第233話 『思わぬ情報』
アーシュラはクローディアの元を離れ、共和国首都からダニアの都を訪れていた。
銃火器対策をブリジットと話し合うためだ。
これから王国との戦いが始まる。
そうなればダニア軍は初めて王国軍の使う銃撃の脅威に晒されることになる。
いかに屈強で勇猛なダニアの女たちとはいえ、弾丸を浴びればいとも容易く命を奪われてしまうだろう。
そうならないための準備が必要だった。
アーシュラは銃火器を持つ相手と戦う際の防御と攻撃の方法をいくつか考案し、ブリジットは急ぎその準備を兵たちに命じていた。
急造しなければならぬ機器などもある。
「しかし……これでもとても万全とは言えないでしょう。拳銃や狙撃銃ならまだしも、大砲は防ぐ手立てがありません。必ずこちらも大きな被害が出ます」
そう言って顔を曇らせるアーシュラの肩にブリジットは手を置いた。
「剣を交じえ、体をぶつけ合ったこれまでの戦いとは大きく異なる戦になるな。だが我らは一族の誇りを持って戦場に立つ。そして必ず敵を打ち破る。そのために犠牲が出ることも覚悟の上だ」
そう言うとブリジットはアーシュラと実際の戦闘について話を詰めていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
ダニアの都。
ブリジットの私邸である金聖宮では夕方まで続いた話し合いも一段落し、ブリジットとアーシュラは茶を飲みながら休憩を取っていた。
「うちのじゃじゃ馬はまだ見つからん。騒がせてすまないな」
プリシラが単身でダニアを飛び出してから数日が経過していた。
捜索隊は付近を隈なく探したが、プリシラを見つけることは出来なかった。
おそらくはすでに国境を越えて公国領に入っているだろう。
公国へ越境するわけにもいかず、ブリジットは仕方なく捜索を打ち切り、捜索隊に解散を命じた。
今は戦時に向けて戦力を整えておかなければならない。
ブリジットの決断に皆は驚いたが、プリシラに何かあってもそれは自業自得とブリジットは一刀両断し、皆を黙らせた。
プリシラの父であるボルドも妻の意思に異を唱えることはしなかった。
「こちらこそ申し訳ございません。ブリジット。エステルたちまで飛び出していったそうで……ワタシの教育不足です」
「そう言うな。あのくらいの年の者たちの反発力は御し難いものさ。我々も覚えがあるだろう?」
そう言って鷹揚に笑うブリジットにアーシュラは恐縮して頷いた。
その時、ふいに扉が叩かれる。
ブリジットが入室を許可すると、その場に現れたのは元評議員のセレストだった。
元々はダニア分家でクローディアの下、当時の十血会の評議員だった女だ。
年齢も50歳を超え、長年務めた評議員の職務を昨年引退し、後進に道を譲った重鎮である。
彼女はブリジットの前に立つと恭しく跪いて頭を垂れた。
「ブリジット。お話し中に申し訳ございません」
「セレスト。構わないぞ。おまえがそんなに慌ててアタシのところに駆け込んでくるなんて、よほどのことなのだろう?」
そう言うとブリジットはセレストを立ち上がらせて椅子に座らせ、側付きの小姓に命じて茶を淹れさせた。
セレストは礼を言って茶を一口飲むと、懐から一枚の手紙を取り出す。
「それは?」
「これはワタシの古くからの部下であるジェマという女に先ほど送られてきた手紙なのですが……」
そう言うとセレストは手紙を開き、それをブリジットに手渡した。
その内容に目を通すブリジットの目が大きく見開かれる。
ブリジットは顔を上げるとその手紙をアーシュラに手渡した。
そしてセレストに目を向ける。
「そのジェマという女を呼んでくれるか?」
「はい。外に控えさせておりますので、少々お待ち下さい」
そう言うとセレストはジェマを呼びに部屋を出て行く。
手紙に目を通していたアーシュラが顔を上げるのを見ると、ブリジットは彼女の意見を求めた。
「どう思う?」
手紙の内容はエミルの囚われている場所の詳細と、そこに至るまでの明確な道のりや、見張りの兵士の数から見回りの兵の巡回場所と時間が克明に記されていた。
まるでエミルはここにいるから助けに来いと手紙の主は言っているかのようだ。
「まだ何とも……罠の可能性もあります」
「ノコノコと出かけて行って逆に捕らえられる恐れもあるな。では罠でなかったとしたら、どのような可能性があるだろうか」
ブリジットの問いにアーシュラが答える前に、セレストがジェマという女を連れて戻ってきた。
「お待たせしました。ブリジット」
「おまえがジェマか」
セレストの後に付いて部屋に入って来た中年の女は、ブリジットの姿に緊張の面持ちで背すじをただす。
「はい。ジェマと申します」
「そう畏まらずともいい。この手紙を受け取ったそうだな。さぞかし驚いただろう」
鷹揚に笑みを浮かべてそう尋ねるブリジットにジェマは頷く。
「王国領に残っているラモーナというワタシの姪からの手紙……ということになっています」
それからジェマは事情を説明した。
ラモーナは盲目のため字が書けず、手紙を送ってくる際は必ず代筆をしてもらっている。
しかし便箋に書かれた筆跡がいつもの代筆者とは違った。
それでも封筒にはいつもと同じくラモーナの証である墨で押された彼女の指紋が染みついていた。
「おそらく姪はこの手紙を出す際にいつもの代筆者には頼まなかったのでしょう。理由はこうした内容であったためです」
それを聞いたアーシュラはかつて自身も住んでいた王国領のダニアの街を懐かしく思い出しながら言った。
「なるほど。ではこの手紙を書いた人物がラモーナさんにこれを預け、ラモーナさんが代筆者には内緒で自分の手紙を装って出したものということになりますね」
そう言うとアーシュラは便箋に綴られた文字に指を這わせる。
そして黒髪術者としての力を発動させた。
途端に頭の中に明確な声が響く。
【……チェルシー様を止めて】
アーシュラはハッとした。
ブリジットがその変化にいち早く気付く。
「アーシュラ。どうした? 何かを感じ取ったのか?」
「……おそらくこの手紙を書いたのは黒髪術者です。そしてその人物のおおよその目星がつきました」
アーシュラはかつてダニア分家として王国に所属していたから良く知っている。
王国軍の黒帯隊のことを。
その隊員たちは皆、優秀だ。
そしてこの手紙を書いた人物は巧妙に自分の思いをこの手紙に込めていた。
アーシュラが手紙を手に取った時点は何も感じなかったが、その字に指を這わせて何かを感じ取ろうとした途端、強い残留思念が伝わってきたのだ。
洗練された技術を持つ黒髪術者の力の込め方だと分かる。
(黒帯隊の中でもかなり上位の者であり、なおかつチェルシー将軍に近しい者……)
手紙の文字から伝わってくるのはチェルシーへの親愛の情だ。
単に上官と部下の関係ではない。
となるとアーシュラが思い至る人物は1人だけだ。
そしてこの手紙から感じる黒髪術者の力は先日、港町バラーディオで感じ取ったものと同じだとアーシュラはすぐに気が付いた。
(彼女だったのか……あの街に来ていたのは)
思案するアーシュラは、ブリジットらがじっと自分を見つめて待っていることに気付いて口を開いた。
「これが罠かどうか、罠でないとしたら一体どのような理由でこのような手紙を送ってきたのか、今の時点では判断がつきません。しかしこの情報は我らの陣営で共有しておくべきでしょう。特に今、作戦中の青狐隊には何とかして知らせねば」
そう言うアーシュラにブリジットは頷いた。
「アデラを呼ぼう。速やかに遠方へ情報を飛ばしたいならアイツしかいない」
そう言うとブリジットは小姓に命じて獣使隊のアデラ隊長を呼びに向かわせるのだった。




