第279話 『勝利への執念』
地下通路の先に明かりが見え、獣脂の蝋燭のニオイが漂ってきた時、オニユリは自身の勝機を見出した。
オニユリは自分の体に染みつく硝煙の香りを自覚している。
ジャスティーナは恐らくそれを追って来るだろう。
だがこうして他の煙のニオイと混じってしまえばそれも難しいはずだ。
オニユリは広間の前をすばやく通り過ぎる。
そして明かりの届かない暗闇が横たわる通路の端に這いつくばった。
そこで息を殺していると前方からジャスティーナが姿勢を低くして向かって来るのが見えた。
ジャスティーナは両手に短剣を握り、広間の中に飛び込んでいく。
それを見たオニユリは闇の中からユラリと立ち上がり足音を立てぬように広間に向かった。
そして気配を殺して広間の入口に立つと、静かに拳銃の撃鉄を起こす。
その音にジャスティーナは気付いて振り返った。
彼女の向こう側に初老の男の姿がある。
オニユリは即座に引き金を引いた。
狙いはジャスティーナの眉間だ。
だがジャスティーナはオニユリが引き金を引くよりも早く動き出していた。
それでも弾はジャスティーナの肩に命中する。
「くはっ!」
鮮血が舞い散ってジャスティーナがのけ反った。
その姿にオニユリは違和感を感じる。
拳銃を撃つ際、相手に大きく動かれると的を絞りにくい。
だがジャスティーナは敢えて大きく動かなかったような気がしたのだ。
(回避の動きが鈍かった……そうか。あの老人をかばったのね)
オニユリはニヤリとすると、老人を背後にかばうジャスティーナに次々と銃弾を放った。
☆☆☆☆☆☆
連続して銃弾が射出され、ジャスィーナの両腕や両足を掠めて傷つけた。
鋭い痛みにジャスティーナは思わず苦痛の声を漏らす。
「うぐっ!」
背後では初老のモグラの男が驚いて地面に身を伏せている。
ジャスティーナは大きく動いてオニユリの射線から外れたいところだったが、そうなればモグラの男が撃たれて死ぬかもしれない。
ここにオニユリを引き込んだのは自分たちだ。
関係のない者を死なせるわけにはいかない。
ましてやここにいるモグラは自分たちをここまで導いてくれた恩人だ。
だが、そんなジャスティーナの心を見透かしたようにオニユリは嬉々として発砲する。
「ほらほら。避けると後ろのおじいさんに当たっちゃうわよ!」
「調子に乗るな!」
ジャスティーナは鋭く一本の短剣をオニユリに投げつける。
だがオニユリはそれを拳銃で撃ち落とすと、さらに弾丸を放った。
それはジャスティーナの脇腹を捉える。
「ぐうっ!」
ジャスティーナはたまらずにとうとうその場にしゃがみ込んだ。
オニユリはその顔に禍々しい笑みを浮かべてジャスティーナを嘲るように言う。
「どうしたの? 私を殺しにくるとか吠えていたくせに、そのザマ?」
「……黙りな。すぐに殺してやるよ」
「こんなところまであの姉弟を助けに来るなんて、あなたって善人なのね。でも善人は損するわよ? この世は自分の欲望を最優先にして他者から奪う者の勝ちなの」
「黙れと言っている」
怒りの形相でジャスティーナはオニユリを睨みつけた。
それでもオニユリは笑みを消さずに言う。
「あなたが助けようとしたプリシラはどうせチェルシー将軍に殺されるわ。そして……エミルの坊やは今夜、私の慰みものになるのよ。残念ね。あなたは誰も守れない。ここで死ぬから」
挑発するオニユリの言葉に、ジャスティーナは大きく息を吸い込んだ。
怒りは腹の底に溜める。
腕や足の出血箇所が痛むが、そんなことは問題ではなかった。
敵を殺すということは自分も殺されるかもしれない命懸けの所業なのだ。
その覚悟はとっくに出来ている。
「うおああああああっ!」
ジャスティーナは腕に括りつけている円盾を掲げ、それで頭を守りながら突っ込んだ。
決死の特攻だ。
それを見たオニユリは侮蔑の笑みを浮かべながら拳銃を構える。
「胸がガラ空きよ」
発砲音が鳴り響き、銃弾がジャスティーナの右胸を直撃した。
革鎧の胸当てが無残にちぎれて吹き飛ぶ。
その衝撃に思わずジャスティーナはのけ反った。
だが……ジャスティーナは倒れずにそのまま突進してくる。
「なっ……」
オニユリは目を剥いた。
吹き飛んだジャスティーナの革鎧の胸当ての下に、鈍色の金属板が見えたのだ。
ジャスティーナは革鎧の胸当ての下に鉄板を装備していて、それが銃弾から彼女の心臓を守ったのだとオニユリは理解した。
そしてジャスティーナは残っていたもう一本の短剣を投げつける。
「くっ!」
オニユリはそれを拳銃で撃ち落とそうとした。
だが……わずかに短剣の方が早く、その切っ先が……拳銃の銃口に突き立ったのだ。
その状態で引き金を引いたため、銃弾が銃身の中で衝撃を受けて暴発を引き起こした。
「きゃあっ!」
オニユリの手から拳銃が弾け飛ぶ。
その指は折れ、激しく損傷して出血した。
それを見たジャスティーナは一気呵成にオニユリへ襲いかかった。
地下道に降りる際に持ってきた武器は短剣と長剣のみ。
だがジャスティーナはそのどちらも使わず、両手でオニユリの両手首を掴むと、その鼻面に思い切り頭突きを浴びせた。
「くはっ!」
オニユリの形の良い鼻が砕けて、鼻血が舞い散る。
ジャスティーナは怯んだオニユリの体に組み付くと、その体を持ち上げて地面に思い切り叩きつけた。
「かはっ!」
背中を強打したオニユリは息を詰まらせて、その顔を苦痛に歪める。
「もうおまえの変態趣味の犠牲になる哀れな子供はいなくなる!」
ジャスティーナはそう吠えると再びオニユリの両手首を掴んでその体の上にのしかかった。
これだけやられてもオニユリは決して右手の拳銃を手放さない。
それゆえジャスティーナは絶対に彼女の右手を自由にさせなかった。
そして右膝でオニユリの首を圧迫して思い切り体重をかける。
オニユリは苦しそうに両足をバタバタさせて暴れ、そこから抜け出そうともがいた。
だがオニユリとジャスティーナでは体格差が歴然としている。
そしてジャスティーナは容赦なく、全体重をオニユリの首にかけた。
すると……バキッという乾いた音が鳴る。
それはオニユリの首の骨が砕けた音だった。
☆☆☆☆☆☆
呼吸が出来ない。
ジャスティーナの膝で首を押さえつけられ、オニユリは苦しくて必死に両足をバタつかせて暴れた。
拳銃を握った右手と先ほどの拳銃の暴発で負傷して使い物にならなくなった左手はジャスティーナによって手首からガッチリと掴まれている。
ジャスティーナの全体重をかけられており、こうなるともうオニユリはひっくり返す力が残っていなかった。
(忌々しい……この私がなぜこんな目に……)
オニユリは必死に抵抗するが、徐々に体が力を失っていく。
死が近付いてくる。
(こんなところで……死ぬなんて……今夜はようやくエミルの坊やを……私のものに……)
脳裏に浮かぶエミルの顔は相変わらず愛らしかった。
その美しい顔を、黒く艶のある髪を、幼い体を欲望のままに貪りたかった。
オニユリは薄れゆく意識の中で、何かが折れるような音を聞いた。
だがそれが自身の首の骨が折れる音だとはオニユリには分からなかった。
深い闇が彼女の意識を飲み込んでいき、やがて……静かに消えていくのだった。




