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第275話 白い髪の悪鬼

「今夜……エミルがオニユリに手篭てごめにされるわ」

「……えっ?」


 ショーナから思わぬ話を聞かされたヤブランは絶句してしまう。

 日が暮れ落ちた後の王城内の庭園。

 夜風の冷えるこの時刻になると、庭園に出てくる者はいない。

 そこでショーナは協力相手であるヤブランと密会していた。


「ショーナ様……それは許されないことなのでは? エミルは王国にとって重要な人質です。シャクナゲ様が何らかの不埒ふらちな実験をエミルにほどこしているだけでも大きな問題だというのに、そのようなことは許されません」


 そう言うヤブランは青ざめてその顔を引きつらせている。  

 それはそうだろう。

 ショーナは黒髪術者ダークネスだ。

 ヤブランがその胸に秘めたエミルへの想いに気付いていた。


 そんな彼女の想いをショーナは自身の目的のために利用しようとしている。

 わずかな罪悪感が胸ににじんだが、彼女は幼き頃より王国内の権謀術数を身近で感じながら生きてきた女だ。

 こういう生き方をすることに抵抗はなかった。


「それが正常な判断よね。ヤブラン。でも今この王国政府はジャイルズ王陛下(へいか)の心を握るシャクナゲ様によって支配されている。異常なことも起きるのよ。何にせよ今夜、エミルは不幸な目にうわ」

「だ、誰かにこのことを話して止めさせないと……」

「落ち着きなさい。ヤブラン。そんなことしても誰も助けてくれないわ。すぐにシャクナゲ様の耳に入って握りつぶされるわよ。あなたの命ごとね」

「で、ではどうすれば……」


 ヤブランは今にも泣きそうな顔でくちびるを震わせた。

 彼女はオニユリの元に連れ去られたエミルをその魔手から救い出したという。

 だというのにエミルが再びその魔手によってけがされようとしている。

 悔しさ、悲しみ、あせり。

 ヤブランの胸に渦巻うずまくそうした感情がショーナの胸にヒシヒシと伝わってきた。


「……あなた。エミルを救うためなら何でもする覚悟はある?」

「えっ? ショ、ショーナ様?」

「どうなの? エミルを救うためになら、それが大それたことであっても危険なことであってもやれる?」

「そ、それは……」


 突然のことに口ごもるヤブランにショーナはもうひと押しをした。


「それともエミルのことはあきらめる? 別に命まで取られるわけじゃないわ。ほんの短い時間、オニユリの欲望の犠牲になるだけ。もしかしたら薬で眠らされて本人は気付かないうちに事が終る可能性も……」

「だめです! 彼にも……彼にも人としての尊厳がある! それを踏みにじられて平気なわけはないんです!」

 

 思わず大きな声を出すヤブランの口をショーナはすぐさま手で押さえた。

 ヤブランの震えがその手に伝わってきて、最後の一言は意地悪が過ぎたなとショーナもさすがに反省する。

 まだ12歳の少女に対して言うことではなかった。


「落ち着いて。あなたに覚悟があるのなら、彼を救えるから」

「えっ……? 本当ですか?」


 激情とおどろきで心が追いつかずにヤブランは目を白黒させる。

 そんな彼女にショーナはおのれの考えを伝えた。

 ヤブランは息を飲むが、今度は覚悟を決めたように決然とうなづく。 


「分かりました。私……やります」


 そう言うヤブランにショーナも覚悟を決めるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「まさかあなたがこんなところまで来ているとは思わなかったわ。プリシラ。エミルの坊やを助けに来たの? あなたって弟思いなのねぇ」


 そう言うと白髪の若い女は拳銃の銃口をプリシラへ向けた。

 王城の城壁のすぐ外、ガイに続いてプリシラが城壁に登ろうかと言う時に、銃声が鳴り響き、ここまで導いてくれた案内人が撃ち殺されたのだ。

 そこに現れたのは以前にさんざんプリシラたちを苦しめた白髪の悪鬼のような女だった。

 プリシラはおどろきと敵意を持ってその名を呼ぶ。


「オニユリ……」


 オニユリの顔を見た途端とたん、あの谷間の戦いで銃撃を受けて谷底へ転落していったジャスティーナの顔が頭に浮かび、プリシラは怒りの形相ぎょうそうで相手をにらみつける。


「またアタシの前に立ちはだかるのね。オニユリ。あなたがジャスティーナにしたことは忘れていないわよ!」

「フンッ。まだそんなこと言っているの? 執念しゅうねん深いわね。あなたって」


 そう言うとオニユリはその顔に冷笑を浮かべる。

 形の良いそのくちびる禍々(まがまが)しくゆがんだ。


「プリシラ。いいことを教えてあげる。あなたの弟は今夜、私に食べられちゃうのよ?」

「……何ですって?」


 プリシラの胸に激しい怒りが巻き起こる。

 そんなプリシラの神経を逆撫さかなでするようにオニユリは言葉を重ねた。


「ふふふ。今夜、私はエミルの坊やを好きにしていいって言われてるの。あの子、食べちゃいたいくらいかわいいでしょ?」


 その言葉を聞いたプリシラは怒りで心が支配されそうになったが、しかしオニユリの顔を見て、それから母の顔を思い出して冷静になった。

 戦場では言葉(たく)みに相手を怒らせたり不安にさせたりして惑わせ、冷静な判断力を失わせてから仕留めるやからがいると母はよく言っていた。

 怒りは時に力になるが、冷静さを失うことは死に直結する。


 敵が剣などの通常武器を使う相手ならばいざ知らず、オニユリは拳銃の名手だ。

 この10メートルほど離れた距離は完全にオニユリの間合いだった。

 怒りのままに突っ込めば銃弾に返り討ちにされてしまうだろう。

 プリシラは怒りを腹の底から排出するように大きく息を吐き出した。


(冷静で冷徹になれ。戦場ではそれこそが最大の武器だと母様が教えてくれた)


 プリシラは剣を構えたままオニユリと対峙たいじする。

 そんな彼女の頭上にガイの声がかけられた。


「大丈夫か!」


 だがプリシラは即座に声を返した。


「この女は銃を持っているわ! アタシじゃないと対処できない! あなたは行って! エミルをお願い!」


 それを聞いたガイはわずかに逡巡しゅんじゅんする表情を見せた。

 だがオニユリが右手の拳銃をガイに向けると同時に、ガイは城壁の後方へと身をおどらせて王都内へと入っていく。

 彼は去りぎわ、死ぬなよとプリシラに言い残したが、すくにオニユリの発砲音がそれをかき消すのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 ガイは自分のすぐ頭上を弾丸が目に見えぬ速度で飛んでいくのを感じながら、数メートル下の家屋の屋根に着地した。

 そして舌打ちを響かせる。

 プリシラのことはガイの任務外とは言え、エミルと同じく貴人だ。

 エミルを救うことを優先しなければならないが、プリシラを見捨てて行くようで気が引けた。

 だがガイはすぐに思い直す。


(プリシラは戦士だ。エミルとは違う。自分の道は自分で切り開くだろう)


 ガイは屋根の上から民家の軒先のきさきへと飛び降りた。

 どうやら戒厳令がかれているらしく、夜の街に市民の姿はなかった。

 代わりに王国兵らがそこかしこを見回っている様子が見受けられる。

 そして先ほどの発砲音のせいで、ガイのいる辺りに警備兵らが集まりつつあるようだった。


「チッ! 銃というのは本当に厄介やっかいなものだな」


 ガイはやみの中に紛れるように道の端をすばやく駆け出した。

 するといきなり前方に2人の王国兵が角を曲がって現れたのだ。

 だがガイは迷うことなく加速し、剣を抜き放つと同時に2人の兵士を一瞬で斬り捨てた。


 王国兵らは深々と首を斬り裂かれて大量の血を噴き出しながら倒れて痙攣けいれんする。

 ここまで来たらもう隠密おんみつ行動に縛られることはない。

 王城までは走れば20分ほとで到達する。

 邪魔じゃまする者は容赦ようしゃなく排除してガイは進み続けるのだった。

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