色々と届けておいたわ」
「……正直、妖怪の世話にはなりたくないけれど、あんたらがいなかったら私はとっくの昔に餓死しているわね」
ただ、妖怪にすら忌まれる程の力を持った妖怪には、霊夢の素っ気なさは心地の良い物だった。頓着しない彼女からは恐れられることも陰口を叩かれることもなく、会いに行けば面倒な素振りは見せながらも、相手をしてくれる。その関係はどこまでも対等で、人間や妖怪といった肩書きですら無に帰してしまう。そんな肩の荷が降りる一時を求めて、妖怪は彼女との触合を欲するのだ。
「……そうね。残り少ない御神酒だけれど、今夜で尽くすことにするわ」
「あら、妖怪に神酒だなんて、些か酷な話ではなくて」
「嫌なら自分の分は自分で持って来なさい」
「そんな、そんな。私はただ、出された物を頂くだけですわ」
「……そうね。今日は秘蔵の一本も開けても良いかもね。飲んでくれる人が、居るんだから」
一体誰の仕業なのか、幻想郷は今日も、平和である。
拙作を読了頂き、ありがとうございました。
拙い文章のため読み辛い部分もあったとは存じますが、練習ということで、悪しからず。
あまりよくわからない作品にはなってしまいましたが、感想など頂ければ幸いです。