第207話 『ダニアにて』
「諜報中央局の精鋭部隊はアーチボルト隊長の率いる青狐隊。諜報を専門にする共和国最高峰の部隊だから必ずエミルを王国から救い出してくれるはずだよ。プリシラ」
「うん……分かっているわ。父様」
ボルドの言葉にプリシラは悄然と頷いた。
イライアス大統領が開いた共和国首都での会議を終え、ブリジットとボルド、そしてプリシラとウィレミナは馬車でダニアへととんぼ返りをする途中だった。
帰りの馬車でプリシラは母であるブリジットから会議の席での振る舞い方について注意を受けていた。
会議は議論の場であり、たとえ感情的になっても会議の相手を尊重する気持ちと態度を失ってはいけないという母の言葉をプリシラは神妙な面持ちで聞いていたのだ。
それから数時間はブリジットとボルド、ウィレミナが今後のダニアの動き方について意見を交換し合う中、プリシラは黙って馬車に揺られていた。
そしていよいよダニアの都に到着する寸前に、プリシラの気落ちした様子を見かねたボルドが、娘を安心させるべく優しく声をかけたのだ。
しかし今のプリシラには父の優しさも慰めにはならなかった。
ダニアに到着するとすぐに庁舎へ向かう両親やウィレミナと別れ、プリシラは自宅である金聖宮へと戻った。
侍女たちや衛兵らに出迎えられ、帰宅の挨拶を交わすと、プリシラは自室の隣にある弟の部屋の前で立ち止まった。
この部屋にエミルが戻って来る日は来るのか。
そんなことを思うとプリシラは虚しさを覚えた。
捜索隊を組んで仲間たちと共にエミルの奪還に向かっていた時は、必ず弟を連れ戻すという強い決意に燃えていたため、そんな虚しさを覚えることは一度としてなかった。
だが今、弟の奪還は他人の手に委ねられた。
誰かがエミルを救出し、連れ戻してくれるのを祈りながら待つしかないのだ。
プリシラにとってそれはあまりにも辛いことだった。
(幸運を祈るしかないなんて……)
プリシラは忸怩たる思いを胸に抱えながら、自室に戻る。
そして彼女はベッドに身を投げ出した。
心身の疲れが一気に出たように思え、気だるさの中でプリシラはまどろむのだった。
☆☆☆☆☆☆
「どうなってるの! ヴァージルもウェンディーも親元で暮らしているじゃないの!」
マージョリー・スノウは怒りに声を荒げ、テーブルの上に置かれた火の消えた蝋燭の立てられた燭台を薙ぎ倒す。
先日、共和国首都で彼女は見たのだ。
大統領夫妻と共に護衛に守られて移動するヴァージルとウェンディーの姿を。
「何の音沙汰もないと思ったら、あの小娘将軍は任務に失敗したってわけね。口ほどにもない」
マージョリーは先日、港町バラーディオで出会った王国軍のチェルシー将軍の顔を思い浮かべて毒づいた。
あのチェルシーがヴァージルとウェンディーを攫い、子供たちを奪われて嘆き悲しむ憎きクローディアの顔が拝めると思ったら、そうはならなかった。
かつて自分をやり込め、破滅の道へと追い込んだクローディアへの恨みがマージョリーの胸に募る。
この十数年間、一度として忘れることのなかった強く深い恨みだ。
「あの女がのうのうと幸せに暮らしているなんて許せない。私が受けた以上の不幸と屈辱を味わわせてやりたい」
マージョリーがそうして歯ぎしりをしていると、不意に部屋の扉が叩かれた。
声をかけてきたのは、部屋の外で待機している用心棒の男だ。
「マージョリー様。ミルドレッド様がお見えです」
「……客間に通してちょうだい。すぐに行くから」
マージョリーがそう言った途端、無遠慮に扉が開いて中年から初老に差し掛かるくらいの年齢の女性が部屋に入って来た。
レディー・ミルドレッドだ。
「何だい? 随分と荒れているねぇ」
「……レディー。客間でお待ちいただければ、伺いましたのに」
そう言うマージョリーの顔には険しい不満の色が表れている。
それを見たミルドレッドは大仰に首をすくめて見せた。
「おお怖い。恨みに駆られた女は怖いねぇ」
「ご用件は何ですの? お仕事なら済みましてよ」
彼女らの仕事はチェルシー将軍らが共和国大統領の子女であるヴァージルとウェンディーを誘拐するための手助けをすることだった。
その誘拐自体は失敗に終わったが、ミルドレッドらにとって仕事はチェルシーらへの物資の提供や宿の手配などで終わりなので、結果は関係なかった。
マージョリーの心情的にはそれでは収まりがつかなかったが。
「次の仕事の依頼だよ」
「今は仕事を受ける気分ではありませんわ」
「いいや。あんたはすぐにこの仕事を受ける気になるよ」
そう言うとミルドレッドはニヤリと笑う。
訝しげな顔で彼女の話す依頼の内容を聞いていたマージョリーは、徐々に溜飲を下げてその顔に歪な笑みを浮かべていく。
「なるほど。確かにその人物が死ねば、クローディアは嘆き悲しみますわね」
「だろう? しかも王国の連中にとって邪魔な人物だ。そいつが生きていると厄介なんだとさ。まあ、暗殺なら誘拐なんかよりもずっと単純でやりやすいよ。で、人選はどうする?」
「私の用心棒を使いましょう。今はあんな感じだけど名のある剣士でしたから」
「それだけじゃ心許ないだろう? こちらでも何人か見繕うよ」
2人の女はその顔に禍々しい笑みを浮かべ、嬉々としてある人物の暗殺計画を練るのだった。
☆☆☆☆☆☆
「クローディア。お呼びでしょうか」
主に呼ばれたアーシュラは、大統領夫妻の私邸にあるクローディアの私室を訪れていた。
「ええ。明日、あなたには作戦会議に参加してもらいたいの。青狐隊の作戦会議に」
青狐隊。
共和国政府が抱える諜報部隊の中でも最も優秀な者たちを揃えた最高峰の部隊だ。
その話を聞き、アーシュラはすぐに理解した。
「引き継ぎですね。そういうお話が来るだろうと思っておりました。参加いたします」
アーシュラはいつものように落ち着いた表情でそう答えた。
青狐隊がこれからエミルの救出作戦に従事するにあたり、チェルシーの部隊やココノエの武器のこと、さらには王国の内情などの情報が必要になる。
前回の作戦の責任者であり、元はダニア分家として王国に所属していたアーシュラはそうした情報を持っているため、それを青狐隊に引き継ぐ必要があった。
「……あなたも本当であれば自分でエミルを助けに行きたいと思うけれど」
昼間の会議でのプリシラの辛そうな様子を思い返しながらクローディアは顔を曇らせた。
アーシュラはそんな主を気遣うように言葉を返す。
「ええ。もちろんそういう気持ちはあります。ですが大事なのはエミル様が無事にお戻りになられるという結果です。青狐隊はアーチボルト隊長旗下の優秀な部隊ですし、今回の任務にはこれ以上ない良い人選かと思います。クローディア。どうかワタシにはお気遣いなく。ここのところクローディアは多くの心労に苦しまれていますので、まずはご自分を大切になさって下さい」
彼女がまだレジーナという幼名で呼ばれていた幼き頃よりクローディアをよく知っているアーシュラは、ここのところクローディアが心より笑っている顔を見ていないことを気にかけていた。
王国の侵略戦争、子供たちの誘拐事件、ジリアンとリビーの死、そして王国の人質となったエミル。
あまりにも心配事や悲しい出来事が多過ぎるのだ。
アーシュラの気遣いを感じ、クローディアは苦い笑みを浮かべる。
「あなたにはすぐに分かってしまうのね。最近あまり眠れなくて……」
「ご就寝時に落ち着ける香を後ほどお持ちします。少しでも心身をお休め下さい。きっと大丈夫です。再び平穏な日々は訪れますよ。必ず」
そう言うとアーシュラはそっとクローディアを抱き締めた。
部下としてではなく友として。
少々驚きつつもクローディアは友の温かな抱擁に感謝し、自らもアーシュラを優しく抱き締めるのだった。




