第256話 『協力』
「大丈夫? ケガしてない? ごめんなさい。少し考え事をしていたものだから」
自分とぶつかって倒れたヤブランを気遣うようにショーナはそう言った。
ヤブランは恐縮して頭を下げる。
ショーナは黒帯隊の隊長であり、単なる小間使いのヤブランから見れば遥かに身分が上なのだ。
「こちらこそ申し訳ございません。ショーナ様」
そう言うヤブランの表情がわずかに引きつっていたのでショーナは思わず尋ねた。
「どうしたの? 顔色が優れないけれど……どこか体調が悪いのかしら?」
ヤブランという少女は12歳という若さの割に落ち着いていると以前からショーナは思っていた。
とても聡い少女だ、とも。
あまり余計なことを言わず、周囲の人々をよく観察してうまく立ち回る。
それでいて大きな野心は無く多くを望まない。
王国に拾われた流浪の民という自分の立場の弱さをよく分かっているのだ。
そんな彼女の生き方を見ると、ショーナは何だか物悲しくなる。
それは恐らくショーナ自身も似たような境遇だからだろう。
隊長の身分を与えられようと、しょせんは王国のためにその人生を捧げなければならない立場なのだ。
「大丈夫です。すみません。ショーナ様。私、仕事の途中なので失礼しますね」
ヤブランはそう言って笑みを浮かべるともう一度、頭を下げてその場を立ち去ろうとする。
だが、彼女の作り笑顔にピンときたショーナはヤブランの手を取って彼女を引き留めた。
ショーナの黒髪術者としての感覚が告げている。
ヤブランは何か重要なことを知っている、と。
それが重くて彼女の心には大きな負担がかかっているのだ。
「ヤブラン。少し話をしない? 大事な話を」
そう言うショーナにヤブランは思わず顔を強張らせるのだった。
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「ヤブラン。少し話をしない? 大事な話を」
ショーナにそう言われてヤブランは思わず顔を引きつらせた。
ショーナは黒髪術者だ。
おそらくヤブランの焦りをより敏感に感じ取っているのだろう。
だが、ここで無理に振り払って逃げれば余計にあやしく思われてしまう。
ショーナは黒帯隊の隊長。
王に忠誠を誓った王国軍の一員だ。
そんな彼女の前であやしい言動を見せれば痛くもない腹を探られることになり、最悪の場合は何らかの罪を着せられてしまうかもしれない。
そう思ったヤブランは努めて冷静に言った。
「お話ですか? 私などに大事なお話とは何でしょうか?」
そう言うヤブランの手を取ったままショーナはそれに応えることなく、ヤブランの手を引いて先ほどジェラルディーンらがいた東屋へと向かう。
そしてそこに置かれた椅子に戻るようヤブランに勧めると、ショーナも椅子に腰を下ろした。
ヤブランも仕方なく向かいの椅子に座った。
するとショーナはしばし目を閉じる。
おそらく黒髪術者の力で周囲に人がいないかを探っているのだとヤブランは理解する。
要するに人に聞かれたら困る話をするのだろう。
固唾を飲んでショーナの様子を見守るヤブランの前で、ショーナはようやく目を開けた。
周囲に誰もいないと判断したのだろう。
「最近、毎日エミルと面会をしているらしいわね。誰かに頼まれたの?」
おそくら衛兵らの間で噂になっているのだろう。
ココノエの少女が毎日エミルと面会をし、せっせと差し入れをしていると。
ショーナはそれを聞いたのだ。
やはりショーナもエミルのことを探りたいのだと分かり、ヤブランは疑心暗鬼に陥った。
今、エミルを巡ってはシャクナゲとジェラルディーンの2人が何やら駆け引きをしている。
ショーナはそのどちらの陣営なのか。
あるいはまったく別の思惑があってエミルのことを探っているのか。
それが分からずヤブランは警戒しながら口を開いた。
「誰にも頼まれていません。私が行きたいから面会に行っているんです」
「……そう。まああなたはエミルと年齢も近いし、話し相手としてはお互いにちょうどいいかもしれないわね。きっとあなたのおかげでエミルも気持ちが慰められているでしょう。ところで……エミルに何か変わったことはない?」
ショーナの問いにヤブランは表情を変えぬよう努めて答えた。
「特に何も。以前よりも少し元気になっているくらいですかね。あの……どうしてそのようなことを聞かれるのですか?」
ヤブランはおずおずとそう尋ねる。
するとショーナは少々困ったような表情で言った。
「実はね……身内の恥を晒すような話なのだけれど、うちの部下がシャクナゲ様と秘密裏に接触しているようなのよ。で、シャクナゲ様がここのところ天空牢に出入りしているようだから、その部下に問い詰めようと思ったの。でも問い詰めるにしても事実をきちんと把握しておきたいと思ってね。ヤブラン。何か事情を知っていたら些細なことでもいいから教えてほしいの」
その話にヤブランは驚いて目を見開いた。
黒帯隊の隊長であるショーナがそんな部隊の内情を顔見知り程度の小間使いに過ぎない自分に話すとは思わなかったのだ。
ヤブランはショーナの真意を量りかねて困惑の表情を浮かべながら言った。
「私などではお力になれないと思いますが……」
「シャクナゲ様が何をしようとしているか……あなたは知っているんじゃない?」
ショーナの言葉にヤブランは息を飲む。
そんな彼女の瞳を覗き込むようにして見つめながら、ショーナは言葉を続けた。
「エミルはこの国にとって切り札の人質よ。彼が心身ともに健康でいることが絶対条件であり、共和国との交渉に向けた大前提なの。シャクナゲ様はそれを知りながらエミルに何かをしようとしているのでは?」
その話にも努めて平静でいようとするヤブランにショーナはさらに畳み掛けた。
「それで万が一エミルに何かあれば、王陛下はともかく王妃殿下が黙っていないわよ。ジェラルディーン様のこの国での影響力の強さはあなたも知らないわけじゃないでしょう? 王妃殿下が本気になればシャクナゲ様は糾弾され、あなたたちココノエの民は立場がまずくなるわ。そして……」
そう言うとショーナはヤブランの手を握る。
「このままいくとエミルはシャクナゲ様に何をされるか分からないわ」
ショーナのその言葉にヤブランは心臓をギュッと掴まれたような気がした。
それは今まさにヤブランが心配していることだからだ。
ショーナはそこを揺さぶってきているのだとヤブランは理解した。
「……ショーナ様は何をお望みなのですか?」
「今はまだ言えない。ただ一つ言えるのは……ワタシはチェルシー様に幸せになっていただきたいの」
「将軍閣下に? それはどういう……」
そう言いかけてヤブランはハッとした。
ショーナの目に先ほどまでは無かった切実な光が滲んでいる。
ここから先は今はまだ聞くことが出来ないとヤブランは悟った。
なぜならヤブランがショーナに猜疑心を抱いているように、ショーナもまたヤブランを信じ切れていないのだ。
だがショーナが自分と同じく、現状に危機感を覚えていることは分かった。
ヤブランはショーナの目を静かに見つめ、本心を口にする。
「私も……エミルには無事でいてほしいです」
「そう。ならば協力し合いましょう。ワタシとあなたの2人だけの秘密の同盟よ」
そう言うとショーナは掴んだままのヤブランの手をあらためて握り直し、ヤブランもその手を握り返すのだった。




