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第242話 『出陣する銀の女王』

「やだ! 母様とずっと一緒にいる!」


 そう言ってすがりついてくる娘のウェンディーをクローディアは優しく抱き締める。

 誘拐ゆうかい事件のせいでここのところ精神的に不安定になっている娘を置いていくのは、母として身を引き裂かれるような辛さだった。


「ウェンディー。ごめんね。母様もあなたとずっと一緒にいたいけれど、それでも母様には国を守る大事な仕事があるの。だから行かないと。どうか分かって」


 そう言って背中をさすってあげてもウェンディーは泣くのを止めない。

 それでもクローディアはダニアの銀の女王として、共和国大統領の妻として責務を果たさねばならなかった。

 彼女はこれからこの首都に駐留する5000人のダニア軍をひきいて共和国北部の港街へと移動する。

 そしてあらかじめそこに集結させておいた5000人と合流し、総勢1万人の赤毛の女戦士たちをひきいることとなるのだ。

 

 そしてその港町にはその1万人を乗せることの出来る大船団が集結していた。

 これはいつでも王国に乗り込めるのだという共和国の姿勢を鮮明に打ち出しているのだ。

 エミルの奪還が果たされた暁には、実際にダニアの船団は王国に攻め込むこととなる。

 その際は共和国軍も地上軍として陸地から公国領に進入し、王国軍を一掃する覚悟だ。


「ウェンディー。母様を困らせてはだめだよ」


 そう言って妹の手を引くのは兄のヴァージルだ。

 ヴァージルとてさびしいはずだが、決してそんな顔は見せない。

 逆に母のクローディアを気遣きづかうように毅然きぜんとした態度で笑顔さえ浮かべて見せる


「母様。ウェンディーには僕がついていますから心配しないで下さい」

「ヴァージル……」


 クローディアはたまらずに息子を胸に抱き締めた。

 いつもヴァージルは聞きわけの良い兄の役を引き受けてくれる。

 そんな息子のことが愛おしく、そして不憫ふびんでもあった。

 衆目の前で母に抱き締められ、ヴァージルは少しほほを赤らめる。


「母様……恥ずかしいです」 

「ふふ。たまにはいいでしょう? 帰ったら一緒に狩りにいきましょうね」


 そう言うとクローディアは名残惜しさを振り払ってヴァージルを放した。

 そして最後に夫のイライアスと抱擁ほうようを交わす。

 イライアスは妻を固く抱き締めた。


「クローディア。君を戦地に送り出さなければならないのは本当に辛いよ」

「イライアス。ごめんなさい。いつも心配かけて」

「いいや。それでも俺は君の夫で最高に幸せだ。必ず無事に戻って来てくれ」

「ええ。必ず。戻ったらまたこうして抱き締めてね」


 夫婦はたがいの温もりを確かめ合うのもそこそこに身を離した。

 すぐにまた会えると信じているからだ。

 クローディアは家族と別れ、首都をった。

 彼女は事前に、今は亡き側近の部下たちの墓に立ち寄っている。

 その仲間たちを想いながらクローディアは静かにつぶやいた。


「ジリアン。リビー。あなたたちが守ってくれたこの国を、ワタシもきちんと守るから。安心して天の国で見守っていてね」

 

 クローディアのそのつぶやきをすぐそばで静かに聞いている者がいる。

 秘書官のアーシュラだ。

 彼女もクローディアに同行する。

 そのことがクローディアの心を大きく勇気付けてくれていた。

 アーシュラはいつもの通り落ち着いた表情でクローディアに声をかける。


「クローディア。大統領に言われたことをお忘れなく。必ず無事に戻りますよ」

「ええ。アーシュラ。あなたがいてくれて心強いわ」


 そう言葉を交わし合うと2人は前を向き、北の港街へ向けて馬を進めるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 この日、ヤブランはいつものようにエミルの元を訪れていた。

 エミルが退屈しないよう、差し入れを持って。

 人質であるエミルに差し入れ出来る物は決められている。

 エミルが自害したりすることのないよう硬い物や鋭い物、ひも状の物などは一切持ち込めない。

 必然的に本くらいしか持ち込める物は無かった。


 しかしヤブランは図書室でシャクナゲと黒髪の男の密談を聞いて以降、危険を避けるために図書室には通っていない。

 そして彼女が元々手持ちの物もそれほど多くないため、いよいよエミルに渡してあげられる物が無くなってきた。

 仕方なく彼女は生まれ故郷であるココノエについて、自分が知る限りの歴史や昔話、童歌などの文化を紙に記してそれをエミルに渡していた。

 もちろんそうした物は差し入れ前に検閲けんえつ係によって内容を確認されるので、個人的な言葉のやり取りを秘密裏ひみつりに行うことは出来ない。  

 

「いつもこんなのばっかりで飽きちゃうと思うけど……」


 ヤブランはそう言うと鉄格子てつごうし隙間すきまから自分が書いた紙を床に置いた。

 そしてあまり自分が歓迎されていないと感じているので、すぐに立ち去ろうとする。

 その時だった。


「……ヤブラン」


 唐突にエミルがヤブランに声をかけてきたのだ。

 おどろいて彼女が振り返ると、エミルが一冊の本を手に鉄格子てうごうしのすぐ向こう側まで歩み寄って来たのだ。

 今まで決して自分を見ることの無かったエミルの目が、しっかりとこちらに向けられている。


「エミル……」


 久しぶりに視線が交わり合い、思わず息を飲むヤブランにエミルは手にした本を差し出した。

 それはヤブランが先日エミルに貸した彼女の私物である画集だった。

 彼女の故郷であるココノエの風景が描かれたものだ。

 

「ありがとう。ヤブラン。この画集すごく面白かった。ココノエって綺麗きれいなところなんだね」

「そ、そう。よかった……喜んでくれて」

「あと……ごめんね。いつも来てくれたのに僕……あまり話もしなくて」


 申し訳なさそうにそう言うエミルにヤブランは思わず胸が熱くなるのを感じた。

 そして声を詰まらせながら必死にエミルに話しかける。

 2人の衛兵が話を聞いているが、そんなことは気にならなかった。


「私こそ……私こそ……ずっとエミルに謝りたかった」


 そう言葉をしぼり出すと、自然とヤブランの目から涙がこぼれ落ちた。


 ☆☆☆☆☆☆


「ごめんなさい。エミル。あなたをこんな目にわせてしまって。私のせいでこんな……」


 涙を流しながらヤブランはそう言う。

 その言葉を聞いたエミルは、心の中のわだかまりがスッと溶けていくのを感じた。

 そしてこんな時に父のボルドならば何と言うだろうと考えると、自然に言葉が口からこぼれるのだ。


「どうにもならないことがあるんだと思う」

「……えっ?」

「国とか一族とか……僕たちの周りにある色々なものは大き過ぎて、僕にもヤブランにもどうにも出来ない事なんだよ。ヤブランは……そうするしかなかったんだ」

「でも私……」


 言いよどむヤブランの目を見てエミルは彼女がずっと辛さを感じてきたのだと知った。

 ヤブランも苦しんでいたのだと。

 黒髪術者ダークネスであるエミルには彼女の真摯しんしな優しさが、それゆえおのれの行いを苦しむ心がハッキリと感じ取れた。


「優しいんだね。ヤブランは」

「そんなこと……ないよ」

「あるよ。優しい人じゃなければ、こんなふうに毎日会いに来てくれたりしない。差し入れしてくれたりしない。捕まえたまま僕のこと放っておくはずだから」


 ここは敵国でヤブランは異民族だ。

 だが彼女は自分と同じ人間だった。

 彼女だけじゃない。

 この王国に息づく者たち全てがそうだ。


 とらわれの身となってから、自分はまるで魔物たちの巣窟そうくつにいるように思っていたが、そうではないのだ。

 目の前の少女のように心のある人がいる。

 そう思えるだけでエミルの心は幾分いくぶんか救われた。

 この先、人質の自分にどのような運命が待ち受けているのか分からないが、最後まで心を失わずにいたい。

 そう思わせてくれたヤブランにエミルは感謝の気持ちを込めて言った。

 

「人質の僕が敵国の君にこんなことを言うのはすごく変かもしれないけれど……ヤブラン。僕と友達になってよ」


 その言葉にヤブランは涙にれた両目を大きく見開き、言葉に詰まりながらも幾度いくどうなづくのだった。

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