第236話 『ハヤブサの飛来』
「お待ちしておりました。青い狐の皆様」
そう言って出迎えに現れたのは老いてなお筋骨隆々な肉体を誇る老僧だ。
公国領の中でも西側の王国寄りに位置する岩山の中に、ポツンと一軒の僧院が存在する。
ガンザ僧院。
そこを運営するのは厳しい修行に耐える屈強な僧兵らだった。
彼らは神の教えを忠実に守るのみならず、体を鍛え、戦闘技術を持った僧兵たちだ。
「院長。お世話になります」
そう言って院長と握手を交わすのは青狐隊の隊長アーチボルトだった。
彼と部下のガイを含めた5名は旅芸人に扮してこの公国領を西進し続けて来た。
3隊に分かれて共和国から公国へと進入した青狐隊は一度この僧院で落ち合うことになっている。
この僧院の者たちは全員が協力者であり、ここで新たな食糧などの必要物資を補充し、いよいよ王国へと越境するのだ。
「すでに他の方々も集まっております」
そう言う院長の後に付いてアーチボルドらは僧院に足を踏み入れた。
そこでふと思い出したかのように院長は振り返らずに言う。
「そうそう。そういえば青い狐の皆様に鳥が届いております。随分と脚の速い鳥だったようですよ」
そう言う院長にアーチボルドはわずかに目を細める。
足を踏み入れた僧院では仲間たちがすでに彼らを待っていた。
そして部下の1人が未開封の手紙を一通、隊長のアーチボルトに手渡す。
「お疲れ様です。隊長。どうやら火急の用件のようです。ハヤブサ便で届きましたので」
ハヤブサ便と聞き、アーチボルドはわずかに表情を変えた。
鳩と違って躾の難しい隼を使えるのはダニアのアデラ隊長率いる獣使隊だけだ。
一体何事かと思いながら手紙を開封し中身を確認するアーチボルトの目がわずかに見開かれた。
「これは……最重要情報だな。もしこれが本当ならば、ありがたいことに我らの王国での仕事がひとつ減る」
そう言うアーチボルトに隊員たちは息を飲む。
そんな中でガイだけは他には目もくれず、杖に仕込んだ剣に刃こぼれ等がないか目を光らせて入念に確認しているのだった。
☆☆☆☆☆☆
「七つの大木その向かい。右か左か真ん中か。右は良い良い左は怖い。真ん中進めば故郷だ」
エリカとハリエットがその歌を歌いながら先頭を進むのを冷めた目で見つめながら、ネルは斜め後ろを歩くオリアーナに声をかけた。
「おい。オリアーナ。今回は何で犬っころを連れて来なかったんだ?」
「……今回は命令違反の独断行動。バラモンを道連れにするわけにはいかない」
「別に黒熊狼を命令違反で罰したりしねえだろうに」
ネルはそう言いながら、それ以上は何も言わなかった。
以前だったらなおも意地悪くからかってオリアーナを怒らせたものだが、ネルはオリアーナが鷹のルドルフを失って怒り狂い嘆き悲しむ姿を見ている。
(ま、こいつはイザとなりゃブチ切れてとんでもねえ馬力を見せるからな)
そして一番後ろを付いて来るのはエステルだ。
今、彼女ら5人はダニア本家の隠れ里であった奥の里の跡地を目指して、複雑な山道を登り続けていた。
「まさかこんな形で奥の里に来ることになるなんてね。アタシとエリカは3年前に来たのが最後かな。アンタたちは?」
ハリエットは後ろを振り返り、仲間たちにそう尋ねた。
「……5年ぶり」
「アタシは毎年来ていますから去年以来ですね」
オリアーナとエステルがそう答える中、ネルは興味なさそうにそっぽを向いている。
そんな彼女にはハリエットも敢えてそれ以上は聞かない。
ここにいる5人は皆、この奥の里で生まれた。
だがまだほんの小さな子供の頃に統一ダニアが誕生し、奥の里に住んでいた彼女らは全員、今の都に移り住んだのだ。
皆、奥の里に住んでいた頃の記憶は朧気にしか残っていない。
その後、ブリジットが年に一度、20名ほどの有志を募って鎮魂のためにこの里を訪れて儀式を行っているので、それに名乗り出てここに来たことがあるくらいだ。
生まれ故郷ではあるが、若い彼女たちにとっては馴染みの薄い場所でもあるのだ。
特にネルなどは家庭環境が良くなかったこともあり、一度として鎮魂の儀に同行したことはなかった。
「チッ。何だよ。この歩きにくい道は」
山道はビッシリと草が生えており、土の地面がほとんど見えない。
悪態をつくネルに最後尾のエステルが息を弾ませながら説明した。
「仕方ないですよ。土に付いた足跡を辿られないようにわざと草を茂らせているのですから。里が見つからぬように工夫した先人の知恵ですね」
「そりゃ昔の話だろ。今は別に誰に見つかったっていいじゃねえか。廃村なんだからよ」
そう言ってネルが文句を言っている間に先頭のエリカとハリエットが最後の分かれ道を踏み越え、ほどなくして一行は奥の里に到着した。
「暗くなる前に着いて良かった。夜明けまでここで休息を取ろう」
エリカはそう言うと、里に残されている宿泊施設の裏手に薪を取りに行く。
暖かい季節ではあるが山の夜は冷える。
食事を摂るためにも火を焚く必要があるだろう。
ここに来る途中でネルが矢で獲った野兎などの小動物の肉が少しばかりある。
それを調理して食べようということになった。
以前とは違い、ネルも食糧は皆と分け合うようになっている。
「ネルも少しは成長したのね」
エリカは1人そう言いながら薪置場から一束の薪を手に取りそれを抱えた。
その時だった。
すぐ頭上でキーキーと鳴く声が響き、エリカが見上げると宿泊所の屋根に1羽の鳥が止まっている。
「鳥……?」
エリカは思わず目を凝らす。
鳥の脚に小さな筒のような物が付いていた。
それを見たエリカは鳥を驚かせぬよう声を出さず、物音を立てぬよう静かに仲間たちを呼びに行くのだった。
☆☆☆☆☆☆
ハヤブサ便によってアーシュラから青狐隊の元へ届けられた手紙には、救出対象であるエミルの所在地情報が詳細に記されていた。
「アーシュラ殿の見立てによればこれは王国軍の黒帯隊の隊長であるショーナが書いたものであるということだ」
アーチボルトの話に隊員らはしばし考え込む。
敵の罠、もしくは何らかの事情によるショーナの謀反。
考えられるのはそのどちらかだ。
青狐隊の者たちはすでに皆、頭の中でその両方の可能性を考え、実際にこの手紙に書かれている場所に辿り着くための方法を反芻していた。
彼らは皆、事前に入手している王城内の間取りを記憶済みだ。
「天空牢か。玉座にほど近い場所だな。重要な政治犯等を収容するための特別な牢だ。意外だったな」
そう言うアーチボルトに隊員たちは静かに頷く。
天空牢は普通の囚人ではなく重要で特別な囚人を捕らえておくための特殊な独房だ。
玉座に近く、王やその側近たちにも近いため、彼らが直接話をしたい囚人などを収容しておくための場所だ。
だがそれゆえ凶悪犯などはまず収容されることはない。
エミルはダニアの女王の息子という貴い身分ではあるものの、報告によればとてつもない身体能力ですでに数名の王国兵を殺害しているという。
そういう危険な人物をジャイルズ王が傍に置くはずがないと青狐隊ではそう考えられていたのだ。
おそらく王城から離れた別棟の地下牢にいるものだと想定されていた。
「計画の修正が必要だな」
この話を信じるか信じないか論じる者はいない。
真実かどうかは現時点では判別しようがないからだ。
ならばこれが真実である場合とそうでない場合との2通りの作戦を立て、それを実行に移すのみだ。
アーチボルトは端で黙って作戦を聞いていたガイに目を向ける。
「この先は敵兵との遭遇も増える。荒事になることも多いだろう。だが目標を達成するまで我らは陰の存在であらねばならん。押す時は容赦なく、退く時は躊躇なく。全員、あらためて気を引き締めよ」
ガイはその言葉が主に自分に向けられていると知りながらも表情を変えずに頷くのだった。




