第241話 『戦災孤児たち』
ジャスティーナとジュードは走り去る馬車を追いかけ、弓矢で馬車馬の脚を止めて乗り込んだ。
そしてその荷台に乗せられている子供たちの姿を見て、ジャスティーナはすぐにピンと来る。
「人買いか」
そう言って睨みつけてくるジャスティーナの脇腹に御者は腰帯から抜いた短剣を突き刺そうとする。
だがジャスティーナはそんな御者の手首を掴むと、グイと捻り上げた。
「イデデデデッ!」
御者は悲鳴を上げ、たまらずに短剣を地面に落としてしまう。
ジャスティーナはそのまま御者の腕を引っ張って御者台の外へ投げ飛ばした。
「ぐあっ!」
背中を打ち付けて悲鳴を上げた御者は、捻られた腕をもう一方の手で押さえて呻き声を漏らす。
「ぐぅぅ……腕が……」
捻られた腕を痛めて苦痛に顔を歪める御者の前に降り立つと、ジャスティーナは御者の腕を掴んで引き立たせ、容赦なくその顔面を拳で殴り付けた。
「ぶあっ!」
御者は鼻血を噴き出しながら吹っ飛ぶ。
仰向けに倒れ込んだ御者にジャスティーナは鞘から抜き放った長剣を突き付けた。
思わず御者は恐怖に顔を引きつらせて短い悲鳴を上げる。
「ひいっ! た、助けてくれ! 金ならあるだけ払う! 積み荷も好きなだけ持っていって構わねえ!」
「金も積み荷もいらないね。何で子供を連れているのか、その理由を話しな。私は嘘を見抜くから注意しろよ。二枚舌はコイツで串刺しだ」
そう言うジャスティーナの持つ剣の切っ先を見て男は観念した。
そして誰から依頼を受けて子供をどこに運ぼうとしているのかをペラペラと喋る。
その間、ジュードは荷台で子供たちの様子を見ていた。
子供は全部で4人。
逃げないように腰縄で縛られ固定されていた。
全員が怯えた表情を見せている。
そして体のあちこちに赤い特徴的な痣を作っていた。
ジュードは思わず唇を噛む。
彼も世の中を渡り歩き、色々と見てきたから知っている。
この世には子供を虐待する非道の輩がいることを。
(これは……性的虐待だ)
殴られた痕ではない。
唇で強く吸われたり噛まれたりして出来た赤い痕が、子供たちの肌のあちこちに付いている。
ジュードは込み上げる嫌悪感に顔をしかめた。
ジュード自身、まだ成人する前に王国を出て流浪の生活をしていた頃、大人からそういう目を向けられたことは一度や二度ではない。
黒髪で美しい顔立ちの少年だった彼に、不埒な目を向ける者は後を絶たなかった。
しかしジュードは黒髪術者であり、我が身に迫る危険を事前に察知して逃げることが出来た。
だが今でも覚えている。
自分を見つめるねっとりとした視線と、そこに渦巻くどす黒い欲望のニオイを。
今、目の前にいる子供らからも同じニオイがした。
卑劣な大人によって擦り付けられたニオイだ。
「身寄りはいるかい?」
ジュードは気遣わしげにそう言うと子供らの前にしゃがみ込む。
4人とも皆、悄然とした顔で首を横に振った。
(戦災孤児か……)
どこの街にも教会や修道院があり、そこが管轄している孤児院がある。
子供たちをそうした施設へ送り届ける他ない。
かといってジルグの孤児院を探すのでは、この子供たちを害した者に出くわしてしまう危険がある。
そんなことを考えながら逡巡するジュードは、ふと目の前の男児の粗末な服に目をやった。
その肩に数本の長い毛が付着している。
男児のものではない。
ジュードは子供を怖がらせぬよう手は出さず、じっとその毛を見つめた。
(白い頭髪……)
嫌な予感がしたジュードはその子供に穏やかな口調で言った。
「肩に髪の毛が付いている。自分で払えるかい?」
ジュードはそれを自らの手で取ることはしなかった。
こうした被害にあった子供は大人の手を怖がるようになる。
手を出された時の記憶が悪寒と共に甦ってしまうからだ。
男児はジュードに言われた通り、自分の右肩を左手で払った。
するとそこに付いていた数本の髪の毛がハラリと宙を舞って落ちる。
その白く長い髪の毛を見ると男児は途端に息を飲んでガタガタと震え始めた。
ジュードは慌てて男児が落とした白い髪を拾い上げる。
「すまない。思い出させてしまって。もう大丈夫。君を怖い目に遭わせた人はもう君の前には現れないから。大丈夫だ」
そう言って男児を必死に宥めると、ジュードは拾い上げた白い頭髪に目を落とした。
そしてジュードは黒髪術者の力でその髪に残る思念を読み取っていく。
途端に彼の頭の中に目の前の男児が受けた被害感情が鮮明に伝わってきた。
(白い髪の女に……これは……ココノエの……)
ジュードは唇を噛むと、水袋を男児に手渡した。
「大丈夫。水を飲んで落ち着くんだ。もう君を傷つける者はいないから」
そう言うジュードの優しい声に男児は震えながら頷き、必死に水を飲み込んだ。
他の子供たちにも水袋を回してやり、干した果実などを与えて落ち着かせる。
そしてジュードは一度馬車を降りた。
するとジャスティーナが御者の男を縄で縛り上げていた。
男はどうやらジャスティーナに殴られて気絶したようだ。
「おい。情報を手に入れたぞ。ジュード」
「ああ。こっちもだ。ジャスティーナ」
そう言うと2人は互いに歩み寄り、知ったことを話し合う。
どちらも共に同じ結論を得ていた。
「子供たちは性的な虐待を受けていた。犯人はあのオニユリとかいうココノエの女だ」
「ああ。この御者はそのオニユリから依頼を受けて子供らをアリアドまで運ぼうとしていたらしいな。私の頭に一発くれた憎きあの女狐はとんだ変態女だったわけだ」
そう言うとジャスティーナはオニユリから銃撃を受けた頭の傷に手を触れた。
「こんなところで憎きあの女と出くわすとはな。やり返す好機だ」
ジャスティーナはその目に闘争心を燃やしてそう言った。
だがジュードは懸念をその目に滲ませる。
「君ならそう言うと思ったが俺は反対だ」
珍しくきっぱりとそう言うジュードの顔をジャスティーナはしばし見つめたが、相棒の目が揺るがないことを知りフッと笑みを浮かべる。
「おまえならそう言うと思ったよ。了解だ。相棒の意見は尊重すべきだからな」
「……ジルグにはチェルシーがいる」
チェルシー将軍がジルグを陥落させ、占領軍として駐留していることは周知の事実だ。
「ああ、さすがに私もチェルシーの目の光る中で、その側近をぶちのめせると思うほど自信過剰じゃないさ。それに……私らの最優先事項はエミルの救出だ。それを忘れちゃいない」
「ジャスティーナ……ああ、そうだな」
「ただし、それが無事に果たせたら、次は復讐の旅だ。殺されかけた恨みを忘れてやるほど私は腑抜けちゃいないぞ」
そう言うとジャスティーナは赤毛をかき上げて頭についた傷を見せる。
ジュードは彼女の身の内に揺るぎない戦士の誇りがあることを良く分かっている。
ダニアの女にとってそれは命に等しき魂の矜持だ。
ジャスティーナの相棒としてジュードはそれを尊重し、決して蔑ろにすることはない。
「ああ。もちろんその時は俺も付き合うさ。相棒を殺されかけた悔しさは俺にもある。あの女に思い知らせてやろう。俺たちの執念深さを」
そう言うジュードにジャスティーナはニッと笑う。
「で、あの子供らはどうするんだ? 子連れで旅するわけにはいかないぞ」
そう尋ねるジャスティーナにジュードはしばし考え込む。
2人はこの数年で王国、公国、共和国を旅してきて色々な場所を知り、色々な顔見知りが出来た。
先日、ジャスティーナの命を救ってくれた川漁師の集落もその一つだ。
放浪の旅暮らしがもたらしてくれたものは各地の土地勘と、人と人との繋がりによる拠り所だった。
ジュードは子供たちを預ける候補地を色々と考えたが、今が戦時であることを考えれば最も適した場所があった。
「ジャスティーナ。ちょっと待っていてくれ」
そう言うとジュードは馬車へと戻った。
子供たちと話すためだ。
ジャスティーナはそんな彼の背中を見送りながら彼が旅の道連れで助かると思った。
自分では子供たちを怖がらせてしまうだけだと分かっている。
人との交渉も苦手だ。
荒事は得意だが、それだけで渡っていける世の中でもない。
人にはそれぞれ向き不向きがあることを思えば、自分たちは良い組み合わせだと思った。
そんなことを考えていると、ジュードが馬車から戻ってくる。
「子供たちはもう身寄りのないジルグには戻りたくないそうだ。説得してガンザ僧院に連れて行くことにした。ちょうど全員、男の子だしな」
「なるほどな。筋肉ジジイのところか。ここからそう遠くないし、いいじゃないか。あそこならきっと子供らに道を示してくれるさ。ついでにあの馬車を拝借していこう。クソ野郎の物だし構わないだろう」
そう言うジャスティーナに苦笑しつつ、ジュードは気絶して倒れている男を縛る縄に小刀で切れ込みを入れてやった。
目が覚めて暴れれば縄は切れて解けるだろう。
それから2人は馬車に乗り、子供たちを保護してもらうべく公国と王国の国境近くに位置するガンザ僧院へと向かうのだった。




