チャンス
「じゃあ今日は解散!入部届書けた人から、提出して帰っていいよ〜!また次回の活動日からお願いします」
(どうしよう……このまま帰るの?いや、でも……)
隣で真美が「ふぅ〜、緊張したね!」と肩を伸ばしている。入部する気なんか更々ないので、入部届を記入する私を尻目に暇そうだ。ていうか、さっき自己紹介してたよね…?本当に自由だ。
「あ。あの人、帰るみたいだよ」
「え!」
私は急いで渉の方を確認した。もう記入が終わったのであろう入部届を教壇に立つ部長へと手渡している。
「やば、私ちょっと先行くね!」
私はそう真美に伝え、急いで入部届を提出すると、渉の後を追いかけた。満面の笑みで私を見送る真美を気にもせずに。
------
廊下に出ると、少し向こうに渉の姿が見えた。誰かを待っているのだろうか。
胸が早鐘を打つ。
(今しかない…!)
私は渉に駆け寄ると、思い切って声をかけた。
「……あの!」
突然声をかけられて振り返った渉は、マスク越しにこちらを見つめる。
前髪の隙間から覗く眠たげで、でもどこか優しそうな目が、少し驚いているように見えた。
「あ、えっと……さっき、軽音部の説明会…同じギター希望って言ってたよね?」
声が裏返りそうになるのを、なんとか誤魔化す。
渉は小さく頷いた。
「……うん」
その一言に胸がドクンと跳ねる。
もっと何か言わなきゃ、と焦って口を開いた。
「私、えっと……私も軽音部入るんだ!よろしくね!」
渉の驚いた目が少し細くなった。そして、不器用そうに「……よろしくね」と返してくれた。
(あ、ちゃんと会話できた……!)
ほんの数秒のやり取りなのに、身体が熱くなる。
もっと話したいのに、言葉が出てこない。
「……じゃあ、またね!」
とりあえず、それだけ言うと、私は逃げるように廊下を引き返した。というか逃げた。
(やばいやばいやばい!話せた…!)
頬がじんわり熱いまま、廊下を早歩きで歩いていた私は、ふと真美がさっきの教室のドアから顔を出して、こちらを見ていることに気付いた。
めちゃくちゃにニヤニヤしている。
「ねぇ〜郁奈、今のってさぁ……♡」
「もう、真美!からかわないでよ!」
こと恋愛の話になると、抜け目がない。
「連絡先、交換した?」
「え、いや、してない…」
「えー!何してんの!?」
というか、名乗ってすらいない。
(これじゃ、私、不審者じゃん…)