第292話 『死への逆算』
「くはあっ!」
ガイは銃撃を浴びた衝撃で後方に倒れ込んだ。
弾丸は……彼の右肩を貫いている。
血にまみれたガイの右肩を見てシジマは舌打ちをした。
「チッ。咄嗟に体を捻って避けたか。勘のいい奴だ」
シジマは右手の義手に仕込んでいた拳銃の弾丸が相手の急所を外したことに苛立った。
エミルによって斬り落とされた右腕に義手を装着すると決めた際、シジマはそれをただの義手ではなく戦いで役に立つ武器にしたいと考えたのだ。
そして義手の中に拳銃と同じ機構を仕込んだ。
いざという時に必殺の一撃として使えるように。
体の左右の均衡を考えて重量をあまり増やしたくなかったので弾倉は作らず、装填できる弾丸は1発のみだ。
それは左手で右手のある部位を強く押すことで発砲する仕組みだった。
その必殺の一撃を外してしまった。
こうならぬよう義手になってから連日欠かさずに銃撃の鍛錬をしてきたというのに、このような結果になった。
それは自身の鍛錬不足か、相手の力量が想定以上だったかのどちらかだ。
銃弾は相手の男の右肩を貫いたが、致命傷とはいかないだろう。
(チッ。俺はとことん銃の使用に向いていない男だな)
シジマは自分のこれまでは、銃に縁のない半生だったと思った。
ココノエの独自技術である銃火器を彼の妹であるオニユリは天才的に扱った。
兄から見ても才能に溢れた妹だと思い、それを羨んだ。
どう足掻いても妹のように銃を扱うことは出来ないと知り、シジマはそれ以降は銃に触れなくなり独自の戦い方を磨いていったのだ。
その自分が右腕を失ってから今さら拳銃に頼るというのは葛藤があった。
だが、あくまでも最後の切り札としてその選択肢を残しておいたのだ。
戦い方に拘るほどシジマは戦闘に美学を求めているわけではない。
拘っているのはあくまでも自分という存在がいかに一族のために役に立っているかということを他者に認めさせるためだ。
そして……自分たちを買ってくれているチェルシーの役に立つことだ。
そのために敵を騙し討ちにする拳銃を義手に組み込んだ。
(だがやはり慣れない得物では敵を殺せぬものだな)
シジマはそう自嘲する。
だがそれでも相手は右肩を撃ち抜かれており、右腕はまともに使えないだろう。
大きな戦力下落だった。
シジマは今度こそ杭を相手の首や心臓に突き立てるべく追撃に出ようとした。
銃弾を受けた相手の男は衝撃で仰向けとなって床に倒れている。
後はトドメを刺すだけだ。
相手の武器は剣のみ。
あるいは短剣をどこかに隠しているかもしれないが、倒れているその姿勢からは投げることも出来ないだろう。
それでもシジマは慎重な男だ。
毒を塗り込んだ細い杭をまずは相手の体に撃ち込むべく左手に杭を握った。
だが、その瞬間だった。
バチンという激しい音が聞こえたかと思うと、シジマは喉に激痛を覚えたのだ。
次いで息苦しさと嘔吐感がこみ上げてくる。
「なっ……」
見ると自分の喉に小さく鋭利なものが突き刺さっていた。
それはすぐ目の前から飛んできたのだが、あまりにも速くて何より不意を突かれたために避けられなかったのだ。
シジマは信じられないといった表情で、目の前に倒れている男を見下ろした。
すると男が左手に握っている鞘の口がこちらを向いていた。
それでシジマは何が起きたのかを悟って絶望的な気持ちになる。
(ま、まさか……あの湾曲した鞘の中に何かを仕込んで……)
シジマは愕然とした。
目の前にいる若い男は自分が考えていたよりもずっと強かで狡猾だったのだ。
突き刺さった刃から喉の奥に何かが流れ込んでいくのが分かる。
途端に喉から胃にかけてが激しく痛み始めた。
シジマは鬼の形相で、喉に突き刺さったそれを引き抜く。
それは刃ではなく先端が鋭利に研ぎ澄まされている細い筒だった。
シジマは苦痛の声を漏らす。
「お……おああああ」
喉の傷からはおびただしい量の血が溢れ出してきた。
シジマはそれでも筒を投げ捨て、細い杭を握ろうとする。
しかしすでに指が痙攣し始めて手に力が入らず、シジマは細い杭を落としてしまった。
そこで目の前の若い男がムクリと体を起こす。
「致死性の毒だ。一応これでも汚い仕事をやっている身なのでな」
そう言うと若い男は負傷した右手から左手へと剣を持ち替えた。
「1対1の勝負に興味がないのは俺も同じだ。いかに相手を確実かつ簡単に排除できるかが大事だからな。貴様と一緒だ。気が合うな」
そう言うと若い男は左手で鋭く剣を突き出した。
その剣がシジマの胸に深々と突き刺さる。
それは正確に心臓を貫いていた。
「うぐっ……」
激痛が走り、呼吸が出来なくなる。
そして体中の力が入らなくなり、意識が急に遠のいていく。
シジマの脳裏にいくつかの顔が浮かんだ。
亡き父と母。
兄のヤゲンと妹のオニユリ。
そして……銀髪の上官の顔が最後に浮かぶ。
「チェルシー……様……」
シジマはその言葉を最後に、その場にガックリと膝を着いて息絶えるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「ふぅ」
シジマの目から命の光が消えるのを見届けたガイは大きく息をついた。
薄氷を踏む勝利だったが、相手は死んで自分は生きた。
それが全てだった。
鞘に仕込んでおいた仕掛けが功を奏したのだ。
ガイは湾曲刀の鞘の底に強力なバネで飛ばす特殊な針を仕込んでいた。
青狐隊によって開発された仕込み針だ。
筒状の針の中には数的の毒液が仕込まれていて、刺さった相手の体内に致死性の毒を注入するのだ。
鞘に何かを仕込むのは暗殺者の常套手段だった。
だが、シジマがそれに反応できなかったのは、仕込み針の速度があまりにも速く、至近距離からでは避けようがなかったからというだけではない。
湾曲刀を収める鞘も当然のように湾曲している。
直刀の鞘とは違い、湾曲している分、その底に仕込んだ何かを飛ばすには不都合な形状だった。
湾曲部で射出速度が削がれてしまうからだ。
だがガイの鞘は特別製だった。
内側に滑りの良い特殊な素材の樹脂を貼り付けてあるのだ。
これによってバネで射出された仕込み針が、湾曲部でもそれほど速度を落とすことなく飛んでくれる。
シジマは湾曲した鞘ならばそうした射出型の仕込みはないだろうと、心のどこかで思い込んでいたはずだ。
それが彼の反応を鈍らせてしまったのだろう。
「手強い男だったな」
ガイはそう言うとすぐさまシジマの衣の一部を破り取り、それを自身の右肩にきつく巻いて止血を図る。
傷口は深く、止血をしなければいずれ失血で動けなくなってしまうだろう。
それは即ち死だ。
右肩なので巻きにくいが、両手と歯を使って巧みにガイは止血帯を巻いていく。
こうした自身への応急処置も青狐隊の訓練の賜物だった。
隊で学んだことの全てが今こうしてガイを生かしてくれている。
「モタモタしている暇はないな」
後方からは王国兵らの足音と怒声がいよいよ聞こえてきた。
ガイは歯を食いしばって痛みを堪えながら、シジマの遺体を担ぎ上げる。
そしてそれを窓側に向けたまま一気に廊下を駆け出した。
思った通り、隣の棟からの狙撃はない。
狙撃手らはシジマがすでに死んでいるとは露知らず、人質に取られたとでも思っているのだろう。
それを利用してガイは一気に廊下を駆け抜けると、シジマの遺体を放り出して階段を駆け上がった。
天空牢まではあと少しの距離だった。




