婚約破棄されたのでカーフキックを喰らわせます
「エルナ・バイン、お前との婚約を破棄する!」
夜会のクライマックスにて、私は婚約者である伯爵令息ドメル・グレース様からこう宣言された。
ドメル様の横には、波打つピンクブロンドの髪が特徴的な男爵令嬢トレーネが陣取っている。
私はドメル様をまっすぐに見据える。
「理由をお聞かせください」
「貴族の世界というのは華やかに見えて、弱肉強食の世界だ。色々検討した結果、お前では僕のパートナーとして力不足だという結論に至ったのさ」
実際にこういった理由で婚約を解消されてしまう事例はある。
私も令嬢として、自分の器量に絶対の自信があるとはいえない。
もっとも……隣でベタベタしているトレーネを見る限り、力不足云々は建前に過ぎないだろうけど。
分かっていることは、ここでいくら抗弁しても、婚約破棄は覆らないということだ。
だから、受け入れる。
「……分かりました」
「ふん、物分かりがいいな」
ドメル様は顎を上げ、私を見下すように笑う。
だけど私もこれだけで済ませるわけにはいかない。
「ただし、一つだけ条件が」
「なんだ? まあ、慰謝料なら相談に乗ってやっても……」
「いいえ」
私は首を横に振る。
「一発。一発だけ、あなたを蹴らせてくれませんか?」
私は右手の人差し指を立てながら言った。
これを聞いたドメル様とトレーネは笑い出す。
「蹴るゥ? 僕を? ハハハ、何を言い出すかと思えば」
「エルナ様ってば、やっばーん」
だけど私は本気だった。
「お願いします。一発だけでいいんです」
ドメル様はニヤつきながら近づいてきた。
「ふうん。蹴り一発で婚約破棄のことは全部水に流すってのか?」
「はい」
「ちなみに蹴るってどこを?」
「私もこの格好ですし、脚を大きく上げることはできないので、ドメル様の脚を蹴るつもりです」
今日は夜会。私も橙色のドレス姿で、あまり派手な蹴りはできない。
ドメル様は数秒考えた後、答える。
「いいだろう。ただし、その一発で慰謝料もなにもかもチャラだ」
「はい」
ドメル様は自信たっぷりだ。
それもそのはず。ドメル様とて、貴族男子として多少は剣術や槍術の手ほどきを受けている。
この鍛えた体に小娘の蹴りなど通用するはずもないと、そう思っているに違いない。
ドメル様は両腕を広げ、どこからでも蹴ってこいアピールをする。
「さあ、思いっきり来いよ」
その横でトレーネがはしゃぐ。
「ドメル様、素敵~! 男らしい~!」
ドメル様はそんなトレーネに「こんな下らない用事はとっとと片付けて、今夜は楽しもう」という視線を送る。
油断しきっている――
「じゃあ、蹴りますね」
だけど残念ね、ドメル様。私の蹴りは、たとえ油断していなくても――
私は呼吸を整え、ドメル様の脚を見る。
すらりと長い脚だ。きっとドメル様も誇りにしているに違いない。
実に蹴りがいがある。
狙うのは左脚、その膝の下。
私は栗色の髪をなびかせ、パンプスを履いた右足の甲を鞭のようにしならせ、ドメル様の左脚――ふくらはぎへとぶつけた。
パチン。地味とさえいえる音が鳴る。
ドメル様の表情が変わった。
「がっ……!?」
ドメル様の体が、左膝から一気に崩れ落ちる。
そのまま悲鳴を上げ続ける。
「ぐぅあああああああっ……!」
その両目を大きく見開き、苦悶の顔つきになっている。
「いだいっ! いだぁぁぁぁぁい!!!」
私は倒れたドメル様を見下ろす。
目を白黒させ、口をパクパクさせ、とても立てそうにない。
私が喰らわせた蹴りは――カーフキック。
すなわち、ふくらはぎへの蹴り。
ふくらはぎは脂肪や筋肉がつきにくく、さらに浅い部分に重要な神経も通っている。
ここに的確に蹴りを入れられると、いかに屈強な人でも立っていられなくなってしまう。
「ちょっとぉ、しっかりしてよぉ!」
トレーネがいくら声をかけても「愛する人の声で起き上がる」なんて奇跡は起こらない。
ついにドメル様は激痛に耐え切れず、泣き出してしまう。涙の量は床に零れ落ちるほど。
これには周囲からも冷えたささやきが聞こえる。
「おいおい、泣いてるよ」
「思い切り蹴れと言っておいて、情けない……」
「蹴り一発で……ダッセェ」
傍から見れば、女子の蹴り一発で悶絶する男子にしか見えない。
婚約破棄をした上でこんな醜態を演じてしまったら、ドメル様は大きく評判を落とすことだろう。
私は残っているトレーネをじっと見る。
「な、なによ……私のことも蹴ろうっての!?」
別にそんなつもりはないけど――
「や、やだぁ! やめてぇ! ひいいっ!」
トレーネは私から逃げ出した。
直後、あまりに慌てていたためか転んでしまう。
しかも、受け身を取れず、床に顔面を強打。
「うぎゃあっ! ――鼻ッ!? 鼻がぁぁ……!」
鼻血を出して、こちらも悶絶してしまった。すごい音がしたから、鼻の骨が折れちゃってるかも。
これで私の用は済んだ。
婚約破棄はされたけど、蹴りをお見舞いすることができた。
もうここに用はない。
私は二人を置いて、静かに退場する。
すると――
「おお……すごい」
「かっこいいわね」
「エルナ嬢の完全勝利だな」
パチパチと拍手されてしまう。
まるで闘技場かどこかで試合に勝って立ち去る選手のようになってしまった。
とはいえ、気分は悪くなく、むしろ心地よかった。
会場を出ると、そこには一人の青年が立っていた。
耳にかかるほどのさらさらの金髪、穏やかな翠眼を持ち、凛々しい顔立ちをした礼服姿の貴公子。
「見ていたよ。いい蹴りだった」
「はい。あなたのおかげです」
この人こそ、私にカーフキックを伝授してくれた侯爵令息ライエン・ジェラール様だ。
***
――婚約破棄されることは、前々から分かっていた。
ドメル様の気まぐれのような形で始まった婚約だったけど、ドメル様はすぐに私に飽きてしまったことに気づいた。
多分、私と婚約してすぐ、派手なトレーネと知り合い、あっちを気に入ってしまったのだろう。
衝動買いしたけどもっといい品を見つけたから、こっちの品は返品しよう。私の扱いはまさにこんな感じ。
私は悩んだ。
悩んだけど、私にできることなんてない。
婚約破棄されたら、おとなしく受け入れるしかない。
だから、せめて――婚約破棄される時に一発ぐらいお返しをしてやりたいと思った。
そこで私は、優れた騎士であり、自身でジムを運営するほど格闘技にも精通したライエン様を訪ねた。
もちろん、格闘技を習う目的を聞かれる。
エクササイズと嘘をつくこともできたけど、私は正直に答えた。
「婚約者に一発すごいのをお見舞いしたい?」
「はい」
普通に考えれば「そんな暴力に使うためにトレーニングさせることはできない」と言われるだろう。
しかし、ライエン様は私の意を汲み取ってくれた。
「よく正直に話してくれた。君にトレーニングメニューを用意しよう」
「ありがとうございます」
「とはいえ、相手に婚約破棄をされたとして、たとえば顔面を殴る、急所を蹴る、などをすればおそらく君も罪に問われる」
「それは……そうですね」
「だから君には、脚へのたった一蹴りで相手を悶絶させる、そんなキックを授けたい」
この日から私のトレーニングが始まった。
基本的なストレッチの後、とにかく蹴りの練習をする。
正しいフォームを身につけ、ミットに向けて何度も何度も何度も……。
やがて、私はライエン様に認められるほどのキック技術を手に入れた。
「蹴りの技術に関しては、君はジム生の中でも一番かもしれない。短期間でよくやった」
「ありがとうございます、ライエン様」
「その技術を正しいことに使え。なんてことは言わない。鍛えた足を、婚約者に思い切りぶつけてやれ!」
「はいっ!」
――程なくして、私は予想通り婚約破棄され、ドメル様を悶絶させることができた。
元婚約者をノックアウトしてみせた私に、ライエン様が言う。
「ドメルはしばらく立てないだろうが、後遺症も残るまい。ただしあれだけ情けない姿を晒したら、もう社交界にはいられまいがね。むやみに怪我はさせず相手を制する。理想的な、見事なキックだった」
「あなたの教えがよかったからですよ」
私たちは互いを称え合い、見つめ合う。
そう、私たちはジムでトレーニングし合ううち、いつしか――
「目的に向かって、ひたむきに訓練する君に、私は惚れた」
「……!」
「ドメルは力不足などと言っていたが、とんでもない。君のそのひたむきさは、我がジェラール家にとっても垂涎の存在といえる。君さえよければ、どうか私と――」
丁寧に差し伸べられたライエン様の手を、私は握り締める。
「はい。私にまだまだ教えを授けてください!」
今宵、私の足は婚約者との縁を断ち切り、私の手は新たな絆を掴んだ。
忘れられない夜になりそうだ。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




