第230話 『敵地へ向かう者たち』
「旅芸人の一座だ? この戦時に呑気なものだな」
十数名の王国軍の兵士らは、5人の旅芸人らを取り囲みながら薄笑いを浮かべた。
ここは公国領であるが、今や占領軍となった王国軍の兵士らが国土のあちこちを我が物顔で闊歩している。
そして敗戦国が受ける残忍な仕打ちが日常的に散見された。
王国兵らは村々を訪れては食糧を奪ったり女を攫ったりして好き放題をしているのだ。
まるでそれが勝った者の当然の権利であると言わんばかりに。
ゆえに山の麓の道を歩いているところを見つかった旅芸人の5人組などは、格好の餌食だった。
5人のうち2人は女であることも王国兵らの粗暴性を刺激する。
王国兵らは舐めるような視線を女に向けて、嘲りの言葉を口にした。
「どうせ女の旅芸人なんて客の夜の相手もしているんだろう? 俺たちも楽しませてくれよ」
「男どもはそこで見てな。終わったら身ぐるみ剥いでやるからよ。おい、そいつらがおかしなな動きをしたら殺せ」
下っ端の若い兵士らにそう言うと王国兵らは我先にと女の旅芸人2人に群がって来る。
男たちに腕や髪を引っ張られて女たちは青ざめて顔を引きつらせた。
「や、やめてください」
「見逃して下さい」
女たちが哀れにそう懇願する様子がますます王国兵らをいきり立たせる。
彼らとて国に帰れば妻や恋人、母や姉妹といった身近な女性がいるだろうに、戦地の異様な雰囲気と戦勝国の驕りが男たちを狂わせていた。
軍事作戦中は統率の取れていた兵士らも、こうなると獣同然だ。
だが、王国兵らの注目が女たちに集まった瞬間だった。
「うぎっ……」
「あぎゃっ……」
誰かが短く悲鳴を上げた。
王国兵らがハッとして声のした方に目を向けると、見張りの若い兵士らが2人、地面に倒れている。
どちらも首があらぬ方向に曲がっていて、白目を剥いて息絶えていた。
そして王国兵らが唐突な出来事に動きを止めた瞬間、襲われかけていた女2人の目に鋭い光が宿り、どちらも素早く動きを見せた。
「ゲッ……」
「あぐぅ……」
女たちはいつの間にか手にしていた刃物で的確に手近な王国兵らの喉を突き刺して一撃で殺した。
彼女たちは知っているのだ。
人間の命を手早く奪う方法を。
「な、何だコイツら!」
「てめえら! 旅芸人じゃねえな!」
王国兵らがそう気付いた時には遅かった。
旅芸人の中で最も年上の男は王国兵の首に両腕を回すと、まるで枯れ木でもへし折るかのように簡単にその首を折っていく。
その強さに愕然とした王国兵らをさらに恐怖に陥れたのは、旅芸人の中で最も若い男だった。
彼は持っていた杖の中に仕込んでいた長剣を抜き放った。
「地獄に堕ちろ。下衆野郎ども」
若者はまるで荒れ狂う風に舞う木の葉のように動き回ると剣を振るった。
光の糸のような剣筋が宙に描き出されると、王国兵らの首が次々と飛んでいく。
おそらく斬られた兵士らは斬られたことも分からずに死んでいっただろう。
旅芸人の一座に扮した者たちによってその場にいる十数名の王国兵が骸と化すのに3分とかからなかった。
☆☆☆☆☆☆
「少々、感情的だったな」
旅芸人の座長に扮した青狐隊の隊長アーチボルトは、若き隊員ガイの戦いぶりに冷たい表情でそう言った。
十数名の王国兵らの遺体のうち8名が首なしとなっている。
全てガイが長剣で首を刎ねた者たちだ。
ガイは無表情のまま詫びの言葉を口にする。
「……申し訳ございません」
「詫びなど不要。感情の乱れは作戦行動も乱す。次から気を付けよ」
「はい」
共和国から国境越しに続く地下坑道から出て、公国領の山の麓を歩いていた青狐隊の5人は、王国兵の小集団に遭遇した。
隠密的な作戦ではあるが、ずっと地下坑道を通って行けるわけではないので、こうして敵に出くわしてしまうこともある。
そう言う時は容赦なく敵を殲滅するのが隊の取り決めだった。
先ほどのように相手の数が自分たちの3倍程度ならば、この5人には相手を皆殺しにするだけの能力がある。
王国兵らに襲われる哀れな女たちを演じた女性隊員らも、内心は極めて冷静だった。
彼女たちもそれぞれ2人ずつ、王国兵の喉に刃物を突き立てて殺している。
特殊部隊として厳しい訓練を受け、共和国内最高峰と言われるこの諜報部隊に選出された実力は伊達ではない。
そして人を殺しても決して乱れることのない鉄の心を持つのが彼ら青狐隊である。
しかし敵を一番多く屠ったガイの剣には敵への嫌悪感や怒りが感じ取られ、それを隊長のアーチボルトは見咎めたのだ。
彼らの刃は任務遂行のために冷静な意思の元で振るわれるべきであり、そこに憤怒や正義感は必要ない。
そうしたものは作戦行動に微妙な狂いを生じさせるとアーチボルトが豊富な経験から分かっていた。
「死体を茂みに隠せ。さすがにここでは目立つ」
部下たちにそう命じるとアーチボルトは自ら殺した王国兵の遺体を担ぎ上げるのだった。
☆☆☆☆☆☆
荒れ狂う水が飛沫を上げる中、一艘の舟が急流を下っていく。
船に乗っているのは5人の赤毛の女たちだ。
船から振り落とされそうになりながらも、船首に立つネルは興奮して声を上げる。
「ヒャッホウ! こりゃいい! まるで飛んでるみてえだ!」
プリシラを追って王国に向かうために川下りで目的地へ急ぐ若き5人のダニアの女戦士たち。
順調に川を下っていたものの、急激に流れが早くなり、あっという間に急流に突入した。
前後に跳ね上がる船の縁に必死に掴まりながら、エステルは声を上げる。
「ネ、ネル! 座りなさい! 危ないですよ!」
「何だそのへっぴり腰は。エステル。こんなもんどうってことねえ……おわっ!」
余裕の表情でエステルを振り返ったネルだが、その時に船首に大きな水飛沫が当たって船が不規則に跳ね上がり、その勢いで船の外に投げ出された。
「ああっ! ネルが落ちた!」
「あの馬鹿! 調子に乗ってるからよ!」
エリカとハリエットが非難の声を上げる中、エステルは必死に袋の中から縄を取り出しながら叫んだ。
「そ、そんなこと言ってる場合ですか! 助けないと……ひあっ!」
袋から縄を取り出すために両手を船の縁から放したエステルの腰が浮き、彼女もまた船の外へと投げ出されてしまう。
「ああっ! エステルも落ちた!」
「もう! オリアーナも助けるの手伝って!」
そう言ってエリカとハリエットが後ろを振り返ると船尾で大きな体のオリアーナが身を縮ませて青い顔をしていた。
思わずハリエットは顔を引きつらせる。
「オ、オリアーナ? 大丈夫?」
「き……気持ち悪い……」
そう言うとオリアーナは船の縁から顔を出して、急流の水飛沫を顔に受けながら、盛大に胃の中のものを川面に向かって吐き出す。
「うわあああ! オリアーナが吐いた!」
「もう! 全員しっかりしなさい!」
5人の女たちは七転八倒しながらそれでも必死に王国を目指す。
それがどんなに困難な道であろうと、友を救うために迷いはなかった。




