第243話 王妃の苛立ち
「王妃殿下。ウェズリー副将軍閣下より陳情の文が届いております」
またか。
王国の王妃ジェラルディーンはそう思いながらうんざりした顔で側仕えの下男が差し出した文を受け取った。
彼女にとって夫の弟になるウェズリーは現在、公国の首都ラフーガを占領統治している。
そのウェズリーからは兄であるジャイルズ王には幾度も催促の文が届いていた。
共和国への進軍許可を求める文だ。
だがジャイルズ王はそれを許可しなかった。
公国の侵略で王国兵たちは疲弊している。
すぐに次へ打って出るのは無茶だった。
当面は公国領の占領統治で力を蓄える必要がある。
そう言って弟の勇み足を牽制してきたのだ。
するとウェズリーは今度は義姉である王妃のジェラルディーンへ文を寄こすようになった。
義姉上から兄を説得していただけないか、という嘆願の文だ。
ウェズリーは焦っている。
妹のチェルシーが公国南部のジルグに集まった公国の残党軍をあっさりと壊滅させ、ジルグの征服を成し得たことに。
この侵略戦争において多くの手柄を上げたのはチェルシーだ。
ウェズリーなどはチェルシーが勢い付けた自軍の波に乗ってラフーガを攻略しただけだと、王国軍の中では口さがなく言う者も少なくない。
ジェラルディーンから見ても分かりやすいほど、ウェズリーはチェルシーの才覚に嫉妬し、妹に追い抜かれることを恐れていた。
ゆえにウェズリーはジャイルズ王の慎重な姿勢に苛立っているのだろう。
(ウェズリー。しょせん王弟の器ではないのよ)
ウェズリーには王に進言しておくと返事をして適当にあしらうジェラルディーンだが、ジャイルズに苛立っているのは彼女も同じだった。
公妾のシャクナゲにすっかり心を奪われている夫は、すっかり彼女の言いなりなのだ。
初めはあれが欲しいこれが欲しいと妾らしいねだり方をしていたシャクナゲだが、最近では王の政治にまで口出しをするようになっている。
もちろん王政を敷いている王国の政治は、王が行っている。
公妾に口出しさせるなどと表向きには口が裂けても言わないだろう。
だが妻であるジェラルディーンには分かるのだ。
ここのところ王の政治手法が微妙に変わってきていることが。
(あの女の入れ知恵だわ。妾の分際で図々しい)
そして自分の夫がそんな女の言いなりになっていることが情けなくて仕方がなかった。
王国の次期王はジェラルディーンが産んだ長男に決まっている。
しかし今の王の様子だと、シャクナゲに子でも生まれたらそちらを跡継ぎにするなどと言い出さないとも限らない。
それだけは何があっても絶対に阻止しなければならなかった。
「シャクナゲ以外の公妾たちの予定を明日から一日ずつ空けさせなさい。あの生意気な白髪女を表舞台から退場させてやるわ」
下男にそう告げるジェラルディーンの顔は強い憤りに燃えるのだった。
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「陛下。どうやらダニアの銀の女王が軍勢を率いて共和国北部の港町へ移動したようです。港町には船団が集結しつつあると斥候からの報告を受けております」
ジャイルズ王を中心とした貴族会の会議で、王国軍の幹部がそう報告をすると、議場は騒然とした。
ジャイルズ王はその目に鋭い光を浮かべる。
「やはり動いてきたか。イライアスめ。東側諸国の動きはどうだ?」
「そちらはまだ目立った動きはありません」
公国を侵略した王国に対し、共和国がどう動くかは元々は未知数だった。
共和国には他国の戦争に介入しないという不文律があったからだ。
だが、公国の亡き大公の息子であるコリン公子を共和国が保護した辺りから、風向きが変わって来た。
イライアスが東側諸国連合に使者を送っているという情報も得ている。
「共和国は同盟国のダニアと共に我が国に攻め込むつもりなのでは?」
「早急に我が国の水際の警備を増強すべきです」
有力貴族の集まる貴族会の面々は皆、領地を持っており、己の領土を侵されることに危機感を覚えている。
「しかし水際の守りには多くの大砲を配備しているとはいえ、砲弾不足は深刻です」
この会議に出席している軍の幹部が現実的な意見を述べると、貴族らは顔をしかめる。
ココノエの民のおかげで銃火器や大砲といった新型兵器を多く配備することが出来た王国だが、慢性的な砲弾不足に悩まされ始めていた。
銃火器の弾丸や大砲の砲弾は鉛や鉄を多く使うためそれらの需要が急増しており、王国内ではその原料となる鉱物の採掘が急務となっている。
しかし各地の鉱山で鉱物を掘り出そうにも人手不足などもあり、一朝一夕にはいかない。
さらにそうした鉱物は敵対しつつある共和国からは輸入は出来ず、東側諸国連合からも現在は提供が途絶えている。
そして国内で採れる鉱物の多くを砲弾造りに回しているため、武器や防具の製造、造船などに回せる物量も少なくなりつつあった。
要するに銃火器や大砲が数多くあっても、そこから撃ち出すための弾が足りないのだ。
需給の均衡が大きく崩れているため、国内の鉱物価格も上昇の一途を辿り、王国内の経済は徐々に混乱しつつあった。
こうなるとジャイルズ王が恐れるのは有力貴族らの間に厭戦気分が蔓延することだ。
彼らが戦争は出費が嵩み儲からないから止めようと言い出せば、王もそれを無視して強引に戦を押し進めることは難しくなる。
王政とはいえ有力貴族らの協力が得られなければ、先々で立ち行かなくなってしまう。
ジャイルズ王は彼らを安心させねばならないのだ。
「チェルシーをジルグから呼び戻し、この王都の防衛に当たらせる」
王のその言葉に貴族らは眉間の皺を少なからず緩ませた。
チェルシーの軍人としての評価はうなぎ上りだ。
戦女神とも言われるチェルシーの名前が出たことで貴族の面々はようやく納得したように頷いた。
そしてジャイルズは公国首都ラフーガに駐留しているウェズリー率いる軍本隊に共和国との国境の砦の守りを厚くするよう、軍幹部に指示を出す。
共和国が実際に動き出したことで、王国内にも緊張が満ち始めるのだった。
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「今日で10日目。そろそろ下地が整ったわね。第2段階に入るわよ」
かつて先代クローディアが使用していた部屋。
現在のこの部屋の持ち主である公妾のシャクナゲは、何やら怪しげな薬を調合しつつ側近の部下にそう言った。
数人の部下たちは皆、白髪の男女であり、昔からのシャクナゲの側付きだ。
そしてこの部屋の中では1人だけ異質な黒髪の男が同席している。
彼は黒帯隊の副隊長である黒髪術者のヴィンスだ。
以前よりシャクナゲと密会を重ねてきた相手だった。
「いよいよですか。共和国が何やら動きを見せ始めているので、エミルの人質としての価値もより大きくなっています。慎重にならねばなりませんね」
「大丈夫。第2段階に入ったからといってエミルが何のきっかけもなく変調したりはしないわ。私が合図をしない限りね」
そう言うとシャクナゲは懐から取り出した小さな包みをヴィンスに手渡した。
ヴィンスは恭しく頭を下げてそれを受け取る。
「くれぐれもショーナ隊長に悟られないように。彼女はとても敏感だから」
「問題ありません。隊長はここのところ街中の巡回で忙しくされていますので」
最近、エミルとシャクナゲの面会に立ち合う黒髪術者はショーナではなくヴィンスが務めている。
ショーナは王の命令により黒帯隊を率いて街中の巡回に出ていた。
ジャイルズ王は王都の中に共和国の間者がいると見て、その摘発に躍起になっている。
黒髪術者らの力でそれを発見するべく、ショーナは街中の巡回に連日駆り出されているのだ。
「人質としての価値以上にエミルには大きな価値があるわ。チェルシー以上の戦士になれる大きな価値がね」
そう言うシャクナゲの目には技術者としての爛々とした喜びの色が滲んでいるのだった。




