第273話 『文書に隠された情報』
午後の天空牢でエミルはヤブランからもらった文書の紙面をじっと見つめていた。
それはココノエの民がなぜ生まれながらに髪が白いのかという伝承を記した文書だった。
ヤブランが自ら筆で書いたものだ。
エミルは一度目は普通に内容を読んだ。
それはとても面白く興味深い内容だった。
そして二度目は読み方を変えてみた。
この文書をエミルに渡す際、ヤブランは斜めに読むようにとエミルに合図をしてみせたのだ。
ヤブランの書いた字は几帳面であり、同じ大きさで等間隔に並んでいる。
最初の文字から斜めに読むことも可能なほどに。
だが実際に斜めに読んでみても、それはまったく意味の分からない文章にしかならない。
(どういうことなんだろう……)
あまり顔をしかめて紙面を凝視していると見張りの兵から怪しまれてしまうため、エミルは平静を装って色々な方法で文字の羅列を見つめた。
しかし10分経ってもそこから何らかの情報を読み取れなかったために中断する。
あまり長時間読み続けて見張りの兵に見咎められても面倒だった。
仕方なくエミルは立ち上がり、水差しの置かれた棚に歩み寄ると水差しを手に取る。
そしてそこから水を飲むと、再び机に戻ろうとした。
だがその時、真横から机の上の紙面を見て何か引っかかるものを感じたのだ。
(……ん?)
エミルは思わず立ち止まるが、彼の一挙手一投足を見張りの兵士が見ているため、エミルはそのまま両手を上に上げて大きく伸びをするフリをした。
(斜めに読む……それって文字列を斜めに読むのかと思っていたけれど、もしかして……)
そしてエミルはそこから半歩下がって紙面の斜め45度辺りに立つ。
そこで紙を見下ろすと、今までは見えていなかった文字が浮かび上がってきたのだ。
エミルは怪しまれないようにその場で腕をグルグル回したりして体操を始めた。
そんなエミルの様子を見張りたちは静かに見つめていたが何も言わない。
牢の中では体がなまらないように彼が体操をすること自体は日常茶飯事なので、見張りの兵たちももう見慣れていた。
体操をしながらもエミルは紙面をチラリと見やる。
そしてヤブランが自分に伝えた合図の意味を理解した。
(文字を斜めに読むんじゃなくて、紙を斜めから見るんだ)
整然と等間隔に並んでいる文字列を斜めから見る。
すると先頭の文字を頂上にして山のような文字の三角形が出来上がるのだ。
それを頂上から下るようにして徐々に読んでいく。
上から下。
左から右へと。
そこにヤブランからの隠れた伝言が表れた。
こうした文書を囚人に渡す際、それが暗号文の類ではないかどうか検閲によって色々と調べられる。
検閲そのものは見張りの兵がザッと見るだけだったが、単純に文字を斜めに読むだけの仕掛けだと看破されてしまう恐れがある。
だからヤブランはこうした少々複雑で手間のかかる伝達方法を選んだのだろう。
(これ……ヤブランが考えたのかな。だとしたらすごいな)
エミルは知らない。
ヤブランに黒髪術者の協力者が出来たことを。
そしてエミルは気付いたが、隠し文書には慎重な手法が採られていた。
1枚目の紙だけでは情報が断片的なのだ。
2枚目、3枚目と小出しに情報が続き、それは全十数枚の紙に渡って記されていた。
エミルは見張りの目を気にして、それを出来るだけ手早く読み込んでいく。
そしてヤブランが自分に伝えようとしていることを知ったのだ。
(食事に……何かを混ぜられている?)
ヤブランがしきりにエミルの体調を気にしていたのはそういうことだったのかとエミルは理解した。
しかし最近はむしろ体調がいい。
薬によって調子が悪くなっているようなことは何もない。
夜も以前よりよく眠れる。
夜中にまったく目を覚まさないほどグッスリ眠れていた。
エミルは紙面に目を落としたまま、机の木目に目を移してあることに思い至る。
(机が交換されているのは……夜中に僕が眠っている間だ。僕は……食事に混ぜた薬で眠らされている? そして夜中に誰かがここに来て何かをしているんだ。机の交換が必要になるような事を何か……)
そこで机が壊されている可能性と、自分に宿る恐ろしい力のことが結び付き、エミルはわずかに震えて息を飲んだ。
(机を壊したのは……僕だ。僕は……自分で気付かないうちに何かをしている。いや、させられている)
その可能性に気付いてエミルは恐ろしくなった。
今日まで食べていた食事にそんなものが混ぜられていたと知ると、思わずエミルは吐き気がしてしまう。
だがヤブランは文書の最後で言っていた。
食事を拒否すると、エミルが気付いたことをシャクナゲに気付かれてしまうので食べるように、と。
その代わり、食事と同時に大量の水を飲んで、食後に尿で排出するようにと書かれていた。
それによって薬の効果が薄まるというのだ。
そして明日また同じ方法で紙面を渡すと締め括られていた。
文書を読み終えるとエミルは大きな疲労感に襲われ、椅子に深く腰を掛けて大きく息を吐いた。
次に出される食事を何ともない顔で食べる自信がない。
しかしヤブランがこれを教えてくれたということは、自分を何らかの陰謀から救い出そうとしてくれているのだと信じたかった。
エミルは自分の心を奮い立たせる。
いつか母のブリジットや父のボルド、姉のプリシラが助けに来てくれた時に自分が変わり果ててしまっていては皆の喜びも半減してしまうだろう。
そんなのは嫌だった。
元気な顔を家族に見せるために、エミルは気を張るのだった。
☆☆☆☆☆☆
ショーナは城内の廊下を歩いていて、前方から白い髪の女が歩いてくるのを見て足を止めた。
一瞬、シャクナゲかと思ったが、歩いてきたのは彼女の腹違いの妹であるオニユリだった。
オニユリはやけに浮かれた表情と足取りで廊下をこちらに向かって来る。
そしてショーナの姿に気付くと気安く声をかけてきた。
「あら。ショーナ隊長。ごきげんよう」
それだけ言ってすれ違って行くオニユリにショーナは軽く会釈をした。
その瞬間、ショーナはオニユリがその胸に抱いている思いを感じ取り、思わず顔をしかめそうになる。
無表情でいられたのは黒髪術者として他者の感情を感じ取る経験が豊富なショーナだからこそだろう。
オニユリが去って行った後、ショーナは彼女がやって来た方向を見つめる。
それはかつての先代クローディアの私室があった場所だ。
ショーナにとっては大切な場所だった。
だが先代の娘であるチェルシーが不在にしているうちにシャクナゲがジャイルズ王に頼み込んでその場所を奪ってしまったのだ。
そのことを思い返して苛立ちながらショーナは、オニユリがシャクナゲの部屋にいたのだと知った。
ここのところオニユリはシャクナゲの命令を受けて王都内で内通者の暗殺に奔走している。
ショーナはオニユリが先ほど胸を躍らせていた感情を思い返した。
彼女がその邪な感情を募らせている相手は黒髪の子供だ。
(……エミルだわ)
そしてショーナは頭の中に伝わってきた、それとは別のイメージを整理する。
今夜、オニユリはエミルに何かをするのだ。
おそらくそれはおぞましい行為だろう。
その正確な時刻までは分からない。
だが……。
(これは大きな好機かもしれない)
ショーナは踵を返し、中庭へと向かう。
ヤブランとの待ち合わせの時間が迫っていた。
☆☆☆☆☆☆
「みんな起きて下さい」
エステルがそう声をかけると、茂みの中で眠っていた仲間たちがムクリと身を起こした。
最後まで眠っているのはネルだ。
エリカがそんなネルの鼻をつまんで起こす隣では、ハリエットが痒そうに体をかいている。
「うぅ……ダニに噛まれたかも。はぁ。お風呂入りたい」
王国領に侵入してからの彼女たちの道のりは過酷だった。
王国内は当然、見張りの王国兵の数が段違いであり、昼間に見つからずに移動することは不可能だった。
そのため昼の間はこうして身を隠して休息を取り、日没と同時に移動を開始する。
夜陰に紛れて夜通し移動するのだ。
そしてようやく5人は王都が遠くに見えるところまで辿り着いた。
今、身を隠している森を抜けると、王都までは遮るものが何もない平原が続いていた。
平原はあちこち篝火が焚かれて王国兵の兵士らが見張りをしていることが分かる。
しかし夜の闇が全て明るい篝火でかき消されているわけではない。
5人は闇の横たわる場所を選んで進むことになる。
しかも夜明け前に王都に到着出来るよう走り続けなければならない。
王都に辿り着く前の最後の難関だった。
5人は皆、干し肉や干した果実を口に放り込み、それを水で流し込む。
そして立ち上がった。
太陽の沈んだ西の空も赤みが消え、辺りはすっかり夜の闇に包まれている。
5人は十分に闇に目を慣らすと互いの姿を見合った。
「行こう!」
エリカの声を合図に全員が駆け出した。
闇の中に浮かび上がる王都に向かって。




