おとな
ある日の下校中、私は意外な光景を目にした。
あやかが、男性と並んで歩いているのだ。
(え!あやか?誰といるの?)
そう思いながら、男性をよく見ると
(松坂先輩だ!)
松坂豊さん。去年の4月に、私にベースを譲ってくれた、バレー部の先輩だった。
しかも、あやかの家は逆方向なはずなのに。
(付き合ってるのかな?)
私はそう思ったが、あやかからは彼氏はおろか、好きな人の話すら聞いたことがなかった。
(私たちに隠してる…?)
なぜ隠すのか、私はわからなかった。あやかとは、真美と3人の仲良しだと思ってたからだ。
私は何となく、今は声をかけてはいけないと思い。回り道をして帰宅した。
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数日後。
私は、行きつけのファミレスにて、真美、あやかと3人でいつものように恋バナをしていた。
「なんか最近、駿と上手くいってなくて…」
と俯いて言う真美。
私は驚いて「喧嘩でもしたの?」と尋ねると、真美は柄にもなく、小声で
「実は、ちょっと前にエッチの話になって…」
「エッ…!」
私はそこで言葉が詰まり、固まった。そんな私を横目で見ながら、「それで?」と聞き返すあやか。
「その時は、急に言われて心の準備もできてなかったから、断ったんだけど…それからちょっと気まずくて」
「うーん」と唸っているあやかを見て、私も悩んでいるフリをした。
(ちょっと、よくわからないけど…真美がピンチ…?)
「そんなのさ、仕方ないじゃん。真美は嫌なのか?」
「嫌…ではないけど、なんかもっと、段階があるというか…」
「ABC的なね」
「うん」
(ABCって何だ?)
「それ、もう一度、ちゃんと駿くんと話し合った方がいいよ。Cがダメでも、Bなら大丈夫とか」
「ねぇ、それ、何?」
話に置いていかれないように、質問した私を2人が見つめている。
(あ、なんかまずかったかも…)
そう思っていると、あやかが目招きをし、私の耳元で「恋のABC」について教えてくれた。
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ABCについての説明がひと段落したところで、真美があやかに質問した。
「あやかは、経験あるの?」
私もあやかを見る。
「いや、まあ…」
あやかは、目を逸らして言った。
それを聞いてすかさず真美が、
「え!誰!彼氏!彼氏できたの!?」
興味津々だった。
私は、この間のことを思い出す。
(松坂先輩かな…)
そう思ったが、あやかの返答は違った。
「違う違う!中学の時の彼氏だよ!今は彼氏いないし!」
(付き合ってないんだ)
何だか、ちょっとだけ残念だった。
(そういえば…松坂先輩ってあやかと同じ中学じゃなかったっけ?)
そう思ったが、何となく聞くのをやめた。
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後日、あやかと先輩のことが気になって、仁に尋ねてみた。
「松坂先輩ってさ、あやかと同じ中学だったんだよね?仲良いのかな?」
それを聞いた仁は、少し渋い顔をした。
「ちょっと前に、あやかが松坂先輩に告白して、フラれたらしいよ。一年の終わりくらいかな〜」
(じゃあ、どうして2人は一緒にいたの?)
「へ、へぇ〜。そうなんだ。でも、この前帰り道で松坂先輩見かけたんだけど、先輩、家あっちの方なの?あやかの中学校の校区じゃないよね?」
「あー、先輩、高校入る時に引っ越したらしいよ」
「そ、そうなんだ」
郁奈の胸はざわめいた。
学校終わり、松坂先輩の家の方角に2人で。
(付き合っていないのに?)
私は確信が持てないながらも「大人な恋愛」だと感じていた。
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「で、それがどうかしたの?」
仁に聞かれて、慌てて誤魔化そうとする。
「い、いや、ちょっと気になっただけ!」
そんな私を見て「そっか」と返事をする仁。
(大人な関係…)
私はちらりと仁の顔を見る。
『断ったんだけど、ちょっと気まずくて…』
真美の言葉を思い出す。
すると、そんな私に気付いた仁が「どうしたの?」と覗き込んできた。
仁はいつも、こういう顔で私を見つめる。
私のことが愛しくてたまらないような、優しい目。自分で言うのもなんだけど、私にも伝わってくるぐらい。
(仁なら許してくれるかも…)
そう思った私は口を開く。
「あのね…キスより先のことって、仁は考えたりするの?」
突然の問いに、仁は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに真剣な顔になる。
「それは…するけど。郁奈はどうなの?」
逆に聞かれて、少し戸惑う。
「私は…よく分からない…」
そうとしか言えなかった。
「じゃあさ、郁奈が準備できるまで、俺は待つよ。そういうことが目的で、一緒にいるわけじゃないからね」
仁はそう言って、いつものように優しく笑う。
「…ありがとう」
俯きながら私が答えると、仁は私の手を握って言った。
「じゃあさ、こういうのはどうかな?目、瞑って」
そう言われて目を瞑る。
「嫌だったら教えてね」
仁はそう呟く。
私たちは、いつもより少し大人なキスをした。
(相手が渉なら…)
私はまた、そんなことを考えていた。