小指
6月に入り、水泳授業が始まっていた。
プールの使用は、男女で週替わり。今週は女子がプールを使い、男子は体育館での授業になるらしい。
(体育で内田くんを見るの、けっこう楽しみだったのにな…)
そんなことを考えていると
「郁奈、早く!」
そう言いながら、真美が追い抜きざまに私の手を取った。
「ほらほら」とあやかに背中を押され、いわゆる『地獄のシャワー』に意図せず放り込まれた。
「冷たっ!!」
私は驚いて走り抜けると、前にいた生徒にぶつかった。
「ごめんなさい!」
咄嗟に謝って顔を上げると、そこには水着姿の瑠夏がいた。
すらっとした足に控えめな胸元。モデルのように痩せた体型に、濡れた髪が何だか大人っぽい。
(あれ?背、私と同じくらいなんだ)
その雰囲気から、長身のイメージだったが、近くに立ってみると中背の私と同じくらいの身長だった。
「こちらこそ、ごめんね」
ぶつかったのは私なのに、瑠夏もそう言って、すぐにクラスごとの定位置についた。
------
授業が始まり、先生が今季の授業や泳ぎ方について、説明をしている。
(渉の水着姿って、どんな感じなんだろう…)
私は、つい想像してしまって、思わず頬が熱くなる。
「柏木!聞いてるかー?」
先生に注意されて我に帰った。
私は恥ずかしくて俯いたが、ふと瑠夏の方をみると私のことをじっと見つめていた。
さらに恥ずかしくなって、また俯く私を『うっちーのことでも考えてた?』と、真美が小声でからかってきた。
(なんでわかるんだよ…)
------
授業を終えて、髪を乾かしながら教室に戻る途中。
体育館の前を通りかかったとき、ちょうど授業を終えた男子たちが出てくるのが見えた。
その中に渉の姿もあった。
(あっ…)
思わず足が止まる。
よく見ると、渉の左手の小指には白い包帯が巻かれていた。
(けが…?)
胸の奥がざわつく。声をかけようか迷ったけれど、勇気が出なくて、そのまま足早に教室へ向かった。
------
「ねぇ、内田くんの指って…」
次の授業の休み時間、思い切って真美に聞いてみた。
真美は一瞬ためらったあと、
『駿から聞いたんだけど、中学の時からつるんでる、不良の先輩と色々あったらしいよ』
と小声で答える。
「えっ…」
思わず声を失った。
小指を?小指を切るって、ヤクザの人が辞める時のケジメ的なことでしょ?
『骨折してるんだって』
真美が続けて言った。
(骨折か…)
ちょっとだけ安心した。骨折なら病院で治療を受ければ治るだろう。
『でも、病院行ってないんだって。親にバレたら不味いから』
親に言えない先輩に、色々あって小指を骨折させられた…なんだか、知らない世界すぎてよく分からなかった。
『そうなんだ…大丈夫なのかな…』
『気になるなら、本人に聞いてみたら?』
真美はそう提案してくれたので、その夜、久しぶりに渉にメッセージを送った。
------
『今日見かけたんだけど、指大丈夫?どうかしたの?』
しばらくして返事が来る。
『突き指しちゃって』
それだけだった。
きっと親にもそう説明しているんだろう。
(駿には言うのに、私には隠すんだ…)
まあそうだろう。私、そんなに仲良い友達でもないし。
『そっか。お大事にね』
私はそう送ることしかできなかった。
『うん。ありがとう』
そう返事が来たけど、それ以上何も話せなかった私は、『今部活終わったー!』という、仁からのメッセージに『おつかれ』とだけ返事をした。
私の胸の奥には、小さな痛みが残った。