第263話 『海原を行く』
公国領の北岸。
この時期は東から西へと吹く風が強く、海流もその方角への流れが強い。
占領軍である王国兵らが海辺を警戒する中、沖合を20隻ほどの船が帆を張り、風と海流に乗って西進していた。
王国兵らは息を飲む。
すべての船が大型船であり、海原を突き進むその様子は勇壮そのものだ。
そして全ての船に赤い軍旗がはためいている。
「ダニアの船団だ……本当に赤毛の女たちが攻めてくるのか」
王国兵らは息を飲んだ。
共和国の北の港街からダニアの銀の女王クローディアが船団を率いて攻め込んでくるという噂は王国兵らの間に広まっていた。
その噂が本当であったと目の当たりにし、王国兵らの間に戦慄が走る。
王国には新型兵器である銃火器がある。
だがそれでもダニアの勇猛果敢な女戦士らが攻め込んで来ると思うと恐怖を感じずにはいられなかった。
王国にはかつてダニアの分家が存在していたからだ。
クローディアが率いる赤毛の女戦士らの強さを、年嵩の王国兵ほどよく知っていた。
そしてダニアが動くということは、その同盟国である共和国も動くということだ。
公国との戦がようやく終わったばかりだというのに、立て続けに共和国およびダニアとの戦ということになれば、しばらくはまだ激しい戦いが続くだろう。
王国兵らに気の休まる時はない。
そんな王国兵らの多くが沖合の船団に目を奪われていて気付いていなかった。
手前の浅瀬を海流に乗って進む一艘の小船があることを。
漁師の小船と思しきその船には3人の漁師服を着た者たちが乗っている。
その3人が女性であるとは誰も思わないだろう。
小船は漁を装い、一路西を目指して進み続けるのだった。
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「これだけの船団を用意したはいいが、その大半を捨てることになるとは惜しいな」
船上で海風に赤毛を揺らしながら、オーレリアは嘆息した。
統一ダニアの重鎮である彼女は今は弟子であるウィレミナに後を譲っているが、以前はダニア評議会である十刃血盟会の議長を務めていた。
さらにその前は王国領でダニア分家の評議会である十血会の議長を務めた彼女は、王国の事情や地理についても精通しているため、今回の作戦にクローディアの補佐役として同行することとなったのだ。
船で王国に向かうこととなると決めた時、相手からの砲撃は避けられないとアーシュラは言っていた。
王国は当然、大砲を配備した船で王国領の海上を警備しているだろう。
大砲で撃ち出される砲弾は高速で飛び、それを船で完全に避け切るのは不可能だ。
もちろん回避運動はするが、いずれにせよ被弾するだろう。
アーシュラが言っていたのはその後の行動が大事だということだ。
船員である女戦士らは砲弾を受けた船からすばやく脱出し、多くの小船に分かれて一気に上陸を目指す。
大砲による砲撃は大きな的を狙うのには適しているが、小船のような小さな的に対しては効果的ではない。
敵は恐らく狙撃銃で狙って来るだろう。
アーシュラは対銃弾用に特化した強化大盾を時間の許す限り大量生産し、強行突破に備えた。
そうした物資の準備もすべて大陸随一と言われる共和国の生産力が強力に後押ししてくれたのだ。
大きな戦だが出来る限り犠牲を抑えるようアーシュラは知恵を振り絞ってくれた。
「今出来る準備は全て行ってきた。後は現場で上手く立ち回るだけだ」
オーレリアはそう意気込むと船首の方向に目をやる。
そこにはまだ見ぬ王国の大地を見据えるように水平線の彼方を見つめる銀髪の指揮官の姿があるのだった。
☆☆☆☆☆☆
「チェルシーが防衛のためにハルガノンに召還された……だと?」
王国軍に占領された公国の首都ラフーガでその事実を知った王弟にして副将軍のウェズリーは、憎々しげにそう言うとその顔を怒りに歪めた。
ウェズリーが連日、王都ハルガノンにいる義姉の王妃ジェラルディーンに対し送っていた嘆願の手紙。
功を焦る彼は共和国への進撃を望み、一向にそれを許可しない兄・ジャイルズ王に対して王妃から口添えしてもらえないかと頼んだのだ。
それに対してジェラルディーンの返答はつれないものだった。
共和国が動き出した今だからこそ、防衛に努めるべきだと。
そしてそのためにチェルシーを王都に呼び戻したとも書状には書かれており、ウェズリーはラフーガの防衛と占領維持に全力で務めることが王の意思であるとも記されていた。
その内容にウェズリーは見る見るうちに顔を紅潮させる。
すぐそばに控えているヤゲンは内心で嘆息した。
(またいつもの癇癪か……)
ウェズリーは玉座の肘置きを砕かんばかりの勢いで叩く。
「またしてもチェルシーばかりが……ぐぅぅぅぅ! 兄上も義姉上も俺を能なしだと侮っているのか!」
「ウェズリー閣下。お気をお鎮め下さい。決してそのようなことはございません」
「黙れ! ヤゲン! 俺はもうここでいつまでもこうしているのはウンザリだ!」
そう言うとウェズリーは玉座から立ち上がる。
それは正確には玉座ではなかった。
かつて在りし日の大公クライヴ・ラフーガ2世が座していた椅子だ。
ウェズリーは怒りに任せてその椅子を蹴倒した。
「こんな……こんな偽物の玉座で満足していろと言うのか! この俺に!」
ウェズリーは怒りに震える。
そんな上官を副官のヤゲンは必死に宥めようとする。
ここのところヤゲンの主な仕事はウェズリーの機嫌伺いばかりだ。
だが、この日ばかりはウェズリーの怒りは収まらなかった。
「……いいだろう。この俺が無能ではないことを結果で示してやる。ヤゲン! すぐに兵たちの進軍準備を進めよ!」
「か、閣下。それは王陛下のご意思に背くこととなります。どうかご辛抱下さい」
「ならぬ! このラフーガにおいて軍は我が手の直轄だ! 戦果さえ示せば兄上もご納得される!」
そう言うとウェズリーはヤゲンの胸を乱暴に手で突いた。
ヤゲンは逆らうわけにはいかず、それを受けて尻もちをつく。
そんなヤゲンを見下ろしてウェズリーは言った。
「共和国との国境砦付近にはダニアの女王ブリジットが陣取っている。その首を取るぞ!」
「な、なりませぬ。あの最強と名高きダニアの金の女王ですぞ。危険です!」
「黙れ! こちらにはこれがある!」
そう言うとウェズリーは懐から拳銃を取り出し、その銃口をヤゲンに向ける。
ヤゲンは思わず息を飲んだ。
そんな副官の青ざめた顔を見て、ウェズリーは狂気に染まった顔で笑う。
「ククク……恐ろしかろう? ブリジットもすぐに同じ顔にさせてやる。この俺が最も優れていると世の中に分からせてやる!」
「閣下。後生です。どうかお考え直し下さい」
「くどい! 上官の命令に従わぬは反逆罪だぞ! ヤゲン! ココノエの一族郎党、斬首刑に処されたいか!」
一族のことを口に出されてヤゲンはさすがに唇を噛んで黙り込んだ。
ウェズリーはすでに狂気に染まり、冷静な判断力を失っていた。
話の通じぬ相手に道理を通そうとしても無駄なのだ。
ヤゲンは覚悟を決めた。
「閣下。我が首ならばいつでも差し上げます。その銃で私をお撃ち下さい。しかしこのヤゲンの命に免じて、どうかココノエの民には御慈悲を」
必死なヤゲンの形相にウェズリーはニヤリと笑う。
「ヤゲン。一族のためならば命を差し出すか。良い度胸だ。だが……貴様の首など価値は無い。俺に従わなくば、このラフーガに駐留するココノエの民を残らず処刑する! そうなりたくなくば従え! 反論は許さぬ!」
荒れ狂うウェズリーにヤゲンは観念した。
部下を見殺しにするわけにはいかない。
「……かしこまりました。すぐに挙兵の準備を整えます」
ヤゲンは失意の底に沈み、無能な暴君に仕えることとなった己の運の無さを呪うのだった。




