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第235話 『優しいまなざし』

【……シラ……プリシラ……】


 誰かが自分を呼ぶ声でプリシラは目を開けた。

 なぜだか視界に薄靄うすもやがかかり、体がうまく動かせない。

 そんな彼女の前に誰かがひざをついて座っていた。

 それは金色の髪を持つ1人の女性だった。

 不思議ふしぎと警戒心が起きなかったのは、その人影がブリジットによく似ていたからだ。


「……母様?」 

 

 だがそれは当然、母ではなかった。

 母に良く似てはいるが、母よりも年嵩としかさだ。 

 その女性はやわらかな声でプリシラに語りかけてきた。


【大きくなったわね。プリシラ】

「お……お祖母ばあ様?」


 プリシラの祖母。

 先代ブリジット。

 目の前にいるのは幼き日のエミルが柱に描いた通りの姿だった。


【辛い旅をしているのね】


 祖母はそう言うと少し心配そうに微笑んだ。

 プリシラに向けられる慈愛に満ちた優しい眼差まなざしと声。

 それだけでプリシラは思わず泣きそうになる。


「お祖母ばあ様……アタシ……エミルを救いたくて……」

【大丈夫。あなたなら出来るわ。だってあなたは……1人じゃないもの】


 そう言うと祖母はプリシラを優しく抱きしめてくれた。

 そのぬくもりは母のようで、プリシラはこらえ切れずに大粒おおつぶの涙をこぼしてしゃくり上げる。


「1人よ。たった1人で……でもエミルもたった1人でいるんだもの……アタシも耐えなきゃ……」 

【辛いわね。ブリジットの血は。1人で抱え込まなきゃならないものね】


 そう言うと祖母はプリシラの頭を優しくででくれた。


【でもいつかあなたにも分かるわ。きっと我が娘ライラのようにあなたにも大事な友や愛すべき人が出来る。いつの時代もブリジットは……1人きりなんかじゃない。大勢の大事な人に囲まれているの。だから……くじけないで。アタシも応援しているわ。プリシラ】


 どこかへと遠く消えていくその言葉が、優しいぬくもりとなって体中に広がっていくのをプリシラは感じるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「お祖母ばあ様……?」


 ふと顔を上げるとプリシラは自分が薄暗い部屋の中で眠り込んでいることに気が付いた。

 油が少なくなっているのか、角灯の明かりが小さく頼りなく揺らめいている。

 目に涙がにじんでいた。 


「……夢か」


 祖母の夢を見た。

 優しく微笑みながら自分をなぐさめてくれる祖母の夢を。

 実際には同じ時を生きることはなかった祖母と孫の間柄あいだがらだが、まるで昔そうしてくれたかのように、祖母はプリシラの髪をででくれた。

 目が覚めた今も、髪に祖母の手の感触が残っているかのようだ。


「お祖母ばあ様……アタシが困っているのを見てなぐめに来て下さったのかな」


 祖母は言っていた。

 プリシラは1人じゃないと。

 今は1人だが、彼女には父や母、弟や従姉妹いとこたち、その他にも大勢の仲間たちがいる。

 祖母の言葉はプリシラの冷えた心に灯火ともしびとなって明るさとぬくもりを与えてくれた。


「いつでも戦える準備をしておかないと。アタシが元気じゃないと、エミルを助け出すことも出来ない」


 そう言うとプリシラは革鎧かわよろいを脱ぎ、ここに来る途上の山中で入手した木の実や果実を袋から取り出してそれを食べ、水で飲み干した。

 栄養と睡眠だけはしっかりっておかねば、いざという時に動けなくなってしまう。

 それは前回のアーシュラとの作戦行動の中で学んだことだった。

 腹を満たすとプリシラは外に出て、井戸水で髪と体を洗い、宿泊所に保管されている厚手の手拭てぬぐいでしっかりと乾かしてから、ベッドで眠りについた。


 この旅の中でこれほど整った設備で眠れるのは今夜が最後かもしれない。

 そう思うとプリシラは出来る限り心身をゆるませて休息に努めるのだった。

 今度は祖母の夢は見なかった。

 見たのはこの奥の里で家族と共に一夜を過ごした幸せな記憶の夢だった。


 ☆☆☆☆☆☆


 ダニアの都から遠く離れた王国首都。

 王城の高層階に位置する天空(ろう)とらわれているエミルは、ここに来てから夢を見続けていた。

 それは自身の中に眠る黒髪の女の生涯の記憶だ。

 彼女の人生を夢に見て追体験し、その生涯を知る。

 それがエミルが黒髪の女と交わした約束だった。


 だが、この夜だけは不思議ふしぎなことに黒髪の女の夢は見なかった。

 代わりに見たのは、なつかしい祖母の夢だ。

 もちろんエミルは祖母である第6代ブリジットに会ったことはない。

 祖母はエミルが生まれる前に他界してしまっているからだ。


 だが、幼い頃から年に一度、家族で奥の里に出掛けた際には、エミルは必ず祖母に会うのだ。

 祖母は奥の里に到着するとエミルを笑顔で出迎えてくれた。

 彼女は常にかたわらにいて、プリシラやエミル、そしてブリジットやボルドのことを見守っているのだ。

 最初は奥の里に1人で住んでいるのかと思いおどろいたが、誰にも祖母の姿が見えていないことに早い段階で気付いたエミルは誰にも言わずに父のボルドだけに相談した。

 父だけは自分と同じように祖母の姿が見えているようだったので。


 物心ついた時から、エミルは他人には見えない者たちを見ることがあった。

 赤毛の兵士であったり、老人であったり。

 彼らは道端に、部屋の中に、そうした様々な場所にたたずんでいた。

 それを他の人に伝えると、誰もが怪訝けげんそうな表情で、誰もいないと言うのだ。

 

 だからそうした自分にしか見えない人たちは、きっとこの世に生きる者ではないのだと何となく理解し、そういうことを誰にも言わないようになったのだ。

 それは父であるボルドからの助言だった。

 同じ黒髪術者ダークネスである父もエミルと同じ光景が見えていて、奥の里にいるのが祖母であることを教えてくれたのもボルドだ。

 

(どうして今夜はお祖母ばあ様の夢を見たんだろう)


 夢の中で祖母は言っていた。

 もう少しの辛抱しんぼうだと。

 そしてエミルは1人じゃないと。

 いつものように穏やかな笑みを浮かべながらエミルにそう言っていたのだ。


(お祖母ばあ様……僕……1人きりだよ……いつまで辛抱しんぼうすればいいんだろう)


 朝になって目を覚ましたエミルは、敵国に1人(とら)われている我が身のわびしさに悄然しょうぜんうつむく。

 体の調子は良かった。

 むしろ全ての感覚が鋭敏で、朝の空気の気持ち良さが神経を高揚させている。

 奇妙な感じだった。


 心は落ち込んでいるはずなのに、体だけが喜びを感じているのだ。

 朝の光の中に飛び出していって、草の上を転がり回りたいほどだ。

 エミルはよくそんな風にして外を駆け回っていた幼き日の姉の姿を思い返す。


(姉様……今はどうしているのかな……)


 姉に会いたい。

 あの弾けるような笑顔に元気付けられたい。

 エミルは心の底からそう切望するのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「よし。出発だ」


 夜明け前に起きて食事を終え、身支度みじたくを整えたプリシラは宿泊していた部屋をながめる。

 そしてエミルが柱に描いた祖母の絵を見ると、室内で書き物をするための机の引き出しから鉛筆を取り出した。

 そしてエミルの書いた絵のすぐ上に字を書き込んでいく。


【お祖母ばあ様。アタシが行くまでエミルを守ってあげて】


 それを見るとプリシラは決意を新たに部屋を出て、奥の里を後にするのだった。

 そんな奥の里に一羽のはやぶさが到着したのは、プリシラが里を出てから数時間後の、昼近くなってからのことだった。

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