第251話 『孤独な2人』
「あんたは……ダニアのプリシラだな」
ガイと名乗った若者に突然そう言われ、プリシラは思わず驚きに目を見開いて言葉を詰まらせる。
「どうして……」
しかしプリシラはすぐにガイの言葉を思い返した。
彼が共和国大統領のイライアスから命令を受けて動いているという言葉を。
すぐにプリシラはピンときた。
「あなた……もしかしてエミル救出のために動いてくれているの?」
「……ああ。あんたとエミル殿のことは以前に大統領の邸宅で見かけたから覚えている」
「そうだったの……でも、あなた1人で?」
1人で勝手に祖国を飛び出した自分とは違い、ガイが本当に大統領の命令を受けているのだとしたら単独行動なのだろうかとプリシラは不思議に思った。
だがガイはその顔にわずかな痛みを走らせて言う。
「……共に来ていた仲間たちとははぐれ、上司は……任務の途上で殉職した」
「そう……大変だったのね。あなたはこれからどうするの?」
ガイを気遣うようにプリシラがそう尋ねると、彼は決然と言った。
「この王国には今、他にも仲間たちが同じ目的で動いている。まずは彼らとの最終の合流場所を目指す。だがもし……他の仲間たちが全員死に、たった1人になってしまったとしても、俺の任務は終わらない。この命がある限り、最後まで任務遂行のために動くのみだ」
「……ありがとう。弟のために」
「任務のためだ」
ガイは整然とそう言った。
冷たく聞こえる言葉だが、目の前にいる青年は赤の他人であるエミルを救うという任務のために命を賭けてくれている。
エミルの姉として感謝の気持ちは変わらなかった。
「だとしても……弟を助けようとしている人が命を賭けてくれているんだもの。感謝するわ。アタシは王都を目指しているの。そこにエミルがいると信じて。本当にいるかどうか分からないけれど……」
「いるという情報を得ている」
ガイの言葉にプリシラはその顔を喜色に染めた。
大統領の命令を受けているということはガイは何らかの諜報部隊に所属しているということだ。
その情報は精度の高いものだろう。
「ガイ。お願い。アタシをエミルの元へ連れて行って」
プリシラは鬼気迫る表情でガイにそう迫る。
彼女にとってはようやく掴んだ弟へと繋がる細い糸なのだ。
絶対にそれを放してなるものかという気迫で彼女はガイに詰め寄った。
だがガイはその目に冷たい光を宿して言う。
「あんた分かってるのか? 共和国と敵対しようとしている王国にとって弟は戦略上貴重な人質だ。だがそれはあんたも一緒なんだよ。弟を助けにいこうとしてあんたまで捕まってしまえば、共和国とダニアは二重の苦境に陥ることになる」
そう言うとガイはプリシラの肩をドンッと押した。
「お姫様は国でおとなしくしてろ。これは俺の仕事だ」
「何ですって! アタシは箱入りのお姫様なんかじゃない! 蛮族女王の娘を甘く見ないで!」
プリシラは激昂し、逆にガイの肩をドンッと押し返した。
「エミルを救うのはアタシ。他の誰にも任せないわ!」
そう言うとプリシラはガイの目を睨みつけた。
2人はしばし互いに睨み合う。
やがてガイは嘆息して言った。
「……俺は何があっても任務を果たすと決めている。だから俺は任務の遂行を何よりも最優先する。助けてもらった恩は何かしらの形で返すつもりだが、あんたは任務の達成に邪魔なんだ」
「何でよ! アタシ、あなたに負けないくらい強いと思うけど?」
負けん気の強い光を帯びた目でそう言うプリシラをガイは静かに見つめた。
凪いだ湖面のようなガイの目を見て、プリシラは思わずたじろぐ。
おそらく自分よりも2~3歳くらい年上なだけな気がするが、それでもガイは妙に大人びた目をしていた。
「だろうな。俺だってダニアの女王の娘より強いなんて自惚れるつもりはない。けどあんただって無敵じゃない。敵に捕まる時もあるだろう。そうなると俺はエミル殿を助けることを優先してあんたを見捨てることになる。俺の任務に矛盾が生じるのさ。同じダニアの姉弟なのに、弟を助けるために姉を見捨てることになる。それって意味あるか?」
「言いたいことは分かるわよ。イライアス伯父様にもさんざん言われたから。でも、アタシはアタシの意思でエミルを助けに行く。あなたはアタシの行動を縛ることなんて出来ないでしょ」
強気でそう言うプリシラにガイはこれ以上は時間の無駄だと悟ったように肩をすくめた。
どちらにせよこんなところまで来てしまったのならば、もう最後までプリシラを連れていくしかない。
彼女の言う通り、無理やりおとなしくさせられるような相手ではないのだ。
蛮族女王の娘なのだから。
「……エミル殿は王都にいることが確認されている。王都に潜ませた協力者らによってな」
ガイが折れたことを知り、プリシラは我が意を得たりと話に食い付いた。
「王都といっても広いでしょ? 具体的に分かっているの?」
囚人や捕虜は地下牢に収監されるのが通例だ。
だがエミルは王国にとって政治戦略的な人質であり、その命を軽々しく扱っていい存在ではない。
健康を損なわぬよう配慮された扱いはされているだろう。
ということは暗い地下牢などではない気がする。
「居場所については最新の情報を得ている。ただし敵からの情報提供だがな。信ぴょう性は薄いだろうし、本当だったとしてもこちらが到着する前にエミル殿の居場所を移されている恐れもある」
「敵からの情報? 罠じゃないの?」
訝しむプリシラにガイは表情を変えずに言った。
「そうかもな。共和国やダニアの諜報部隊を誘い出して捕らえ、逆に情報を聞き出そうと拷問にかけるかもしれない。特にダニアのプリシラが釣れたらそれこそ最高の成果だ。どうする? やめておくか?」
ガイの言葉にプリシラはムッとして言い返した。
「罠だとしてもそれを打ち破った上でエミルを救出するわ。弟を助けるためならどんな危険も厭わない」
「そうか。まあ、実際に行ってみなければそれが罠かどうかも分からん。それに敵からもたらされる情報が真実であることも実際にある。王国とて一枚岩ではないのだろう」
そう言うとガイは周囲に横たわる蛮族らの遺体から乾いた布を奪い取り、それで血に濡れた剣を拭った。
それからいくつかの遺体を検め、武器として使えそうな小刀を入手する。
それを見て思わず顔をしかめるプリシラにガイは言った。
「剣を錆び付かせたくないなら、コイツラを利用させてもらえ。何もコイツらの身ぐるみを全て剥げと言ってるんじゃない。もらえるものはもらっておけ。必要な分だけな」
そう言うガイにプリシラは仕方なく頷き、蛮族らの遺体からガイと同様に布や小刀を拝借した。
死者から奪う行為にプリシラら罪悪感を覚えるが、そんな彼女の胸中を見透かしたようにガイは言う。
「どうせコイツらはイグリッドの街に地下水路から忍び込んで、盗みでも働こうとしていたんだろう。殺されても文句は言えない連中さ。遠慮など無用だ」
王国の山岳都市イグリッドは、周辺の山々に巣食う蛮族・角山羊族からの略奪行為に悩まされていた。
王国軍兵士らによる討伐など、小競り合いが続いているのだとガイは説明した。
諜報部隊に所属しているだけあって、ガイはプリシラが知らない王国の情報にも精通している。
「さっきも言った通り、他の仲間たちも別の道のりで王都目指している。この先、王都の手前に最終合流地点を設けている。まずはそこを目指す」
元々、青狐隊は3隊に分かれて国境を越え、王都の手前の集合場所に集う予定だ。
王城への潜入は一度きりの決行となる。
一度失敗すれば二度目以降は警備がより厳重になるだろうし、警戒した王国政府がエミルを王都以外の場所に移してしまうかもしれないからだ。
そのためには一度きりの好機に青狐隊の全精力を集結させるしかない。
「だが、集合には期日が設けられている。2日後の上弦の月の夜だ。その時までに集合場所に到着せねば、遅れた者は作戦に参加できん。皆が集まるまで延々と待ち続ける余裕はない」
「なら早く行きましょ」
そう言うとプリシラは立ち上がった。
ガイは蛮族らの遺体から、干し肉や水袋などの携行食を奪い取って半分をプリシラに渡す。
急がねばならない。
殉職したアーチボルト隊長の亡骸は今頃、王国兵らに検められているだろう。
もちろん青狐隊の面々は皆、身分が分かるようなものは一切身に着けていない。
だが、今の状況を考えれば共和国からの諜報員であることは間違いなく見抜かれるだろう。
そうなれば王都に連絡がいく。
モタモタしている暇はない。
「この先どこで地上に出るの?」
「十分にイグリッドの街から離れた地点だ。半日くらいは歩くようだろう。途中でまたさっきの角山羊族と出くわすかもしれんから用心しろ」
「ええ。心得ておくわ」
1人で祖国からここまで孤独な道を進んで来たプリシラ。
仲間を失い、たった1人となったガイ。
孤独な2人は歩調を合わせて、日の差し込む地下水路を進んで行くのだった。




