第208話 『青狐隊』
共和国政府の官舎が立ち並ぶ中に、諜報活動を業務とする部隊が集まる施設がある。
その官舎の一室では諜報部隊の中でも精鋭揃いである青狐隊の面々が顔を突き合わせていた。
作戦会議だ。
会議の進行役はいつも通り隊長を務めるアーチボルトだった。
40歳を迎えてなお頑健な体を誇る彼だが、上背は低い。
諜報部隊の面々はあまり目立たぬよう、中肉中背の男女らばかりが選ばれていた。
会議に出席しているのは隊長のアーチボルトを含め15名。
男性10名、女性5名のこの15名でこれから王国に潜入し、人質とされているダニアのエミルを救い出すのだ。
全員、もちろんエミルとは面識があり、その顔や背格好などは熟知している。
そしてこの会議には1人だけ、隊の者ではない人物が出席していた。
クローディアの秘書官であるアーシュラだ。
「以上で引き継ぎ業務を完了する。アーシュラ殿。ご協力に感謝いたします」
そう言うアーチボルトにアーシュラは一礼する。
チェルシーの部隊のことやココノエの銃火器のこと、そして王国内の状況など、知っている限りの情報をアーシュラは青狐隊に伝達した。
「エミル様をよろしくお願いします」
そう言うとアーシュラは会議室の面々を見回した。
青狐隊はここにいる15名だけではない。
総勢で40名ほどの部隊になるが、その中でも選び抜かれた優秀な15名がここに集まっている。
それ以外の面々には作戦の内容は知られていない。
同じ部隊であっても任務の内容は他言しないのが規律だった。
そして作戦の秘匿性を守るべく、アーチボルト以外の隊員の情報についてはアーシュラにも知らされていない。
名前すら分からないほどだ。
15名は20代~30代の者たちが多かったが、1名だけやけに若い男がいる。
栗色の髪に灰色の瞳、精悍な顔つきの若者だ。
(プリシラ様より少し上くらい……15歳で成人したばかりか。あの若さでここにいるということはそれだけ優秀な人物ということだ)
諜報活動は過酷だ。
ここにいる者たちは皆それぞれに優れた特徴がある。
頭脳、武芸の腕、手先の器用さなどだ。
だが、それだけではここにいることは出来ない。
諜報活動の最中に敵に捕まった者は厳しい拷問に耐えられるよう訓練されている。
万が一の際は自害して秘密を守る方法も全員が心得ていた。
あの若さでそれらを全て身に付けているからこそ彼はここにいるのだろうと思い、アーシュラはもの悲しさを覚えた。
(プリシラ様とあまり変わらぬ年齢だというのに……)
そんなアーシュラの視線に気付いたのか、若者は静かにアーシュラに視線を返してきた。
その目には若者特有の感情の揺らぎのようなものがない。
諜報活動をするにあたって邪魔な揺らぎは全て削ぎ落とされたのだろう。
アーチボルトを始めとしたここにいる面々は皆、似たり寄ったりだ。
全員が孤児であった過去を持ち、家族はいない。
友や恋人を作ることもなく、もちろん自分の家庭を築くこともない。
弱点になるものは一切排除し、任務のためだけに生きる人生だ。
その代わりとして共和国が彼らの衣食住は生涯に渡って面倒を見る。
仕事を引退した後もだ。
国家安泰は綺麗事だけでは成り立たない。
こうした者たちの人知れぬ自己犠牲の上に国民の安心できる暮らしがあるのだった。
これから命の危険を冒してエミルを救いに王国へ潜入する彼らに対し、アーシュラは敬意を込めてもう一度頭を下げた。
そしてここにいる者たちが1人でも多く生きて戻ることを祈るのだった。
☆☆☆☆☆☆
会議が終わってアーチボルト隊長がイライアス大統領の元へ報告へ出向き、残った隊員らは今夜の出発に向けて身支度を始めていた。
夜、街の者らが寝静まってから彼らはこの首都を発つことになっている。
「おいガイ。初めての大きな任務だが、気負うなよ」
先輩の隊員にそう声をかけられ、この隊で一番若い15歳のガイは黙って頷いた。
半年前にこの部隊に所属したばかりの彼がこの危険な任務に抜擢されたことは、隊員らの中に少なからぬ驚きをもたらしている。
元々、ガイは剣の腕を見込まれて、アーチボルトに拾われたのだ。
彼が10歳の時のことだった。
孤児の中でももっとも悲惨な浮浪児として幼少期を過ごした彼は、生きるために仲間たちと徒党を組んで盗みを働く毎日を過ごしてきた。
時には盗みに失敗し、大人たちの報復を受けて死にかけたこともあった。
ゆえにガイはゴロツキの死体から盗んだ剣を振るい、必死に訓練を重ねたのだ。
刃物があれば子供でも大人を殺すことが出来る。
スジの良かった彼はメキメキと剣の腕を上達させ、ある日とうとう盗品を取り返しに来た大人たちを斬り殺した。
躊躇もなく、斬り殺した後の罪悪感もなかった。
すべては生きるためにしたことだ。
殺さなければ殺されてしまう。
だが、ある日現れた手練れの警吏らを相手に敗北し、ガイはとうとう逮捕されてしまう。
その一部始終を偶然目撃したアーチボルトは共和国軍に交渉し、拘留中のガイと面会を果たした。
そして一度死んだつもりで青狐隊に入隊し、任務のために全てを捧げるのならば、盗みと殺しの罪を赦し衣食住の面倒を見ると告げた。
ガイは食べていけるならば何でもやると言い、アーチボルトの勧誘を受けることにした。
しかしガイは後になってその決断を後悔するほど過酷な訓練を課されたのだ。
地獄を見るようなその訓練はガイという人間を根本から変えた。
そして訓練に耐え抜いたガイは、若くして牙の鋭い狼のような諜報員になったのだった。
(ダニアのエミルか。女王ブリジットの息子。さぞかし恵まれた暮らしをしていたことだろう)
ガイは身支度を整えながら今回の任務に思いを馳せる。
彼がエミルを見たのはこれまで二度ほど。
美しい容姿の子供だった。
良質な服を着せられ、いかにも高貴な身分を感じさせた。
昔の自分が見ていたら出自の差に、嫉妬と羨望で腹を立てていただろう。
だがもうそれほど子供ではない。
この世はどうすることも出来ない生まれの差という不平等が溢れ返っているということを知っている。
所詮、人は与えられた人生を必死に生きる以外に出来ることはないのだ。
それにガイは今の暮らしに不満はなかった。
任務は過酷だが、この仕事は自分に向いているとさえ思う。
諜報任務をこなす日々に心を病む者もいるが、ガイはそんなこともなく淡々と仕事をこなすことが出来た。
任務で人を殺したこともあるが、高揚感もなければ罪悪感もない。
それがガイにとって仕事だからだ。
農夫が農作物を収穫するように、ガイは与えられた仕事をこなしていた。
敵対した者たちから、国家の飼い犬と蔑まれたこともある。
その言葉を聞いても何の感情も湧かなかった。
国家の飼い犬。
それは今の自分を表す最適な言葉だからだ。
この道を選んだことは後悔していない。
あのまま浮浪児でいても下手を打って野垂れ死ぬか、運良く生き延びてもヤクザ者に拾われて下っ端としてこき使われるだけだっただろう。
ヤクザ者の飼い犬になるよりは国家の飼い犬のほうがだいぶマシだ。
そんなことを思いながらガイは身支度を終えた。
王国からエミルを救出してダニアの親元に帰す。
そのためにガイは今日も淡々と任務に就くのだった。