第226話 『狂気の実験』
「うへぇ。ひどいもんだな」
王国兵たちは惨殺された10人の捕虜の遺体を片付けながら思わず顔をしかめた。
王城の敷地内にある訓練所ではつい先ほど凄まじい戦いが行われていたのだ。
たった1人の男が10人の捕虜を皆殺しにした。
戦いに敗れた捕虜たちの遺体は皆、ひどい有様だった。
体のそこかしこに穴が空き、血を噴き出して息絶えている。
中には上半身と下半身が真っ二つに分かれてしまっている者さえいた。
王国兵らはそうした遺体を荷車に運び込みながら、戦慄に声を震わせる。
「何をどうしたらこうなるんだ……」
先ほどの戦いを目にしていない彼らにはとても想像できなかった。
これが本当に人間の手による殺しぶりだということが。
凄惨なその現場には血の臭いと、焦げ臭い硝煙の残り香だけが漂っているのだった。
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両腕に武器を仕込まれた人間兵器。
それがドロノキだ。
つい先ほど10人の捕虜を惨殺したその巨漢は今、主であるシャクナゲの前に跪いていた。
場所は王城内でシャクナゲがジャイルズ王より与えられた地下室だ。
「ドロノキ。よく出来ました。ご褒美よ」
シャクナゲはそう言うと懐から取り出した手の平に乗る程度の小袋をドロノキに手渡した。
シャクナゲの前に跪きながらドロノキは嬉しそうにそれを受け取ると、器用に右手だけで小袋を開け、その中から黒い粉末を指で摘み出す。
そして炭のように黒いその粉末をドロノキはペロリとうまそうに舐めた。
途端に彼はその巨漢を震わせる。
「ごほうび。おいしい。シャクナゲ様。好き」
「あら。お世辞がお上手ね。ドロノキ。これからもちゃんと私の言う事を聞いて働いてくれるなら、ご褒美あげるわよ」
「俺、働く。ご褒美、もらう」
ドロノキ。
かつて彼はココノエで連続殺人を犯した罪人だった。
普通ならば処刑される罪人だが、ココノエの皇であったカグラの娘であるシャクナゲはその権限で、ドロノキを自分の手元に置いた。
人体兵器化実験のために。
それまでもシャクナゲは秘密裏にその実験を繰り返していたが、過酷な実験で披検体が必ず死んでしまい失敗の連続だったのだ。
だが、ドロノキは違った。
彼は元来、体が強靭でありシャクナゲの実験にも耐え抜いた。
そして彼を痛みから解放するために依存性の高い麻薬をシャクナゲが用意すると、ドロノキはすぐにそれに溺れ、シャクナゲの手足となって働く忠実な部下となったのだ。
以来、ココノエからこの王国に移り住んでもドロノキはシャクナゲの部下として働いている。
ただしその異様な風体のため、普段はシャクナゲに近付かず地下室で過ごすことを強いられていた。
こんな男が城内をうろついていれば悪い意味で目立つからだ。
「ドロノキ。明日からもお外で過ごせるわよ。楽しみましょうね」
そう言って妖しく微笑むシャクナゲを、ドロノキはまるで母のように見上げて無邪気に頷く。
その従順な様子にシャクナゲは目を細めた。
(こういう忠実な兵隊が何人も欲しいわ。第2の戦士はあの坊やに……)
シャクナゲは胸の内で野望に燃え、思わずその顔を綻ばせた。
ジャイルズ王の寵愛を受けている彼女には様々な権限や財力が与えられている。
それを面白く思わない者は国内に大勢いたが、シャクナゲの邪悪な意思は徐々に王国に浸食し、国を蝕み始めているのだった。
☆☆☆☆☆☆
いつものようにエミルが収監されている牢獄に面会に訪れているのは、ココノエの少女・ヤブランだった。
「エミル。いつも字の本ばかりだと退屈でしょ?」
そう言ってヤブランが鉄格子の間から差し入れたのは一冊の画集だ。
それは以前のように図書室で借りた本ではなく、ヤブランの私物である。
あのシャクナゲと黒髪術者の男の密会を目撃して以来、余計な危険を避けるために図書室には行っていない。
そして相変わらずエミルはヤブランと話をしようとはしなかったが、ヤブランは構わずに画集を床に置いた。
「私の故郷……ココノエの風景が描かれた画集よ。私がココノエにいた時から持っているものなの」
それだけ言うとヤブランは立ち上がる。
差し入れや面会の出来る時間は限られている。
こうして差し入れをしている間も衛兵が見張っているのだ。
下手な話は出来ない。
だがヤブランは気になっていることを尋ねた。
「エミル。体調は大丈夫? もし何か困ったら言ってね。私には……言いたくないかもしれないけれど」
そう言うとヤブランはエミルの様子を見る。
体調という言葉を聞いてもエミルは何も表情を変えない。
(特に問題ないか。私の思い過ごしだといいんだけれど……)
図書室の密会でわずかに聞こえてきたシャクナゲの言葉の中に、エミルを一流の戦士にするべく何かを仕掛け始めているという話があった。
ヤブランがここを訪れることが出来るのは1日に一度きりであり、時間も5分程度しか許されていない。
それ以外の時間にシャクナゲがここを訪れてエミルに何かを仕掛けていたとしても、ヤブランには知りようもないのだ。
エミル本人の口から聞かない限り。
「……その画集。ずっと持っていていいから。飽きたら返してね」
黙して語らぬエミルにもめげずにそう言うと、ヤブランは牢を後にするのだった。
☆☆☆☆☆☆
「綺麗な絵だな……これがココノエの景色」
ヤブランが去った後、エミルは手にした画集をパラパラとめくって静かに息を吐いた。
彼女が差し入れてくれた画集には見知らぬ土地であるココノエの風景画が収められている。
どれもこれも息を飲むほどに美しい絵画であり、まるで実際にココノエの景色を見ているような錯覚を覚えた。
ココノエの少女・ヤブラン。
彼女は毎日欠かさずにここを訪れてくれる。
実際、彼女が差し入れてくれる本などは、この囚われの生活の中でエミルにとって大きな慰めになってくれていた。
だがエミルはヤブランと未だまともに話をしていない。
エミルの胸には彼女への不信感があるからだ。
オニユリの元から救い出してくれたことは感謝しているが、こうして王国にとっての正式な人質となってしまったのはヤブランの手引きによるものだった。
彼女が自分に優しくしてくれていたのは、すべてこのためだったのかとエミルは落胆していた。
彼女が今も毎日エミルのことを気遣ってくれているのは、エミルが従順な人質となるよう手懐けよと王国政府から指示されているからかもしれないという疑いが拭えなかった。
だから優しく声をかけてくれるヤブランに対してエミルは言葉を返すことが出来ないのだった。
(体調を気遣ってくれた……ヤブラン)
その気遣いに対して素直に礼が言えないことがエミルは心苦しかった。
そしてヤブランが毎日来てくれる度に、その苦しさは増していく。
もう来なくていいと明日は言うべきか。
そんなことを思っていたエミルは、気付くと何だか体が熱いように感じられた。
ヤブランは心配してくれたが、実のところ最近はすこぶる体調がいい。
体の中に熱量を感じ、思わず外に駆け出していきたくなるような衝動を感じるほどだった。
そしてそれに比例するように黒髪術者としての力もより鋭敏になりつつあった。
だからこそ分かるのだ。
ヤブランが自分を心配してくれているのは、その思惑はどうあれ、その感情は本物なのだと。
そしてそれが分かるからこそ、エミルは余計に心苦しいのだ。
毎日そんなことに思い悩んでいたエミルはまだ気付いていなかった。
自分の体にわずかな変化が生じ始めていることを。




